第15話。愛と青春

「アイ。どうしたの?」


 青い空を眺めていると、姉に呼ばれて視線を下げた。私の隣に居る制服姿の姉。今は昼休みの時間で、私達は屋上でお昼ご飯を食べていた。


「最近、色々あったから。平和だなって」


 私の手元には姉の作った弁当があった。


 もうすっかり、私と姉は仲直りしていた。私が姉を全面的に受けいれたせいか、姉は以前よりもベタベタしてくるようになった。


「平和なのが。一番いい」


「そう、かもね」


 このまま永遠に平和な時間が続けばいい。


 それは誰もが願う、平凡な願いなのかもしれない。だけど、私達学生にとっての自由に使える時間はそれほど多くはない。


 頭の片隅で忘れることの出来ない現実が囁きかけているようだ。卒業した後の話。そう遠くない未来で私と姉は道を選ばなくてはならない。


 私と姉の長い喧嘩が終われば、学生としての悩みが当然浮かんでしまう。目を逸らしても、周りの人間が現実を突きつける。


 逃げ道がないのなら。向き合うしかない。


 今なら、私は姉と二人で決められる。


「お姉ちゃん。進路、決めた?」


「決めてない」


 二人揃って何も決まっていない。もうすぐ夏が始まるけど、夏が終わればあっという間に冬が来て、最後の春が来る。


 目標を決めるなら今のうちでも遅くはない。だけど、今までダラダラと暮らしていたせいで、やりたいことが何もなかった。


「……いっそのこと二人でお店でもしようか」


 姉が顔を寄せてくる。少し自信に満ちた顔。


「魅力的な。話」


「いやいや、流石に漠然としてると思うけど」


 そんなに簡単な話じゃない。


「お金貯めながら。勉強して。お店を持つ」


「それが本当に出来ると思う?」


「うーん」


 実際に口にするとわかる、現実の厳しさ。夢を持つことは悪いことじゃない。だけど、夢を叶えるのは思い描くよりも何倍も難しい。


「でも。アイと一緒に居られる」


「別に他の仕事でも一緒にはなれるけど」


「ううん。同じ場所に。立ちたい」


 姉は私と同じ未来を歩もうとしている。


 だけど、それを本当に受け入れてもよかったのだろうか。私と一緒にいることが姉の幸せだと言っても、それ以上の幸せが他にあるように思えてしまう。


「お姉ちゃんさ、なんで私のこと。そんなに好きなの?」


「いまさら。聞くの?」


「だって、私達、子供の頃は別々に暮らしてたんだよ。なのに、お姉ちゃんが私のことをずっと好きみたいだし、なんか昔にあったっけ?」


 姉は少しだけ、笑顔を見せる。


「だって。アイ。可愛いから」


「理由になってない」


 話すつもりはないのだろうか。


「アイが好きな理由。あるよ」


 姉が顔を近づけてきた。そのまま姉は手を動かして、私の顔に触れてくる。ただ、いつもと違って姉の手つきが私を不安にさせる。


「たった一人の。大切な妹だから」


「じゃ、お姉ちゃんは姉として、妹の私が好きってことなの?」


「それ以外にあるの?」


 てっきり。いや、初めから姉の言葉は一貫していたと思う。恋愛感情があるとは思っていなかったけど、家族愛がここまで強いとは思ってもいなかった。


「つまり、妹じゃなかったら私を好きになってないってこと?」


「うーん。アイが妹じゃなかったら……」


 姉の体が私の体に寄りかかってくる。いつものスキンシップだと思い、私は姉の肩に触れようとした。


 なのに、姉の体が何倍にも重く感じた。


「もっと。簡単に。愛せてたかも」


「……っ」


 耳元で囁かれる姉の言葉にゾクッとした。


 思わず、姉の体を押し返してしまう。


 目の前にいる姉の姿。何処か気が抜けていて、何も考えていないように見える。だけど、今の一瞬だけは別の人物が囁いているようだった。


「お姉ちゃんって……」


 もしかしたら、私が見ている姉は間違って見えているのかもしれない。双子だからと言って、私と同じ顔が同じ感情を表しているとは限らない。


「アイ?」


「なんでもない」


