第9話 1578年12月 近江国 安土城 思案

織田家が本格的な中国侵攻を開始した今年、織田家か毛利家か由来の境界の豪族は大いに揺らぎ、それは各家にも大いに揺らぎを齎す事になる。

堅実な明智軍団の山陰道攻略はさておき、波乱真っ只中の羽柴軍団の山陽道攻略の再詮議が、ここ織田家本城安土城の家長信長執務室にて、色彩豊かな近江火鉢を囲みながらも切に談義されて行く。


未だにあどけなさを有する織田家副監察前田犬千代が、切に

「まずは、荒木村重の処遇かと、このままでは延々に藪をつく羽目になります、」

中国勢から臣従した黒田家家臣母里太兵衛母御意見番母里小瀬が、未だ血気盛んの程にも

「その前に、猿の精勤か更迭かと存じますが、処断はいつになりますでしょう、」

信長、かなりうんざりしては

「この多種多様の密議は如何にもだが、そろそろ決め上げて行きたいな、まずは村重も、一族皆殺しで本当に懲りないものかよ、」

犬千代、凛と

「村重も摂津の重要拠点を任せられる身分で有りながらの、謀反に出奔では、織田家法度の適用を大きく超えます、信長様の心中はお察ししますが、どうしても村重自ら事の次第を自白せねば、後も謀反が続くやも知れません、」

小瀬、忌々しくも

「ふん、そこを懐柔させる為に、村重のいる有岡城に官兵衛自ら赴きを了承しましたが、無様に捕縛される等、堺の町衆の愉快にされては今後の兵站がままなりませぬ、抜け作めが、」

犬千代、理路整然に

「官兵衛には官兵衛の妙があると言われます、官兵衛の書室に残された見聞書全てを半兵衛が昨日迄に判読したところ、然りとての村重の帰参帰属は止む得ぬかも知れませぬ、」

信長、片眉を上げては凛と

「竹中半兵衛、何を猿に遠慮して一陪臣に収まろうとする、奴の姉貴早半兵衛とは昵懇だって言うのに、耳側に寄ってこいよ、言えよ、」

犬千代、はきと

「それは、半兵衛の思慮としてお考えください、半兵衛も官兵衛も織田家家中でその頭脳の切れから、事に際しては抜きつ抜かれつの得難い友情を持ち合わてせいます、ここで周りからとやかく言おうものなら、やがて半兵衛官兵衛を持て余す事になります、どうかお分かり下さい、」

信長、さも面倒臭そうに

「それで、俺じゃなくて、主監察の万千代でもなく、副監察の犬千代にお伺いを立てるなんて、半兵衛も事を表立てたくなさせるの事案とは何だよ、」

犬千代、人払いの済ませた信長執務室の周りの気配を察しては切り出し

「半兵衛の報告とはこうです、荒木村重の翻意は膨大な見聞書曰く緊急事案であると、事は村重であろうとなかろうと起こり得たと、それは信長様のお達しで、一向宗牽制の為に摂津における楽市楽座を再検閲すべきと条例を出したものの、如何せん摂津は本願寺の本所にあれば、織田家の隙を突いた本願寺お抱え商家が如何にも暗闘してございます、ここを洗いざらい聴取すれば摂津の楽市楽座はやはりかと開き直り悉く自由に開催されるとなるのは勿論の事でしょう、彼の地での織田家と本願寺の妙なる均衡は崩れ、我慢して上っ面の商いをして身銭の稼げぬ一向宗の憤りを起こさせては早々に楽市楽座も瓦解、剰えに織田軍団の兵站が寸断されてしまいます、村重の報告遅滞は時機を見てこその信長様への首尾であると見聞書には垣間見得ます、また村重同様に山陽道侵攻の秀吉も見て見ぬ振りで抜けようも、如何せん官兵衛の如才が働いてか、兵站の適用量を村重と綿密にこちらにより多くと書状を交わしていたそうです、ここですか、伊賀衆の忍びも兵站の危うさに気付き始め物資を動かし相場の並ならぬ値上がりが急激に起きては、村重も金庫番の土田御前に全てを吐露する訳にいかず、やがて織田軍団と摂津の商家両方から如何様の催促の突き上げをくらい、村重が間に挟まったまま追い詰められ、足元を見られた摂津ではどうしても一向宗の甘き誘いに乗り呼応せざる得なく謀反に至ったと、これは官兵衛がいち早く気付き半兵衛も見聞書で読み解きました、官兵衛はそのまま村重方の帳簿一斉を改め、中国大侵攻故に物資高騰は時期情勢状適正価格と、村重の元を訪ね宥めに入ったものの捕縛されましてございます、摂理を通す官兵衛が若いか、村重も摂津の商家何れもが一向宗であると今更訴える事もかなわずで、どう潔白を表し足掻いても村重の摂津統治の断罪は目に見えてしまうのが一部始終で有りましょう、この泥試合具合、誰が摂津を統治しても破綻は免れぬ次第にございますれば、村重だけを責め立てる訳には行きませぬ、懲罰の一定の目処は織田家家臣団の手前、何卒細心の配慮をお願い申します」

