第8話 1573年9月 京 洛中 七条大路辻 悪い噂

 足利義昭翻意の上についに追放ともなり、要所である足利ゆかりの所領山城に丹波・近江・若狭を織田家の掌中に納め、京にもやっと平穏が戻ろうか。

 洛中、羅城門より朱雀大路に伸び、幾許かの七条大路辻で商いが賑わう中でのド派手な古着商の息の合った二人が、客が途切れては暫しの閑談へと。


 身なりは質素も色彩は先鋭な、どうしても京に慣れ親しんだ威勢の良い女房衆がはつらつも

「やっと人並みが切れましたね、土田御前の小商いも京で繁盛しようとは、いっそ、こちらの方が性に合って合ってませんか、吉法師様、」

 身なりは昔のばさらの出で立ち、真っ赤な女房衣装に髪の編み込みを施し日々町衆慣れした吉法師事織田信長が、ただくすりと

「そこも土田御前が集めに集めた衣装が、安土城の土蔵からも流石に溢れ出して来たから、お気に入りをだけを手元に置いて、売ってこいだってさ、何ていうか、そういうのは民に施せじゃないのか、義昭の元本妻としてはそうすべきだろ、高円、」

 高円、たださばさばと

「義昭の元本妻も如何ですかね、織田家と破断ともなると、あっさり若い側室連れて毛利家庇護の元に転々としてるらしいですよ、まああの方らしい臆病者では有りますけど、これ以上言うと父上佐久間信盛が本当にぶち切れて、認証状将軍様を追撃しては殴打しまくると思いますのでここまでに、それと民に安易な施しは止めて正解です、土田御前の裁量が適切かと、それに織田家と足利将軍家が畿内でつば競り合っては、何を今更施しですからね、京の町衆は古着でも逸品には目が利きますから、お手頃な価格で賑わう位が丁度良いかと思いますよ、」

 信長、溜め息混じりにも

「やれ、いざの都の評判はそんなものか、もっと仕入れを考えつつも、」まじまじと高円を見つめ「それでだ、高円も佐久間家に戻ったとはいえ次の嫁ぎ先は何処に行きたい、天命かどうか義昭の子が出来なかったのだから便宜は図るぞ、」

 高円、躊躇うも

「吉法師様の便宜とは何かの訳ありですか、佐久間家は織田家重臣の最右翼ですのに何を焦ります、」

 信長、得々と

「信盛は確かに勇猛果敢の重臣、実戦は比類なきも先々の戦略は逸する傾向がある、その温情は確かに営みとして必要ではあるが、その裁量は俺が施す、そこ迄軍団に治世を求めては何れ天下布武の織田家が大きく瓦解する、諭すも信盛の性分であればまんじりともしないのが今日迄でだ、高円には、信盛の処分が下る前に穏便に再嫁ぎ先を考えておきたい、」

 高円、暫し思案顔から

「それならば、武功抜群の稲葉家でしょうかね、それなら父上も律するやもしれません、ほら、あちら様はそう良いうのが顔から滲み出てますよね、」

 信長、くすりと

「稲葉家か、まあ妥当ではある、武功があればどうにか名だたる武家へちと養い育つだろうから、そういう算段にするか、」

 高円、神妙にも

「吉法師様、ここで弱気になってどうされます、足利家浅井家朝倉家を立て続けに排したのに、一つ一つ思いが募って何からしくないですよ、そこはまあ、例の悪い噂数々ですよね、気になりますね武田家の動向、武田信玄僧正がそう簡単に死ぬ訳が有りませんって、義昭が得意げに武田家上洛って大はしゃぎでしたから、三河での折り返しは何かの謀略有りきですよ、」

 信長、ただ思案顔も

「先頃迄、足利家にいた高円であっても謀略のそれか、であろうな、でも俺は晴信逝去は半々と思うがだ、」

 高円、凛と

「宜しいでしょう、総じれば、四つの噂になります、四つもあったらとても逝去などと、」捲し立てるように「一つ目、悪の実働隊である六角家は伊賀衆を抱え忍びを走らせています、ここは武田家の透破と隠密裏に共同戦線を張り、一向一揆が苛烈なものになるやもしれません、と伊賀訛りのお客は切に散ってますね、」

