第14話。愛と決別

 母親のところで一日過ごした私と姉は、翌日には父親の家に戻っていた。家に帰ったタイミングで楓奏かなでと鉢合わせ、今は部屋の中に入れていた。


 わざわざ家に来たのだから大切な話でもあるのかと思った。楓奏にはカラオケで起きたことを簡単にメールで伝えているから、事情は知っている。


「犯人、まだ見つかってないよ」


 楓奏は私のベッドに座りながら、残酷な現実を口にした。楓奏なりに犯人を調べてくれたみたいだった。


 犯人は元々はお店に通っていた人間。もしかしたら手がかかりが残っている可能性もあった。


「もう街を出てるんじゃない?」


「どうかな。アイツ、かなりアイちゃんのことお気に入りだったみたいだし」


「気持ちの悪いこと言わないでよ」


「正直、言うと。そのうち金欠になって、何かやからかすとは思ってたけど。まさか、待ち伏せして襲う……おっと、よくないよくない」


 カラオケのことは話したけど、具体的な内容は省いた。それでも、だいたいの内容から私の身に何が起きたのか、楓奏には伝わってしまった。


「気使わなくていいよ。もう大丈夫だし」


「しっかしまぁ、よくお姉さんが助けてくれたね」


「……お姉ちゃんは、かなり心配性だから」


 あの日、姉にはカラオケに行くから、晩御飯は要らないと連絡していた。少し前に深夜に外出したせいで、姉の心配性を加速させてしまった結果だと思う。


「もしかしたら、お姉さんが犯人に頼んでアイちゃんを襲わせてたりして」


 少しだけ、楓奏の言葉にムカついた。


「楓奏。言っていい事と悪い事もわからない?」


「可能性の話をしてるだけだってば。もし、アタシがアイちゃんを本気で惚れさせたいなら、迷わず選ぶ手段だからね」


 果たして、そこまで姉の頭が回るだろうか。


「……それでも、言わないでほしい」


「アイちゃん、なんか変わった?」


 もう私と姉の間に壁なんてなかった。まだ元通りの姉妹に戻れたわけじゃないけど、少なくとも他人から姉の悪口を言われるのは気に入らない。


「あーあ。せっかくのチャンスだったのにな」


 楓奏が飽きれるように立ち上がった。


「楓奏?」


「もう、アイちゃんにアタシは必要ない」


 そのまま楓奏は部屋を出ていこうとする。


「待ってよ。楓奏」


 私は駆け寄って、楓奏の腕を掴んだ。


「友達やめるつもり?」


「はあ?友達は友達じゃんか。でも、アタシという人間は誰かに寄りかかって欲しいんだ。なのに、アイちゃんはもう別の誰かに傾いてるから」


 楓奏が私の顔に触ってきた。


「アタシはアイちゃんをみちづれにしたくない」


「楓奏……」


「そんな顔しなくていいじゃんか」


 これで永遠の別れなんかじゃない。


「ごめん、楓奏……」


 わかってはいたけど、楓奏はここで関係に一線を引こうとしている。もう私は本当の楓奏に手が届かなくなってしまう。


「幸せになりなよ。アイちゃん」


 最後に楓奏の唇が私の頬に触れた。


 その感覚は、楓奏が居なくなった後も。


 しばらく、残っているような気がした。




「やっほーアイちゃん」


 バイト先に顔を出すと、先程別れたばかりの楓奏が椅子に座っていた。少し、感動的な別れだと思っていたのに、これじゃ台無しだった。


「楓奏。一回殴っていい?」


「うーん。ダメ」


 そんなやりとりをしていると、店長が部屋に入ってきた。楓奏は空気を読んだのか、入れ替わるように部屋から出て行った。


「アイさん。わざわざ来なくてもよかったのよ?」


「いえ。大事な話だと思ったので」


「そうね。色々と考えてみた結果というか、お願いかしら」


 店長が何を話したいのか知っている。


「アイさんにはもう少し休んでいてもらいたいの。けれど、それが何日、何週間、何ヶ月、どれだけ伸びるかわからない」


「犯人が見つからないからですか?」


「そうね。私ではなく、店の経営に口を出せる立場の人間から、このままだと従業員に危険が及ぶ可能性があるから。問題を解決してほしいって言われたの」


「……私をクビにしろって話ですか」