小瀬、溜め息は深く

「且つ困りましたね、ここで敢然と官兵衛の申し上げがあれば八方収まるのですが、その要らぬ浅知恵のままに自ら敵陣深く乗り込み、その手筈であれば丸く収まる訳で無く、現状薄暗い極牢に放り込まれたままは、如何様の村重の最後の手札でもあろうに、官兵衛は人の有りようを知らぬ、ふんこれも、猿目に半兵衛官兵衛二人軍師と祭り上げられ調子に乗るからです、官兵衛め、軍師の称号は宇喜多家掌中の手段であると知らずとか、とは言え軍師と祭り上げられたからには、その振る舞いをしなけれならないと悟るのが若さ故か、その若さも寒い極牢で果たして持つものか、全く、これ迄に三度密使を送ったものの、何も首を降らずとは如何にであるか、根気のある阿保は実に度し難いものです」

信長、身を乗り出しては

「はは、小瀬も周到か、そんな勇ましい話に俺を乗せないとはどう言う事だよ、」

小瀬、目を細めながら

「恐れながら、信長様参上でも官兵衛は極牢から出ない事でしょう、一度目のうちの倅太兵衛が便宜を計り潜り込んでもむっつりに出ず、二度目の佐吉は贅を尽くした馳走を差し入れし堪らず喉元鳴らすも一口も付けず追い返され、三度目は森羅が忍び込むも頑なに俺が出たら信長様の天下統一が妥結有りきの仕切り直しになるの一点張りです、流石に黒田の主家とは言えは、阿保官兵衛には愛想がつきます、」

信長、きりと一点を見つめる程に

「官兵衛の話に着地はないな、そもそもの摂津での原因を知り尽くしているから意固地になってるんだろう、中国侵攻で、俺に着くか、顕如に着くか、その迷いの誘いは官兵衛が勝手に標榜する天下統一で皆にぶれを齎すのに、なんなんだろな、あいつのお利口振りは、ここは村重の一族如く、官兵衛の人質から処刑する以外は無いな、」

犬千代、ただいみじくも

「信長様、恐れながらも、中国侵攻の立役者である官兵衛を先々失うのは手痛い事になります、ましてや一族を処刑しては、官兵衛目が信長憎しと一向宗について一向一揆にいよいよ統率が生まれ、信長様による純然たる天下統一が夢に終わります、どうかここは官兵衛に密使書状のみの公開詰問状と返答で、織田家一門に明らかに見せしめるが妥当かと思います、」

小瀬、凛と

「いいえ、そこは信長様の断行で構いません、黒田家お取り潰しでも、中国の備えには幾らでも替えが効きます、宇喜多の離れで惚けてる猿のけつ叩きなら私で十分にございます、」