 信長、ふわりと

「それもどうかな、相対する甲賀衆の探索では、伊賀集落に新たな砦の普請の構えはなく、そこから用心深い晴信が日の本に発信し一槍に京になどと出来る訳もなかろうし、そこは落ちぶれた六角承禎の見栄に過ぎないだろうな、それに付き合う伊賀衆もどうかしてるよ、」

 高円、こくりと

「それでは、二つ目の摂津の石山本願寺に詰めている件は如何です、僧正の位ですから、いよいよ本腰かの気運ですよ、」

 信長、くすりと

「石山本願寺は今もって探索中だな、符牒の提示は随時も、あの辺一帯中洲ばかりで寸断されては、出城も大中小合わせたら百に届こうかだ、延々とうちの探索送り込んでいても埒が明かないって、とは言えとっておきは送り込んでおいた、今も苦戦の様だけどさ、」

 高円、さもうんざりに

「それもどうですかね、探索する薄焼せんべえ売りの猿が、石山本願寺で信玄の意匠が流行ってるからって、断れずに例の風林火山の手拭いを延々買わされてるので、ここで引き取って下さいって来ますけど、最近ではかなり粗雑過ぎて売り物になりません、これですよ、」不意に腰からの手拭いを抜いては信長にはたと

 信長、受け取った手拭いを広げてはあんぐりと

「何だこれ、四文字で風林火山の殴り書きってすかすかだろ、本当粗雑だな、旗印の疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山じゃないのかよ、売れ過ぎて文面縮めたのかよ、せめて刺繍ならそこそこ買い取りの余地はあるけど、というか、猿もこんなの買うなよ、と言うべきか後見役は何やってるんだよ、あいつはさ、」

 高円、首を傾げては

「その言いようは、猿でないとしたら、十兵衛ですか、行商に扮しては確かに計り売り醤油が売れ過ぎて、石山本願寺に毎日通ってますよね、」

 信長、ただ溜め息も深く

「まあ十兵衛なんだけど、確かに出会ったあの頃より根が真面目過ぎて、兵糧の醤油を一向宗に売っても良いですかと来たが阿保かと叱っておいた、とは言え妙案だから乗ったよ、流れてきた毛利水軍に雑賀衆に、あとは警備の番衆だけではなく門徒の間で、かなりの醤油が売れてるらしく、本寺から日々贅沢品が配給されてるのは間違いないが、ここは士気高揚の為に、どうしても信玄僧上ここに有りと思わせた故かもも、何か合点が行かぬ、」

 高円、尚も

「合点行きませんか、それならば、三つ目の北条、北条勢への足袋売りに奔走する森羅曰く、門徒が只管足袋を作っている様です、まあ専用の作業場迄作って隠す気配すら無いのが如何過ぎですが、何れは漏れ伝わるの暗示かと、日用品は切実ですよ」

 信長、不意に

「晴信の策なら一々か、油断の為に敢えて死んだのお触れを出しといて、秘密裏に北条と密約同盟しては、うちらの彦右衛門の軍団を駆逐して、その勢いで目障りな景虎の関東管領まで攻め込める推定大軍勢ではある、だけど、所詮はそれも武田家時期当主鬼武者の勝頼の夢想に過ぎないな、北条はそこまで戦線が延び切っては統治者が少ないのが、彦右衛門の探索で本筋だ、ともあれこの愚案は見えた、健脚あれど何時迄も森羅に行商させる訳に行かないから、本寺への仕入れ値上げて手切れにさせるか、」

