Ⅸ
結局、その場で欲しいものをねだることができずに、黒子さんが家を訪れるまでの間に決めるということで話がついた。黒子さんは夜中に俺が寝てしまうのを心配し、こちらは彼女が直前にプレゼントを告げられて準備ができるのか、という心配をそれぞれしたが、前者についてはなぜだか起きていられるという確信があったのでそれほど問題にはならず、後者についてもそれくらいの奇跡だったら起こせるという彼女の台詞によって、とりあえずは丸くおさまった。
暗くなる前に自宅についたあと、俺は両親に多少心配されながらも、そのままクリスマス会に突入した。前もって遅くなるかもしれないとは伝えていたのもあり、渋い顔こそされたが、例年の通りパーティを楽しんだ。
十二月に入る直前に、母親からプレゼントを贈ろうかという申し出があった。毎年サンタクロースに見放された息子のことを気の毒に思ったんだろうな。ただ、なんとなく、もらえない自分が情けなく思えていたのもあって断っていた。だから、チキンの丸焼きやケーキを食べたりして騒ぎこそしたけど、贈り物はなかったんだ。俺自身が断ったとはいえ、それがないということが、サンタクロースから送られるプレゼントがあるんだと俺自身に印象付けた。毎年と同じように祝いの席を楽しみつつも、頭の片隅では考え事を続けていた。プレゼントのことよりも、黒子さんについてだった。もしかしたら、来年はいなくなってしまうかもしれない彼女を思えば、好きなプレゼントをもらうだけもらってさよなら、というのはあんまりなのではないのか。あと、一回しか顔を合わせられないのかもしれないのに、何もしないまま別れてしまっていいのか。そうやって、ぐだぐだとした思考を巡らせているうちに、パーティは終わり、風呂に入って、歯を磨き、布団に潜りこんだ。思った通り、目は驚くほど冴えていた。両親が布団の外でぐだぐだと話し合っている間も、俺はどうすればいいのかと頭を動かしていた。一応の結論が出たのは、親父とお袋が両隣りの布団に潜りこみ、寝息が聞こえてからしばらく経った後だった。とはいっても、この時点でもぶれぶれだったんだが。
黒子さんがやってきたのは明け方近くだった。すぐ傍の窓に影が映るのが見えたのを確認すると、両親が起きないように気を付けながら外に出た。かなり寒くなっていたけど、気にしている暇もなく裸足のまま駆けだした。音を立てないように玄関から外に出て窓の方に回りこむと、色白の美人が薄紫の空の下で手を振っていた。 久々に顔を見たなと思いながら、急いで傍に寄ると、彼女は薄く微笑んだ。
お待たせ、直也君。随分と遅くなっちゃったね。
俺は首を横に振って応えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
君が最後のプレゼントを受け取る子供だよ。ここまできたんだから少しくらいゆっくりしたいところだけど、残念ながらそれほど時間は許されてないんだ。
彼女の言葉に小さく頷いた。日の光の下に出られないという情報はしっかりと覚えていたからな。こんなに朝早くまで起きていた経験はなかったが、出る前に時計を見て、夜明けがそう遠くないのがわかっていたんだ。
じゃあ、さっそくだけど。プレゼント、決まったの?
彼女の問いかけに頷いたあと、ゆっくりと唾を呑みこんだ。本当にこれでいいのか、と今一度考えたあと、おそるおそるといった調子で口を開いた。
プレゼントって、物じゃなくてもいいんですか?