信長、ほくそ笑んでは

「猿な、俺にはちょっとしか上がってこないが、愉快な話がたくさんあるんだろ、聞かせてくれよ、終始おっ勃ってる話とか、どうなんだよ、」

犬千代、押し留めては

「ああいや、そこは暫くにございます、下の話で猿を更迭とあっては、織田家家中の士気に関わります、」

小瀬、唾棄の如く

「益荒男の話では、女子衆の監察方に入っている森羅ですか、あやつは初の遠征で羽目を外し過ぎです、寝ても覚めても勃っていては子が作れぬ体になります、さて、世継ぎ無しで躍進の羽柴家家中に混乱を齎すなら、済し崩しの即切腹が望ましいかと思います、」

犬千代、慌てふためいては

「小瀬様も、そこは暫く、暫くにございます、猿の浮かれ様は毒婦が関与しているとの噂もちらりと聞きます、まずは冷静な対処を、」

信長、くしゃりと

「毒婦か、森羅の書状の監察では、猿のお目付役はうんざりです、勃ち過ぎては香りだけで果ててしまいますだとか、ここもか、何か小短い含み有りで、森羅らしく無いよな、」

小瀬、神妙にも

「森羅も、中国侵攻とあっては書状にも慎重を期しますか、そこの件は私の見た限りに言うと、宇喜多家中は常に揺れており、主人宇喜多直家は何の毒に当たったか、今の仕切りは寡婦そこその於福が取り行っております、出鱈目な寡婦の噂も、於福の出自はキリシタンにございますれば、その普段は甲斐甲斐しいものにございます、とは言え、頻繁に連れ立って離れに行くのも、猿目が於福の生来の椿の香りで四六時中果ててしまう為に単純にお召し替えに甲斐甲斐しく付き添うに過ぎません、宇喜多家中にここだけ抜き出されたら、毒婦が姦淫かにもなりましょうが、於福はキリシタンにございますれば節度は弁えております、度重なる無作法の始末を小姓女中衆にさせては猿は何者ぞと揶揄われてしますので、於福の作法は的を得ています、如何です、この場だけでは笑っても良いのですよ、」

信長、早速苦笑混じりに

「笑えるけど、於福って何者だよ、才媛のみならず椿の香り立つなんて、会ってみたいよな、って、俺が果てたら洒落にならないか、」

小瀬、くすりとも

「果てるのは、猿の尋常ならざる嗅覚故にございます、信長様が何を今更お戯れを、とは言えど、その御目通りに関してですが、信長様ならば於福の気質に心服し、参謀任官になるのは目に見えています、ここで一女房衆を格上げしては宇喜多家が更に割れますのでご容赦を願います、」

犬千代、ただ神妙に

「宇喜多家穏便も、これ迄の猿の統率では手詰まりも感じえませぬ、猿とは昵懇ながらも、止む得ずここは軍団の配置換えが頃合いやもしれません、」

信長、膝をぴしゃりと叩き

「それも妙案である、越後の虎が身罷った北陸の備えも何れだったが、まあ猿もとても本気じゃない景虎でも対峙となってはびびって逃げる始末も、相手が景虎ならば、そう考慮しよう、いやここも時折評定で蒸し返されるよな、さて、」

小瀬、はたと

「そこは熟慮に願います、織田家の強みは、織田包囲網完全払拭にございます、些細な事で軍団の配置換えしようものなら、毛利家も一向宗も勢いを増す事になりましょう、今は猿一択しか無いのが現状です、」

信長、ただ悩まし気に

「それもそうなのだが、せめて備後の鞆城にいる室町幕府将軍足利義昭を徹底追討してからが転機か、」

小瀬、ぴしゃりと

「信長様、逃げ上手な義昭も追い詰めすぎると、窮鼠猫を嚙むの例えが有ります、何事も中国の豪族を粛々と調略し、毛利の身を剥ぐのが肝心かと、それが徹底原則であれば織田家軍団を維持してつつの、軍団長の挿げ替えも吝かではありませんか、」

犬千代、ただ困り顔に

「ともなると、権六再配備の豪勇ぶりに靡かせるのが妥当では有りますが、何分にも権六に気性では、それ迄に猿の重ねてきた調略が空手形となり、中国方面がぶれかねません、」

