第13話 1601年7月 若狭国 小浜新城城下町 残党狩り

1600年10月21日に前代未聞の日本国を真っ二つにするかの関ヶ原の戦いの主戦はたった半日で終える。それも豊臣家臣団の文治派と武断派との抗争がきっかけで、何故こうも兵糧を投入して生命を賭すのか甚だ憤慨に及び、長引くと安寧が遠のくと察した徳川の寒心が先走り急いだ結果がそこにある。

関ヶ原の戦い以降、日本国は白け切った風潮に包まれ、それを払拭すべくこれでもかの恩賞と国替えで緊張を保つも、また種火があれば更に燻る状態が今日のここ、若狭国の小浜新城の一大城下町の喧騒になる。

若狭国小浜藩初代藩主京極高次の政策はたった一つ。関ヶ原の戦いで散り散りになったキリシタン武士の融和である。勝利した東軍で憤り出奔した者、敗退した西軍で残党狩りにあう者が、辻々での囁きから日増しに浪人が集い、大阪城に入るより小浜新城に入った方が意気が上がると、そうなれば只管賑わうしかない。


小浜新城築城に当たり、城下町を一から急速に築き福利厚生を優先した街並みははち切れんばかり。その高台の指南場に詰め寄るは、日々の難事の政務に励む京極家の家臣団。


松丸に誘われるまま、豊臣家奉行衆を辞し京極家の仕置衆に入った芳賀才覚が神妙に

「姉上、ちょっと、集め過ぎましたかね」

才覚の双子の姉にして、夏の小袖に垂らし髪を編み上げた女子、同じく豊臣家支度衆を辞し京極家の仕置衆に入った芳賀浜慈が事も無げに

「いや、キリシタン浪人関連衆で10万人は優に居るはずだが、まだ城下町では3万人がやっと。さて、大阪城の茶々様も露骨に路銀を上げては、京極家も流石に手詰まりをしてしまうものだよ」

才覚、神妙にも

「それでは、更に福利厚生を全面に打ち出し、戸隠の里に動いて貰いますか」

浜慈、ふと

「いや、再構築中の真田の庄に投じた人足は動かせない、ままでいい。それより、城下町で忙しなく普段着商いしている茶々の首根っ子を押さえて、どうしても説教してみせようか。隣接藩同士で相場を釣り上げて、どうなってますかと」

才覚、仏頂面に

「それは、止めておきましょう。警戒して北条攻めで武勇をままにした昔甲斐姫の現可委某も連れ立って来たるとあれば、また手札切って来ますよ」

浜慈、うんざりと

「全くだ、こちらも出来る評判の宇喜多残党の武蔵を押し出したら、刀も抜かず木刀仕置でやるなで終えるとは、あいつはほとほと甘ちゃんだよ」

才覚、神妙にも

「武蔵も不思議な奴ですよ。宇喜多残党を真っ二つにしてまで、大阪方と若狭に入れるなんて、誰の入れ知恵ですかね」

浜慈、くすりと

「聞きたいのか、そこは武蔵の人望と私の説得だよ。君は実に見所あるで猿仕込みに人たらしをしたら、ころっと若狭迄忠義にも付いてきた。私の美貌もまだまだ行けると言う事だよ」

才覚、ただ呆れ顔で

「姉上、娘二人いると言うのに、色香で訴えかけますか。まあ武蔵が本気なら咎めはしないですけどね」

浜慈、一笑に付しては

「弟君はつくづく色恋に脇が甘い。要職にお手付きする傍若無人では無いよ、武蔵は」

才覚、怪訝に

「さては姉上、黄金動の触れ置きはまずいです、知られては抜かりますよ」

浜慈、凛と

「そこは、武蔵に一切言ってない。ただその佇まいを感じてしまう野獣はどうしてもいるものさ」

才覚、はきと

「全く、世間の評判と大違いで苛烈な残党狩りは何処へやら。徳川の残党狩りは本当に甘いものですよ。野獣と称するそんな浪人を野放しして良いものですか。柳生の庄の新体制は抜けが多いものですよ」

