第12話 1597年2月 肥前国 名護屋城 悔恨

第一次朝鮮遠征の文禄の役もどうしても束の間、交渉決裂の果てに第二次朝鮮遠征の慶長の役の師団が肥前を中心に日本海を超え、大陸に覇権の望みを繋ぐ。


そして肥前の一大宿営地の天高くそびえようかの名護屋城の大広間には、猿と佐吉と、過去に幾度と見たであろうの日の本の神父のジュドーが、どう切り出そうかと悩みの底に。


上殿にごろと居座る今や太閤豊臣秀吉こと猿、困惑するも切り出し

「ここでの仕儀の素直さ、佐吉はもっての外として、そうだな、キリシタン繋がりであるなら、これは松丸であるな。さてバテレン追放令を用意しておいて、神父様との会談とは立場上困るものであるな。女子だけには優しい佐吉も、限度がある」

実直な外見とは裏腹な石田三成こと佐吉、さも澄まし顔のままに

「秀吉様、恐れながらバテレン追放令は功を焦る前田玄以の作法でございます、発布はされど未だ書面上の仕儀ですので、五大老の徳川家康様・毛利輝元様・上杉景勝様・前田利家様・宇喜多秀家様にお聞きする前に、建前も差し障りがあるなら如何様にも揉み消しましょう」

実年齢を超越した様相の耳上まで掛かる短髪黒髪の神父ジュドー、神妙にも

「そう、佐吉は実に理性的です、猿も少しは日の本の執務に身を粉にしてはどうかです」

猿、くすりともせず

「貴公、ジュドー神父とやら、その容貌そのままとは。これはバテレンの不老の薬でも手に入れたか。儂にもどうか分けて貰えぬものか、まだまだどうしてもせねばならぬ事が山積みなのだよ」

ジュドー、はきと

「猿、そこまで延命したいものですか。天下人たるものが馳走の日々にどっぷり浸っては今日の仕儀では、私の様に主に仕え日々節制すれば、あるべき姿の今日ですよ。今からでも三食のパンをお勧めしましょう」

猿、一笑に付しては

「それも良きことか。バテレンの難しき事はさておき、ここは手先の器用な松丸にパンを作って貰っては、さて、それでは茶々の悋気に当てられるな。さてもであるか」

ジュドー、はきと

「猿、よく聞きなさい。茶々様は於市様の娘、恐れ多くも子宝に恵まれた織田家の血縁を丁重に迎え入れ、貴公が念願の子宝に恵まれるも、何時迄も茶々様を正妻に据えないのは、猿は人で無しよと嘲られますよ」

猿、ただ悩ましげに

「人で無し、猿としての世の評判はまさにそうであるな。朝鮮征伐は儂が出来うる、最後の仕上げである。日の本から漸く火種が消えたと言うのに、彼の大陸を見渡せば、延々殺戮に興じている。良いか、儂は農奴の身分より太閤にまで登りつめたから言える、真理を語れば、人の命とは実に儚い、権力者の一声で風前の灯火は余りにもでもある。だからこそ声を大にして正したい。平和とはと、この地上から一切の戦の無い世であると。だがしかし、その真意を分からぬ強者がいるから困った者である、のう、ジュドーよ」

ジュドー、首を横に振っては

「それは、家康への先々の真なる和睦を求めていますか。それは今更ですよ。猿は何しろ織田家を蔑ろにしては、太閤まで登りつめてしまった。礼節の欠けた人間は後戻りは出来ますまい」

猿、猛然と

「礼節のそれは、時代の潮流で有る。織田家軍団はそれを凌駕してこその、やっと日の本の礎は重々理科している。ただそれも、今の織田家はあの麗しき帰蝶様本流ではまるで無い。ジュドーここは納得して貰いたい、儂は織田家に一定の義理を果たし、適正に応じた所領も与えておる、過分な配慮は、消しても出でる第三勢力をのさばらせるだけだ。これが豊臣政権の行き着いた矜持である」

ジュドー、はきと

「良くもその口が言う。本能寺の変を起こした悪党共を小脇に抱え込んでは、信長様に申し訳が立つと思うのか」

佐吉、慇懃にも

「ジュドー様、恐れながら。一切の首謀犯の伊賀の残党を含むの忍びの元締め六角承禎、また無邪気な程に暗躍を止めぬ足利義昭、また見たまま恭順を貫く本願寺准如、そして今は亡人に成り果てた細川幽斎、この他にも不満分子は全て豊臣家の御伽衆としての扶持は与えております。故に有りとあらゆる目論見はお見通しでございます、何卒、溜飲をお下げさい」

