第3話 1557年4月 京 三十三間堂 射的

 強引過ぎる程の長尾景虎の幾度もの上洛下調べのままに同行させられた少数精鋭。室町幕府第十三代征夷大将軍足利義輝の覚えめでたく暫し京にとどめ置かれ、ここで未来を定めるべくの三十三間堂の間合いのまま十二の的による卜占が行われる。

 全武将が温かく見守る中、射手は勿論、景虎に半ばを通り越して強制同行させられた織田帰蝶。一番目の的から寸分違わずど真ん中の図星を強烈な音を発してはくり抜き、そして最後の十二番目の的も正確に無比に図星に命中も、ここで帰蝶の放つ矢の衝撃で図らずも土塁が豪快に崩れ落ちる。


 青年もしなやかな美丈夫の足利義輝、第一声のままに

「帰蝶、御見事である、見事な忠義ぶりに感服致す、」

 帰蝶、強弓を丁寧に置き額付きしようかも

「覚えありがたく思います、これで渋々に送り出された主人織田信長にも目に物見せてあげれます、」

 やや強面もしなやかな重臣細川藤孝、はたと

「義輝様、恐れながも、今回の吉兆調べは全ての的を射抜くも、帰蝶の名手を聞き及びとことん迄に固めた土塁が崩れましてございます、この不穏、これまでに積み重ねてきた京での室町幕府の隆盛を考え抜かねばなりません、ここはこの藤孝に万事お任せ下さい、」

 景虎、嘆息交じりに

「ふん、室町幕府の重臣の貴様が、この体たらくだからこそ、俺達が万全を期しているのであろう、それともあれであるか、足利主家の血が流れているからと言って、応で応じると思っているのか、」

 慇懃にも、土岐光秀いや止む得ずの漂白から今は足利家家臣明智光秀がぴしゃりと

「恐れながら、景虎様、京の町衆は耳が早うございます、公然の秘密とはいえ、その血筋の如何は暫し御控え下さいませ、」

 義輝、凛と

「構わぬ、京は互いに見知ったる仲故に何を憚る、評定においても一定の線引きを越え熱き談義はまことに重要である、ここはさぞやの民の信頼を得る為にも切にお願いしたい、」不意に満面の笑みで「そして、この吉兆、見事な結末であろう、土塁は凝り固まった世相そのもの、それを足利家の名代が砕き奉じるとは願って止まぬ事である、そうではないか、」

 一同ただ額付くまま、一斉に

「御意、」

 帰蝶、困惑しながらも恐る恐る顔を上げては

「あの、義輝様すいません、私の足利家名代は余りにも過分なお褒めでは有りますが、私の上洛は室町幕府の隆盛の為の一支えであれば、そこは訂正して貰いたく思います、」

 義輝、ただ朗らかに

「帰蝶は微に入り細に入りである、光秀、ここで発布を許す、」

 光秀、懐から目録の書状を大仰に開き、声を大にも

「一同よろしいですか、室町幕府第十三代征夷大将軍足利義輝が直々の命をここに表す、新生室町幕府は相伴衆を改めて刷新し、実力を備えた人物を登用する、関東管領を委譲される長尾景虎を随一の忠臣と定め、加判衆として、京守役に長尾政景を筆頭とし、本庄繁長・織田帰蝶・滝川一益・竹中花苗を命ずる、また再編成として京極高吉を旗本に命じ自らの直臣等の帰参を火急に命ずる、以上を持って室町幕府に芯を貫くものである、」

 景虎、はたと

「暫しお待ちを、私の関東管領職は確かに上杉家とは懇意で有りますが、それは身にあまります、」

 義輝、はきと

「景虎も、弁えに程々にすべきであろう、重ねた上洛は忠義そのもの、今日にでも京在住であった欲しいが、そこは越後の国持ち、まずはいち早く関東平定を経て名実共に上洛を世に知らせるべきである、」

 景虎、ただ深い額付きより戻し

「義輝様は、慈愛の名君そのものでございます、私目の関東管領職を以って、戦は雲散霧消しましょう、ここは謹んで邁進させて貰います、」

 藤孝、向き直っては切に

「義輝様、この藤孝の不甲斐無さは目に余るとは言え、室町幕府の相伴衆、有力大名を蔑ろにするのは如何にございます、とは言え確かに時の趨勢で有り、ここに進言致します、名実ともの有力戦国大名をいち早く取り込み万全を期しましょう、まずは戦国に勇名を馳せる武田晴信をより重き職に付けましょうぞ、」

 景虎、大声顧みずに

「藤孝、貴様の深謀遠慮はどうなってる、我ら越後国とあちらの甲斐国が幾度と流血騒動になっていても、それを言うのか、」

 藤孝、全く意に介さずに

「景虎様、これは面妖な、この天下の室町幕府で、誰に断って戦さに明け暮れる、処罰されずに大目に見られるのも程々にすべきであろう、」

 義輝、理路整然に

「さて、藤孝は知恵の足りぬ輩である、この戦乱を終わらすのは、一握の救済者、いやもっと少なくてもあろうが、私はその者に出会えた、その志を持って京に駆けつけたのは、この景虎の限り、ここを蔑ろにしては、将軍の名が廃ると言うもの、この考え抜いた配慮をどうしても分からぬか、藤孝、」

 藤孝、拳をきつく結んだまま歯を食いしばり

「はっつ、何事も、室町幕府の将軍、足利義輝様の仰る通りでございます、藤孝がとことん民を忘れ浅はかにございました、」

 景虎、神妙にも

「義輝様、正に身に余るお褒めの言葉にございます、しかしながら、私はその器に憧れるも、まだまだ至らぬが現状です、その素養ならば、ひょっとしたら織田信長が近しい存在かもしれませぬ、」