 高円、溜め息も深く

「吉法師様もご丁寧に看破しますね、そう本当に、信玄僧正が頓死ならば、武田家臣団は良くもここ迄策を巡らせるものでしょうか、むしろそちらの方が恐怖ですよ、ですけど、最後の四つ目の再上洛合流大軍は如何ですか、これが一番説得力有りますよ、織田家駆逐の為に、武田軍再上洛隊と石山本願寺で徴兵した戦力との合力の前では、流石に畿内の在中の織田軍団二つばかりでは心許ないですよ、それは大いに有り得ます、何をでしょうけど、石山本願寺界隈ではさも身なりを察しなさいの大頭巾を被った最上位の僧侶が、比類無き指揮官下間頼廉と演習に参加してるそうですから、かなりの説得力有りますよ、」

 信長、神妙に

「それもな、高円も耳にしたか、察しろの偉そうな僧侶は、晴信の兄弟らしい、甲斐国の宗智和尚、勝手に石山本願寺に忍び込んだ帰蝶と津田宗及の自警団風主がだよ、その練兵逞しいと見られるや、御前に招かれ労われたそうだ、そこで諸国知ったる碓氷とやらが気づいたとさ、こりゃ武田の弟だって、表情は武士の素質無しと早々に寺院に送られて温和そのものだが、徳はかなりあるらしい、徳なんて、逆に影武者以上の働きするから図らずも厄介だよな、」

 高円、ただ伺っては

「あっと、その噂は本当だったのですね、茶屋の一文字屋和助で務めてる帰蝶様と話してると、そう話して間も無く号泣ですよ、何があったのですか、これって吉法師様絡みで感情が昂ぶってのそれですよね、」

 信長、踏ん反り返っては

「知るか、宗及を接待したら、彼奴は何を感じ入ったか、畿内に入ったら帰蝶に堺の自警団精鋭の風主付けやがって、付けやがってはあれだな、源頼光と頼光四天王の末裔様様に失礼だな、とは言えだ、実質最強の組を付けられたら気が大きくなるか帰蝶もさ、それがどこどうしたら石山本願寺中核に雪崩れ込むんだよ、長島一向一揆も具に検分しただろ、一向宗の強さ生半じゃ無いの知ってるだろう、」

 高円、まんじりともせず

「ああ、そこですか、お互いに思い合っての掛け違いは、仲睦まじい夫婦ならよくある事ですよ、」

 信長、鼻息も荒く

「そりゃあ、無事に帰ってきて、確かな情報も大いに役立った、ただな御前での丸め込まれ方がな、石山本願寺に運ばれる武器兵糧はただ数多、その矢銭も日の本の全門徒が仏敵第六天魔王の為なら惜しまないって俺も凄い憎まれ方だよな、そして上座の、信玄僧上の影武者宗智はやんわりし過ぎて戦になれば真っ先に討ち死には分かった、ただな下間頼廉の人物評が何だそりゃあ、尋常ならざる統率力は織田家各軍団を軽く凌ぐ、日増しに増えてゆく兵卒も一連の練兵を教え込ませれば負けますって、そりゃあそうだろうけどさ、頼廉は仁のお方です殺すなはどう感化すればそうなるんだって、まあだ、頼廉も帰蝶の佇まい見たら例のアンドロギュヌスかと察しもついて声も掛けざる得ないよな、これはそれとなく一向宗の重臣等に石山本願寺の警備不手際を諭しての御前だろうけどさ、彼奴は言うかね、帰蝶を菩薩そのものだって皆に説いてはお気の済むままいられよ何て、帰蝶も言い返せよな、てめえ等のお仲間の伊賀衆は私を生きたままかの剥製にしようとしてるんですよとさ、その何枚もある舌は閻魔様に全部抜かれるぞ位言えよ、と言い返したら忽ち大乱戦か、それでも生き延びて来れるんだろよ、帰蝶と充てがわれた御一行らの一騎当千はさ、ただ帰蝶の呑んだ言の葉をも察してしまうのが頼廉か、言うね彼奴は、しかしながら今回の徴兵は兵力の素質を比較的問わない鉄砲隊だから武士募集はまた先の先であり、それまで暇を持て余すに違いないから、その折には是非共御志願お願い申し上げますなんて慇懃にさ、下賜品の大福を詰め合わせ持たされては石山本願寺から無事帰って来たってさ、頼廉のさも寛容さを示してるけど、彼奴の指示している一向一揆は人間の命を軽んずる基本我武者羅な突撃だからな、その矛盾を持たされたまま、帰蝶あいつは見聞し過ぎてどうかしてるって、」