浜慈、溜め息混じりに

「柳生の庄に過不足は無い。仇敵の伊賀を織田豊臣徳川の代で漸く放免だ。全く、死を悟った猿が御伽衆の六角承禎に不義理の切腹申し付けても、伊賀は未だ闊歩してたからな。新たな情報網を構築するのは容易では無いって事だ。それでも新生柳生の庄が至らない事があっても多少の目を瞑ってやれ。何より勝てる相手か、真一郎は」

姉弟二人、ただすぐ麓の竹細工を営む伸ばしたまま右足の優男を眺める。才覚訥に

「真一郎事石舟斎の長男柳生厳勝。戦で右足を撃ち砕かれても、その素養は存分に引き継いでいます。その上背だけでも、軽く身体は真っ二つにされる事でしょう。しかし、いや」

浜慈、苦笑しながら

「いやで良いのだよ。京極家は東軍だ、徳川家を排除する理由がまるで無い。何より、その身なりから、突っかかる輩も少なく無いが、話し込む程にあっさり膝を折る輩がほぼ、真の剣豪とはかくあるべしと思う。それで小浜新城城下町の治安が施されているのであれば、石舟斎が立ち寄ったら素直に感謝だけはしておく事だ」

才覚、声を潜めながらも

「探索で言えば、風魔小太郎もいつ迄泳がします。足袋の行商だと宣っては、結構な稼ぎっぷりな様です」

浜慈、預かり知れぬ顔で

「そこは止む得ん。城下町の箱は作っても、如何せん若狭では流通に手間取る。ややようこそで良いさ」

才覚、眉を潜めながら

「姉上、そこでは無く、母上から始終を聞いた武田信玄の最後ですよ。何故風魔小太郎潜入後の上洛中にあっさり死ぬものですか」

浜慈、淡々と

「母上の慎重さは今に始まった事では無い。ただ私は率直にそのまま小太郎に聞いたものさ。そんな直ちに物騒な事をしたら甲斐の透破と延々暗闘ですよで、あいつ本気にびびってたぞ。ここは同情もしよう、あのかって一大勢力北条家も、今では狭山の捨て扶持では何ら盛り返しも出来まいて。まあ商いが図に乗って地元京極衆と競合しようものなら、丁重に退出を願うものだ」

才覚、得心しては

「どこもかしこも時代ですね。透破も極貧になろうとは。極貧で言えば米沢もですか、瑞角様も鬼火様も若狭見聞が参考になりますかね」

浜慈、物憂げに

「それは勿論だ。瑞角上杉景勝様の今は、養父の毘沙門天の申し子瑞峯上杉謙信様もお忍びで諸国を巡っては産業を起こしに起こした努力があればこそだ。そもそもで言えば、私達姉弟はその上杉で取り上げられ、親方様に事あらば沐浴して貰っては、本来であらば忌み嫌われる双子の評判なんて何処へやらだ」

才覚、憂いのままに

「そうですね。親方様の葬儀に付き添ったのは、せめてもの孝行でしたね。親方様がいればこそ、色部の生父が北条戦で死んでも気にはならなかったですね」

浜慈、くすっと

「何れもがなだ。私達は道道で父母が多すぎて、配慮してばかりの人生だったが、弟君ももう自分らしく生きて良いのだぞ。戦乱に明け暮れた時代も終わり、伴侶と共に生きて行ける時代になったが、いざまたもや知れん。ここ分かるね」

