2019年11月29日から12月1日
2019年11月29日、仕事を(仮病で)休んで面接に行った。
結論から言って空振り。通える範囲に事業所がなかった。求人票にはわたしが通える範囲にも事業所があると書いてあったのに。そんなものかもしれないけれど、そんなものだよねなんて言っていられない。一日分の給料を棒に振ったのは痛手だ。(有給はもう残ってない)
就活は数を打たなきゃいけないみたいな風潮あるけど、そういう無駄も多いのではと思う。世の就活生の数だけその無駄があるのだと思うとぞっとする。
それとも世の中のひとはみんな毎日片道一時間以上も電車でもみくちゃにされたり、残業が日々当たり前のようにあったりするのを受け入れて、健康に生きていけるのだろうか。
いや、世の中のひとのことを考えても仕方ないのだった。
でも求人サイトには平気で「残業は少なめで20Hくらい」とか書いてあって頭おかしいとしか思えない。毎日1時間残業が生じてどこが少ないんだ、恒常的じゃないか。
人間としての基準で誠実にやりとりしたい。社会人としてとか就活生として、ではなく。
前に面接に行ったところは時間を約束しておいて1時間くらい(しかも複数回)待たされたし、そういうのって客相手にはしないだろうに、ナメられてるんだなあと思った。当然疲弊するので面接のために気力を使うどころではなくなってしまった。
ただの愚痴になってしまった。
就活をやればやるだけお金が手に入らないことになるので、やはり生保の相談は必要かと考えた。時期を決めたい。
2019年11月30日と12月1日、ピアノを弾く。
わたしはピアノがちょっと弾けるので、月に何回か合唱の伴奏をしている。体調が悪くなってくると楽譜が読めない、指も思った通りに動かないようになるので困っている。それ以上に困るのは自己評価が地に落ちることで、「自分なんかがピアノを弾いていたら迷惑だ、みんなわたしに弾くなと思っているだろう」くらいまで落ちる。
こうなると弾いていてびくびくしてしまうし、楽しさではなく嫌悪感ばかりを覚えるようになる。
伴奏を引き受けているからこそ他者がより気になって恐れが強化される面と、どんなときでもなんとか弾き続けられて助かっている面がある。
ピアノに関してはいろんな気持ちがある。世のピアノ弾きたちが羨ましくていっそ恨んでいる気持ちもあるし、自分のかけがえのない支えだという気持ちもある。でも今は体調が悪いので、うまく付き合えない。
とりあえずこの土日はわりかし上手く弾けたほう(技術もだが気の持ちよう的な意味のほうが多い)。しかし頭痛と無気力感で非常に困った。
実は来週末にちょっとした本番がある。けっこうなプレッシャーを感じている。どうなるのか乞うご期待、なわけもない。
なに書いてるのかわからなくなってきたので終了。
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