 高円、眦を上げては

「頼廉の大者振りは巷の評判ですからね、その成り行きから、吉法師様と帰蝶様が一瞬の仲違いも止む得ません、ですがそれも一向宗との本格的な戦さにもなれば意見の不一致は解消はされましょう、ですけど、その前に帰蝶様のお悩みに触れるのが夫の役割ですよ、」

 信長、ただ不服顔で

「知るか、俺が報告の是は罷りならんと声を荒げたら、帰蝶ずっと膨れっ面のままで、かの源頼光の血筋の多田杏子ときゃっきゃしやがって、そこだよ何かむかつくよ、杏子普段は頑な顔なのに、帰蝶だけにだけは女子の顔になるよな、まあそこもな、帰蝶は俺と結納するまで男子戸籍だったから、そっちに触れる事もあるか、何と言うべきか帰蝶も男根は付いてるし根気もあるから、帰蝶と杏子がねんごろになっても無理もないか、まあ男ならそう言う気持ちも分かる、」

 高円、ただ呆れ顔で

「信長様の悋気も人並みかと思えば、いざお聞きすると、帰蝶様のアンドロギュヌスで2倍3倍いや5倍増しのもどかしさですか、そう言う想像も程々にですよ、杏子さんがついしゃしゃり出て来たら源氏由来の刀は冥府にほど近い輩迄成敗するので、吉法師様が難癖付けて手討ちにしようにも返り討ちにあって、この世に二度と転生すら出来ないかもしれませんよ、そう、これもそう言うのがお顔に出てるから、帰蝶さんとも拗れに拗れてるんじゃないですか、」

 信長、溜め息も深く

「拗れるも何も、帰蝶が俺を遠ざけて臥所を一緒にしてないから、まま考えるさ、まあ側室は増えに増えたし、一回清算する時期かもな、」

 長身痩躯のほつれ髪の男がいつの間にか露天の古着を丁寧に物色しながらも、つい

「主人さんも、大切な奥方蔑ろにして、若い側室さんにちやほやされようなんて、本当の意味で地獄を見ますから、止めときましょうよ、」

 信長、困惑しながらも

「おい、やや兄さん、気配を消してはどこから聞いていたんだよ、京訛りも薄いし、どこの探索だよ、」

 ほつれ髪の男、くしゃりと

「聞くも何も倦怠期の夫婦なんてありふれた話ですよ、それをどうこうして、この俺を悪どい探索扱いするなんて、酷い言われ様ですね、堺周辺が一向宗大集合ともなれば市場も大活況、それは関東から商いで食指も伸びますから、素敵な主人さんは俺に何を用心しますか、」

 高円、訥に

「やや兄さん、今日迄の物色も三度では済みませんよね、反物の染め具合から、私達を探って何がどう分かります、」

 ほつれ髪の男、満面の笑みで

「見た目奥方相当さんも、覚えも良く身を乗り出しますね、いやね、内覧の度にこの古着、千差万別の程に実に手広い集め方しますね、これは何処かのお武家さん直属でいらっしゃいますか、さて織田家も粉骨砕身、何事も民に寄り添いますな、」

 信長、はきと

「露天で名乗る程でも無いがそんなところだ、そう言うやや兄さんも関東訛りが色濃いな、敢えてのそれは北条に密使だと察しろか、」

 ほつれ髪の男、微笑んでは

「参りましたね、正解です、何故に武田家の忍びと疑わないのですか、」

 信長、切に

「推して知るべしだ、ここまで巷間に噂を広げるんだ、武田家は晴信頓死でひた隠そうと必死そのものでここに寄る理由は何一つ無い、上杉家は包囲網に止む無く加入して織田家に今更誰を送るかだろう、残るは振り切れぬ北条家一つだけ、でだ、要件は何だ、まず名乗れよ、」