才覚、神妙に

「主に使える身は、独り身が多いと聞きます。私もそれで良いでは有りませんか。何よりまたも波乱の時代が起きる前に、芽を詰まねばなりません。例えば急賀斎など」

浜慈、ただ麓の鍛冶直しをまじまじと

「隠棲の急賀斎は今更か、鬼左近は既に死んだ。何よりこの小気味良い穴の空いた鍋を直す音は職人そのもだ。もう何もかも終わった事だ」

才覚、物憂げに

「なればこそ、その職の巧みのみの急賀斎を、京極家は素性は一切知らぬ存ぜぬも、三顧の礼で迎え入れるべきです」

浜慈、嘆息交じりに

「それは言うな。徳川家の朝廷に直結している南光坊天海とはまるで事情が違う。鬼左近は未だ西軍の手配書一番手だ、仮にも公になったら、千載一遇でまたも世が動き出す。そこを分かってるからこそ、急賀斎某は寡黙な鍛冶職人を生業としているのだろう。仮に言えば徳川家が武家の我欲を出して大陸にまたも向かおうなら、その時は表舞台に上がるやも知れん。だが、私はそうはさせたくない。この小浜新城城下町で無事に余生を送って欲しいが切なる願いだ。それと、女城主様が上がっていらっしゃる。知り過ぎてるとんでもないお供も連れてだ」


立ち上がったままの浜慈と才覚及び京極家評定衆が、来訪者に深い一礼を交わす。

この高台の指南場の表れたのは、京極家の実質家長の松丸事京極竜子が、織り込まれた赤の小袖に黒袴の実務的も絢爛で色を添えようか。そして付き添いの年齢不詳の女子も、紺の小袖に黒袴でより活動的にと。

松丸が、終始にこやかに

「一同、お役目ご苦労様です。今回の転封は何ら不安を感じさせず、小浜新城城下町は活気そのままです。この調子ですと早半兵衛の仕切りで、あと10年で主城は完成なるやも知れません。そうですね杜緒」

杜緒、畏まったまま

「それは松丸様の日々の労わりがあればこそです。ですが、溢れ出る労いが日常化すると、主従との垣根が曖昧となりますので、日参から時折りに変えるべきかと存じます」

松丸、麗しいままに

「杜緒、一向に構いません。私の笑顔の投げ掛けで和やかになるものなら、若狭国は安泰とも言えましょう。何より、杜緒が発破を掛けっぱなしですと休み所を見失います」

杜緒、深く一礼しては

「お言葉ですが、城造りとは得てして身命を賭すものにございます。猿の様にお祭り騒ぎで築城しては飽きて壊すでは、後世に誇れるものが無くなります。京極家の威信をどうか振り返ってご覧ください」

松丸、吐息も深く

「実に深く困るものよ。浜慈よ才覚よ、そなたの母上はどうにも堅っ苦しい。労いも金属の擦れる音でさえ敏感になる。そこ迄物騒なものかの、この小浜新城城下町は。そうではあるまい、主の導きで新たなる希望な町並みがここにある。家中の腐心とはそこに尽きるのではあるまいか」

才覚、神妙に

「松丸様の仰る通りにございます。松丸様のこれ迄の積み重ねと懐柔があればこそ、提携藩は止まる事がございません。お隣の分からず屋の進言は適度に、どうかお気の召すままの回向に励んで下さいませ」

杜緒、肩を落とすままに

「やれ、この歳月に至って、実の子に白状にされようとは、切ないものです」

浜慈、はきと

「それはお言葉が過ぎますよ。戦士森羅が、しょうもない関ヶ原の戦でここ迄意固地になるものですか。拙い負け戦とで気高さを失うとは笑止千万です」

才覚、間に入っては

「ほら、姉上は責め立てぬ様に。母上も猿の気遣いから大谷刑部の城に詰めての不可抗力はあります。鬼武者本多忠勝は勝つ為なら手段を選ばぬものか」

浜慈、はきと

「それもある、せめて忠勝に一矢報いなければならない。名槍蜻蛉切りを忍び込んで真っ二つに折って見せましょう」

杜緒、うんざりも

「それこそ匹夫の勇です。大谷刑部隊壊滅は私の奮起不足です。再縁の織田長益を敵ながら討ち取れぬ、女々しさがこの私にあろうとは。主人である刑部様に今も申し訳が立たぬ」

浜慈、くしゃりと

「母上は女性で良いのですよ。継父長益に、切り刻む旋風技の隙間から視線が有って互いに怯み、夫婦の一線を越えるのは成り行きです。そうなると思案した本多忠勝に白状さを律しなければなりません」

