背徳症状-双子の花嫁-

アトナナクマ

第1話。愛と楓奏

「おはよう。お父さん」


 部屋から出た時、廊下で出くわした父親に声をかけた。父親は私の頭に手を伸ばしてきたけど、それを私は軽く避けてからリビングに向かった。


 マンションの一室。二人で暮らすなら十分な広さだけど、狭く感じるのは部屋が散らかっているせいだった。


 今日のリビングは比較的まとも。脱ぎ捨てられた父親の服がソファの背もたれに掛かっていることだったり、空の弁当箱が入った袋が放置されていることも特に珍しくはない。


 リビングは父親からは片付けなくていいと言われているし。私がリビングに足を踏み入れるのは、キッチンにある冷蔵庫から飲み物を取り出す時くらいだ。


「アイ」


 父親に声かけられ、私は振り向いた。父親の手には数枚のお札が握られており、私に差し出されていた。


「別にいらない。前の分が残ってるし」


「だったら、好きな物でも買えばいい」


 父親は私の意思を無視して、お金を強引に握らせてきた。これは私の生活費とお小遣いだ。金額的に考えても、必要以上に渡されている。


 私は色々言いたいこともあったけど、父親は何も言わずにリビングから出て行った。すぐに玄関の開く音が聞こえ、父親が仕事に行ったことがわかる。


「はぁ……めんどくさい」


 私と父親の関係は、近からず遠からず。


 娘として扱ってくれてはいるけど、明らかに子供扱いされている。もう高校生になったし、いつまでも甘やかすのはどうかと思う。


 だけど、私が何も言わないのは、父親に対して思うところがあるからだった。今の生活を壊さない為にも、私が黙っている方が正しい。




 制服に着替えた後は家から出て、学校に向かう。


 一応、駐輪場に自分の自転車はあるけど、だいたいは歩いて学校に向かう。遅刻しそうな時は使ったりもするけど、あまり自転車は好きじゃなかった。


 自宅のマンションから、学校まで歩いても時間はそれほどかからない。大きな橋を渡って、歩いているうちに同じ学校の制服を着ている生徒も見かけるようになってくる。


「アイちゃーん!」


 その元気な声と共に誰かさんが私の背中に飛び込んできた。確かな重みも感じながらも、加減されていることがよくわかった。


「おはよう。楓奏かなで


「おはようさん」


 挨拶を済ませて私の体から離れたのは、友人の楓奏だった。短い髪と男の子っぽい見た目が、わかりやすく楓奏の性格を表している。


 楓奏とは中学校の頃からの付き合いだった。スキンシップが少し過剰なことを除けば、私にとってはさほど不快にならない存在だった。


「アイちゃん。ちょっと手握らせてよ」


「勝手にすれば」


 楓奏が私の隣に並んで手を握ってくる。楓奏の手は冷たくて、ひんやりしている。もうすぐ春が終わるというのに、まだ肌寒さが残っている。


「アイちゃん、昨日話したこと覚えてる?」


「なんだっけ」


「ほら、めっちゃ可愛い子が転校してきたって話だよ」


 昨日、眠る前に楓奏とケータイで通話をして、何か話をしたことは覚えている。だけど、最後の方は眠くて真面目に聞いてなかった。


「楓奏、その子のこと狙ってるの?」


「ふふ、アタシはアイちゃん一筋だよ」


「彼氏いるくせに」


「アレとアイちゃんは別だってば」


 彼氏をアレ呼ばわりしているけど、あまり彼氏のことでいい話を聞かない。楓奏は特に悩んでなさそうだけど、上手くいっているのだろうか。


「それで、また別の女の子をはべらせるつもり?」


「いやいや、流石にあの子は無理だよ」


「どうして?」


「うーん。なんというか、アタシが一番苦手なタイプなんだよね」


 確か、楓奏の苦手なタイプの人間と言えば。


 純粋で優しい人だっけ。そんな完璧人間が簡単に存在するとは思わないけど、楓奏が言うなら実在するのだろうか。


「でも、気になってるんでしょ?」


「だって、その子。アイちゃんに似てるからさ」


 その言葉で、私は立ち止まってしまった。


「アイちゃん?」


「……いや、なんでもない」


 私は歩き出して、楓奏の手を引っ張る。


「うーん?何かあった?」


「楓奏が私に似てる子なら誰でもいいと知って、ちょっとショックを受けたくらい」


「いやいやいや、そこまでアタシもクズじゃないよ!」


 楓奏をからかったのは、ずっと嫌な予感がしていたからだ。もし、楓奏が言ったように、私に似た人間が本当にいるとすれば、それはドッペルゲンガーなのだろう。