 ほつれ髪の男、神妙にも

「それがしは、北条家直臣風魔小太郎と申します、先代より襲名すればこその今の名でございます、」


 その瞬間にも市井の彼方此方より苦無の抜く音が静かに連なる。


 小太郎、大仰にもただ通りを見渡しては一回り

「伊賀衆も甲賀衆も透破も騒がしいものです、いつもこうなのですか、」

 信長、ただうんざりも

「放っておけ、流石に洛中ではひと暴れは無いな、良いから続けろ、」

 小太郎、一礼しては面を上げ

「はっつ、関東での織田家の行商が余りにも席巻故に控えて頂ければと申し上げます、単純な値崩れなら相応に対応出来ますが、品揃えに口上にここぞの演芸も繰り出されては、我々には太刀打ちが出来ません、主人氏政様は一時であるから暫し堪えよですが、こちらの乱波は常時探索者が多く商いに不便を来しております、ここは是非に配慮を頂きたく思います、」

 信長、切に

「在り来たりだな、ならば要点を聞こうか、御敵晴信は死んだのか、それを聞ければ配慮も考える、」

 小太郎、神妙にも

「間違いなく死に申してございます、武田軍の上洛精鋭組に潜り込んだ私が一部始終を見届けました、上洛中の幾度も喀血は凄まじく、忽ち黒く固まってやがて頓死、荼毘に伏すにも姿勢を整えるのに難儀してました、それはもうでした、武田軍の落胆は凄まじく、厳重な布陣の上で嗚咽すら禁じられての火葬となりましたので、内情を知るのは今日の武田家のみになるかと存じます、」

 信長、神妙に手を合わせてはこまり

「どうしてもか、それにしても小太郎はここまで話して良いのか、」

 小太郎、きりと見つめたまま

「結構にございます、戦国時代の英傑も代を重ね過ぎては、勇猛たる武将より政略に富む武将が必要となりました、氏政様はそれを一に理解し、晴信の死を巡るも深謀遠慮とお考えです、多くの武家は代替わりで直臣を把握出来ず勢いがどうしても半減してしまいます、ここで武田家の内情を晒せば、盛者必衰のままに武田家は織田家の進攻に為す術もなき事でしょう、この御始末を以って北条家は防柵と致しますが、ここ迄で止めおける様に信長様の御内意は計らえるものでしょうか、」

 その露天の上空、残影が三回転しては、小太郎の背後に誰にも気付かれずぴたりと張り付こうかと。察する程の忍び、その短い苦無は右手に上手く隠れながらも小太郎の喉元動脈の皮一枚に。

 残影事森羅、周りを憚りながら普段通りの喋り言葉で

「もう言わせん、その真名は憚る、誉れの対面も殊勝にだが、その身構えぬ達者ぶりは一角の雰囲気を出しすぎだ、小太郎、死にたくなければ全部吐いて貰おうか、」

 高円、ただ呆れ顔で

「この出店のこれでも、本当に呆れますよ、往来皆気配を消してるとは言え、この敢えてのあからさまな喧騒の続き、もう全勢力四方八方に徹底した調略ぶりですね、それは今に始まった事では無いので、まあですか、」

 信長、はきと

「小太郎よ、血判同盟は、徳川家もいるし、北条家が加わっても何らだが、領内の一向一揆はかなりしんどいぞ、それでも上手く天秤に乗れる器量が氏政にあると言い切れるのか、」

 小太郎、瞬きすらせず

「北条家にも家格は有ります、ここに来て北条得宗家が消滅しては、織田家の風当たりは更に厳しきものになるに違い有りません、戦乱がこうも長く続いてしまったのは、その職務の威光が届かぬ故にでは有りませぬか、問いましょう、あなた様はこの日の本で何になりたいのですか、」