猿、視線を定めたまま

「貴公、生き様明智光秀。身なりは神父たるも、治安に駆け巡る審議団の活躍は、たやすくも財力で丸抱えした甲賀より聞き及んでいる。儂が言う、その働き存分である。懸念あれども安心しろ。豊臣家の御伽衆ともあれば、儂の入滅を迎えた際は、居た堪れず殉死せざる得ないだろう。良いか、強烈な悪党と言えど軍門に下った以上、武士の義は果たさねばなるまい。武士の世はそうも容易くに終わる訳では無い」

ジュドー、ひしと見つめ

「猿、光秀の名は、本能寺の変を森羅から注進を受けた時に即刻捨てた。あの天下人信長様が、そして帰蝶様が、伊賀の下郎共に誅せられたとあれば、織田家軍団が平和の世の為にひたすら邁進してきた事が雲散霧消だ。私と猿とで山崎の戦いで見せかけの政権奪取に血みどろの戦いをぶち上げなければ、京が震撼し、日の本が揺らぐ。良いか私はくれぐれも猿に言った筈だ、信長様の言う通り、人間の生き様を嘲笑う奴は今すぐ一蹴すべからくだ。即刻、今すぐ六角承禎並びに元凶たる伊賀の残党を総力で狩れ。この瞬間にもこの悪の怨嗟は無邪気な家康がうっかり引き継ぐ事になるぞ」

猿、吐息交じりにも

「ジュドー焦るな、儂の死を以って朝鮮征伐はひと段落させる。だがその後だ、未だ秀頼も幼く政治は回せん、五大老五奉行も控えているが、この人数では英断もままならない。分かるか、あの温和な家康に掛かる仕儀は任せねばならぬ、政治は何事も難しい。それにこの面子に呆け去った幽斎を加えぬ事で、八方丸く収まっておろう」

ジュドー、はきと

「幽斎、何処まで心が逸れているか一切分からぬ。あいつこそ戦国の世が産み落とした怪物そのものだ。織田家軍団にいながらも、信長包囲網を裏で手引きさせては義昭を有頂天にさせた張本人、何故だ、信長様は甘すぎる、猿、分かってるだろうな、今すぐに引導を渡せ」

猿、ただ神妙に

「光秀、仮にも貴様は信長様から天下を一旦預けられた身分だから、分かりおるな。将軍家足利義昭に詰め腹させる寸断と、将軍家非嫡流の細川幽斎にも詰め腹させる寸断ともなれば、足利義輝を誅した松永弾正を軽く上回る所業ぞ、信長様が寛容なるは、早期に戦国の世を終わらせる故にだ、無理はあい行かん」

ジュドー、拳をただ固めては

「そこか、幽斎の将軍家非嫡流は武家の暗黙の了解。そして帝が詳しくも素性とその本性を知って、記しも霧散したが下してしまった。この成り行きの取り計らい、今のこれが太閤職の限界か、幽斎が生きている限り連綿と続く地獄が終わらん、とことん考えぬけ、そして解きほぐせ」

猿、ふと

「そこであるな。幽斎の屋敷には貴公の娘ガラシャがおるでは無いか。信長様肝入れの上っ面凡才の忠興の腰入れであるなら、多くの含みもあるであろう、儂を焦らせるな」

ジュドー、訥に

「今の珠は貞淑すぎて、頑として口を割らぬ。何程の目論見か、その線は捨てざる得ない」

猿、一際目を見張り

「ジュドーが不安なままも如何であるな。ここは一つ妙策を申し伝えておこう。宇喜多家の徴用足軽に新免無二斎の嗣子に武蔵とやらおる。宇喜多家重臣曰く、剣豪の素質は大きく行く行くは、日の本の武士になるであろうも、我武者羅過ぎては士卒ままならず如何したものかと相談を持ちかけられた。儂は相反拮抗のその若侍を大いに買ったよ。士卒など、先々の戦乱無き世にはいらぬ。くれぐれもその評判剣豪をどうしても備前国の美作に止めよとは厳命しておる。ジュドー分かるな、その性分であれば、武蔵をどうしても中心に新時代が動き始める。剣豪の名分はその存在をどうしても知らしめたればだ」