才覚、訥に

「継父長益とも自ずと生き別れになり、母上も実に切ないですな。こうなれば、姉上と一緒に伊勢でひと暴れしましょうか」

杜緒、具に

「それは一切許しません、伊勢で蟄居している本多忠勝の身辺には家康が目付けとして送りつけた百地丹波がいます。奴は術に聡い、浜慈才覚の黄金動を発揮しても、九字を切っては跳ね返す事でしょう。死して私をこれ以上寂しくさせるものではない」

松丸、はきと

「忠勝の何れ、何をちまちまと。言い足りぬのならば家康に直談判すれば良いのです。こちらの京極家には、浅井三姉妹の御鐺がいます。織田家同盟の徳川家康に、武勇にはやった本多忠勝尚も罷りならんと言えば、現在の叱責転封の実質蟄居以上に、情け容赦無く武人として割腹をさせてして貰いましょう。それで芳賀家族は納得しましょうか」

才覚、ただ悩ましく

「松丸様、この至る経緯はまさか、松丸様の弾劾なのでしょうか」

松丸、凛と

「至極当然です。杜緒には醍醐の花見での三成と黒田の阿保息子の抜刀騒ぎで面倒になりました。大谷家が亡き今は当家に何ら気兼ねなく仕官してもらうのが筋と言うもの。この際ですから気に食わぬ者残らず、芳賀家族皆から聞きましょうか」

才覚、深く謝辞し

「松丸様、それには到底望むべくも有りません。現在の京極家の切支丹衆は、豊臣浪人衆に対する、徳川譜代唯一の牽制案です。ここで安易に仮想敵を増やしては八方塞がりになります」

浜慈、くすりと

「いいや、いっそ薄情者は懲らしめるべきだ。一向宗に靡ききった、利休十晢、蒲生氏郷・細川忠興・古田重然・芝山宗綱・瀬田正忠・牧村利貞・千道安・荒木村重、継父であった織田有楽斎、そして高山右近をまとめて処断した方が、旧封建主義台頭挫く事が出来る。またもやの細川幽斎の将軍気取りが競り上がってきては、徳川の御世若しくはキリシタン国に振り切れぬと言うもの。猿は利休に切腹申し付けて事が済んだと、これで晴れがましく天に召されると思ったのは大間違いだ。今も尚際どい吃水線が見え隠れする」

杜緒、宥める様に

「浜慈も思案もそれ迄にしなさい。長益は利休切腹騒動から内縁を離れたものの、折々に屋敷に揃った時は家族変わらぬものです。縁を疎かにしてはなりません」

浜慈、視線そのままに

「いいえ、家族と理念ならば、敵方に日和った理念を取った、継父が実に不甲斐ない。母上、何故有楽斎対峙した時に女子に戻ったのです。まさに千載一遇の機会を、それが解せぬ」

松丸、はきと

「浜慈もそこ迄です。男女の縁は永遠を成すもの、杜緒を羅刹に貶す訳にはなりません。もう一つを言えば、今も仲を取り持とうする高山右近迄を処断する訳には行きません」

浜慈、憔悴しても

「右近の中立ちの重ねのそれは、信長様帰蝶様の意に添えずとも、先々の憂いになります。百歩譲って、潮目が見える前に松丸様の諭しがあればと思います」

松丸、凛と

「良いでしょう、右近には、実質教会である外宮神宮建立の設計指示に来た時には諭しましょう。大陸からの侵攻を奇妙な程に恐れる徳川の御世では、表立ってキリシタンの内政の隅々にも弁えが有ります。故に表舞台と袖でも活動すべきでは無いと、己の生命を大切にせよと諭しておきます。これ位の牽制で良いですね」