信長、さもしたり顔のままに

「犬千代の懸案の筋が妥当ではあるが、俺の任官としてはこうだ、中国方面の軍団長は高山右近、目通りして一目で気に入った、村重謀反迄の窮地の才知も申し分無し、何より清貧のキリシタンである事は実に望ましい、九州から徐々にキリスト教が伝導している事も有り、ここで融合出来たら、あの毛利元就のいない毛利家も弱体化するに違いない、と言うべきか、やたら帰蝶と馬が合うので俺はかなりお勧めだ、どうか、」

小瀬、神妙にも

「キリシタン高山右近、この名だけで傾倒する民は少なく有りません、ただ宇喜多家の現状をご覧ください、際限なく二大勢力が食いつぶしては戦力が読めなくなります、私は右近に詰問有りきで乗りますが時機と言うものが有ります、」

犬千代、ただ歯噛みのままに

「全く、ここでの久秀であろうに、彼奴は何故に平蜘蛛の釜と共に爆死を選ぶ、その行く末が非常勿体無い、」

信長、訥に

「梟雄松永久秀、その素性を知るのは僅かだ、軍団長の名に恥じぬが、如何せん戦国時代を生き過ぎた、その儚い夢はこの目で新しき世を見たがろうが、俺であっても天下布武が今日この日であるとは言えぬ、仮にも目論んだ一大仏閣国家による安寧ががやや現実的であるのはただ察しよう、老いて守るとは恐るべきものか、」

小瀬、切に

「信長様も、実にらしくない、その弱気たるや、第六天魔王織田信長を返上せねばなりません、抜本的改革者がここで凡人の知恵を悟ろうなどとは、非常に仕えがいが有りませぬ、さて、その最もたるが、猿へのお目こぼしの頻度でありましょう、猿は確かに戦力が読めます、ですが、伸るか反るかの博打は半兵衛官兵衛がおればこそのもの、ここで官兵衛が抜けるのであれば、止む得ません、即刻猿の引責として改易させては、素浪人猿目を穴太衆で修行させた方が良いと言っておきましょう、」

信長、思案顔のままに

「穴太衆としての猿か、先々の治水をも考えたら早いか遅いかだけだな、流石小瀬だ、御意見番の役目実に見事である、」

犬千代、はたと

「いや、暫しお待ちを、猿目の処分は早急過ぎます、ここは村重を処罰最優先です、安堵か討伐か、長引かせるの良くは有りませぬ、」

信長、ただ深い溜息から

「然もありなん、であるか、」

小瀬、神妙にも

「どうしてもの類は、何故に官兵衛になってしまうのが、非常に口惜しい、ふん、小憎らしい若僧にその自覚が無さすぎる、」

信長犬千代小瀬が暫しの思案に入り。小瀬が色彩豊かな近江火鉢へと火鉢箸で丹念に炭を組み上げると、静かなる炭の弾ける音が信長執務室に澄み渡る。


襖越しより明らかに寄せる摺り足は、明らかに英邁さを感じさせる気配、澄みやかな音声は軽やかに

「信長様、小一郎様が火急なる用件にてお目通りを願っております、如何なさいますか、」

信長、訥に

「小一郎か、俺に直にとは珍しいな、その火急の要件とは何か聞こうか、蘭丸、話も途切れたので密議を許す、」

蘭丸、襖を幾許か早めに開けながらも声高に

「小一郎様にございます、お気の召すままに密議を願います、」

小一郎事羽柴秀長、執務室の敷居を跨いでは、兄弟の兄猿のずんぐりとは似ても似つかずな温和な面持ちで深い一礼のまま額づき、程なく漸く表を上げる

「信長様、犬千代様、小瀬様、この憩い先の一室の集いで察して余りますが、今後の中国侵攻に新たな局面を迎える事象が発生しましたので、ご報告の程を、羽柴家で官兵衛目の人質として世継ぎの松寿丸を囲っておりましたが、私と半兵衛の一存で、官兵衛職務遅滞に付き、まずは人質松寿丸今朝方に処刑させて貰いました、尚獄門に関してはかかる武士の息子とは到底思えぬ顔の見苦しさ故に、既に荼毘に付してございます、掛かる仕儀で宜しいですね、」

