第10話 1582年2月 摂津国 高槻城城下 サステナス教会 不敵

摂津国高槻城内は内堀が隈なく施され、聳える本丸に次ぐ二の丸の一角には宣教師の導きによって建設された本格的なカトリック教会が清き佇まいを見せる。

そのサステナス教会より心地よく響くのは、この日本国でここしか無い荘厳なパイプオルガンの導きによる、カトリック信者による日本語グレゴリオ聖歌が高らかに響き渡る。

集会はキリシタン大名高山右近に惹かれ集った信者ら150名余りで、御心を確と受け止め丁寧な挨拶を交わしながら帰途に着いてゆく。最後迄見送る右近を尻目に、ただ寛ぐのはやや華美な扮装を着飾った吉法師に帰蝶に古田詩織。


質素な着物も重ね着の色合いがさも界の豪商人かの、髪の編み込みを施した吉法師がぽつりと

「小唄の拍子に慣れきってるけど、こうも皆で歌うと心地良いものだな、安土城にも作っちゃおうか、カトリック教会をさ、いつまでも宗派の兼ね合いが面倒臭いから、この石を俺だと思って励めなんて言ったら、いつの間にかお参りの列だし、冗談通じないのかよ近江の民衆一同はさ」

仏頂面の然もお供の町人風情の帰蝶がぼやきながら

「吉法師様は、そういう面倒臭い事を押し通すから、安土城下の土産物屋が珍妙な売れ行きになるのですよ、ここはカトリック教会一本で推し進めて下さい、そう言う兼ね合いで、お忍びで高槻城に参ったと言うのに、全然懲りてませんよね、」

またお供の町人風情の古田詩織が神妙にも

「安土城のカトリック教会より先に、まずは浅井討伐してそのままの於市様に茶々様御鐺様小督様を連れて来るべきでは無いのですか、土岐家繋がりから古田家も総出でお世話してますけど、あれですよ、叔父上の御敵ならば、父様止む得ないでいつもしゅんですよ、吉法師様が飽きない様にって兄弟筋を折々転居させても、心の傷ってそうは簡単に癒えません、まめに弔問して下さる吉法師様が差し入れだって煌びやかな衣装をどんとお広げになって、着飾っても徐に思い出してしまうものですよ、そろそろ主への導きを渡されても良いのでは無いですか、心の安寧はどうしても必要ですよ」

吉法師、一際声を張っては

「於市親子に、カトリック教はまだ早いって、何せ、この摂津国にしつこい坊主達がいるから、あれそれと織田家に楯突いて来るだろう、何処をどう周回して、か弱い於市親子に難癖つけるなんて、冗談じゃない、そうだよな、なあ、」

帰蝶、吉法師の体を揺すっては

「もう、このサステナス教会は声がただ響くのですよ、いつもの光秀叱咤の作法はお止め下さい、と言うべきか、いつ迄於市様を手元に置くのですか、於市様はもうやんちゃ娘では無く立派な女子ですよ、良い加減嫁ぎませんと女子が昂ぶってしまいます、ここ本当に分かってるのですか、」

吉法師、ふわりと

「ああ、そこな、いつでも死ねるからって正室置かない勝家にしようと思ってる、奴さ猿が勝家では無骨過ぎるってきっと嫉妬するから、まあ折を見てだよな、しかしさ、そこも後腐れない様に子宝に恵まれる織田家だから、種枯れしてる猿の為においおい茶々を側室に入れても良いかなって、茶々の猿回し使いなら袖にはされないだろうし、そうなれば御鐺もだよな、安土城下で洗礼した後にくたばっった京極高吉で縁起悪いままだし京極家に輿入れさせようかなって、後は小督だよな、土田御前から俺が駄目なら次は佐治家だって口酸っぱく言われてるから、小督輿入れで縁戚は強くしておいた方が良いでしょう、そうだな、いっそ安土城に帰ったら、三人娘送り出しちゃうか、これで於市も肩の荷が降りて勝家と思う存分子作りに励めるだろうから、何となく良いんじゃない、」

帰蝶、ただ怒りに震え

「開けっぴろげも、ああもう、何をお戯れを、今の茶々様は童と言え、織田家の骨格で成人そのもの、迸る猿の元へと送りだそうものなら、我を忘れて職務怠慢、その前に本当に種枯れで頓死ですよ、織田家重臣がその無様な死に方では全軍団の士気がどん底に落ちます、そうなれば勝機とばかり一気呵成に織田家は徹底的な根絶やしにされますからね、」

吉法師、尚も声高に

「言うね、坊主が坊主の仇の手助けで、織田家抹殺とは良い度胸だ、いつでもかかって来いよ、全部ねじ伏せたやるからさ、」

詩織、宥める様に

「ああ、もう物騒なお話の声が大きいですって、ここは摂津ですよ、御敵本願寺に漏れ伝わりますって、もう、このお話は全部私が預かります、万が一の織田家衰退の際にはご意向を元に無事に配慮しますので、現段階でのお気遣いはここ迄に願います」

