2019年12月6日
2019年12月6日、通院した。
その前に書きそびれている今週のことを。ほぼ仕事に行き(早退などしつつ)、しかしどの日も調子が悪かった。前回の記録に書いてあることとほぼ同じ状態が続いていたので特筆すべきことはない。とにかく体が重く気は塞ぐ。どこか過ぎてはならなかった分水嶺をもうとっくに過ぎて、決壊させてはならなかったものを壊したような心地がする。
さて通院の話。
体の重さやぼーっとすることを相談したら減薬になった、3→2mg/1日。確かに今日は少しだけ体が軽く感じた。薬のちからは恐ろしい。気分の波を抑える薬なのだが、その結果として鈍重になったのはどういうことなのかと考えたくなる……のを堪えている。
いろんな症状というかこころと体の反応があるが、「なぜこうなってしまったのか」とか「こんな症状が起こり得るような病気なのか」とか、つい考えがちである。そしてそこは追及しないようにと言われている。これまでにも何度も。理由も言われたのにまた忘れてしまったというか理解が追い付いていない。
クリニックに行ったときに現出している自分と言うのはほんとになんの判断力も理解力もなく、何度も同じことを言われているのにさっぱり頭に入っていないことがまだまだたくさんあると思う。クリニックにいるときは困りごとの本質と向き合うときだから、そのようになる。ものすごく混乱して泣きじゃくっていることが多くて、なにもわからなくなる。明日は仕事に行っていいのかとか、職場に相談って何をどうやればいいのかとか、主治医に対している自分はそういうレベルのことを尋ねたりする。依存というよりは、ほんとうはいつも不安でならなくてそれを誰かに尋ねて頼りたいのだけれど、ほかにまったくそうできる場面がないのだと思う。主治医に対する自分はあまりに物がわかっていなくて、まるで子どもみたいだといつも思う。
いま起きている心身の反応について追及しても仕方がなくて、それよりも明日からどう生きるのかを考えなくてはならない。
生保の相談には行くように言われた。もともと10日に行く予定を立てていたけれど、9日は休むようにも言われた(わたしの状態があまりに悪いことと、それでも休むべきなのかをわたしが自分で判断ができないことから)。
わたしはいつも最適解がわからない。ならせめて言われたとおりにすればいいのかもしれないが、自分がほんとうに9日に休むか疑わしいなと思っている。休みたくてたまらないけれど、休むのはとても恐ろしい。無能で迷惑なにんげんのように思えて仕方がない。こうやって書き出すとちょっと自分のおかしさに気づくような思いがする。気づいても変えられない。
最適解なんてほんとうはないのかもしれない、けれどあるはずだと追い求めて、そうできない自分を責めたいのかもしれない。自分を責めて生きるというスタイルが馴染みすぎてしまっている。自分で責めていればひとに責められるいわれはないだろうと思ってもいる。あまりに息苦しくてまた泣いているが、ほんとにどうしようもないな。
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