ただ、ぐうの音も出ないと信長犬千代小瀬が、暫し逡巡してはやっとの溜め息の程に。

信長、小一郎をきつと見つめながらも

「羽柴家の人質ならば是非も無い、だがあの於寧の猫可愛がりから半兵衛が良くも引き剥がせたものだな、まあ処刑も流れの一つだ、」

小一郎、不意に吊り上がった眦が元の垂れ目に戻り

「恐れながら、半兵衛故の冷徹な一判断ではなく、私の同意もあればこそです、兄者には納得して貰い、あとは於寧様ですが、松寿丸を引き剥がし処刑してはの余りの狂乱ぶりで、今は床に入れ泣きくれています、於寧様も兄者の連れになってからは非常に情が脆くなっているのが、いや失礼しました、羽柴家の愚痴はここ迄にします、松寿丸の納骨は丁重に黒田家に収める事で宜しいでしょうか、散骨では流石に齢僅かな子故に魂が逸れたままになります、ここは良しなに願います、」

小瀬、凛と

「その処断見事に存じます、黒田家も武家の端くれ、理解はしましょう、使者は小一郎様其方で何卒お願いします、」深い一礼のままに

犬千代、怪訝ながらも

「松寿丸の処刑ともなると、まさか小一郎、安土城内に立て札は立てておらぬだろうな、」

小一郎、一際声を整え

「立て札に関しては、半兵衛が理路整然に、官兵衛の職務遅滞を事細かに書き添え、松寿丸人質でも極牢から抜け出せぬ武士の誉れとは何ぞやに始まり、官兵衛のこの先何れの獄中死の不覚悟で知られる前に死ねたる忠孝を書き添えてございます、名文にございますれば、城内巡視をお早めに願います、」

信長、ただ溜め息しかなく

「小一郎、あい分かった、その立て札はいつ立てた、そこが厄介だな、」

小一郎、はきと

「はい、二刻程前に立ててございます、人並みもややはけた頃にございますれば、城内巡視は的頃にございます、」

小瀬、ぽつりと

「小一郎様、そちらの心配ではございません、今頃、安土城内を鬼子母神の霍乱とばかりに駆け巡ってる姫様がおりますれば、只事では済みませぬな、」

ただ一座が、姫と聞いては強張ったままに固まり続ける。


暫し後、安土城内に響き渡る透き通るもどすの利いた声は怒号に満ち、具に慌てふためく城内が悲鳴に変わり。次第に近ずく大股の足音がそこまでに。信長執務室前の小姓三人が乱入者を宥める押し留めようも、力士のそれかとばかりに軽くいなされ、ついに執務室に拝謁の運び。

佩刀袴姿の帰蝶が割れんばかりに一声を

「小一郎さん、立て札のあの非道は一体何なのですか、これは猿、まさかは小一郎さん、いや半兵衛さんのしでかした事なのですか、とくとお聞きしたい、」

小一郎、帰蝶に慇懃に向き直っては

「帰蝶様、全ての決済は私にございます、半兵衛は今日までの官兵衛の準反逆を正すべく、半兵衛自ら世継ぎの松寿丸の首を刎ねた迄にございます、何れも戦国の世の倣い、人質とはに掛かる仕儀にございます、物分かりの良い帰蝶様ならお分かりになられますよね、」

帰蝶、怒り心頭のままに

「おのれ半兵衛、その理屈が松寿丸に通ずると思ってか、武士の心得でも、官兵衛の極牢の次第が分からぬと言うのに、どう言い聞かせたのだ、小一郎さん、ここで言ってみなさい、」