ジュドー、くすりともせず

「猿め、笑止ばかりだ。細川家に送り込むなら、前田慶次であろう、青臭い小倅武蔵とやらに何を託す」

猿、憮然なるも

「慶次は、京の都で囁かれる様になった、傾奇者の評判で動き難くなっておる。幽斎も何を察したものか、慶次をいたく気に入っては目配りも欠かさずだ、彼奴慶次の無心の槍で幽斎を貫いたとすれば、ただの傍若無人の扱いで儂の貴重な駒が減るだけだ。故に、そこで用心は重ねた上での武蔵だ。このまま徴用足軽に留めおけば、立身出世の若気を止められずで躍動する筈だ。宇喜多家の昵懇家はその秘策故に士官さえ許さず無下に追い返し、必ずや反抗勢力家に仕官しどうしても大暴れするのは目に見えておる。そう思わぬか」

ジュドー、ただ呆れ顔も

「猿、その余興を見れずに死するのは後悔せぬものか。まあ姓は土地土地で変節すると言え、武蔵の名は刻んでおこう」

猿、矍鑠と

「大いに結構、全ては可愛い秀頼に託す。その秀頼の世は小早川秀秋と宇喜多秀家が双璧を成すであろうが、如何せん今の宇喜多家は強過ぎては警戒される。ここも何れ世を騒がすであろうが、このまま敢えて見過ごしていれば、宇喜多家は二つに別れ暫しの思案に入り、凝縮した盤石を呈すであろう」

ジュドー、眦を上げては

「猿よ、やっと戦国の世が終わるかだ。人間の性根はうつろいやすい、秀頼が英邁である保証は何処にある」

猿、はきと

「あるな、ジュドー。北条攻めで憎たらしくも北条方で武功を上げたあの忍城の成田の甲斐の事は聞きしに及んでおるだろう。その後も快活過ぎては八方に睨まれるを居ても立っておられず、儂の側室の末席に招き寄せた。ふっつ、これなら誰も誅する事も出来まい、その甲斐にだ、秀頼の教育の一切を叩き込ませておる、評定衆の日々の覚えも目出度く攻めも守るも殿も大将たる器よと誉が高く、ただ成長が楽しみである。そして、何より秀頼の美丈夫はこの齢の子らと比べて飛び抜けておる。そして茶々の面差しも逐次見栄えする、自慢を飛び抜けた子ぞ。良いか、人々が何よりも惹かれるのはその容貌である、ここは於市様の嫁いだ頑強な浅井家に感謝すべきかな」

ジュドー、苦笑しては

「猿め、いよいよ惚けに入ったか、今の頭の中で重ねている光景は、熱田の市中での織田家のばさら仲間の集いのそれであろう。それは戦国の世の束の間のひと時でしかない。とは言え、帰蝶様の美貌のそれを未だ聞いては思わず涙してしまう私がいる、どうしてもなのか」図らずも熱い涙が伝う

猿、堪らずも涙が溢れるままに

「そうであろう、そうであろう。熱田の市中巡りの先頭に立つ帰蝶のお姿と言えば、それはもうである。何れでもの男子も可愛いが、尚更の女子も手元に置きたかったものである」

佐吉、平身低頭にも

「恐れがら秀吉様、女子嫡子のその話題になれば、察しが良すぎる養女豪姫様が乗り込んで来られます、ここ迄にしましょう」

猿、慌てて涙を拭りまくり

「そうであった。如何、この姿を見られては、泣くも笑うも豪の豪姫、もらい泣きされては、儂の涙が止まらん。全く、三途の河を渡れなかった者はそこまで機微になるものか、困る困るの、」

ジュドー、再び神妙にも

「さてだが、改めて問おうか。細川家の細工粒々の政争改易で、本願寺が根本から押し黙るものか、あの寺務所は周到過ぎる、足利将軍家さえも転がし、最強軍団の武田家、西日本の重鎮毛利家、織田家寄りだった上杉家さえも味方にした。何より、千宗易と豊臣秀次をも籠絡し、猿は痛感してる筈なのに、どうしてもぬるま湯の人事は解せぬ。この日の本があくる日にも一大仏教国になっても良いのか、信仰とはそれぞれの腑に落ちた所が妥当であろう、信仰の強制は決して許されぬ悪の所業だ」

猿、はきと

「分かっておる、一向宗に寛容なのは信長様の一家言でもある。何もかも規制しては直轄領内に緊張を生む。ただ、茶人宗易と関白秀次は目に余る程の便宜を、一向宗に対し融通し過ぎた。自害させたのは為政者の資質無しと明らかに世に知らしめただけだ。儂より転ぶのはどんな可愛がりでも許せん。ジュドー、それでは飽き足りぬか」