浜慈才覚共に

「格別のご配慮有り難く思います」

杜緒、遮る様に

「松丸様、小浜新城城下町の巡視はこれからにございます。お昼の配膳のお声掛けが始まる前に、どうかいつも通りのご公務にお戻り下さいませ」

松丸、満面の笑みで

「浜慈、才覚、今日の夕餉は本城に上がりなさい。心根を曝け出すと寝付きがとても悪いものです。聞きしに及ぶ、ここはとっておきのお話を是非とも聞きましょう」

杜緒、ただ促して

「松丸様も、そのお話は程々にです。旧織田家家臣が泣いて泣きつくすお話が増えては感激に絶えません。それでは京極家はそれこそ松丸様の真の女城主になってしまいます、弟君京極高次様のお立場もどうか深くお考え下さい」

浜慈、深々と

「いいえ、松丸様に添いましょう。何せ、指南場に詰めていますと、あの少女のお話は尽きませんからね。それも後程楽しく語り尽くしましょう」

ただ四人の微笑みが尽きぬも、それぞれの持ち場へと戻り行く。



昼餉を告げる鐘楼からの優しげな音色が告げるも、高台の指南場はここからが一仕事。道沿いのやや長い列に番号札を持っては、日々の難事を指南場の職員が懇切丁寧に紐解いては、日常業務に戻らせる。ただ一人の長身の可憐な少女を除いては。


番号札三十三の少女が、微笑みながら実家生駒井筒屋のたまり醤油のおかかの握り飯を差し出しながらも。

「どうぞ、お奉行様、今日も美味しく出来上がりましたよ」

才覚、半ば呆れ差し出された笹の包みを開けては朗らかに

「石楠花さんも、良くも日々ここ迄付届けの種類があるかですよね。それで今日のお告げの夢は何ですか」

石楠花、ただ嬉々と

「才覚さん、嬉しいですよ、名前を覚えて貰えるなんて、さすが大躍進の京極家ですよね」

浜慈、案内を終えてはこちらの席に雪崩込みながら

「それはそれはです。石楠花さんは7回も何故知り得たるかの衝撃的なお告げの夢を聞かされては前のめりになりましょう。ただ、堅物の父上井筒平悟からは、何をどう聞き及んでいるのですか」

石楠花、まじまじと

「ああっと、そこは大声では言えませんけど、十兵衛時代からの見聞は漏れ聞くも。何故それを知ってるかで、理不尽にも堺の生駒井筒屋の牢屋に幾度も放り込まれては、結局は伝え聞いては茶々様が来て、やっと無罪放免ですよ。まあ慣れたものですね」

浜慈、頭をもたげながらも

「どうも解せぬものか。女の園聚楽第の前身、行幸迎城の間取りは村井貞勝の胸三寸の筈なのに、何故この石楠花が知り得るのか」

才覚、興味無さげに

「十兵衛ならば上京も長いですから、裏抜けも知りましょう。まあ外宮神宮を建設中ともあれば、明晰夢のご威光も発露はしましょう」

石楠花、凛と

「ですから才覚さんは何故押し込みますか。私は夢の中をきちんと渡り歩いているのです。お祈りを欠かさねばそういう事になるのでは無いのですか」

才覚、溜め息も深く

「石楠花さんも、日々困ったものですな。こうも奇跡の様が歩いては、いつか確信に触れては困る事案も有ります」

石楠花、感慨も深く

「そうは言われても、いざは夢でもあって。入浴中の私をまじまじと見やれば女性の肉付きなのに、男性自身もあったりは、これは思春期故のしるしなのでしょうか」

才覚と浜慈、視線を合わせも口が動くも閉ざし吐息が漏れるのみ。堪らず浜慈が切り出しては

「井筒屋も、何を警戒して口が固いのだ。これではより良く前に進めぬ」

石楠花、具に

「あの、そのお話って、帰蝶様のお話になりますか」

才覚、うんざり顔で

「ああ、この手は指南上手の剣聖柳生石舟斎様か、柳生もがっつり目付けに入り過ぎだ、姉上どうします」

浜慈、はきと

「柳生の庄も今更だ、あちらも切支丹の隠れ里を持ってる。良きに計らっては何かにつけて剛腕の監察を送って来るのは、意気には感じよう。それで、石楠花は剣聖から何処迄聞いたかな」

