第9話。愛と公園

「アイ先輩」


 深夜の公園。彩葉いろはは遊具のブランコに座っていた。


 最後に彩葉と顔を合わせたのは学校だった。あれから少し時間が空いて心配だったけど、彩葉から会いたいと連絡が来たから、こうして足を運んでいる。


「眼帯、取れたんだ」


「元々少し腫れてただけですから」


 彩葉の隣。私は空いているブランコに座った。


「それで、話って?」


「この前の……バイトの話ですけど」


「あーごめん。その話、やっぱり無しで」


 今、盗撮の件でバタバタしていて。とてもじゃないけど、彩葉は受け入れられるような状況じゃなかった。


「いえ、そもそも断るつもりでしたけど。何かありましたか?」


「実は……」


 私が働いているお店で盗撮があったことを彩葉に話した。


「大変そうですね」


 彩葉は軽くブランコを漕ぎ出した。


「早く犯人が見つかればいいけど。やっぱり、盗撮されてると思うと、変に意識するって言うか」


「アイ先輩。可愛いですもんね」


「うーん。それはどうだろ」


 あれから新しい盗撮写真はネットに上がってはいない。だけど、全体的な被害を調べる為に過去の写真も確認をした。


 そこでわかったことが一つあった。


「私の写真、なかったんだよね」


「アイ先輩の写真がですか?」


 私だけじゃない。もう一人、楓奏かなでの写真もなかった。見落としているだけかもしれないけど、ほとんどが鈴佳すずかや他の従業員の写真だった。


「私は少し短めのスカートを履いてるけど、他の子達は新しい制服だから私よりも少しスカートが長いんだよね」


 私と楓奏は昔の制服の方が着慣れているからそのまま使っている。一応、旧制服は誰でも使っていいみたいだけど、実際は新しい制服の方が人気だった。


「つまり、わざわざ撮りにくい方を選んでるってことですか?」


「そうかもね。まあ、スカートの中は下着ってわけじゃないし。どっち撮っても同じ気がするけど」


「盗撮犯はスリルを楽しんでいるだけ、かもしれませんね。私達には到底、理解出来ない感覚ですけど」


 そんな身勝手な理由で盗撮が許されるわけがなかった。私達も見えないからこそ、気を抜いていたところもあったけど、そもそも盗撮する方が間違っている。


「おまけにわざわざネットにあげるとか、バカにしてるとしか思えない」


「ネットにですか……」


 彩葉が少し難しそうな顔をする。


「どうかした?」


「盗撮犯って、まだ見つかってないですよね?」


「見つかってないよ。これから対応はするみたいだけど、正直、見つかるかどうか……」


「それじゃあ、写真が上がってる場所を教えてください」


 彩葉に写真が載っている元サイトを教えた。彩葉なら教えても悪用するようなこともしないだろうし、特に心配はしていない。


「こんなの、どうするつもり?」


「少し知り合いに頼んで、調べてもらいます」


「へー凄い知り合いがいるんだ」


「ネットに詳しいだけの変態ですよ」


 少しの間、彩葉はケータイに向き合っていた。今は問題の解決が出来るなら、一人でも多くの手を借りたいところだし、ちょうどよかった。


「あまり期待しないでくださいね」


「いいよ。無理なお願いするつもりはないし」


 もし、彩葉が盗撮犯を見つけてくれたら、その時はお礼をしないといけない。なんとなく、彩葉には期待してもいい気がした。


「何かわかれば、アイ先輩に連絡します」


「ん、ありがとう」


 これ以上、盗撮の件について話すことはない。


 元々、彩葉に呼び出されたのは、最近の話をしたいからと言っていた。だから、もう少しだけ会話を続けることにした。


「彩葉の方は、それからどうなった?」


 彩葉も彩葉で問題を抱えている。


「アイ先輩の気分を害する話ですよ」


「別に今さらでしょ」


 確か、彩葉が手を出した男には彼女がいて。その彼女ともめたって話だったけど。最終的に彩葉が謝って、問題は解決したはずだった。


「あの男の人、彼女さんと喧嘩をして別れたみたいです。ただ、その後に私と付き合いたいと言ってきました」


「いやいや、普通にないでしょ」


「そうですね。でも、私は付き合い始めました」