ジュドー、尚も

「旗振り役の義昭と幽斎が、この瞬間にも誠に黙る保証はあるのか。太閤の世で帝の勅命がより届く様になったとは言え、未だ利権を貪る足利将軍家が再び隆盛して良いのか」

猿、訥に

「その義昭と幽斎の今は日の本の太平の世で文化とやらに傾倒しておる、放っておけ。それではだになる。ジュドー、まず聞こう、世に漏れ聞く審議団とやらは、荒くれの伊賀の残党を綺麗さっぱりにしたのか。笑止、今でも京に指南役の黒石が商いで幅を利かせているでは無いか。ここも絶やしてこその、伊賀掃討から次の段階では無いのか。良いか、世を只管正す御仁が何を躊躇しておる、儂を責める了見は無いぞ、」

ジュドー、苦笑まじりに

「互いに痛い所を突いては話が進まないな。伊賀の黒石は敢えての獅子身中の虫だ。荒くれ者の情報提供は欠かせない、それだけで生かしてる。何れはその伊賀の一大最右翼も一掃の約束はしよう」

猿、大いに目を見張っては

「ジュドー、断じて言っておこう。仲間であろうかの果心居士は信じるに足りん。得意の幻術はその軽妙な言葉に魅入られてはの一切の幻術である。彼奴め、知れず言霊を引き出しては、ようも恥をかかせてくれおって。ええい飽きたりん、ジュドー、今過ぐ果心居士を引き出せ、十重更に十重に囲ってでも磔刑のやり直しだ。今度こそ串刺しにしてやる」

ジュドー、ふつと

「それは止めておけ、果心居士は達観者だ、単純戦力で囲める訳もなかろう。過酷過ぎる程の長きに渡る戦国時代を漸く生き抜いて来てては、適度な扶持と三食があるだけで満足する。平安期の蘆屋道満のそれといっしょくたにするな」ただ溜息も深く「まあ、猿の事だ。帰蝶様に横恋慕が思い描いたのは察する。ただそれは皆々同じ事だ。私も帰蝶様と同族でなければ、より心が傾いてはいただろう。何をどうかしてムキになるのだ」

猿、怒りも激しく

「頼む、察しても、もう言うな。これは帰蝶様だけでは無く、信長様への背徳でもある。皆と生駒の野畑作業の後で帰蝶様の温泉地を岩場から覗いた件を、果心居士あいつめ、儂の心象風景を見つめてさらり言うものか。儂は太閤ぞ、何するものぞ」

ジュドー、ただ呆れ顔で

「そこか、帰蝶様は上も下もちゃんと付いてる。興味本位でも程があるぞ。ここは説教であるが、猿の性は今更だ、想像だけで収めよ」ただ吐息がまじり「その帰蝶様も、今や心に居続ける別嬪様か。斎藤家の婚儀寸前まで青年扱いのそれで、夏場の野駆けなぞ、片乳半裸のままに弓矢で射かけた頃がえらく懐かしいものだ」

猿は勿論佐吉迄同時に両手で必死に鼻を押さえつけては

「ぶふ、」忽ち全指の隙間より淀み出る鼻の鮮血

ジュドー、目を細めては

「おい、貴様らは、そこか。まあ、帰蝶様の別嬪の頃より逆引きもすれば、多少の興奮も止む得ないか」

猿と佐吉、必死に懐紙を全部ほどいては鼻に当て、必死に鮮血を止め様と四苦八苦も


不意に大広間の襖が次々開かれてゆく中から、飛び出る活発な重ねの姫と、お淑やかなお付きの女子。

活発過ぎて持て余す豪姫、会談など全く意に介さず立て板に水ながらも

「いたいた、神父さん、やっぱりここですか。猿は上っ面バテレン嫌いなのに、ここなんだ。もう名護屋城隈なく探しては何か肩透かしですよ。それより神父さん、私の作ったクッキー食べてくださいよ、舶来のものとどう違うか教えて下さいよ、もう本当お願いします」不意にジュドーの顔を覗き込む瞳が合うと虹彩が金色に輝き「何故に瞳が潤んではと。いえ見えます、これは私もお参りに行った事があります、熱田神宮前ですね。何だろう、この素敵な女性。大阪城のお付きで大きい女子は確かに見かけますけど、容姿品格全部揃ってる。ふーん、これが別嬪さんなのですね。でも皆の鮮明な記憶の底でも見たような。そうこの別嬪さんなら、ああそうなのか。そうなのですね、その流された涙分かりますよ神父さん、郷愁を超えたこの親愛、私は直に、もっと聞きたいものです」不意に涙が伝うもそのままに