石楠花、しみじみと

「ああ、そこの件りはお坊様ですね。果心居士様と名乗られてました。そうですよね、父上から小浜新城建築は一大事業故に励んで来いと発破を掛けられたものの、新開地のいざ醤油の量り売りで練り歩いてけんもほろろかと思いきや、何故か古老の方程泣きながら毎回お買い上げ下さるんですよね。醤油の量り売りは生駒井筒屋ほぼ一手に担ってますけど、そこ迄感謝される事かなと思案して行く程に、ある日果心居士様に諭されました。お久しゅうございます帰蝶様と。その瞬間ですけど、醤油の染み付いた私の衣類ですけど、何故か百合の香りが沸き立ちまして。やはりお嬢様は、帰蝶様は魂の宿り場になりましたとです。そこからは帰蝶様とはの語りを聞かせて貰いました。とは言え、父上からは土岐家嫡流のお話は聞いていましたし、帰蝶様も土岐家の流れを汲むならば、やや相似したるはある程度の筋では無いかと。ですが果心居士様はこうも仰りました、この世は魂の徳を敢えて積む場で有り、何れ出会う運命の方と魂を揺さぶる為にも、やや早くお出ましになられましたかと。そう、私は何となくですけど帰蝶様に面差しが似ていますかね。醤油の甕を持ち上げ慣れた先年から、成長期になって背丈に伸びて顔の輪郭も定まった頃から、堺でも何故かざわつきき始め、共に生駒井筒屋の取引がぐっと伸びたのですよね。父上からは理路整然にお前は持ってる子だと言い含められましたけど、事情はそういう事で良いのですよね」

浜慈、諦め顔も

「まあ果心居士の気まぐれも、ここでは的を得てるか。そう帰蝶様に瓜二つでは無いが時折見せる横顔の相貌が実に近づいてる。その佇まいから、織田家旧家臣群は勿論、一向宗一門にも相当深く探索していたから、馴染みはどうして増える算段にもなろう。まあ皆の意気は深く感じた方が、人生の糧にもなると思うが、さて警らの一人でも付けようか。希望は女性で良いかな」

浜慈、満面の笑みで

「ご心配無く、私には父から拝領したこれが有りますから」左小袖に右手を入れては素早く抜き出す0.5秒「最軽量短筒です。抜刀適用範囲外から咄嗟に心の臓を射貫けるように修練して来ましたから、警らは大丈夫にございます」

才覚、合点が行き

「まさか、それか、石楠花発なのか。一昨日の七日市場の決闘の手合いが一向に出ないから、今も聴取に歩いていたのだが、全く何がどうしたのと言うのだ」

石楠花、意気揚々と

「ああまあ、それはどうなのかな。七日市場の競りに出ていた私に突っかかって来る輩がいまして、まあ酔っ払いの素振りも飲酒の香りがしないので、何処の探索か、傍若無人は藤堂家の所縁かと聞いてたら、すぐさま抜刀の抜きに入ったので、最軽量短筒で咄嗟に右拳を射抜き砕きました。そこからはもう、皆の歓喜と皆が我に返っては、傍若無人が無残にもたこ殴りで簀巻きにされてそのまま中洲の川に放り込まれた様です。まあ透波の類でしたら足の甲は出てましたから海に流され前に逃げ出したのではないかと」

浜慈、くすりと

「これは滑稽だ。伊賀残党はこぞって藤堂家に接触してるらしいから、かような無様な配下ならば、伊賀残党も捨て扶持でせいぜい塗炭で凌いでは地の底まで落ちたものか」

石楠花、はっと我に返っては

「しまった、築城中の小浜城城下町で決闘ともあれば、どうしてもお役御免ですよね。いやいや、そんな理由で堺に帰ろうものなら、生駒井筒屋の牢屋の柵を二重にされて、ああ、一生表に出れませんよ。そうです、商人が駄目なら、築城の労役に入れて貰えませんか。父上の便りには帰蝶様の剛弓の御神体のある外宮神宮の名声の為にも参加しましたとあれば許してくれそうですけど、どうですか」

