第5話 1560年7月 尾張国 熱田神宮 神託
熱田神宮正殿にて、先日の奇襲桶狭間の戦いの勝ち戦報告が大々的に行われる。一際熱のこもった祝詞も終わり、今は労いの野掛けへと席を移す。
一面に張られた真っ赤な毛氈も、一際上座にはただ団欒とばかりに、織田信長・帰蝶・土田御前・近衛前久、そして亭主の千宗易等がただ閑談に思いを寄せる。
帰蝶、ただ目を細めっぱなしで
「嘘、と言うべきか、信長様、面白くないですよ、それは愛笛の乃可勢を吹いてて閃いたのは分かりますよ、その後がですよ、単身清洲城を飛び出してお供がすぐさま続き、桶狭間を駆け抜けては、尾張領内に入って昂ぶっている今川義元の首を掻っ切る事位は、自ら出来ましたよね、はあ、」
信長、苦笑いも
「帰蝶もさ、大将同志が積み合うなんて、どこの英雄譚だよ、横から挟撃して尚もの槍の森を抜けた、義元の首を取った毛利の小倅を褒めてやんなよ、」後方席でただ持て囃される毛利を見て感に入る
女子衆でも威厳そのままの土田御前、不意に
「吉法師も平行線ですね、奉納でその乃可勢を吹いてるお姿は一際楽しそうでしたよ、何か隠している事が有りますね、言いなさい、」
信長、ただ居住まいを正すままに
「さすがは母上か、分かるものですね、ほらこの熱田神宮一帯、浜風に揺られて囁く森の声が聞こえますよね、今年の年賀の参拝の時にそれが一際高くて、何だろうと竹藪に分入ったら、いつもの工作の時より遥かに良い音色の出る竹を発見しては、畏みながら竹を栽培し持ち帰った訳ですよ、そこからいつもの工作も仕上がりが随一で嬉しくては愛用する訳ですけど、不思議と好機が迫ると綺麗な音色が出ては、自ずと身が引き締まる訳です、ここは流石勝手知ったる熱田神宮の御利益なのでしょうね、そう桶狭間の時も一際良い音色が出ていたので思いのままに続きを吹いていたら、閉じた瞼の先々の果てに桶狭間が見えた次第かな、まあ、言ったら御利益がそこそこになるものじゃない、こういう事って、」
先年左大臣を辞して、親睦の一環として、本日の祝詞に立ち会ったまだ若き藤原長者近衛前久が、神妙に頷き
「流石は信長公ですかな、その弁えの然ることながら、良いお話を聞かせて貰い感に堪えませぬ、そう、このお話は決してここだけにしておきましょう、良きお話が広がる事は悪き事では有りませぬが、神妙に聴く程に、これは先々信長様そのもののお命に関わる要件が多々あると思われます、宗易様も道理は分かりますな、」
亭主の宗易、慇懃に一礼しては
「前久様、仰せのままにでございます、」
帰蝶、ゆっくり首を傾げては
「あの、その前久様、ただ景虎様の同輩との事から、諸国を巡っていらっしゃるのですけど、そのありがたい程の口伝は受け取ってよろしいのですか、そこまでお気遣いして貰って良いものですか、」
前久、微笑みながらも
「帰蝶様、結構にございます、実姉の主人義輝様を景虎様と一緒に支える信長様が、うっかりばさらのままに頓死しては、多くの皆が路頭に迷ってしまいます、ここは信長様の果敢な単騎がけの勇名が、周辺国も牽制し備えにもなりましょう、」
土田御前、理路整然にも
「前久様の配慮はありがたい限りですが、義元は上洛前提に尾張国に進攻した采配にございます、室町幕府のお邪魔だてをしてしまったのではございませんか、」
前久、訥に
「織田家は何ら深慮は入りません、義輝様がそこまで苦し紛れに上洛を促す訳もございません、もっとも、最大四万の軍勢を率いながらもあっさりにも自国に引き上げてしまう駿河国の武士団に、何ら期待する趣きすら有りませんな、」
信長、ふつふつと