黒子さんは虚を突かれたような顔をするとともに目を瞬かせた。そして少し時間を置いてから我に帰ったように頬を掻いた。
うーん、あんまり例はないけど、できなくはないよ。もちろん、なにが欲しいのかにも寄るけど、大抵のことならね。
それを聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろしたよ。一つ目の障害が取り払われたんだとね。もちろん、叶えてもらえると決まったわけじゃないから、糠喜びに終わる可能性も充分にあったんだがな。俺は黒子さんを精一杯見つめた。あの宝石みたいに赤く透き通った目を。こちらの視線に、彼女はたじろいでいた。
そんなに一生懸命見ても、叶えられるかどうかは願い次第だからね。
その台詞に頷いてから、とうとう、告げたよ。
また、黒子さんに会えるっていう、約束が欲しい。
それを聞くと、彼女は顔を強張らせたよ。そして、ゆっくりと自らの肩を抱きながら、目線を逸らした。
そんなことを願わなくても、来年、会えるじゃない。
その声はどこか震えていて、やはり黒子さんにもまた会えるという確証があるわけではないのだと理解してから、首を横に振ってみせる。
黒子さんだって、絶対に会えるだなんて信じられないんですよね。だったら、他にはなにもいらないから、また会えるっていう約束が欲しいんです。
そう言って俺は一歩近づいた。ここで何の約束もしないままでいれば、もう会えない、という予感が身体中に浸透しきっていた。こちらを見下ろしてから、彼女は逃げるように目線を逸らした。色白の肌は、寒空の下にずっといたせいか、どこか血色の悪さが目立っていた。しばらく何も言わないまま時間が過ぎ去っていった。それほど時間が無いとわかっていたものの、ここで言葉を挟めば黒子さんの考えを邪魔してしまうかもしれない、というような思いもあったので、口を閉じたままでいた。ゆっくりと空が薄青に染まっていきつつあるなか、彼女がゆっくりと顔を上げるまで、俺はその場で立ち尽くしていた。
その願いをプレゼントにすることはできなくもない。けれど、来年にとか、そういった約束はできないよ。
なんで、ですか?
尋ねると、黒子さんは悲しげに微笑んだ。
前にも言ったけど、年々サンタクロースの力というのは失われていっているの。今年は私も出てこられたけど、来年以降はどうなるかは正直よくわからない。直也君の話を聞いていると、サンタクロースを信じている人間も次第に減りはじめているみたいだしね。その約束は、十二月の限られた時間しかこの世界にいられない私を繋ぎとめる気休めにはなるかもしれない。けれど、結局は願いの力が足りなければまた現れることは難しいの。自分で言っていて恥ずかしいけど、この世界にいないはずの私がいるっていうのも、また一つの奇跡みたいなものだから。
黒子さんの物言いは煮え切らないうえにわかりにくいものだった。俺は彼女が遠回しに約束を守るのはとても難しいと言っているのだけは理解した。急に現れたかと思うとまた急にいなくなってしまう彼女に苛立ちを覚えなかったかといえば嘘になってしまうだろうが、同時に仕方ないとも受け入れていた。なにせ、彼女は人の願いによって繋ぎとめられてその役割を果たしているだけであって、特定の期間しかこの世にいられない。本来ならばいない方が自然だった。そんな細かいことは理解していなかったが、いくら、この場で駄々をこねたところで解決する類の問題でないというのは漠然とではあるがわかっていたんだ。こういうのは、プレゼントをもらえなかった何年間かで慣れたことだった。俺は目を瞑ってもう一度考えを整理してから、口を開いた。
いつになってもいい。ただ、僕は約束が欲しいんです。
振り返ってみれば、ませた物言いだったと思う。だが、俺としては有りっ丈の気持ちをこめたつもりだったんだ。
この言葉を聞いて、彼女はしばらくの間、目を瞬かせたあと、急に腹を抱えて笑い出した。こっちは真剣に言っているのに。そう思って睨みつけると、彼女は静止するように掌を翳してみせた。
別に君を馬鹿にしたつもりじゃないんだよ。ただ、直也君のまっすぐさが、とっても微笑ましくて、ね。
そう言って優しげに微笑むと、俺の頬に手を添えた。こちらが呆然としているところに当てられたその指は、寒空の下にずっといたはずなのに、いままでの生涯で触れてきた肌の中でもっとも温かいように感じられたんだ。彼女はしばらく子供の柔らかい肌を弄んでいたが、やがて、ゆっくりと目を細めた。
そうだね。いつか、また会おう。いつになるか、わからないけど、絶対に。
その声は小さいながらも、奥底にはしっかりとした芯のようなものが窺えた。いつかもわからない曖昧な口約束だったにもかかわらず、俺には不思議と信じられるものだった。いつか、遥か遠い未来になるのかもしれないのに、心が落ち着いていくのを感じた。もちろん、哀しみや寂しさがないわけではなかったのだが、二人の間にできあがった小さくないなにかが、胸の中を温かくしていくのがわかったんだ。そうしている間にも、空は白みはじめていた。
それじゃあ、そろそろ、お別れかな。
そうですね。お別れなんてしたくないですけど。
あはは、違いない。それじゃあ、また。
ええ、いつか、会いましょう。
うん、また、いつか。
太陽が顔を出すのとともに彼女は姿を消した。まるで最初からそこにいなかったみたいに。俺は泣き出しそうになったけど、精一杯堪えた。
昇った日の周りには、とても澄んだ空が広がっていた。
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