2019年11月27日

2019年11月27日、仕事に行った。なんとシャワーもさくっと済ませた。なにひとつ、とは言わないけれどさほどの変哲もなく過ごせて、調子がいい日だ。

昨日と同じように今日も世の中は寒いのに、昨日は寒さに絶望的な気分になっていた。今日は寒くてつらいな、くらいで済んでいる。いったいなにが違うのかと思うし、なにもかも頭のなかで違うものにつくりかえられるとも思う。

これが調子の波だというなら、今日は比較的上を向いているのだろう。そして、明日や明後日のことはわからない。わたしの病名に対する世間(webで調べられるレベル)の説明によると、この疾患は数日という短いスパンで躁とうつが入れ替わってしまうようなものらしい。


詐病について書く。

先日の通院で「自分でも詐病なんじゃないかと思う」と主治医に述べたら、険しい顔で「詐病でこうはなりません。(詐病と思わないように)気を付けてください」と言われた。そのとき決壊したように泣きじゃくってしまって、ああこれは泣き所というやつだったのだな(意味が違うけど)……などと書いていて思った。

わたしが「できない」ことの大部分(たぶん80~90%くらい)は、「できる」ときがある。だから自分でもサボりだよなと思う。都合よくできないって主張しているという認識があるのですごく居心地が悪い。趣味も悪いなって思う。そういう調子だから自己嫌悪もする。

ただ、ひょっとすると。

「できる」ときが躁であり、「できない」ときがうつなのかもしれない。

実際のところそんなに簡略化して説明できることではないのだけど、そういう構図をふと頭に浮かべてみたら、否定する材料も見つからなかった。詐病と思わないための工夫、仮説として大切にしてみようかと考えている。


躁は自分ではわからない。

というかなにか楽しいこと(オタクなので同人イベントとか)があるとそれに合わせて活動量が増える。それを躁と呼ばれている気がしてならなくて、よくわからない。

でも最初に書いたように、ごくふつうに過ごせる今日というのは、調子が上向いている日と言えるのだ。上向いていることがイコール躁というわけではないだろうけれど、同じように毎日過ごせるわけじゃないと知っている。こういう日だって無理をしている証拠のような頭痛はしている。ついでに職場の検温では微熱が続いている。

波を観測できるようになりたい、特に躁というものがどんな状態を指すのか。しかしそれを尋ねるには主治医にオタクカミングアウトをしなくてはならないぞ……。妙な苦労だなあ。

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