 私は聞くのが怖くなった。もし、姉が理想的な姉を演じているなら、それを壊す理由もない。今さら不信感を抱くこともないのだから、気にする必要はない。


「……そういえばさ、あの話。もう聞いた?」


 話題を変えて、今の出来事は忘れることにした。


「なんの。こと?」


「ほら、家族で温泉に行くとかって話」


 それなりに街の近くにある温泉旅館。親睦を深める為に家族四人で行くらしいけど、あまり乗り気ではなかった。


「知らない」


「お母さんから何も聞いてない?」


「うーん。言ってた。気もする」


 姉が嫌なら、温泉は断るつもりだった。どうせ私達が一緒に行かなくても、両親は仲良くするだろうし。


「お姉ちゃんは行くの?」


「アイが。行くなら」


「私は……まあ、どっちでもいいけど」


 何も決めないままだと、そのまま行くことになりそうだけど。温泉に行くのはもう少し先だから、すぐには決めなくてもいい。


 一応、姉の意志は確認した。もし、姉にその気が無ければ、気にせず断ることが出来そうだ。


「ごちそうさま」


 姉と色々話しているうちに、弁当を食べ終わっていた。ゆっくり食べていたせいか、昼休みも残り少ない。午後の授業をサボる理由もなく、教室に戻ることにした。


「そろそろ戻ろうか」


 先に立ち上がると、姉が隣に並んでくる。すぐに姉は私の腕を引っ張るように掴んできた。


「ねぇ。アイ」


「なに?」


「アイは。キスしたことある?」


 突然の質問に驚いた。恋愛にまったく興味のない姉の口から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。


「ないよ」


 姉が顔を近づけてくる。


「私で。練習する?」


「何を馬鹿なこと言ってるの……」


「アイなら。いいよ」


 その言葉を聞いて、一瞬だけ姉の唇に視線を向けてしまう。それを気づかれていたのか、姉が小さく笑顔を見せる。


「もしかして、キスしたいの?」


 姉は返事をしなかった。今ならキスをしても悪ふざけで済ませられる。姉が嫌がらないのなら、一回くらいは試してもよかった。


 私は姉に顔を近づける。そのまま唇が触れ合う寸前まで近づけ、私は少しだけ口を開けた。


「……っ!」


 次の瞬間、姉の体が大きく離れた。


「あはは、何その反応?」


「アイ。噛んだ」


「そんな強く噛んでないでしょ」


 私は姉の唇を噛んだ。キスするのが恥ずかしいとかじゃなくて、単純に反応を知りたかったから。ただキスをするよりも、面白い光景が見られた。


「なんか。変な感じ」


「ごめん、痛かった?」


「ううん」


 姉は自らの唇に指先で触れる。


「少し。よかった」


 いつもより姉の顔が喜んでいるように見えた。あまり深追いするつもりはないけど、私は姉の将来が不安になる。


「お姉ちゃん。ろくな恋愛しなさそう」


 姉が私の体に抱きついてきた。


「アイも。人のこと言えない」


「私は……」


 そろそろ恋人が欲しい。なんてことを頭のどこかで考えながらも、今は姉と一緒にいる時間を優先してしまう。


 本当に私は駄目な人間だった。




 放課後になり、姉と一緒に帰ることにした。私の方が先に授業が終わったので、姉の教室に迎えに行くことにした。


 だけど、教室前の廊下で姉が先生と何かを話していた。他人ならともかく私の姉だ。姉に近づいて会話に割り込むことにした。


「どうかしたの?」


「大事な提出物だから。すぐに書いてほしいって」


 もしかして、進路調査票のことだろうか。私は適当に書いたけど、姉は真剣に悩んでしまったようだ。


「アイ。待ってて」


「うーん……」


 待ってもよかったけど、時間がかかりそうだ。それに先生からは早く帰るように言われているし、ここで粘っても、ややこしくなりそうだ。


「ごめん。先に帰る」


「そっか。アイ。ごめんね」


 仕方ない。今日は一人で帰ろう。

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