吉法師、こくりと

「まあ趨勢は七分も、であるな、」

帰蝶、前のめりにも

「詩織さん、掛かる仕儀ですが、猿がどうにも生き残るでしょうから、猿を屈服させて下命を引き継がせて下さいね、」

詩織、苦い顔で

「まあ、猿ね、父古田重然は何故か猿には寛容なのよね、この私の太腿見ただけでも鼻血どんで、何にどう欲情してるか、さっぱりの奴なのに、何かな、」

信長、くすりと

「それは詩織が、重然の陶芸見様見真似で大股でろくろ回してるからだろ、まあ男だったら興奮はするよな、」

帰蝶、ただ前のめりに

「ちょっと待ってください、何で大股ろくろをさも見た感じは何ですか、」

信長、くすりと

「ああ、猿が血眼で工房眺めていたから、何見てるのかなと思ったら、詩織のあられも無い姿だった、まあ毎度だけど、あそこは薄明かりだったから大事な所は見えてないから、大丈夫だよ、」

帰蝶、ただ項垂れ

「この色気が何処ぞにあるかの詩織さんの、何に女子加減を感じるのですか、猿も、信長様も、」

詩織、憤懣やるかたなくも

「全く仕方無いな、見えてないなら良いです、そもそも陶芸と世話係で私の嫁入りは無いと思ってますから、理性の許す限りにご自由にです、」

吉法師、振り返っては大声のままに

「なあ、茶坊主、こう言う春画的逸品に、高尚な輩は奮い立つんだろ、」

右近がサステナス教会の正面扉を閉め行くと同時に

「吉法師様、この方は摂津船問屋主人の大鳥嘗胆にございます、格別のご配慮を願います」

如何にもの茶人帽を被った厳つい体躯の茶坊主:大鳥嘗胆がはにかみながらも

「さてさて、左様な見目麗しき春画も、かっての比叡山ならば大売れでしょうが、摂津はカトリック教と浄土真宗の信者によって心穏やかなる国にございますれば、見合った売り上げは望めぬものにとお察し下さい、その名を界隈で少々お聞きする吉法師様」

吉法師、尚も

「そうか、試し刷りで、堺の港中に貼り回せば、きっと売れるぜ、だよな詩織、」

詩織、うんざりしながらも

「如何にも、私が画材で了承得るの止めて貰えますか、特定されちゃうじゃ無いですか、そういう目で見られるのは嫌ですよ、」

嘗胆、嗜めながらも

「如何にもなりますが、堺は自由と言えど、そこ迄羽目を外されれば、瑣末な戦への炎が湧きこり、小競り合い経て大きな戦にもなりましょう、それは吉法師様の望む所なのですか、摂津だけはそういう国へと巻き込んではいけません、」

右近、慇懃にも

「恐れながら、摂津の緩衝地帯はこの国の先々を示す大きな分水嶺と申しておきましょう、戦乱が絶えぬ日本国で、カトリック教と浄土真宗の信者が、共に足りぬ衣食住を補い合って共存しております、これを下地に新たな国造りを官民一体となって進めるべきかと思います、吉法師様、どうかお戯れは程々に、」

吉法師、神妙にも

「右近、理想は分かるが荒木村重の二の轍を踏むつもりか、物資が動けば、心模様も動く、主人を蔑ろにして宗派共存の新たな国造りとは、どう言う了見だ、是非聞こうじゃ無いか、」

嘗胆、はきと

「吉法師様の揺れは確とお見受けしました、敢えて私が言いましょう、武勇で剛圧する日本国は現世においては決して成し得ないものと申しておきましょう、生きていれば、互いに相容れない信条は有ります、ですがこの摂津では互いに寛容になっては、共に小競り合いの少ない営みを送っております、良いですか、私にははきと見えます、幾多の困難を経て、年月を経ても尚、衣装もいかれる程に華美になれども、この摂津は大いに繁栄しております、それは、故に相互理解があればこそです、」

吉法師、くしゃりと

「おいおい、さも先々の見た事を言って、茶坊主が法力を語っては、本願寺勢力に怒鳴られるんじゃないのか、なあ、」

嘗胆、凛と

「本願寺も非常事態で武具を纏いど、身も心も仏に即する方々です最大の慈愛は兼ね揃えていますので、ご配慮は入りません、」

吉法師、困惑しながらも

「おい、右近、サステナス教会いや高槻城の備えはどうなっているんだ、この嘗胆の様に、まだ散らばる一向宗の門徒がこうも毎度集会に参加して良いのかよ、」

右近、ただ十字を切りながらも

「吉法師様、それは民を思えばこそです、浄土真宗の真理で来世に全てを阿る生き方も有りましょうが、民は余りにも深い悩みを解消すべく、摂津の全教会の門を潜って祈りを捧げる事は、何があっても責め立てられません、ここは悩める民をどうか慈しみ下さい」

