Ⅱ

 当時の俺はサンタクロースを信じていなかった。とはいっても、あんたみたいに両親にばらされたからという理由からじゃない。信じたくなかったんだ。

 よくわからない、か。それじゃあ、最初から説明しようか。まず俺の家にはサンタクロースが来たことが一度もなかった。これは比喩じゃない。あんたのいうサンタクロースの正体からすれば当たり前に聞こえるかもしれないが、俺達子供にとっては一大事だったんだよ。これを口にすると気が狂っていると思われるかもしれないが、俺が住んでいた町だと毎年サンタクロースが訪れている、ってことになっていたんだ。

 信じられないか。そりゃそうだ。だけど、子供の頃は当たり前のことだったんだよ。大人がクリスマスを前にしてサンタさんからと称したプレゼントを贈ってくることはなかったし、仮にあったとしてもそれは少し裕福な子供がちゃんと親からの贈り物ってことでもらうだけだった。その代わりに多くの子供の家には、毎年、枕元に誰が用意したかわからないプレゼントが置かれていたんだ。俺の家みたいな数少ない例外を除いてな。

 なぜか、俺の家にはプレゼントが届かなかった。毎年、クリスマスの朝に期待を寄せて小さなツリーの下を眺めてみたけど、そこには当然のように何もなくて、その度にどうしようもないやるせなさに襲われた。両親も気の毒そうにこっちを見て励ましてくれたけど、内心では益々惨めな気持ちになっていたんだ。

新学期になる度に、教室に行くのがただただ辛かった。周りは戦隊者の変身グッズをもらっただの、ゲーム機をもらっただのと自慢している話題に参加できなかったんだから。今年もサンタさんが来たんだと、はしゃぐ友人たちを前にした俺は、曖昧に笑ってごまかすしかなかったんだ。

 そうやって毎年過ごしている内に、俺はこう考えるようになった。サンタクロースなんていないんだって。当時は、この考えがこの国の小学生高学年以上の子供にとっては当たり前だなんてことは知らないし知る機会もなかったから、自分だけおかしいんじゃないかっていう不安を覚えていたけど、そんな風に思わないとやっていけなかった。

 風聞ではサンタクロースは良い子にプレゼントを与えるなんて言われていただろう? 小学生の時の俺は、少しくらいはやんちゃだった気がするが、遊びに行く前には宿題を終わらせていたし成績もそれほど悪くなかった。運動神経がいいとは決して言えなかったけど馬鹿みたいに全力で体育をこなしていたし、多少は親や大人に不満を持っていてもそれなりに言うことも聞いていた。落ち度がないと断言はできないが、少なくともこれ以上どんな風に態度をあらためればいいのかもわからなかった。クリスマスが終わってから、しばらくうじうじしていて、立ち直るとちょうど正月くらいになっているから、それと一緒にクリスマスにプレゼントをもらえるような計画を練ってみたけど、結局毎年、ツリーの下にプレゼントが置かれることはなかったよ。だから、俺はサンタクロースなんていない、って決めつけたんだ。親や先生、友達がサンタさんはいるって言っても、いない、って意地を張って否定し続けた。

 はからずも、一般人にとっては当たり前の事柄を主張していたわけだが、多くの人たちは賛同してくれなかった。逆に、サンタクロースがいる、っていうのが多数派を占めていたわけだからな。ただ、一部の子供達や町の外からやってきた人達は同意してくれた。数は少なくても俺みたいにプレゼントがツリーの下にやってこない子供達もいたし、町の外から来た人たちはそんな子供騙しみたいな話を真剣に信じているこの土地の人間がおかしいと慰めてくれたりもした。実際に、外からやってきた人々は、サンタクロースはお父さんやお母さんだと断言していたから、クリスマスイブに表だってプレゼント交換なんかもやっていたらしいしな。

 こんな風に、探せばサンタクロース否定派もちらほらいたんだけど、親や親しい友人達は軒並みサンタクロースの存在を信じていたから、肩身が狭いのには変わりがなかった。別に俺の出身地は秘境にあるというわけじゃないし、それなりに外の町とも行き来があるから、否定派もちらほらと増え始めてはいたんだけど、その当時はまだ半分になるかならないかだった。大の大人の半数以上がこんな与太話みたいなことを信じているっていう時点で異常だったが、とにかくそういう環境がすぐ近くにあったって言うことだけわかってくれればいい。それ以外は、たぶん、普通の町だったんじゃないかな。まあ、たぶん。


 俺がその人と会ったのは、小学四年生になった年の十二月六日の夕方だった。この年も、ついに十二月がやってきてしまったか、と絶望しながら、鬱々としはじめていた。今だったらまだ二週間以上もあるのに随分と大袈裟だなって笑い話にできるが、あの頃はそれが人生を左右するような出来事に思えていたんだ。そんな気持ちを抱えたまま、学校から帰ってきた俺はお袋から買い物を頼まれた。よく、覚えていないけど、たしか鶏肉はあったと思う。チキンのトマト煮を作るんだとかなんとか。