「私は楓奏の何番目でも構わないけど」


「待ってよ。余計にアタシがクズみたいじゃん」


「え、クズじゃなかったの?」


「はは。ちょっと、女の子を泣かせてるだけだよ」


 それに関しては騙される方が悪いと思うけど。妙に楓奏は同性からモテるせいで、楓奏が遊びで女の子と付き合うことが度々あったりする。


 けど、だいたい長くは続かない。楓奏だって本気で恋愛をしているわけじゃないし、元々の性格が悪いことを私は知っている。


「そのうち私も泣かされるのかな」


「あはは、それだけは絶対にありえないよ。どれだけ仲良くしても、アイちゃんはアタシを愛してくれないし」


「まあ、楓奏だけは無理かな」


 私の言葉を聞いて、楓奏は笑顔になっていた。


 これでいい。私と楓奏の関係は気楽であり、お互いに気を使わないから成立する。もし、私が楓奏の為に自らを犠牲に出来たのなら、その時は恋をしていると言ってもいい。


 私が誰かに恋するなんて、絶対にありえないと思うけど。これから先、何が起きるかなんて想像も出来なかった。




 学校では楓奏とはクラスが別で、教室では一人になってしまう。学校で悪い噂の流れている楓奏と関わっているせいか、私まで周りから厄介者扱いされている。


 今の状況を私は納得しているし、気にしてるわけじゃない。一人で過ごすことにも慣れていた。卒業までのわずかな時間。ただ、適当に生きられればよかった。


 だけど、私の小さな望みはいつも叶わない。


 休み時間、職員室に用があった私は一人で訪れていた。担任の先生と話を済ませ、職員室から出たところで、私はソレに気づいてしまった。


「……っ」


 私が顔を向けると、そこにいた人物。


 今朝、楓奏が言っていた話の意味を理解した。予想していなかったわけじゃないけど、実際に顔を合わせれば、心の中で動揺をしてしまう。


「アイ」


 長い髪と、私と同じ顔を持つ彼女。


 もし、彼女がドッペルゲンガーなら、私の人生はここで終わる。けど、私は初めから、彼女の存在を認識していた。


「お姉ちゃん」


 私と彼女は双子で、彼女は私の姉だ。


 数年ぶりの再会に、私は自分の動揺を隠すように冷静に対応をした。なのに、姉は歩き出し、私の体に飛び込んできた。


「ちょっ……」


「ずっと。会いたかった」


 姉の熱が、私の体に伝わる。私には、それが熱くて嫌になる。誰かに与えられる熱は、気持ちが悪くて吐きそうだ。


「私は、会いたくなんてなかった」


 ただ、私は事実だけを口にした。


「私のこと。嫌い?」


「大嫌い」


「よかった」


 昔から姉の考えていることは理解出来ない。楓奏と違って、適当に突き放したりすれば、見るからに機嫌が悪くなる。


 この感じだと、昔と何も変わってないようだ。わざわざ顔を合わせるつもりはなかったけど、出会ってしまったものは仕方がない。


「いい加減に離れないと、突き飛ばすけど」


 姉は私の体からゆっくりと離れた。


「お姉ちゃん。なんで、この街にいるの?」


「ママと。帰ってきた」


 姉よりも母親の存在を知って、ムカついた。父親のことを捨てた母親のことを、私は今でも許せなかった。


「なんで、今さら……」


「よく。わからない」


 両親がよりを戻すとは考えにくい。ずっと連絡も取ってないみたいだし、そもそも父親も母親のことを嫌っていると思う。


「お母さん、何処に住んでるの?」


「学校の近く」


 なら、父親が母親と出くわす可能性も低いかもしれない。外でばったり会って、喧嘩なんて始めたら目も当てられない。


「わかった。もう、いいよ」


「もういいって?」


「用が済んだから、これで話は終わり。これからは学校で私を見かけても声をかけないで。姉妹であることも、誰にも言わないで」


 強い言葉を選んだのは、姉がわがままだと知っていたからだ。曖昧な言葉では、姉を突き放すことは出来ない。


「それがアイの望み?」


 私の態度とは違い、姉は平然と答える。


「そう。だから、もう行って」


「ふーん」


 姉が少し後ずさりする。


「またね。アイ」


 最後に姉の口にした言葉。


「またね……って、何?」


 私の嫌な予感は続いていた。

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