2019年11月22日
2019年11月22日、仕事に行った(30分早上がりした)。通院もした。冷たい雨のなか手足をかじかませて帰り、スマブラの企業対抗戦を見た。というわけで今はちょっと元気。そんな前段。
昨日は乗れなかった電車に今日は乗れる。
そこにどんな境界線があるのかさっぱり掴めない。だからおととい乗れた電車に昨日は乗れなかったし、次の出勤日にまた乗れるのかだってわからない。
今日は耳栓つけて、ひたすら目をつむって乗っていた。ぼんやり夢を見ていてそれがまたずいぶん疲れる類の夢だった。
職場に着いたときの場違いな感覚は、なかった日を思い出すほうが難しい。
こんな体調で、こんな状況で、なにをのこのこ現れて、「働けます」みたいなふるまいをしているんだろうって毎回思う。そのうち8~9割の日は無事に退勤していくのだから、たぶん「働けます」というテイは正しい。わたしがそうは思えないだけだ。
今日に限って述べると、調子が悪いと打ち明けたので業務を少し減らしてくれた。少し減っていたので時間が余った。頭も痛く時間をつぶすのがつらかったので早めに退勤した(もっとも通院は予約制なのでどのみち時間はつぶすことになったけれど)。
ところで現在のわたしはあれやこれやオープンにして働いている&勤め先はそのあたりに理解があるので、こんな具合にわりとわたしはありがたい働き方をさせてもらっているような気がする。
気がする、というのは、こんな働き方のどこがありがたいんだという気持ちもあるからかもしれない。話が逸れたので終了。
通院した。
調子が悪いときは主治医が怖く見える法則があるのだけれど、今回もまったくもって当たっていた。主治医が言うことはシンプルだ。
わたしの調子には波がある。
仕事に行けるなら行く。無理なら休む。つらいなら休む。
調子が悪い時には食べて寝て、できる範囲の活動をする。あとは休む。
薬物は調子の波や、頭のごちゃごちゃを緩和できる可能性がある。でも費用もかかれば副作用もある。考え方の癖や認知そのものはカウンセリングの範疇である。
お金がないなら生活保護を受ける。
さて今回もこの文脈に当てはまり、初めて聞いた言葉は最後のひとつだけ。
主治医が生保に言及したのは今回が初めてだけど、生活困窮が今の調子の悪さを作っているのは明らかなので、単にタイミングの問題だったのだろうと思う。
ところでわたしの通院先は生活保護の指定医療機関ではないので、わたしが生活保護を受けたら転院しなくてはならなくなる。それは懸念要素のひとつだ。
もしこの先わたしが生活保護を受けるなら、こんな具合でいろんな懸念、不都合、違和感をたくさん拾い出すことになるだろう。その備忘録になれば、ここもせめてもの意味合いがあるかなと思う。
主治医を変えるというのはとても大きなことなのだ。
それが生活保護の受給によって生じていいものなのか? わたしは否と言いたいと思った。
いろんな懸念というか可能性をまず知らなくてはならない頃合いになってきた。役所に行くのは時間の問題かもしれない。さて今後どうなるやら。
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