吉法師、うんざり顔のままに

「全く、石山本願寺の本城支城は頂いたが、残党の残る摂津全てを焼き払おうにも、ここ迄中島だらけだったら、工作の人足が足りなすぎる、かと言って制圧戦に持ち込もうも上陸に手間取ったら織田勢総順繰りに串刺しだよ、ここは織田兵団の全兵力を持ち込んで斬り伏せて行くしかないな、その前に茶坊主はもっと逃げ失せてみせろ、中国の狭い一角で室町幕府最後の将軍足利義昭の戯れに一生付き合うのも悪く無い生き方だぞ、」

嘗胆の瞳に黄金の虹彩が展開して、脂汗が一滴二滴と床に滴り落ちて行く

「はあ、見える、見えるぞ、真っ赤に染まった天と地の数々、哀れ餓鬼に迄瀕してしまった門徒の一群が、それを、なんて事だ、無情にも串刺して行く織田軍は鬼の使番か、信長め、摂津いやまだ見ぬ地をも悉く滅ぼすとは、甚だ愚かなり、信長、貴様は決して許せん、いや、待て、その先もある、貴様信長、いや織田一党悉く逆さ磔の串刺しだ、第六天魔王織田信長でもただの骸に成り果てるのか、はっつ、そして、この原風景、いやそれでは日本国が更に枯れ果ててしまう、信長の進む道は破綻しかないのか、その前に愛おしい門徒が悉く殺されては、何も生み出せない、この虚しい勝ちとは何なのだ、誠の第六天魔王、そのままなのか、貴様は、」

吉法師、淡々と

「今更かよ、当たり前だ、この戦国時代の行き先は、全ての民に死に絶え、八咫烏が舞い、一から出直す以外無いんだよ、俺が死んでも、貴様本願寺顕如の意を酌む者が居ようが居まいが、枯野になってしまうんだよ、その黄金動は多くの民を救う為にあるんだろ、どうにかしろよ、」

嘗胆の虹彩が不意に途切れる

「いや、有り得ん、金輪際もだ、だが、これは信長に全てを委ねるしか無いのか、それがこの日本国の民が望むべき指針なのか、いや、それでも言っておこう、信長は志半ばに口果てる、急ぎ過ぎたのだよ、貴様は、」

帰蝶の声がただ劈く

「蘭丸、出会え、」

右近、凛と

「帰蝶様、蘭丸は来ません、この後の点茶の場に控えていますので、仮にもの本願寺顕如を密殺するには至りません、」

帰蝶、豪腕にも立て掛けた旅の杖を一回転させては仕込み杖の鞘を払い

「仏僧に二心有り、ここは私が成敗し、京の二条河原にその首を丁重に置かせて貰います、」

吉法師、長椅子の幅そのままに帰蝶を通せんぼし

「帰蝶さ、まあ待てって、仮にも尊師このまま誅したら狙われ続けるって、その前にカトリック教会内での荒事は禁止、何よりマリア様が、どうしても見てるからさ、」

帰蝶、しんみりしながらマリア像に振り返っては

「そこは、マリア様の事言われてしまうと、どうにもですよ、うん、あれ、涙が人肌にどうしても温かい、」ただ涙が伝う「そう、マリア像も心なしか、涙なのでしょうか、あれは、光ってません、何かしらの後光の加減でしょうか、」

右近、通路を上がって来ては十字を切り、ただ瞳が潤む

「これはサステナス教会、いえイスパニアより送られたダヴィド作イエスを育むマリア像の奇跡にございます、今日迄幾度もの落涙の奇跡がそれは有りました、念の為からくりはと宣教師等に聞きましたが、所以のある名作故にスペイン王族直々に拝領した次第です、勅命から聖徒を導きなさいと、その巡り合わせがかようなご縁にございます、今日迄信徒の深い思いが手繰り寄せては、妙光が照らし出され発現する奇跡にございますれば、この御心の深い慈悲を持って、一向宗滅殺はどうしてもお控えになるべきかと進言させて貰います」

帰蝶、丹念に十字を切りながら

「これは、人を斬り結ぶ事で和睦を積み重ねる時節では無いとのお告げでしょうか、」

吉法師、憮然にも

「全く、主と言いマリア様と言い、遍く衆の一字一句を聞き届くものかよ、びびるぜ、」

詩織、十字を切っては吉法師を促し

「吉法師様、帰蝶様の感応でマリア様の意思を伺えました、慎み深く十字を切ってくださいよ、」


サステナス教会の正面色付きガラスから溢れる光源が、イエスを育むマリア像の最後の一筋の涙をあまねく照らし、各々の新たな決意を胸に携えてゆく。

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