 信長、整然にも凛と

「強いて言えば、求道者だ、誰をも愛し誰にも愛される、その健全な世にすべく俺はその道を進む、ただ帰蝶だけではなく、一般人とはやや趣き異なるだけで血祭りに上げる不届き者には、どうしても目で物を言う事もままならないと、この信長包囲網で俺は覚悟を決めた、この求める道を進むならば、邪魔する者を排除する以外あるまい、」

 小太郎、尚も

「実にらしく無い、私情有りきですか、第六天魔王の冠を持ってしても、たった一人の麗しき女性を守るために、あどけない一向宗を屠って行くのですか、」

 信長、切に

「帰蝶は愛すべき妻だが、ついでの切っ掛けに過ぎない、ああ、ぶれる事無く言っておこう、愛を求める為には深く互いを理解し、己も深く弁えねばならない、それが非常につまらぬ戦さを激減させる、今日から出来る、誰にでも出来る事に何故皆気付かぬか、俺はこの瞬間も不思議でならない、」

 小太郎、くすりと

「それは、愛が通づる当事者間だからこそはきと言えるのです、一般いや農奴迄に至れば、上の命令に大人しく従っていた方が三食に在り付けるのです、弛まぬ想いだけでは生きて行けませぬ、」

 森羅、はきと

「吉法師様、始末しましょう、この男はこういう機会で無いと殺しきれません、」

 信長、必死に嗜めながらも

「森羅、焦るな、ここまで俺に肉薄するなら、とっておきがあるんだろう、そうだろう、」

 小太郎、剽げては

「全く、賢い領主様程楽であろうは身に沁みますよ、故に、もどかしい夫婦様にそれとなく伝えておきますが、奥方樣が何故に、茶屋の一文字屋和助で一日も欠かさずか働くかお分かりですか、津田宗及の出店で見つけた舶来の銀の燭台がいたく気に入っては、その銀の燭台の元で旦那様とマリア様にお祈りしたいそうです、旦那様には内緒にして驚かせたいので、必死で働いてます、えへんとの事です、そんな事お姉さん別嬪ですから流麗なおべべと交換しましょうかで持ちかけるも、毎回別嬪さんの下りで舞い上がってはそれ以上は話に乗ってきませんね、ここは負けず劣らずの求道者とお見受けします、とっておきの種を晒しましたが、銀の燭台前でのお祈りの際は仲良くお願いしますね、」

 森羅、怒り心頭に

「淡々もこの傍若無人ぶり、やはり殺します、」右手に隠した短い苦無の刃を冷静に持ち上げ

 信長、ただくしゃりと

「まあ待て、帰蝶絡みで殺したとなると、後でぎゃんぎゃん言われる、ここは無事に帰してやれ、」

 森羅、表情も変えずこくりと頷くも。右肘が手際良く引かれ、短い苦無が風魔小太郎の喉元を掠ろうかの瞬間、辺り一帯に風塵が巻き上がり、通りの一同咄嗟に目を閉じるしか無く。そして手応えを外した小太郎の姿は既にそこにはいなく。森羅が目を擦りながらただ鬼の形相で通りをぐるり見渡しては、天性の勘のままに通りの群衆を凄まじき速さで擦り抜けてゆく。

 高円、咄嗟の判断で露天の古着に覆いかぶさっては、風に舞い上がっての損失も無く一安堵も

「ふう、危ない危ない、これが雨上がりだったろ、売り物に泥が巻き上がって、これ全部洗濯しなくてはいけませんでしたよ、」

 信長、ただ呆れ顔で

「あいつ小太郎さ、散々出店で手に取っては、今日も買って行かないはないだろう、こっちは今は商いなんだって、」


 七条大路辻発で巻き上がった風塵も、季節外れの暴風かで、露天の店主達がぶつくさ言いながらも体裁を整えながらも、再びのお客の声掛けに専念して行く。その声はただ競り合う様にもで、高円の一際声の通った掛け言葉で、図らずも古着屋の前がひしめき合って行く。

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