 店長が私に抱きついてきた。


「表向きは辞めたことにして、犯人が見つかった時に戻れるように私がなんとかするわ」


 どちらにしても、このままバイトは続けられない。鈴佳すずかや楓奏に危険が及ぶ可能性がゼロではないのだから。


「もう、いいですよ……」


 私は諦めていた。


「今の私にはやりたいことがありますから」


 店長はさらに強く私を抱きしめてきた。


「大人の事情に巻き込んでごめんなさい」


「大丈夫です」


 店長の匂い、なんだが安心する。


 昔に嗅いだことのある。ネメシアと椿の花の香りが混じったような匂い。これは嫌いになれない匂いだった。


「さようなら。アイさん」


 私は大丈夫だ。


 もう、一人じゃない。




「アイ」


 店から外に出ると、姉が待っていた。


 今は外出する時は必ず姉と一緒に出かけるようにしている。一緒にいると姉が危険な目に遭う可能性も考えたけど、私に何かあれば姉を悲しませてしまう。


「話。終わった?」


「終わったよ」


 店先で誰かと鉢合わせたくないから、私はすぐに歩き出した。すぐに姉が追いついてきて、私の手を握ってくる。


「お姉ちゃん」


「ダメって。言ってない」


 別に怒るつもりはなかったけど。


「私、バイト辞めたから」


 姉は何も言わない。こうなることは姉と話し合い初めから決まっていた。仮にすぐに犯人が見つかったとしても、もう続けるつもりもない。


 今がやめどきというだけの話だった。


「あーあ。本当に最悪。せっかく、いいバイトだったのにな」


「……アイのメイド服。見たかった」


「やだよ。あんな格好、知り合いに見られたくないし」


 制服は可愛かった気もするけど、やっぱり私には似合わない。


「時給の三倍払う」


「いや、それはガチっぽいからやめて」


 どうせなら、姉が着た方が似合いそうだけど。いざ着せるとなれば、買うかレンタルする必要がありそうだ。


「服。借りられるところ。知ってる」


「ふーん」


「あっちの方」


 姉が指さした方向。そっちの方は確か、泊まれるホテルが多かったというか。裏通りになるところだった。


「いや、そっちはダメでしょ」


「どうして?」


 私は姉に耳打ちをした。


 すると、姉の顔が真っ赤になる。


「ち。違うの!」


「いやいや、今のは自然な流れで誘ってたよね」


「だって。知らなかった。から!」


 最近、街に戻ってきた姉が知らなくても仕方がない。ホテルと言っても、そこはカップルや目的のある人達が利用する場所だ。


 そのうちの一つに衣装が借りられるホテルがあるのだろう。建物の前を通るだけなら、看板にでも誘い文句が載っていると思う。


「お姉ちゃんが行きたいなら、行ってもいいよ?」


「もう。からかわないで……」


 これ以上言ったら、姉が恥ずかしさのあまり逃げ出してしまいそうだ。しばらくはお金の無駄遣いも出来ないし、本当に行ったりはしないけど。


「レンタルだけなら、他の場所があるでしょ」


「うん……」


「ほら、ちゃんと歩いてってば」


 姉の腕を抱き寄せて、しばらく歩く。店からもだいぶ離れたところで、私のケータイが鳴り始めた。


「はい。もしもし」


「アイさん!どういうことですか!」


「鈴佳。うるさい」


「だって!急に辞めるなんて!」


 店長が鈴佳に伝えたのだろうか。いずれ鈴佳に話さないといけないと思っていたし、ちょうどいい。


「ごめん、鈴佳。私、やりたいことが出来たから」


「やりたいことですか?」


「うん。今は家族との時間を大切にしたいから」


 私は鈴佳に本音を伝えた。


 きっと、ちゃんと話せば鈴佳も理解してくれる。


「……アイさん。頑張ってください!また時間があれば遊びに行きましょう!」


 また私は背中を押されたような気がした。


 止まっていた私の人生は、少しづつ前に進む。


 大切な人と一緒に。

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