不意打ちの水しぶきをよけろ
「中野って意外と行くの面倒なんですね」
「一度池袋の方に行ってから乗り換えだからね」
都心部を除くと、東京の電車網は東西には強いけど南北には弱い。乗り換えを駆使すれば少しはマシになるとはいえ、数十分のためにいくらか追加のお金を払うほど余裕はない。
それに移動している間だって侑紀先輩といられるんだから、何も悪いことなんてない。
中野駅に降りると、長い長いアーケード街が続いていた。屋根があるおかげで傘も必要ない。その先に抜けていくと、第一の目的地が見えてくる。
「おー、ここが有名な中野ブロードロード」
「秋葉原と並ぶオタクの聖地」
「先輩は来たことあるんですか?」
「ううん、はじめて。一人だと行く機会ってなくて」
「友達と一緒にとかは?」
俺の質問に侑紀先輩は何もわかってない、と言うようにキザに頭を振った。聖地に足を踏み入れてもう雰囲気に酔っている。
「アタシに友達がいるように見える?」
「いや、見えますよ。おしゃれですし、明るくて優しくて気さくで話しやすいですし」
「べた褒めされるとちょっと照れるな。でもこういうところに一緒に来てくれる人がいないのはホント。なんでアタシの周りにはゲーム好きがいないかなぁ」
侑紀先輩はちょっと悔しそうに頬を膨らませている。その最初の人に俺がなれたっていうことだ。それはすごく価値のあることに違いない。
「ふへへぇ、すごい。ゲームの原画がある!」
「こっちはアニメですか。あ、このマンガ家さん有名な人ですよ」
一歩入ると別世界に迷い込んだようだった。入った瞬間に目に飛び込んできたのはアニメのコスプレ衣装を着たマネキン。その奥には有名ゲームやアニメの原画、サイン入り色紙、レアものグッズ。どれも俺たちにはたまらない逸品だ。
「もしかしてここ以外にもたくさんあるかな?」
「あるんじゃないですか?」
俺が答えるよりも先に侑紀先輩は階段に向かって歩き出している。一秒でも早く見て回りたいというのはよくわかる。
「っていうか先輩、今日の目的覚えてます?」
「シゲくん。次行くよ、次」
「わかりましたよ。すぐ行きます」
ブロードロードはこの世に天国が混ぜ込まれたようだった。昭和のブリキのおもちゃや有名マンガ家の子ども向け絵本。そう思えば放送中のアニメのフィギュアや海外から輸入した最新ハードの海外版ゲームソフトもある。
秋葉原と違うところはそんなフィギュアの向かいに普通の美容室や占い、不動産屋まであることだ。全部がオタクの街って感じじゃなくて、普通の生活と共存している感じがまた違った魅力があった。
「ひゃっふぅ。たのしー」
「先輩の知能指数がどんどん下がってる」
アニメのセル画あたりで先輩の脳は幸せに耐えられなくなったらしい。ゲームを買いに来るという目的は完全に失われている。途中で見つけたゲーム店にも一応入ってみたけど、目的のものは見つからなかった。
「ヤバイ。今日来て本当によかった」
「そうですね。あ、あれは?」
「あー、あれってもしかして有名ホラーゲームの」
「行ってみましょう」
小さな画廊に見えたタイトルに二人同時に惹かれた。ホラーゲームは苦手だけど、動画サイトで何度も見たことがあった。小さな廃村を舞台に数百年続く宗教の秘密に迫る隠密系ホラーゲーム。
そのグッズや原画の展覧会が開かれていた。全然調べてなかったけど、これはラッキーだ。
「入ってみましょう、ってもういない?」
「何してるの? ほら、チケット買うから学生証出して」
「は、早い」
いつの間にか隣にいた侑紀先輩がチケット売り場にワープしていた。こういうときの動きは本当に早いな。
「ほら、これチケットね。もう半券だけど」
「そんなに急がなくても時間は十分ありますよ」
中に入ると昼間なのに薄暗い照明だけの画廊は、ゲームの恐ろしい雰囲気が見事に再現されていた。ただの展示なのにホラーゲームのグッズということもあってお化け屋敷の様相を呈している。
「こういうときはびっくりして抱きついてきたりとか」
「ふへへへぇ~、アイテムが再現されてるよ。ん? 何か言った?」
「いえ、なんでもないです」
全然そんな雰囲気じゃないな。侑紀先輩はオタクモード全開だし。ラフな服といい、俺の前じゃ飾らなくていいと思っているんだろう。それって男として意識されてないんじゃないか、大丈夫か?
「あー、楽しかったー。今日は来てよかったよ」
「楽しかったならよかったですよ」
たっぷりブロードロードを楽しんで、電車に乗ったあたりでようやく侑紀先輩のテンションが落ち着いてきた。
「あ、ゲーム! 買うの忘れてた!」
「楽しかったんだからいいんじゃないですか?」
「ダメ。今日の目的だったんだから。帰りにいつものとこ行こ」
「でも雨降ってますよ?」
「大丈夫。今日はなんか運がいい気がするし、欲しいゲームあるかも」
いつものタイツーに向かう。中野のアーケードと違って、屋根なんてついているところはほとんどないから傘をさしての道だ。小降りになって落ち着いた空はもうすぐ雨も止んでくれそうに見える。
そんな風に空なんて見上げてたのが悪かった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
ほとんど同時に声を上げた。道路を走っていったトラックが水たまりを踏んで、水しぶきを盛大に浴びせられた。油断していたせいもあって直撃だった。
「うへー、びしょびしょ」
「やられましたね」
バケツでも頭からかぶったみたいにずぶ濡れだ。
「あ、ちょっと待って。向こうむいて!」
「あ」
濡れそぼった侑紀先輩はティーシャツ一枚。ボーダー柄の白の部分から薄ピンク色が透けて見えた。
「今見た。絶対見た。もー、帰るよ。こんな状態じゃお店なんて行けないし!」
怒った侑紀先輩は俺の方を見向きもせずに来た道を戻っていく。せっかくここまで調子よく来ていたのに。好感度ダウンの音が鳴ってしまった。取り返しはつくかもしれないけど、これだけでも浅尾先輩につけこまれるかもしれない。
「はぁ、またやり直しか」
先を行く侑紀先輩の背中を見ながら、俺はデバッグルームに戻っていった。
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