第2話。愛と仕事
「アイリちゃん。今日も可愛いね」
学校が終わった後、私はバイト先である個性的なカフェでアイリとして働いていた。可愛すぎる制服以外は特に文句もないけれど、最近は変な客も増えて困っている。
「あーそれは、どうも」
適当に客をあしらっても、喜ぶ人間の方が多かった。このお店で可愛くて優しい女の子が目当てなら私以外にいくらでもいる。
「そう言えば、昨日。駅の近くでアイリちゃんに似た子を見かけたんだけど、髪が長かったし別人だったのかな」
「それは、ただのドッペルゲンガー」
「え、ドッペルゲンガー?」
きっと姉のことだろうけど、お客さんに説明する理由はない。
「見かけても声かけないようにね」
「もちろん。外でお店の子を見かけても声かけたりしないよ」
この男の人は最低限の常識がある。だから、話していても私は不快に感じないけど、他のお客さんが同じだとは限らない。
「それじゃあ、オレ帰るから」
「さよなら」
ようやく一段落ついた。今日は平日だから人も多くはなかったけど、疲労感だけはいつもと変わらない。
「アイリさん。もういいわよ」
「店長……」
振り返ると、私の頬に指先が押し当てられる。
「あは。引っかかった」
「……楽しいですか?」
「とっても、楽しいわ」
ここの店長は変わり者だった。よく店の女の子をからかうし、何を考えてるかわからない。だけど、今まで出会った誰よりも優しくて、お店の女の子は店長に対して誰も不満を持っていない。
一つだけ問題があるとすれば、今の店長は代理でしかない。元々居た店長が一時的に働けなくなってしまい、仕方がなく働いてもらっているそうだ。
「ところで、ドッペルゲンガーって何かしら」
お客さんとの会話を聞かれていたのか。
「……私の姉のことですよ」
「あら、お姉さんがいたのね」
「ほとんど他人みたいなものです」
家の事情はある程度、店長に話をしている。姉のことを話さなかったのは、二度と会うことがないと思っていたからだった。
「ふふ。他人ね」
「何が面白いんですか」
「他人の話で不機嫌になるアイリさんが面白いから」
店長に言われて気づいた。壁の鏡を見れば、私の顔は普段よりも不機嫌な顔になっている。これなら店長にからかわれても仕方ない。
「姉のことは嫌いなんです」
「喧嘩でもしたの?」
「姉は……」
昔、姉は母親と一緒に家を出て行った。当時は理解出来なかったけど、今ならわかる。両親が離婚をしたせいで、家族がバラバラになってしまった。
そして、僅かに覚えている記憶。姉が父親を選ばずに母親を選んだこと。私が父親と一緒にいることを選べたのだから、きっと姉も選べたはずだった。
私が今でも姉のことが嫌いな理由。あまり自信はないけど、それが原因だと思う。姉と母親が私達を捨てたという印象が強く残り続けていた。
「とにかく、嫌いなんです」
これ以上、他人に話せることなんてない。私が言葉にしたくないことを察したのか、会話を終えて店長は立ち去った。
「アイリちゃん大丈夫?」
更衣室でカエデに声をかけられハッとした。
「ごめん。少し考え事してた」
私や
「また、あのお客さんのこと?」
「うーん、そんな感じ」
私やカエデを目的に店に通ってくる客も少なからずいる。その中で厄介な人間が混じるのは仕方がないと思っていたけど、最近は不快に感じるようになっていた。
「店長に頼んで出禁にしてもらう?」
「いや、何かされたわけじゃないし……」
それにあまり刺激するのはよくなさそうだ。
「でも、あいつ、アイリちゃんの働いてる時は毎回来てるんでしょ?ウチと他の子だけの時は見たことないし」
「なんか、そうっぽいね」
ただお店に来ているだけなら私は気にもしなかった。だけど、用もないのに何度も声をかけてくるし、仕事以外でも会いたいなんて言ってくるし。めんどくさい。
「アイリちゃん。少しは危機感持った方がいいよ」
「なんで?」
「だって、アイリちゃん可愛いから」
