第5話。愛と朝食
「寝苦しい……」
私が目を覚ましたのは、まだ日も登らない時間だった。少し外が明るくなっているから、朝の五時くらいだとは思うけど。
身動きが取れないのは、私の体に姉の腕やら脚が乗っかっているから。久しぶりに姉と寝たけど、相変わらず寝癖は悪いようだ。
姉を引き離そうとした時、不意に姉の体に触れてしまった。そのまま確かめるように色々と触ってみるけど、やはり私と姉の大きな違いは、髪の長さくらいだった。
「お互い、成長しないね」
大きく変わっていたら、それはそれで驚いてしまうけど。昨日、姉の体を見た時も体格は私と変わらなさそうだった。
「まあ、いいか」
私は僅かに残る眠気に身を任せて、もう一度眠ることにした。少し寝苦しいけど、姉の匂いがあると不思議と意識を沈めることが出来た。
「あれ……」
次に目を覚ましたのは、ケータイのアラームが朝を告げる時。アラームを止めようと手を伸ばした時、私の隣には誰も寝てなかった。
部屋の隅には姉の荷物がある。勝手に帰ったわけじゃないし、トイレにでも行っているのだろうか。
私は、目を閉じた。本当は起きないといけないけど、ギリギリまで眠ってきたい。その為なら遅刻してもよかった。
「……っ」
部屋の扉が開く音が聞こえる。足音が近づいてきたかと思えば、誰かが私の肩に触れてきた。きっと、まだ私が眠っていると勘違いをしているのだろう。
「アイ。起きて」
姉の優しい声が聞こえる。だけど、酷い眠気のせいで無視をしたい気持ちの方が強くなってしまう。
「朝ごはん。出来てる」
「は……?」
思わず、目を開いた。既に姉は学校の制服に着替えており、何食わぬ顔で私を覗き込んでいた。
「朝ごはんって……冷蔵庫に使える物入ってなかったと思うけど」
「さっき。コンビニで買ってきた」
コンビニで弁当でも買ってきたのだろうか。
私は起き上がり、色々済ませてからリビングに行くことにした。着替えは食事が終わった後にでもすればいい。
リビングに行くと、既にテーブルの席には父親が座っていた。ダルそうにテレビを見ていて、姉が近くを通っても特に気にする様子はなかった。
「お父さんの分も作ったの?」
「うん。ダメだった?」
私は父親の顔を見て確かめる。朝はいつも通勤中に買ってるらしいけど、家で済ませられるなら、そっちの方がいいだろうけど。
「別にいいんじゃない」
「よかった」
そこで私は席に着いた。しかし、予想外だったのは姉が買ってきたのが弁当ではなかったこと。朝から料理をしたのか、熱を感じるような品々が並べられていた。
ただ、一番気になったのは明らかに手作りの卵焼きだった。他のは電子レンジを使ってそうなのに卵焼きだけは、わざわざフライパンで作っている。
準備を終えた姉は私の隣に座る。少し姉の椅子が近い気もするけど、邪魔にはならない。
「……」
テレビの音が聞こえるだけの静かな食卓。昔だったら、母親も入れた四人で食事をしていたのに、今は父親と娘二人だけ。
この状況を父親はどう思っているのだろうか。
別に母親は生きているし、姉は父親をまったく恨んでないと思う。だから解消しようのないモヤモヤを心に抱えているのは、この中で私だけだ。
「何も言わなくて、悪かった」
私の思考が顔に出てたのか。父親の言葉が静寂を切り裂いた。余計なことを言わなければ、この平和な食事は続けられたのに。
「どうでもいい。だから、気にしないで」
「今は彼女とは距離を置いている。だから、断りもなく彼女が現れることはない」
そんな言い訳は聞きたくなかった。わざわざ母親の話をされる方がムカつくし、姉も聞いているというのに。
「そもそも、お姉ちゃんのことも断ればよかったのに。いきなり別の家で暮らすなんて、お姉ちゃんも大変だろうし。こんな家……」
私が全部言い切る前に、姉の脚が当たった。これ以上、父親に対する私の暴言を聞きたくなかったのか、それとも単純に私を止めたかったのか。
