Ⅷ

 その会話からクリスマスイブまではあっという間だった。俺は二十四日の夕方まで、小屋に足繁く通っていたし、黒子さんもひたすら暗闇の中でがちゃがちゃと手を動かしていた。お互いに自分のやるべきことを必死でこなしている一方、実のある会話はほとんどしなかったと言っていい。どちらが嫌がったのかははっきりしなかったが、そういう雰囲気にはならなかった、っていうのだけは紛れもない事実だ。心の中に小さくないしこりが残っているのをありありと感じながらも、お互いの痛いところに触れようとはしなかった。それでも黒子さんとの時間は、俺の短いとも長いともいえない中途半端な長さの生涯の中でもかけがえのない時間だったな。煙の臭いがこびりついた空間で、煙草を吹かす彼女の傍で特に会話をすることもなくぼうっとしているのはとても心地良かった。当時の俺はじっとしているのがそれほど得意でなかったガキだったのに、そうやってだらだらとしているのは決して苦にならなかったんだ。言うならば、休日に家族と一緒にいる時の空気に近いものがあったが、それとも少しだけ違っているように思えた。それこそ、憧れの人と共有した時というのは、誰にとっても大切なものなのかもしれないな。

 ようやく、意味のある会話がかわされたのは、俺が仕事を終えて名残惜しくなりながらも家に帰ろうとした時のことだ。黒子さんに待ってと呼び止められた。ゆっくりと振り向くと、暗闇の中なのに彼女が真面目な顔を作ったのがはっきりと見えたんだ。

 まだ、聞いてなかったけど、直也君はなにが欲しいの?

 それを聞いて、俺は自分の仕事に付けられていた報酬を思い出した。去年まであれほどもらえないプレゼントのことを気にしていた癖に、仕事に夢中になっていつの間にか忘れていたんだ。いや、もしかしたら無意識に忘れたふりをしていたのかもしれないな。

 この仕事を頼んだ時にも言ったけど、大抵の物なら用意できるよ。特に君はずっとプレゼントをもらっていなかったんだから、どんなものでも要求する権利がある。何でも、と言われると自信はないけど、できるだけ応えてあげたいと思っている。だから、とりあえずなにが欲しいのか教えてくれないかな。

 昔だったらこんなこと聞かなくても、なにが欲しいのかすぐにわかったんだけどね。黒子さんは自嘲するような響きとともにそう付け足したあと、真正面からこっちを見据えた。

 何かしら答えなくてはいけないと思って、俺はあらためて考えを巡らせてみた。だが、元々、クリスマスプレゼントをもらった経験というのがあの金貨以外ないせいだろうか。なにかをもらって嬉しいという感情はあっても、特別になにかをもらおうという気持ちは湧き上がってこなかったんだ。断っておけば、当時の俺には手の届かないものはたくさんあったし、欲しいもの自体はそれなりにあった。だが、それをこの特別なクリスマスプレゼントに注ぎ込もうという気にはなれずにいたんだ。整理して考えるとおかしいよな。なにかをもらうこと自体を嬉しいと思っているはずなのに、欲しいものをもらうこと自体に抵抗を覚えるなんてさ。自己弁護をしてみるとするならば、それだけこの贈り物を特別だと考えていたってことなんだろうな。だからこそ、ただ欲しい、という理由だけでぱっと決めることができずにいたんだろうさ。

 そんな時、ふと、浮かび上がったのはまったく違う話題だった。

 ねぇ、黒子さん。

 なになに、決まったの。とりあえず、言ってみてよ。

 とても嬉しそうな声で答えた黒子さんに、俺は軽く首を左右に振って、そうではない、と伝えたあとに口を開いた。

 黒子さんは、この町の子供達にプレゼントを配ったらどうするの?

 胸の中に浮かび上がった漠然とした疑問もまた、それまで考えが及んでいなかった類のものだった。いや、もしかしたら、これも知らないふりをして目を逸らしていたのかもしれないな。クリスマスの何日か前に現れた本物のサンタクロース。彼女のことを俺はいままで目撃したことがなかった。そして、この国で思い浮かべられるサンタクロースの仕事は知っている限りではプレゼントを配ることくらいしかない。これらの要素を足して考えてみると、ある悪い想像が頭を満たしたんだ。黒子さんは虚を突かれたように固まっていたが、すぐに力なく笑ってみせた。

どうする、って言われても、私に与えられた仕事はプレゼントを配ることだけだからね。それが終わったら、お役目は果たされたも同然だから。

 そこで言葉を切って黙りこんだ。頑なに口を閉ざした黒子さんを真正面から見つめる。後ろに続くであろう台詞に嫌な予感を覚えつつも、俺は追及を止めることができなかった。遮光カーテンの外の世界が暗くなっているのを体内時計で感じ取りつつも、睨み合いは長引く一方だった。やがて、彼女は観念したかのように両肩を竦めてみせる。そうしたあと、あまり深刻に考えないで欲しいんだけど、と前置きしてから口を開いたんだ。

 役目が果たされたら、私はこの町からいなくなるの。サンタクロースっていうのは、人の願いを叶える自然現象の名前だから。

 一瞬、世界が凍りついたような心地になったよ。ただ、なんとなく予測できていたのか、思いの外、すぐに事実だという判断を下すことができたんだが。

 例年通りであれば、次のセント・ニコラウスの誕生日にまた現れられるけど、これに関しては保証なんてない。サンタクロースが次第に一般的な世界の法則に縛り付けられ始めている以上、この町の中で、サンタクロースなんていない、という常識ができあがれば、そもそも、この世界にいることすら適わなくなってしまうだろうしね。

 黒子さんの言葉の端々は、ガキだった俺には理解できなかったけど、一番大事なところは呑みこめた。黒子さんが目の前からいなくなってしまうかもしれない。そのもうすぐやってくるかもしれない瞬間は、想像したくもなかった。一月足らずの短い時間だったが、一生懸命手伝いをしているうちに、それが日常の延長線上のようなものに感じられた。家族とともにいる時間や、友人達と遊ぶ時間と同じか、それ以上の重みを持ちはじめていた。だからこそ、これからやってくるであろう、別れを受けとめられずにいた。

 ぼくは、サンタクロースがいるって信じてるよ。

 思わず口にした言葉は、俺が少し前、頑なに信じようとしていた現実と真逆だった。けれど、この場でそう主張しなければ、いますぐにでも彼女は消えてしまいそうで、怖くて仕方がなかったんだ。

 うん、ありがとう。そう直也君が言ってくれるんだったら、来年もきっと大丈夫だよ。

 そう告げてから、黒子さんは頭を撫でてくれた。俺はその掌の温かさとか柔らかさとかを感じながらも、その台詞を酷く空虚なものだと思わざるを得なかった。しっかりとこびりついている煙草の臭いが、もうすぐなくなってしまう。逃れようのない予感が俺の胸の中に巣食っていたんだ。

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