ジュドー、郷愁で朧げも涙が一筋

「秀吉様、これは、」

猿、血まみれの鼻を懐紙でかんでは、ただくしゃりと

「ジュドー様、これが豪姫の発露です」

お付きの黒髪の容姿端麗な女性浜慈が、豪姫の袖を引きながらクッキーの入った携帯器をどんと手渡しては

「豪姫様、黄金動もそこまでです。疲れてはそのまま食欲が進み、また目に充てられぬ肥えたお姿になりますよ、

ジュドー、はたと

「浜慈がいるという事は、黄金動はまことなのか」

浜慈、ややうんざり顔も

「ええ、私達姉弟は母森羅が戸隠で庇ってくれはしましたが、浜慈と才蔵の両黄金動の双子では流石に差し障りがあるだろうって、この猿が強引に豪姫のお世話高じては、豊臣家と宇喜多家を行ったり来たり。全く、全く差し障りあるのに引き抜いては、こうも働かせるものか。のう、猿め」

豪姫、ただ目を見張り

「えっつ、浜慈さん、あと才蔵さんも、私の事嫌いですか、ええと、ええと」

浜慈、ただ豪姫の袖を引き

「だから私を探らないの。良いですか豪姫様、安易な黄金動はどうか控えて下さい」

豪姫、ただ首を傾げるままに

「とは言えですね。神父さんの心奥の別嬪さんと同じ位に、右近様の別嬪さんと甲乙つけ難いのが、不思議過ぎて」

ジュドー、懐紙で漸く涙拭い終え鼻もかんでは

「右近様か、あいつはどうしても信心のそれになるか」不意に鼻をつんと上げ「いや、お待ちください、豪姫様。百合の香りに、薄荷が少々、この香りは如何なる仕儀なのですか」

豪姫、嬉々と懐から小さな香り袋を取り出しては

「ああ、この帰蝶の香りに気付くのって、何故か信長様ゆかりの方が多いですよね。そこは名前の由来の通り大奥方帰蝶様に関係する事なのかな。そう、この帰蝶の香りですね、右近様が日々精を出して園芸に傾倒してはの、手間暇かけた百合の栽培からの花弁の日干しですね。もうですよ、凄い数の香り袋作ってますから、前田家御城下の商いにしましょうよとも強く誘ったのですけど、未だ研鑽中の返事しかなくて。そう研究熱心なお気持ちは深く分かりますよ、この帰蝶の香りの百合の開花は一年に三本有るか無いかですからね、もう咲いただけでも金沢城内、それはもう皆号泣しては栽培畑に並びますからね。ああ思い出したら、その溢れる思いが多過ぎて、また泣けてきちゃった」ただ目頭を抑える

ジュドー、猿をきりと見つめる程に

「猿、このお話は、バテレン追放令を受けての右近の改易とはどういった了見だ、これでは右近の実直さが失せる、自由にも程があるぞ」

猿、まんじりともせず

「ジュドー、この地に平和が訪れ、武士が軒並み廃業するのは、先の先である。右近程の気高き武士がその地位から容易くも降りられては困る。これは自由ではなく、あるべきで慣いと、貴公もその判断を下さざるを得ないだろう」ただ深いため息を吐いては「その見据えた先が、天晴れ過ぎる程の園芸家であるか。世にも儚げな帰蝶という百合、帰蝶様そのままの佇まいの帰蝶百合を配合し栽培するなど、この儂でも流石に恐れ入る。高山右近、苦い立ち回りを負うも、その感性には織田家由来の家臣組は感服せざる得ないて」

豪姫、飛び跳ねては

「そうそう、右近様、話すと凄い愉快な方なのですよ。昔からそうなのですか、光秀さん?」

浜慈、ただ強く豪姫の袖を引いては

「ほら豪姫、全く呆れる、知ってても真名は言わないの。これだから豪姫に一生付いていないといないものか」

豪姫、憮然たるも

「もう、良い加減頃合いですよね、大奥方の帰蝶様のお話になると皆笑顔なものの、何か背負っては口ごもちゃって」佇まいを正しては「ジュドー神父、信仰のお話がてら、帰蝶様のお話を交えて、きちんと聞けますよね、そうして貰わないと浜慈さんと才蔵さんが何としてでも肥前名護屋城内押し留めますよ。五体満足に帰りたいですよね」