どちらにしても、くだらない親子喧嘩のようなものを繰り広げて、姉の気分を害すのもよくないだろうし。私の方から話を早めに切り上げることを考えた。
「とにかく、言い訳はしなくていい」
「ああ」
こんなやり取りは何度もしてきた。だけど、姉からすれば本気で口喧嘩しているように見えたのかもしれない。
私と父親の関係なんて、下手な親子より上手くやれている。姉が心配しなくても、今さら仲が悪くなったりしない。
「ごちそうさま」
さっさと食事を済ませて、私は部屋に戻ることにした。姉はこっちに気を取られていたのか、半分も食べ進んでおらず、最悪な空気の中で取り残すことになるけど。
「アイ。お皿は置いておいて」
「わかった」
意外と姉は平気そうだった。
私は姉を残して、リビングを出て行った。
しばらくして、姉が部屋に戻ってきた。
「大丈夫だった?」
念の為、姉の心配をしてみた。父親が姉に余計なことを言うとは思えなかったけど。
「うん。少し話した」
「何か言われたの?」
姉は少しだけ笑顔を見せた。ああ、聞かなくてもわかった。やっぱり、父親は姉のことも本当に愛しているのだと。
「卵焼き。美味しかった。って」
「なにそれ、味の感想?」
「アイは。どうだった?」
「安い味がした」
姉の顔が少し拗ねたように見えた。
「冗談だって。美味しかったよ」
「……アイのいじわる」
「知ってる。そんなこと」
私は着ていた服を脱ぎ始める。いくら早めに起きたと言っても、そろそろ準備をしないと学校に遅れてしまう。
「何やってるの?」
姉が手で顔を隠していた。
「見たら。怒るかと思って」
「あのさ、同じ体なのに見られて困るモノなんてないでしょ?」
「下着とか」
「意味不明」
私は姉のことは気にせず着替えを続けることにした。それでも姉は手で顔を隠して、本当に見る気はなさそうだ。
「アイ。学校で。お昼って何食べてる?」
「購買でパン買うか、食堂で食べてる」
「食堂。あるんだ」
「うん。でも、そんなに安くないし、食堂には時々しか行かない」
食堂は味の保証は出来るけど、毎日食べ続ければそれなりの金額にもなる。購買で売っているパンで満足出来るなら、そっちの方が断然いい。
「お姉ちゃん。先に出なよ」
「え。どうして?」
「私、朝は友達と登校するから。一緒だとお姉ちゃんが、気まづくなるでしょ」
姉は複雑そうな顔をする。この様子だと、姉の人見知りは治っていない。それに
「不満」
「私、お姉ちゃんと登校したくないし」
「かなり。不満」
「はいはい。何言っても聞かないから」
姉の背中を押して、部屋から追い出そうとする。だけど、扉の前まで来たところで、姉が顔だけを後ろに向けてきた。
ああ、よくない顔だ。姉が捨てられた子犬みたいな顔をする時は、私によくない話をする時だ。
「アイ。パパのこと嫌い?」
「は?」
急な質問で足を止めてしまった。
「私が。喧嘩の原因?」
「そうだよ。お姉ちゃんさえ来なければ、喧嘩なんてしなかった」
姉が振り返り、私の体を抱きしめてきた。
「なんのつもり?」
「パパを。嫌わないで」
まさか、姉が自分のことよりも先に父親のことを言うなんて思いもしなかった。当たり前のことを言われてるのに、なんだが私は自分が悪いことをした気持ちになってしまう。
「パパには。アイしかいない」
「……そんなこと、わかっている」
もう、姉は家族ではない。その事実を受け止めているのは、父親も同じ。今、本当の意味で隣を並んで歩けるのは私だけ。私だけが、許されてしまった。
だけど、私にはわかっていた。
今でも姉は父親のことを愛している。
姉にとっても。たった一人の父親なのだから。
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