 というわけで、肉屋のおばちゃんにメモと一緒にお金を渡して分量通りの鶏肉を買った。寒いし嫌な気分だしお腹も減っていたからさっさと帰りたくて短い挨拶をしてすぐに踵を返したよ。八百屋や魚屋、雑貨店なんかの横を通りながら空を見ると季節のせいか随分と暗くなってた。俺の家は商店の並びから少し離れたところにあって、辿り着くためには電灯の少ない暗い道を通っていかなきゃならない。それもあってかお袋にはできるだけ早く帰って来いって言われてた。まぁ、遅くなるって先に言っておけば渋々許してくれたんだが。たぶん、当時からけっこう物騒なニュースが報道されていたから心配していたんだろうな。事件に巻きこまれるのなんて運がいい悪いの差でしかないんだろうが、小学生では身を守れないこともあるだろうし、こういう気遣いをしてくれたのは今も感謝してるよ。

 商店の並びから、もう少しで抜け出せそうになった時だ。偶然、煙草屋が目に入った。断っておくと、別に当時から喫煙者だったとかそういうわけじゃないからな。親父は喫煙者だったけど、子供の前では吸わなかったし、なによりもお袋が嫌がっていた。寿命が縮まるってな感じで。社会的に喫煙者に対する風当たりが強くなっていった時期だったのもあって、正直、煙草に対しては悪い印象しか持っていなかったよ。

 少々話が脱線したから戻すな。そこで煙草屋の前で人差し指を立てる女を目撃した。すぐに気付いたのは、まずその人を見慣れてなかったからだろうな。外の町とほどほどに行き来があるって言っても、地方であるのは変わりないから、知らない人間よりも知っている人間を見かけることの方が多い。両親には挨拶はちゃんとするようにって教えられてたから、よっぽどぼうっとしている時以外は、相手の顔がしっかりと見えるように顔をあげていたんだ。だけど、それよりも目印になったのは、その腰の辺りまで伸ばされた白い髪だった。細い身体に赤いコートを羽織って茶色のコーデュロイの長ズボンを穿いてたから余計に目立ったんだよな。この時点で興味を抱いたのもあって、道草をするな、っていうお袋の言葉も忘れて近寄った。

 顔が見えるくらい近付いて驚いたよ。肌も顔立ちも明らかに若々しいものだってわかった。見た目だけなら二十代前半から後半ってところで、顔形もけっこう整っていたな。

 そんな目をするなよ。当時、俺がそう思ったってだけなんだからさ。

そして、その印象を強めたのは、透きとおるような白い素肌と、その上で煌々と光る赤い二つの丸だった。最初はそれがなにかわからずにぼんやりとしたいたけど、その球体が顔の上半分に水平に並んでいたから嫌でも察しが付いたよ。口を半開きにするしかなかったね。だって、そうだろう。今まで、そんな色の目なんて見たことがなかったんだからさ。

 悪かったよ。そんなに嫌そうな顔をするなって。あんたが他人と違う特徴を持つ人間を見世物にするようなことを嫌がるのは知っているが、それが当時の俺の素直な印象だったんだよ。なにせ、髪と肌が白くて目が赤い人間を見ちまったんだからさ。正直に言う。最初は怖いって思ったんだ。けれど、それもその気持ちもすぐに消えたね。さっき、言っただろう。女の顔形が整っていた、って。一言で言えば見惚れたんだよ。

 だから、そんな目で見るなっていうの。たしかに俺自身も言ってて気持ち悪くなるが、これ以外の言葉が見つからなかったんだ、勘弁しろ。

 それでだ。たいした時間は経ってなかったと思うけど、いつの間にかすぐ前に女が立っていた。

 なんで私を見てるの?

 少々荒っぽい言葉遣いでそう言われて、俺は彼女の顔ばかりを見ていたことに気付いた。反射的に頭を下げてから、ごめんなさいって口にしたね。

 女の人は少し困ったみたいに頭を掻いてから、別に謝ってほしいわけじゃないんだけどな、って言ってから、私はなんでこっちを見ていたのかを聞きたいの、って付け加えた。

 ようやく落ち着いてきて、質問も呑み込めた。だけど、それがわかったところでどう答えるべきか首を捻らざるを得なかったんだ。頭の中で、綺麗だったから、という答えは出ていたけど、素直に答えるには少しばかり照れ臭かった。