ジュドー、困り顔も

「浜慈は疎か才蔵迄もとは、これはどうなってる」

浜慈、不遜に

「ここは豪姫にどうしても同意する。母森羅も多くを語らぬのであれば、帰蝶様がこの世に生きた証が、皆の胸に秘めたままで終わってしまう。奇蹟とはそういうものではあるまい」徐に立ち上がっては「まあ、話は進めて置いてくれ。ややお固い門番の才蔵も連れて来ては話を聞かせるので、ここは暫し失礼する」

豪姫、咄嗟にクッキーの入った携帯器を押し出しては

「まあまあ、ジュドー神父、ここはクッキーを摘んでお寛ぎ下さいませ。お話は夜を徹しても構いませんよ、どうせ猿も暇なんですから」

猿、鼻を思わず摘んでは

「豪姫よ。そんなに話しては、先々の涙さえ無くしてしまう。どうか、お手柔らかに頼もうか」

ジュドー、律するままに

「いいえ、どうしても今日の頃合いでしょう。帰蝶様の佇まいだけで、神仏化しては片手落ちになります。豪姫様、全てをお話しましょうが、三日三晩は御留意下さいませ。そしてまずはの一枚、それでは喜んでは御相伴に仕ります」クッキーを手にとっては口元に運び「このさくさくの食感は確かに舶来そのもの。しかし、この香料迄も舶来のそのものですね。お見事過ぎる程の美味しさですが、さてこれは如何したものですか」

豪姫、破顔のままに

「そうなんだ、合ってるんですね。もう高温の竃作ってもらって正解です。あと香料はですね、右近様がカトリック繋がりでルソンからシナモンの苗木を手に入れられて加工したものです。ふふ、美味しいですか、嬉しいな、右近様に書状をすぐ書きたいな」


猿とジュドー共に、右近の器用さに舌を巻くしかないも、豪姫の無邪気さにただ押されるばかりで、そこには束の間の安息のままに

そして大広間の襖が浜慈と才蔵によって交互に開かれては、辿り着いてしまう奥方の茶々。そのいつもの成り行きを考えてはただ頭を抱えてしまう一行。


茶々、気高くも至って神妙に

「いましたね。全く、門番の才蔵が頑として首を振らないで難儀してしまいましたよ。おまけに私が不機嫌になると毎度の事に源次郎はそそくさと逃げる始末。もうこの気持ちどうしようかしら、ねえ」一同を見ては徐に微笑み「さて、皆々様。帰蝶様のお話で花を咲かそうものなら、私も立ち会ってよろしいのですよね。特に神父様の身なりもそのままに、そそくさと逃げ失せてしまう、ジュドー様とやら。私も信徒ならば、つくづくお話する事が山盛りですよ。ああ、もう全部言いたい」

浜慈、一礼しては切り出し

「茶々様のお伺いは誠にございます。このジュドー、さも忙しそうな素振りをしては、さも煙たい話で厳つくなっております。ここは茶々様の御出番にございます」

才知に溢れる近習姿の双子の弟才蔵、ただ溜息も

「茶々様、それは適度にお控え下さいませ。ここで有り体の事ばかり語っては、茶々様の築き上げた威厳を損ない、豊臣政権のいざの花が萎れては、日の本が傾きますぞ」

猿、神妙にも

「いや、結構だ。茶々は茶々である。彼の帰蝶様のお話の前に、全て吐き出しておこうか。憮然たる姿のままでは、今年の信長様帰蝶様の法要の華が損なわれる。さあ茶々、存分に述べよ」

茶々、居住まいを正しては

「まずは、ちょっと先のお話を掻い摘みましょう、猿のこのずんぐりむっくりに浮腫み具合、全薬師が持って数年の見立てです。死ぬのは御勝手ですが、残される私はどうします、折角の女盛りが骨折り損です。猿の逝去後は松丸様に全て委ねて、秀頼の後見にも立って貰います。だって、私の専門分野は商いですよ。面倒くさい武士の扱いはほとほとです。故に、私は大阪城より退転し、ジュドー神父の手助けをさせて貰います。これは本決まりですからね」

佐吉、烈火の程に

「恐れながら、茶々様。秀吉様逝去のお話は憚りが有ります。お気軽に話されては、重臣団が割れてしまします。何卒、今後も自制の程を」

猿、ただ前のめり

「良い、どうせ竹千代がしゃしゃり出てきては掻き乱す。これ以上は茶々に気苦労を背負わせれぬ。このまま語って貰おうではないか。それでは茶々、ジュドー神父の手助けとは実に興味深いものである、それは如何程の手順か」