小一郎、切に

「半兵衛の性根は優しすぎる故に、官兵衛が松寿丸を見放したなどと言えませぬ、ただ寡黙に、斬刀を振りかざしては泣き叫ぶ松寿丸の首を落とした次第です、松寿丸はその断末魔で漸く親子の無常を悟った故に、首実験は控えさて貰います、肝の座った帰蝶様でも流石に失神してしまう程の惨さです、どうかお怒りをお納め下さい、」

帰蝶、泣き叫ぶ程に

「ええい、これはあってはならぬ事です、半兵衛さんの不始末、私が成敗します、軍師を名乗るのであれば、両腕を削ぎ落としても、織田家の役目は果たせるであろう、小一郎さん言いなさい、半兵衛は今何処にいますか、」言葉とは裏腹に静かなる抜刀の程に

信長、ただ凛と

「帰蝶、子供でむきになるのはもうやめろ、とは言え、皆言わぬが思いは同じだ、武士とはそう言うも役割を大いに背負う、ここ迄にしろも、さてか、まあ半兵衛も三日三晩帰蝶に怒られたら、多少の才気も靜やかになるか、そうだな、半兵衛ならばいつも思索で近江の山に分け入っては野鳥観察で当分人里の降りて来ないって、第一に人知れず泣いているだろう、そういうの見たいか、帰蝶はさ、」

帰蝶、訥に

「観音寺ですか、出ます、」思い立っては息を整えては刀を鞘に収める

小瀬、神妙にも

「犬千代、行きなさい、」

犬千代、従容にも

「はっつ、」立ち上がっては庭園側の障子戸を躊躇なく豪快に蹴破っては、欄間の槍掛けより大業の槍を握りしめ、庭園へと躍り出る

帰蝶、得心しては

「蘭丸さん、預かりなさい、」蘭丸に腰元の刀を鞘ごと渡しては、そのまま庭園側の障子戸に進み豪快に蹴破り、欄間の槍掛けより素槍を手に取り、果敢に飛び出る


安土城内の庭園は玉砂利が敷き詰められ、冬でも緑香り立つ程の手入れが満遍なく無くされるも。犬千代と帰蝶同時に槍をくるりと巻いては鞘を取り払い、その槍の穂先から醸し出される鈍い芳香で、ここは決闘場かの雰囲気を醸し出す。

間合い七歩のままに身じろぎもせず対峙する、犬千代と帰蝶。犬千代大業物の槍の柄を長く持っては高く掲げ、帰蝶柄の中程を持ち隙あらば突き上げ様かに、始まりも終わりも見えぬ展開に小瀬が進んで庭先におり一喝。


小瀬、凛と

「犬千代、その上段の構え、如何にも足を払い挫かせるのであれば是非もなく抜かります、こちらの帰蝶様は二手先を読み、犬千代の喉元を抉る手合い、全く犬千代も半兵衛も、可愛さ余りある姫様に粛正されたとあっては、織田家の内紛を突く輩が我先に蹂躙してくるでしょう、犬千代、その日本号を渡しなさい、正しい使い方を私が見せて上げましょう、」襷掛けを手際よく捲り上げ

帰蝶、まなじりを上げては

「日本号、おお、確かにその長すぎる程の穂、天子様の下賜に、そして足利将軍家から伝わってきた、正三位の位を持つ大業物がここになんて、信長様、こういうのは宝物庫に置くべきです、一体どうなってるのですか、」ただ冷や汗が一筋

信長、退屈そうにぽつりと

「何かな、早々に手練れが攻め入ってくると思ったのに、この安土城に上がって来ないだろう、それから俺の執務室に置きっ放しで忘れてたよ、まあたまの手入れにしては、この場は上出来過ぎるな、そう帰蝶、多少の槍傷の方が使い込んでる感が出て銘に相応しく有りなん、存分に奮え、」