 義輝、はきと

「景虎の見立てであればそうに違いあるまい、光秀から漏れ聞く織田信長像もそうであるが、尾張国で未だに燻る一大名に過ぎないのではないのか、」

 帰蝶、はからずにも

「いいえ、信長様の志は高く、この天下をは、あっと将軍様の前では言い難いですけど、そう常に民の事ばかりを考え、平和な活気のある日の本を考えておられます、全く、だから言いましたのに、景虎様に誘うままに一緒に京に行きましょうよも、そう言う始終堅苦しいのは苦手だ、お土産は帰蝶に全部任せるなんて言いますかね、折角の誉れを、ああでも、何をお土産にしましょうかね、そう、あれ、京守役に私の名前も有りましたよね、まさか、はは、」

 景虎、有無を言わさず

「帰蝶、京守役はそのままの役目だ、義輝様の武士団と長尾の輩加えて漸く200名、ここは万が一の不逞の輩に追走されようものなら、何事も灰燼に介する、ここは京極の旗本が結集するまで、京に居残るしかあるまい、帰蝶、武家の道理は分かるであろう、」

 帰蝶、眉を潜めては

「信長様に会いたいな、今すぐ会いたいですよ、室町幕府将軍家は私一人位いなくても大丈夫ですよね、そうですよね、皆さん、」

 光秀、やんわりと

「帰蝶様、ここは分別を是非にお願いします、京守役を拝命して直ちに尾張国に帰られたのであれば、足利将軍の発布が薄っぺらいものになってしまいます、ここは然るべき忠義の道をお進み下さい、」

 帰蝶、嗚咽混じりにも

「それ、景虎さんは先々はこうと一言も言ってないですよ、そう言うのって、拐かしですよね、酷いですよ、」

 義輝、はきと

「帰蝶、ここは私から謝辞を申そう、この戦国の世で、天下を平定するのは、酷く難儀である、今日この瞬間にも業火が迫るやもしれん、私には逞しい仲間が必要だ、ここはどうにか手を携えて貰えぬものか、」帰蝶に両手をただ差し伸べ

 帰蝶、ただ両手を携え

「義輝様の下知には従いましょう、ただ手勢が整えば、信長様も必ずや上洛させ、改めて夫婦仲睦まじくの拝命をお願いしたくございます、」ただ不思議顔で義輝の両手を万遍なく手繰っては「ええと、おかしいな、義輝様に剣だこがまるで無いですよ、確かに剣聖塚原卜伝様にはお会いしていますから、剣術をさぼってる訳も無いし、この手の柔らかさ信長様以上ですよ、」

 義輝、ただくすりと

「御師匠の教えは確かである、斬るのは一閃の一之太刀、力は介添えず、そのしなやかさで次の太刀筋を考えよの知恵の剣である、私が極めるには生涯掛けようかであろうな、」

 藤孝、鼻息も荒く

「全く、どこぞの切った張ったの田舎侍が剣聖など愉快を軽く通り越す、口ばかりで将軍様にお教えなどと、不愉快極まる、」

 光秀、凛と

「藤孝様、剣聖塚原卜伝様の部類の強さを訝しんではなりません、人斬りの果てに修羅になれども、その清しい魂から、剣聖に相応しい人望をお持ちです、ここは私達も是非に清しい目を持って対応お願い致します、」

 義輝、晴れがましくも

「御師匠は何処にいるかの、今日の吉兆の的のお話を是非ともお聞かせしたいものです、」

 遅咲きの最後の八重桜の花びらがはらりと舞う中、義輝の静寂なる抜刀が確かな一閃を描き、波紋の真一文字に花びらが確かに十二枚並ぶ、一同は堪らずの歓声と瞠目せざる得なく。

 高吉、ただ深く額付き

「義輝様、剣技御見事にございます、その手練れたるや、鎧武者一括りも一溜まりもないも無いでしょう、」

 義輝、懐紙で名刀を拭っては鞘に厳かに戻し

「景虎、この後越後に帰るのであれば、私も加勢して晴信を駆逐しては面前に引き寄せ、その引きも切らぬ侵攻の言い分を是非共聞きたいものである、何故に民ではなく肥沃な大地を求めるのかと、これが世に言われるうつけであろう、然もありなん、」

 景虎、神妙にも

「晴信のうつけは、義輝様の御慧眼そのままにございます、ただ晴信を引き倒すに至っては、武田の無勢が山の如しで、緒戦で薄皮を只管剥ぎ続ける以外有りませぬ、義輝様御出陣はその最後がよろしいかと存じます、」

 藤孝、ただ打ち震えるままに、拳を床に捻り伏せるしかなく、歯ぎしりの音がただきつくも

「室町幕府将軍義輝様御出陣のそれは、世相が落ち着けば、用意も整いましょう、義輝様、まずは今日の祝着を天子様にご報告申させねばなりませぬ、この後は暫し書斎にて、推敲の程を、」

 義輝、ふわりと

「そこは然もありなん、帰蝶の強弓の事は既に殿上に伝わっていらっしゃる、藤孝の主観では見透かされる、ここは光秀の筆致に頼もう、具に計らえ、」ただ一礼のままに「皆の者、今日は誠に良き日であった、今日の忠義は永劫忘れぬものであろう、この先も室町幕府の隆盛の為に、真心の忠義を頼み申す、」

 いの一番に額付く藤孝から、一同が義輝の威光に改めて触れ自然と礼も深くなるばかり。



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