茶々、凛と

「そう、そもそもを申しましょう。ジュドーとやらもしちめんどくくさく、もうそのまま明智光秀のその薄情さは目も当てられません。その義は秘密のままとお思いでしょうが、私は信長伯父様より日々聞き及んでおります、光秀に天下と於市どちらを選ぶかと詰め寄ると、彼奴め、即時に天下と答えおってですよ。ここかなり酷いですよね。やっと落ち着きそうな日の本の天下を選んで、私たち三姉妹の養父を放棄したのですよ。当時もあんなに可愛いのにそれはなんですの、そのお陰でどこをどうしたか権六が養父になってから勇猛さが失って亡国の限りで、はあ、また城落ちですよ。光秀には今からでもその責務を負って貰います、ここは今や養父としてではなく、正妻として添い遂げさせて貰います。ご不満は決して言わせません」

ジュドー、ただたじたじに

「まずは於市様との婚儀とは、当時光秀にはとてもでございます。世に言われる三大美女の於市様との婚儀など、どうしても身分を弁えぬ行いにございます。その経緯から光秀が養父になれないのは御縁とお考え下さい。そしてここで仰られたお茶々様の再婚の儀の正妻の座のそれも、無謀すぎます。猿はまだ死んでおらず、茶々様の介護放棄かと嘲笑の的になりましょう。そして何より私には既に新たな内縁の妻木枯がおりますので、戒律を破る真似は出来ませぬ」

茶々、はきと

「よくも喋りおる、有耶無耶過ぎる内縁の妻であれば、私を正妻に迎え入れて序列を優先しなさい、これは大切な事です。ジュドー神父は当然教会を運営されていませんよね。ここは正妻の座に収まる私に一切をお任せなさい。良くお聞きなさい、あの島津義弘と日々昵懇になり、霧島の丘に見晴らしの良き場所が有り新たな教会を建立しても適わないとの事です。と言うより、今や私の子分島津豊久が、現在は朝鮮半島に行ったきりですが、教会一大設営の下知を下しており、それはもう大層な村になっているそうです。天然の要害は勿論、厳粛な趣きは是非ご覧あれとの事ですから、どうです、今からでも一緒に行って設営を手伝いましょうよ」

ジュドー、律しては

「果たして、教会高じての村づくりは非常に慎み深く、主をより身近に感じれる事でしょう。しかし茶々様をどの座での妻に招き入れる事は相成りません。内縁の妻木枯はその出自を自身で全く知らぬものの、私が足利家家臣であった頃に、非嫡流ながらも漸く探しだした将軍家の血筋です。そう、これは現在の足利家の血筋が途絶えた際の大いなる担保になりますので、そう容易く放逐する事は出来ません。いやこれ以上妻子と生き別れるは辛いのものです、どうか深きご理解の程に」

豪姫嬉々として歩み寄り、茶々の瞳を超至近距離で覗き込んでは虹彩が金色に輝き黄金動が瞬く間に展開し、微笑むままに

「ああ茶々様は、浅井家から織田家に戻った時代に笑顔が多いですね。こっちが茶々様らしいな、ああかな、見えちゃう、ジュドー様は大変そう。そうこれがなんて、ご縁がもっと近くなったら、もっと大変になるのかな、これは余計な事かな、なんて、」

大広間はただ爆笑しかなく

猿、ただ困り顔も毅然に

「いや、そう良い。その話の成り行き、決しては悪くは無い。松丸はその才気から豊臣家に残って貰うが、茶々はまだ若い。このままの成り行きでは、儂の身まかり後は徳川家の一門との婚姻が妥当であるが、茶々を政争の具には巻き込めぬ。ここはどうか聞いて貰えぬか、儂の死後、茶々はそのまま殉死と偽り、ジュドーの元に行くが心強い。この計略万全かと思うが、如何と問おう」

ジュドー、神妙にも

「猿、安堵するのは早い。私の心情と家族を無視は余りにも早計、茶々様の政争の具の懸念を最優先に考えるのであれば、上方にかなり集結してきたキリシタン有志の武士・匠・商人・農民の統制をどう取るのだ。これ迄に茶々様は数々の苦難を潜り抜けてきた、受難の別嬪、キリシタンであるのは公然の秘密で有り、そして深くお慕い申す方々が多い。ここで茶々様が歴史より姿を消すと、堰を切ったように東西の何れの開戦ともと、荒れるぞ上方は。それで良いものか。それにだ、考えたくも無いが豊臣政権が終わると徳川政権による大宗教国家がいよいよとなり、太閤検地を超えた圧政が続くぞ。それでは、この国は身なりは疎か心も貧してしまう。豊臣秀吉の安直な温情で更なる混迷を招きたいのか」