才覚、吐息交じりに

「労役は一切罷りならんな。私達双子姉弟も故あって豊臣家を退転したが、京極家のそれはもうだ。稀釈する為に小浜新城建築の人頭集めは七分方、実情はど酷い状態の立ち上げの只中で、この状態が長引いたら築城予算を大幅に超えてしまう。ここで石楠花女子を労役投入しよう者なら、若手のほぼが浮ついてしまう。まず私が却下だ」

浜慈、理路整然に

「ここは私も同意だ。労役は止めておく事だ。早半兵衛の仕切りは厳しいぞ、成長期なのに筋を痛めたら、先々の女房仕事もままならんよ。七日市場の処断としては、石楠花はこのまま出張販売をお願いだから続けてくれないものか。京極家の帳場には藤堂家の透波罷りならんで締め出したにしておく。これならあの堅い硬い十兵衛が漏れ聞いても、京極家の配慮の有り難くで石楠花に累は及ぶまいて」

浜慈、堪らず咽び泣いては間合い御構い無しに才覚の手を引く

「ありがとうございます、何時迄も励みますから、何なりとお申し付け下さい」

才覚、はたと

「これは百合の香り。ああ、いやそうでは無く、何時迄も築城していては京極家が破綻してしまう。いや、しかし、恐るべき怪力も、いや推して知るべしなのか」

浜慈、ただ微笑ましくも

「才覚、その手のぎゅうは、逃げる程に締まると、幼少の頃から体が覚えてるだろう、このまま甘えておく事だ。さてと築城の事案だが、石楠花が言う様に何時迄もが腑に落ちた。城下町を兎に角商いの発展場にして、外宮神宮の進捗を上げて拠り所にすれば、とんとんにならないか」

才覚、具に

「その手も有りますか。若狭湾も近く、確かに飲食店も名物になりましょう。辛うじて東軍に滑り込めたので、人の往来の憚りも有りますまい。その為にも調理の腕を上げねばは、生駒井筒屋始め出汁が出色ですから上首尾になりましょう」

石楠花、感に咽び

「来ました、お商い、とちょっと良いですか」無造作に才覚の頭を下げさせ首筋を見やる「やはり有りました、首筋の柄杓のほくろ、夢で何度も見た通りです。私の運命の方は、才覚さんでよろしいのです。一生をかけて何度でもぎゅっとしますよ、分かりましたね」

才覚、石楠花の逃れられぬ抱擁で手を何度握り締めるも

「いや、そもそも、私と石楠花では年端が合わぬ、いや帰蝶様を知ったるならばどこぞにいるであろうの信長様の手前もあるし、そうでしょう姉上」

浜慈、微笑のままに

「さてとな、果心居士が石楠花に信長様の生まれ変わりがいる事を示唆していないのであれば現世では不在という事だ。何より八面六臂に天下統一の志を持った信長様は、私達が思う以上にお疲れかと思う。安寧が見えてきた御世では、未だ虚無の中で穏やかにお眠り頂くのが礼とも言えよう。そういう事だから、才覚が石楠花を全身で受け止めるのが運命と言えよう。生涯仲良く過ごし給え」

石楠花、ばっと振り解いては我に帰り

「そうです、夢で見様見真似のままに、多分かすてらと聞きましたので、それを作ったのですが美味でした。今度お持ちしますね」

浜慈、くすりと

「それはかすてらで合ってる。味付けは当然帰蝶様譲りであろうから。私も楽しみにしようか」

才覚、ただ神妙に

「姉上も、また私が肥えしまいますよ」

石楠花、ただ誇らしげに

「いいえ才覚様、人生は甘い程、方々には優しく出来るものです。主の教えは隅々迄に行き渡ってるという事ですよ。ただ深く感謝しましょう」

石楠花浜慈才覚が十字を切ると、高台の指南場に詰める家臣等も続き、その優し気は麓にも伝搬し、皆々が次第に手を止め十字を切る。夏の日差しでも一服の涼風が太平の京極家一帯に凪いで行く。

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