 どうやら、彩葉はよっぽどの悪食のようだ。そんな人間と付き合うなんて、私には無理だ。


「それからデートには一度も行ってないです。抱かせてほしいと言われたことは何度もあります。昨日は知らない男の人も一緒に……」


「いや、そこまで言わなくていいから」


 彩葉が選んだこととは言っても、何もかもが間違っているように聞こえてしまう。


「アイ先輩。誰かを好きになるって、どんな感覚なんですかね」


「……彩葉は誰かを好きになったことないの?」


「はい。どれだけ肌を重ねても、どれだけ愛を囁かれても。私の心は何処か遠くに行ってしまう」


 彩葉が月に手を伸ばした。


「もう、私には届かないんでしょうか」


 その言葉には何の感情も込められていない。


 悲しみも、憎しみも、本来持つべき感情が彩葉から抜け落ちている。だから、私は彩葉になんて言葉をかければいいのか、わからなかった。


 だから、今だけは嫌いな人の考え方を借りてしまおう。


 もし、目の前で道を迷っている女の子がいたとしたら。その人はきっと、女の子が一人で歩けるように道を示す。


「彩葉。本気で誰かを好きになってみたら?」


「どういう意味ですか?」


「今の彩葉って、ただ感覚を得られる時を待ってるだけでしょ。なら、自分から誰かを好きになる努力をすれば、本物も見つけられるんじゃないかって」


 自分でも呆れるほど、身勝手なアドバイスだった。こんな考え方をするのは、姉くらいなものだ。


「……アイ先輩」


 彩葉がブランコから降りて、私の前まで来た。


「なら、私からアイ先輩に提案があります」


「提案?」


「私はアイ先輩の言葉に従って、努力をします。だから、アイ先輩も私と同じように誰かを好きになってください」


 誰かを好きになる。自分に出来ないことを他人に言ったなんて、馬鹿みたいだ。でも、本当に誰かを好きになれば、私の言葉は間違っていないと証明出来る。


「いいよ。約束しよ」


 私は小指を彩葉に向けた。


「あの日、アイ先輩に出会えてよかったです」


 重なる二人の指。


「ありがとうございます。アイ先輩」


 この約束さえあれば、私も誰かを好きになれる気がした。もし人並みの恋をすれば、少しは楓奏や彩葉の苦しみも理解出来るのだろうか。


 その後も彩葉と会話を続けた。けれど、内容はお互いの趣味だとか昔話だとか。特に盛り上がるような話ではなかったけど、それなりに時間が経っていた。


「彩葉。そろそろ帰ろうか」


「私はもう少し、ここにいます」


「大丈夫?」


「平気です。慣れてますから」


 彩葉と別れて、公園を後にした。


 暗い夜道。人通りも少ない。


 彩葉に盗撮犯の話をしたいせいか、嫌な感覚が全身を包む。怖くはないのに、心霊テレビ番組を見た後の感覚によく似ている。


「……っ」


 誰かが後ろを歩いている。


 それも足音が近づいてくる。


 万が一の場合を考えて、私はケータイに手を伸ばした。最悪の場合でも、声を出して抵抗すればいい。


 そんなことを考えていた時、もうすぐ後ろまで足音が迫っていた。私は先に振り返って、相手の姿を確認した。


「え……」


「一人だと。危ないよ」


 そこに立っていたのは、姉だった。


「まさか、つけてきたの?」


「うん」


「っ、どういうつもり!」


 私は姉の服を掴んだ。コソコソ付け回されて気分がいいわけがない。今の私はハッキリと姉に対して怒りの感情を抱いていた。


「心配。だったから」


「お姉ちゃんには関係ないでしょ!」


 姉が私の体に手を伸ばしてくる。そのままいつものように抱きしめてくると、私が逃げられないくらい強く抱きしめてきた。


「関係なくないよ」


 その時、姉の体が震えてる気がした。姉は何を恐れているのだろうか。私がいくら怒っても姉が怖がることなんてなかったのに。


「……ごめん。言い過ぎた」


 こんな夜中が外出をして、姉に心配するなと言うのが無理な話だった。私の感覚が麻痺しているだけで、普通の人間は夜に出歩くのは怖いと感じるのだから。


「お姉ちゃん。帰ろ」


「うん」


 私は姉と手を繋いで家に帰ることにした。

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