小瀬、犬千代から奪い取った日本号の重さを生かしながら、重心もぶれもなく軽やかなにしなる

「流石は日本号も、がたいを選ぶのが難しい限りか、そこらの武将が使っては型が三つで終いです、ようございます、ここで刀身を馴染ませましょう、」

帰蝶、必死に冷静を装うも

「小瀬さん、ここは争いを避け、私に半兵衛の叱責をさせて下さい、大体に小瀬さんは、黒田家が主家ですよね、松寿丸さんを打ち首にされて憤りも無いのですか、」

小瀬、日本号の柄を短く持っては無行の構えより

「黒田主家はもはやでしょう、信長様の天下布武の前では大義が霞みます、ここで半兵衛か帰蝶様を選ぶなら、織田家中は残らず軍師半兵衛を擁護します、帰蝶様、その愛くるしさだけでは三千世界を渡れるご時世では有りません、串刺しにされる前に、辞世の言葉を聞きましょうか、但しお子が出来ぬ云々は、それも触れ合う縁故に、武士たる言の葉を申しなさい、」

帰蝶、しんみりにも

「三分七分、私が圧倒的不利、辞世ですか、そう言えば一回も考えた事も無かったですね、貫かれてから少々息は有りましょうから、その時に自ずと出ましょう、」


帰蝶、凛と渾身の素槍の一突きが下段から放つも。小瀬、日本号で重きを往なしては胆力そのままに不動。帰蝶、弾かれるもそれさえも瞬時に読み取り素早く素槍を正しては次の一手を整えようとした時に。小瀬の手早い日本号の繰り出しが、帰蝶の足元軸足を狙い澄ました払いに転じる。帰蝶、天性の勘で咄嗟に凪ぎる日本号の上を飛び躱し着地、軸足を使って素早い右回転の勢いを借りて素槍を容赦無くの横払いで尾瀬を吹き飛ばそうかも。既に小瀬は、何れ来る分銅の素槍を想定してはの、右側に両腕で日本号の石突きを深く庭園に突き刺し、日本号の重い柄そのままに一切ぶれる事なく、帰蝶の全体重の乗った素槍をどう足掻いても軽く弾き返す。堪ったものでは無いのは帰蝶、渾身の全力を素槍に預けたものの、見事自分に返り全身が軋むかの衝撃で豪快に吹き飛び、ただぐうの音も出ずに庭園の中の玉砂利で溺れる始末に。


帰蝶、漸く息を整えては半身を起こし吠える

「強い、強すぎます、小瀬さんの朝稽古は一体何分の力添えなのですか、これは鬼神そのもの、赤鬼青鬼の血統なのですか、」

小瀬、怒り心頭にも

「ふん、大うつけが、これは噴飯そのものを言い渡します、姫様自ら怒りの丈に任せたと思えば、私を人外扱いですか、まずは己の至らなさを存分に知りなさい、良く御覧なさい、この日本号は足利義昭の見栄えを取り去り新たに樫の霊木に拵えては最強です、人間と武具の然るべき備え、武具の特性を畏み大いに生かせば百戦危うからずやです、憤りで勝てると思うなかれと、ここで言っておきましょう、」

帰蝶、憚らず泣き喚き

「私は松寿丸の為に何も出来ないのですか、これが戦国なのですか、ああ悲しや、」


縁側ではただ声の出ない信長と小一郎が心配そうに伺いながらも。

信長、遠目にもただ呆れ

「全く帰蝶は、小一郎、良いか、教えて良いのは骨壷のあるのは霊安所だけだからな、」

小一郎、大きく畏み

「信長様の御配慮忝く思います、ですがどこから、」

信長、くしゃりと

「まあ、小一郎のここぞの整えた声色は相変わらずだし、半兵衛は陪臣とは言えここでさえも講釈しないのがあれだからな、官兵衛には松寿丸の斬首そのままにそれとなく極牢に囁いてやれ、これで振り切れぬ輩は意固地に過ぎぬ、良いかその後の官兵衛の扱い方決して見誤るなよ、」


安土城庭園内では、大声で咽ぶ帰蝶に犬千代が漸く寄り添い、ただ宥めに入るも。帰蝶の透き通った野太い声が城下にも漏れようかの大音声。小瀬が女々しいと散々嘆くも、今の帰蝶は女性のそれでしかなくも。

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