 そうだよ。あんたが言うように、本当の答えは彼女がとても目立っていたからだ。俺もそれくらいわかっているから、そんなに睨むなって。けれど、過去の俺はすっかり理由をすり替えてしまっていたんだ。怖さと綺麗さっていう大きな違いはあるけど、どちらにしても心を動かされたという結果は変わらない。この二つは場合によっては合わさることもあるだろうしな。

 おそらく、俺みたいな反応には慣れっこだったんだろうな。女性は小さく息を吐いたあとに、まぁいいけどね、なんて言ってから買ったばかりの煙草を一本取り出して、そそくさと火をつけて一人で勝手に吹かしはじめた。俺は家で刷りこまれた反応に従って顔を顰めたけど、そこから去ろうとは思わなかった。今考えると、この時立ち尽くしていたのは不思議で仕方ないな。当時の俺だったら、まず臭いが来ないところに離れるだろうからさ。それだけ彼女に魅せられていたってことかな。

はい、そこ。呆れ顔をしない。俺は俺なりに素直な表現をしただけなんだけどな。

素直でなんでも許されるのは小学生まで、ね。わかったよ。できるだけ寒い表現をしないように気をつけるけど、期待はするなよ。

 話を続けると、俺は少しずつ落ち着いてきてたのもあって、なにか聞いてみようと思ったんだ。要はお近付きになりたかったわけだけど、だからといって、素直な質問というのはなかなか出てこない。一番簡単なのは、髪と目の色について尋ねることだったが、なんとはなしにそれは不躾なのではないのか、という意識が働いていた。たぶん、彼女の雰囲気からなんとなく聞いてはいけない話題と無意識に察していたんだろうな。代わりに、配色の話題から嫌なことを思い出した。赤と白。それは俺がいない、って信じこもうとした、伝説の老人の配色だった。コカ・コーラ社の宣伝カラーらしいけど、この国の人間にとってのあの老人の色のイメージはもう固定されているからな。なに、それは都市伝説で、もうその前からこの配色の老人の資料が国内で確認されているって。へぇ、そうなのか。勉強になったよ。

 私の顔に何か付いてる。女性がぼんやりとした目でそう聞いてきたのは、俺の顰め面を見たからだろうな。ついさっきまで忘れられていた嫌なことを思い出したばかりでささくれ立った気持ちになっていたけど、別に彼女が悪いわけではなかったし、自分が怒っているように勘違いされるのが酷く恥ずかしい気がした。だから、口にするのも嫌だったけど、お姉さんってなんだかサンタクロースみたいですね、って言ったんだよ。

 そしたら、女性は目を瞬かせたんだ。意外なものでも見るみたいにして、じぃっとこっちに視線を注いでいたよ。俺はといえば、お袋以外の女の人にそんな風に見つめられた経験がなかったから、ただただ、どぎまぎしていたよ。その間も、彼女はこっちを頭から爪先まで舐めるようにして目に収めていっていた。たぶん、時計上の時間にすれば短かったんだろうけど、当時の俺にとっては彼女の行動がいつまで続くのかわからなくて、ただただ心臓を早鐘みたいに鳴らしていた。

 ようやく女性の目線が逸れた時は、冬場だってことが気にならないくらい顔が熱くて仕方なくなっていた。

 なんだか、引っかかるところはあるけど、この子でいいかな。

 彼女はこんな独り言を呟いていた記憶がある。微妙に聞き取りにくかったから、一言一句違わずってほどの自信はない。それでも、後々の出来事を考えればこれで合っていると思う。その後、彼女は今まで浮かべていた仏頂面を消して、小さく微笑んでみせた。

 ねぇ、君の名前はなんていうの?

 急に愛想が良くなった彼女に違和感を覚えつつも、とりあえず、先程よりも機嫌が良くなったのを素直に喜んだ。

 ああ、ごめんね。こういう時は聞いた方が先に名乗るべきだよね。

 僕が答える前に、彼女はそんな風に思い直したらしく、細い指で白い髪に手櫛をかけた。そして、自信に充ち溢れた様子で真っ赤な唇を開いた。

 私は三田黒子。よろしくね。

 そう言ったあとに白い息が宙に浮いたのが印象的だった。たぶん、近くに真っ赤な唇があったせいと、煙草の臭いが強くなったからだろうな。俺は、柏木直也です、って名乗りながら頭を下げた。彼女は、直也君かあ、なんて楽しげに呟きながら、悪戯っ子みたいに白い歯を見せつけたんだ。あんな自然な笑いは、それまでの生涯で初めて見たから、いまだに強く印象に焼き付いているよ。

 さっそくで悪いんだけど、直也君。私のお仕事の手伝いをしてくれない。

 何をするかもわからないにもかかわらず、俺は躊躇いなく頷いていた。理由は、語るとまたあんたが余計な話と取りそうだから、控えておこうか。それが三田黒子さん、要はサンタクロースとの出会いさ。

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