第4話。愛と同居

「はぁ、疲れた……」


 彩葉いろはが家で泊まった日から少し時間が経った。それ以降、学校でも彩葉に出会わず、特に連絡も取り合ってはいなかった。


 だから、私は元の生活に戻るのだと思い込んでいた。いつものようにバイトから帰ってきた私は玄関の前で鍵を取り出そうとする。


「あれ……?」


 私は扉の異変に気づいた。


 試しにドアノブを回してみると、扉は簡単に開いた。廊下の向こうから聞こえてくる音は存在を隠す気なんてないようだ。


 父親が帰ってきた可能性。それが一番ありえる話だと思った。だから、特に警戒もせずに廊下を歩いて行くと、ソレと顔を合わせることになった。


「お姉ちゃん……?」


「アイ。おかえり」


 制服姿の姉が、リビングの真ん中で立っていた。


「……通報する」


 私がポケットからケータイを取り出すと、姉が駆け寄ってきた。両腕を掴まれ、そのまま身動きが取れなくなる。


「アイ。落ち着いて」


「なんで、お姉ちゃんが家にいるの?」


「それは。その」


 姉が片手を離した。姉は制服のポケットからケータイを取り出すと、手早く操作して私の顔にケータイを押し当ててきた。


「はい。もしもし」


 通話が始まり、聞き覚えのある声が届いた。


「ねぇ、どういうこと?」


 私は電話越しに父親に不満を漏らした。


「本当にすまない」


「謝らなくていいから、説明して」


 父親から事情を聞き出した。


 どうやら母親から姉のことを押し付けられたようだった。押しに弱い父親が母親の頼み事を断れなかったことは理解したけど、イラついてしまう。


「お父さんは、それでいいの?」


「ああ……」


 父親にしてみれば、姉も自分の娘だ。どれだけ母親と仲が悪くても、私達に向けられる感情は平等なのかもしれない。


「わかった。もういい」


 会話を終わらせた時、私から姉が離れた。


「あのね。私も。反対した」


「だから、何?」


「怒らないで。ほしい」


 私と父親の会話を聞いて、怒られると思ったのだろうか。これ以上姉や父親に文句を言っても事態は変わらないし、怒る気にもならない。


「はぁ……本当にお母さんは何を考えて……」


 頭が痛くなってくる。


「アイ。大丈夫?」


「大丈夫だから、少し待って」


 これから父親と姉と三人暮らしになる。当然、姉の部屋なんて無いし。私と一緒の部屋を使わせることになってしまう。


「お姉ちゃんの荷物って、いつ届くの?」


 姉は壁際に置いてあったバッグに目を向ける。


「まさか、それだけ?」


「うん」


 一時的に暮らすこと考えるなら、着替えだけ持ってくるのは当然だろうか。


「わかった。じゃあ、私の部屋に置いておいて」


「アイの部屋?」


「他に部屋なんてないし」


 本当は父親の部屋があるけど、年頃の娘に使わせるわけにはいかない。姉がリビングから出て行ったところで、私はソファーに腰を下ろした。


楓奏かなでの家にでも行こうかな」


 少しは考えたけど、楓奏には彼氏がいるから私が家に行っても邪魔になる。他には、彩葉のことも思いついたけど。まだ知り合ったばかりで、頼めるわけない。


「そういえば、片付いてる……」


 リビングに溜まっていたゴミが無い。流石に腐るようなモノは捨てていたけど、何も無い床を見るのは久しぶりだった。


「アイ。ただいま」


 戻って来た姉が私の隣に座ってきた。


「部屋。お姉ちゃんが片付けたの?」


「うん」


「ふーん」


「ダメだった?」


 姉が不安そうな顔をする。


「お姉ちゃん。笑顔」


 すぐに姉は、小さな笑顔を見せた。


「ふーん。お姉ちゃんは普通に笑えるんだ」


「アイの笑顔も見たい」


「鏡でも見れば」


 少し意地悪な言い方をしてしまった。


「それに。何の意味があるの?」


 姉の顔が目の前にまで迫る。今までと違った、冷たい姉の言葉。私の中で姉に対する恐怖を感じたのは、これが初めてじゃなかった。


 私の姉が、姉であると酷く実感する瞬間。妹は姉には逆らえない。例え、双子であっても、妹として生まれた瞬間から、姉という存在を背負って生きなくてはならない。


「ふん。冗談がわからないの?」


「冗談でも。言ってほしくなかった」