カエデが背後から抱きついてきた。カエデの手は私の体をまさぐるように動くけど、特に反応することが出来なかった。
「アイリちゃんが誰かに穢されるなんて、想像するだけで恐ろしい」
「勝手に私で変な想像しないでよ」
「どうせなら、穢される前にいっそアタシの手で……」
カエデの手が私のスカートに入り込もうとする。
「ねぇ、カエデ」
私の声でカエデの手が止まった。
「私って、そんな軽い女に見えてる?」
「ごめんごめん。冗談だってば」
カエデが本気じゃないことくらい最初から分かっていた。女の子には興味があるみたいだけど、カエデが最も好むのは自分よりも年上の男だ。
「それに私にはアイリちゃんに手を出す資格なんてないし」
「なんで?」
「私が穢れてるから」
カエデが人知れず背負っているモノ。それに私は口出しが出来なくて、私に出来ることはカエデの話を聞くくらいだった。
それだけでもカエデは十分だと言ってくれるけど、私はカエデの為に何かが出来ているとは思えなかった。だから、今だけはカエデを慰めようと考えていた。
「カエデは綺麗だよ。私なんかよりも、ずっと」
「アイリちゃん……」
カエデが私の頭に顔を近づけてくる。そのままわざとらしく呼吸をして、何かをしていた。
「何やってるの?」
「アイリちゃん成分を吸引」
「それはどんな効果があるの?」
「今日も元気に生きられる……って、時間切れか」
更衣室のドアが開く音が聞こえた時、既にカエデは私から離れていた。変な噂をされない為にもカエデの行動は正しい。
ドアから入ってきた人物は、一度カエデの姿を見た後。気まずそうな顔をして私の方に近づいてきた。
「アイリさん。少しいいですか?」
「リリィ、どうしたの?」
同僚のリリィ。本名は
「今度の土曜日って予定ありますか?」
「特にないけど。あ、シフトなら交代しないから」
「えー先に言うのはズルいですよ」
リリィが横目にカエデの方を見た。二人はあまり仲が良くないのか、直接話してるところをあまり見ない。
「何か大事な用があるの?」
「あー……まあ、個人的には大切と言うか」
その時。更衣室に大きな音が鳴り響いた。
音の正体はカエデがロッカーの扉を力強く閉めたもの。今のは明らかにリリィを威嚇する為にわざとやっている。
今後の関係が気まずくなるだけだから、正直やめてほしいけど。私が嫌々リリィの話を受けても、カエデを不快させるだけだ。
「私から他の子に頼んでみる。ダメだったら諦めて」
「助かります」
その言葉を残して、リリィは笑顔で更衣室から出て行った。おそらく、仕事に戻ったから、もうリリィがここに来ることはない。
「ふん。大事な用って、遊びに行くだけでしょ」
「だとしても。私には関係ない」
「アイリちゃんの手間かかってるじゃんか」
手間と言っても、シフトを変わってくれそうな人に心当たりがある。全員に聞くわけじゃないし、たいした手間にはならない。
「アイリちゃんって、色々と中途半端だよ」
「どういうこと?」
「悪者になりきれてない」
確かに最初はリリィを突き放そうとした。だけど、すぐに手助けをしてしまったのは、カエデの言う通り私が中途半端なせいだ。
「じゃあ、リリィを引きずり回して、無理やり仕事させる方が私には似合ってる?」
「いや、流石にそれはドン引きするかな」
カエデが少し後ずさりしていた。
「別に私はリリィのこと嫌いじゃないし。カエデはもう少し上手くやりなよ」
「うーん。まあ、アイリがそういうなら」
「上手く。やりなよ」
「なんで二回言ったのさ?」
カエデのことを私は誰よりも信頼している。だけど、カエデの本性を知っているからこそ、念の為に釘をさしておく必要がある。
他人と上手くやれないのは私だって同じ。家族とすらすれ違っている私には、人間関係を良好に保つのは一苦労だった。
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