「そう、あいつらだよ、駿河国の武士団の連中、境界線越えの探索で彦右衛門の仮一座に俺と帰蝶も含んで演舞していたら、近くの義元公に是非御目通り願うと容易く銭を積んでは連れ回しやがって、義元の白塗りお化け、お披露目の後にも饗応も立ち会えで、帰蝶のでかい尻これでもかと揉みほぐしては、あいつ討ち死にして大正解だよ、つうか良くも我慢したよ俺、母上これであと堪忍袋の尾は5つだからな、」
土田御前、ただ呆れ顔もほとほとに
「やれ、信長、奥方の尻の類で堪忍袋の尾が減るのが早すぎます、堪忍袋の尾はあと13程足しておきましょうか、全部使い切ったら分かってますね、一門衆の佐治為興を主人に据えるので存分に仕えなさい、」
帰蝶、ただ目を見張っては
「あっと、土田御前様、それは平に御容赦願います、信長様が平の武将になったら、どうやさぐれちゃうかな、ばさらでは済みませんよ、私の固い尻位はどうにでも、あっとでも、尻を揉みほぐし這いながらも、必死に女陰も探ってたかな、」
信長、眉を潜め怒り心頭に
「義元、絶対ぶっ殺す、って死んだか、つうか今川家まとめてぶっ潰す、ここで元康やっと動かなかったら、それもまとめてぶっ潰す、俺以外に帰蝶のでかい尻揉ませるものかよ、」
帰蝶、ただ目を覆い
「あっと、この短い節で幾つ堪忍袋の尾が飛んだのですか、もう信じられないですよ、そう、ここは閑談の座ですから無かったことに、そうですよね、」
土田御前、さもうんざりに
「ようございます、また堪忍袋の尾を5つ足す迄です、」
帰蝶、必死に指で手計算しながら
「えっつ、何か多すぎる、何が琴線に触れたのですか、うわ、」
宗易、慇懃にも
「恐れながら信長様、今川義元の白塗りお化けにございますが、それは刀槍が連なり、身なりを正すための白塗りにございます、作物の成長の良い今川の領土は最高故に越境も多く、組し難い武田と北条と互角を保ち戦上手で有ります、ここは暫し動静を窺うのがよろしいかと、」
信長、はきと
「ふん、帰蝶を甚振った白塗りお化けに俺が配慮しろって、千宗易は天下のご意見番気取りか、」
前久、嗜めるように
「信長様、皆思慮の上での宗易同じに違いはありませんが、敢えての忠信のここは愛があればこそにございます、信長様の発想そのままの先手必勝は非常に有効な一手にございますが、それに見合うだけの織田家家臣団が揃っていないのも事実にございます、私は愛おしい信長様にまだ死なれたくないものでございますよ、何卒ご自愛の程を、」
帰蝶、胸を躍らせるままに
「おお、前久様は流石に学が有りますよ、キリスト教の教えも憚らず満遍なくとは、もう感激しか有りません、良いですか、信長様、何事も愛です、高き壁があろうとも愛があればです、私も一緒にお手伝いしますので、ゆめゆめ愛を忘れずお願いしますね、」咄嗟に懐から自ら新しく刻んだ樫の木のロザリオを取り出しては、信長の左手にがっちり渡す
信長、ただ神妙に
「帰蝶な、当主が、キリスト教にそう安易に改宗などできる訳無いし、まあそこも行く行くはそういう武将も出るでろうから、ここは思案しなくてはいけないか、流石は帰蝶である、」
帰蝶、仕切りに頷いては
「ちなみに、こういう時は、こう言うそうです、ハレルヤ、」
信長、くすりと
「ハレルヤ、外来語か、何か語呂が良いな、それ有り難く使わせて貰う、」
前久、堪らず綻び
「これはこれは、良き夫婦とは、非常に見目麗しいものにございますな、」
帰蝶、忽ち破顔にも
「ふふ、良き夫婦ですって、長くなればなる程、嬉しさがが増すものですね、」
不意に信長の手元に置かれた乃可勢から、至高の音色が溢れては、聞けるは信長ばかりも、生涯で一番かの笑顔を紡ぎ出す。
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