「そんなの知らない」


 気まずくなって、私は姉から顔を逸らした。


「アイ。ありがとう」


「私、なんかした?」


「一緒に住むこと。許してくれたから」


「それは……お姉ちゃんが野垂れ死にでもされたら、私が困るから。どうせ、母親のところには帰れないんでしょ」


 姉が私の手を握ってくる。


「アイ。末永くよろしく。してほしい」


「馬鹿じゃないの。それだと結婚するみたいじゃんか」


 今度は姉が自然と笑顔を見せてきた。


「お姉ちゃん。家のことは割り切ってもいい。でも、私の個人的な感情だけなら、まだお姉ちゃんのこと受け入れられない」


「それでもいい。隣に居られるなら」


 私の手を姉が両手で握ってくる。


「はぁ……」


 私の考え過ぎかもしれないけど、私と姉を仲直りさせる為に母親が送り込んできた可能性もある。両親の問題と私達姉妹の問題を別だと母親が考えているなら、納得出来る強引な手段だった。


「まあ、いいや。私、シャワー浴びて寝るから」


「お風呂。沸いてる」


 リビングに姉を残して、お風呂場に行くことにした。途中で制服だけは部屋で脱いで、着替えを持って行くことにした。


 脱衣場で残りを脱いで、浴室に足を踏み入れた。


 シャワーで洗ってから、湯の張った浴槽に体を沈める。少しぬるいような気もするけど、久しぶりに肩まで湯につかれた。


「お母さん、か」


 姉とは顔を合わせたけど、母親とはずっと会っていない。もし、今の住所に行けば会える可能性もあるけど、私の母親に対する感情は姉よりも酷い。


 父親がダメな人間だとわかっている。だけど、私を一人で育ててくれた父親を愚か者だとは思わない。


 そんなダメな父親を捨てた、母親と姉のことを今でも許せなかった。


「やっぱり、お風呂は苦手……」


 長湯をしていると余計なことばかり考えてしまう。あまり時間が経たないうちに浴室から出ることにした。


 バスタオルで体を拭いて、置いてあったジャージに着替える。このジャージは中学の時に使っていた学校のジャージで。今でも部屋着として使っていた。


 脱衣場からリビングに向かうと、まだ姉がソファーに座っていた。膝を抱えて、頭を伏せているけど、私が近づくと顔を向けてきた。


「アイ」


 急に姉が立ち上がった。


「ちゃんと。髪乾かした?」


「あー部屋で乾かすけど」


「じゃあ。早く行こ」


 私は姉に押されるようにして、部屋に向かった。


「アイ。座って」


 部屋に着くなり、ベッドに座らされた。姉は私の後ろに回り込み、タオルを被せてくる。


「ドライヤー。するよ?」


「勝手にすれば」


 ドライヤーで私の髪を乾かされる。短いからそれほど時間はかからないと思うけど、姉は丁寧に私の髪を乾かしてくる。


「アイ。髪。伸ばさないの?」


「短い方が楽だし」


 姉の髪を見ると、やっぱり伸ばす気にはならなかった。髪のせいで姉の存在感が増幅されているような気がして、目立ちたくない私には余計なものだ。


 私の髪を乾かし終わる頃には、それなりの時間になっていた。特にやることがない時は早めに寝ているけど、私と同じ部屋を使うなら姉にも同じ生活を強要することになる。


「じゃあ、私は寝るから」


 私がベッドに横になると、姉が顔を覗き込んできた。姉の顔は困惑の感情で満たされている。


「なに?」


「私は。どこで寝ればいい?」


「私の隣に寝れば」


 姉は私から離れると、服を着替え始めた。制服から動きやすそうな格好に。私と違って、ジャージなんて着ていない。


 電気の消された部屋。姉は隣に寝転がると、私にも布団を被せてきた。だけど、私は布団から少しだけ体を出した。


「アイ。おやすみ」


「おやすみ」


 しばらく続いた沈黙の後に吐息が聞こえた。


 相変わらず、姉は寝付きがいいようで。私は横になったままケータイを操作する。楓奏とやり取りをしたり、適当な情報を見たり。眠くなるまで時間を潰していた。


「なんで、こんなことに……」


 すべてを気にしないなんて難しい。


 私はまだ、姉を許したわけじゃないのだから。


 今の状況は本当におかしなことだった。

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