茶々、まんじりともせず

「光秀も言うわね。ええと、そこは、本当難しいかな、豊臣、いや私の元で是非共にお仕えしたいって、士官の係の列が途絶えないし、結果キリシタン文化が花開いての栄華でもあるし、どうなのかな、改めると」

秀吉、切に

「だからこそ一同に言おう。この豊臣家は、茶々がおらずとも、松丸女宰相の、宇喜多秀家後見で、表には決して言えんがキリシタン大名で上方を見事に固めてみせる。異論は決して認めん。ジュドー、呉々も茶々は頼んだ」

ジュドー、顔を曇らせては

「だから、良いか猿、何度も言うが、私の心情一切無しで、これでもかと押し通すか、一向に何でも有りなのか豊臣政権は」

猿、ゆっくり頷き

「で、あるか、」

茶々、首を傾げながらも、ゆっくりはきと

「いや、ちょっと待って。上方もここまでキリシタンの皆が上に下にと上方で賑わってるのだし、それを下火にするのもかしら。そう、そもそも霧島の要塞に教会を作るのはそれなりの意味があるけど、今すぐの要件でも無いわね。ジュドーの心情も慮っての解決策としては、そうよ、ジュドー、堺に居を構えなさいよ。キリシタンの公けは御法度だから、見立ては醤油問屋位が皆の為になるわね。そう、そうすれば、私も御用聞きの格好して遊びに行けるもの。そうしなさいよ、いやむしろ決まりね」

猿、はち切れんばかりに

「流石は茶々、商才は抜群である。港前の御用地を直ちに見繕い、今すぐ醤油大樽を作らせ、上方御用達の生駒井筒屋と命名しよう。これなら察する界隈も多く順風満帆ぞ」

ジュドー、溜め息も深く

「確かに妙案だ、決して悪くは無い。私も何時迄も華人の振りをして神父も続けられない御時世だ。この件に関しては承諾させて貰う。但し、醤油の調達地は私の決済で決めさせて貰う。当然、使用人の採用も私の一任とする、その裁量はさも当然であるべきだ」

茶々、ふくれっ面も

「ふん、それ何よ。繁忙期の助っ人使用人として潜りこめそうに無いじゃない、困ったものね、井筒平悟さん、どう、」

ジュドー、くすりと

「流石は織田家縁の御息女です。名付けの語感が良い、謹んでお受けしましょう」ただ慇懃に一礼のまま

猿、ただ上機嫌に

「これは良い、だが茶々の切れすぎる商才も程々にお願いしたい」万感の思いのまま「そして、帰蝶様の思い出話だが、ここは才蔵と浜慈の話からにしようかな、あれだ、」

浜慈、さもうんざりに

「才蔵、貴様が話してやれ。余りにも下世話過ぎて、私は食傷気味だ」

才蔵、くしゃりと

「姉上、私だって、困りますよ。そうあれは、上洛した京の鴨川で何気なく帰蝶様と幼き私達姉弟一緒に川遊びした帰りの事です。伏見の温泉へと向かったら、男湯女湯どちらに入るか思案重ねた結果男湯に入ったら、婦人が入って来たで大騒動になりました。そこで帰蝶様が何を面倒に思ったか男湯と女湯の垣根を一発でへし折って、これでどちらでも無いでしょうと言い放つも、嬉々と男湯の男衆が明け透けになった女湯の女子の尻を見ては男根を膨張させては大わらわですよ。帰蝶様は男衆を軒並み腕を捻じ上げてはぼきぼき鳴っていたのは、あれは男衆の拳の指が砕ける音でしたかな、日々鍛えてないとえらく安っぽい音がするものです。そして長らくの京の市井の噂に上がる伏見の巨漢婦人は、故にの帰蝶様にございます。まあその温泉も今や置き忘れた遊び桶が御神体となって、婦人温泉の看板を掲げては女子専用の美容温泉の名所となり、ちょっとだけ良いお話になっております」

ただ、大広間は爆笑の一端が開かれてゆく、帰蝶の思い出話はどうしても三日三晩は掛かる模様に。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る