無理ゲーノーダメ縛り

 ちょっとした抵抗にバイト先から出るのを遅らせてみたがやっぱり効果はなかった。かなり長い時間待ち伏せしていたらしい。むしろイラだちが増したような気すらした。当然逃げ切れずにリセットになった。


 逆に仕事を早く片付けてみたが、これも同じだった。かなり俺の行動を把握しているみたいだ。これだけの数の人間を集めているし、浅尾先輩の交友範囲はかなり広そうだな。


 一番わかりやすい解決方法は誰かに助けてもらうことだ。でもただの通行人は助けてくれない。だったら助けざるを得ない人を探す。


「つまり警官がパトロールしてるところを探せばいいわけだ」


 都会なら夜でもパトロールをしている警官はたくさんいるはず。警官の前ならあいつらも無茶はできないはずだ。


 何度か違うルートで逃げていると五度目の挑戦で前から自転車でやってくる警官の姿が見えた。


「よし、チャンス!」


 少し走る速度を落とすと、あっという間に追いつかれて地面に倒される。でも抵抗はしない。


「お前が調子に乗ったのが悪いんだよ!」


 頬に一発。首をひねってダメージを減らす小細工くらいはできるようになった。二発目の拳が振り上げられると同時に、俺の期待通りの声が上がった。


「こらっ! 何をしている!」


「やべえ、警察だ。逃げるぞ」


「いいのかよ。秀二がキレるぞ」


「一発殴ったんだからもういいだろ」


 俺を追いかけていた十数人が四方に散っていく。自転車で追いかけられちゃ捕まるのも時間の問題だろう。うまく芋づる式に浅尾先輩も捕まってくれたらこの後が少し楽になりそうなんだけどな。


「一発だけならまぁ勉強代だな。警官が応援を呼ぶ前に逃げるか」


 ここで事情聴取なんてされたら面倒だ。別に後ろめたいこともないんだけど、交番で話を聞かれているところを見られたら悪い噂が立つかもしれない。


 翌日の授業もしっかりと受けて、放課後の部室に顔を出した。浅尾先輩がいるんじゃないかと少し警戒したけど、いつも通り侑紀先輩がチャイコンのシューティングゲームをやっているところだった。まだ一面だけどたぶん何度もゲームオーバーしているんだろうな。


 俺も他人のことは言えないけど、侑紀先輩はアクションやシューティングなんかの動きの速いゲームは苦手らしい。


 俺は基本的にアクションとRPG。侑紀先輩はシミュレーションが好きで趣味は意外と合わなかったりする。それでも話をしながら一緒にゲームをしているのは一人で没頭するのとは違った面白さがあった。


「あれ? シゲくんなんかほっぺた赤くない?」


「え、そんなことないと思いますけど」


 侑紀先輩は鏡を取り出して俺の顔を映した。イマイチ冴えない俺の顔は左の頬が赤くはれている。そういう意味で顔が赤いって言ったのか。考えていることが顔に出ていたのかと思った。


 鏡を覗き込むと、昨日殴られた場所がはっきりと赤くなっている。付け焼き刃の技術じゃボクサーみたいにカッコよくダメージを減らせるようにはならない。


「どうしたの、そのケガ?」


「昨日ちょっとトラブったんですよ」


「それ、ケンカしたんでしょ。ぶつけた感じじゃないよ」


「そういうわけじゃないんですけど」


 ケンカじゃなくて一方的に殴られただけなんだけどな。侑紀先輩にはそんなこと関係ない。ケンカなんて男の意地の張り合いくらいでしか自慢話にならない。俺は連続で鳴り続ける好感度ダウンの効果音を久しぶりに聞いた。


「ホントに気をつけなきゃダメだよ。もう子ども扱いしてもらえるわけじゃないんだから」


「はい。気をつけます」


 最後に侑紀先輩に頭を下げて、俺はリセットボタンを押した。


「おっかえりー。なかなかいい作戦だったじゃなーい?」


「結局失敗してちゃ意味ねえな」


 殴られた左の頬はリセットによって治っていて、今は普段通りの無傷の頬に戻っている。


「侑紀先輩もあんなに嫌うなんてな」


「まー、女の子は暴力嫌いな子もいるって。切り替えてこ」


「あの鬼ごっこはノーダメ縛りかぁ」


 あの数相手に真正面から戦えないのはもちろんだけど、逃げ切るのも難しかった。これをケガなしで乗り切るとなると、警告して追いかけてくる警官じゃ一発は殴られてしまう。


「ま、方向性は決まってるんだしちゃちゃっとクリアしちゃってよ」


「楽に言ってくれるな。あと何回殴られなきゃならないんだろうな」


「せっかくだから今から護身術でも習っちゃう?」


「そんなのすぐに通用するもんでもないだろ」


 そもそも浅尾先輩の手引きで来てるんだから、こっちが手を出したらそれが侑紀先輩の耳に入るかもしれない。三十六計逃げるに如かず。昔から最強の戦闘技術は逃げることと決まっているのだ。


 数か月通っているバイトからの帰り道も誰かから逃げることなんて想定していない。何度も繰り返しルートを試して、細い路地、横に並んで歩道を占拠する若者、信号の切り替わるタイミング。様々な場所で振り切りを狙った。


「クソ。もうこの辺りまで来ると、方法が思いつかないぞ」


 住宅地に入ってしまうと、人通りもなければ信号もない。警察官も歩いていない。体力のない俺の足はどんどん鈍くなってくる。追いつかれるのも時間の問題だ。このまま自分の部屋に逃げこめるかはちょっと怪しい状況だった。


「もうなんでもいいから助けてくれよ」


 もう一回最初からやり直すのは勘弁だ。追いかけられているせいで今までと違ってゆっくり調査する時間もない。必死に逃げながら少しずつ進めてここまで来たんだから。


 疲れが体を重くする。やがて思考も鈍っていく。似たような曲がり角が続く区画整理された住宅地。もう住み始めて数か月経つ自分の下宿先がある曲がり角を一つ間違えた。


 知らない道だと思ったときにはもう遅い。今から戻れば追いつかれる。遠回りしてちゃ息が切れる。ポケットの中のチャイコンミニに手が伸びた。リセットボタンを探り当てると同時に、黒い影が俺の横を素早く走り抜けていく。


「なんだ!?」


「うわ、やめろ!」


 俺の疑問に答える代わりに後ろの男が悲鳴を上げた。低い唸り声が続き、それが犬のものだとわかるのに時間はかからなかった。野犬? それとも飼い犬が脱走した? そんな答えはどうでもいい。とにかく逃げ切れたことに違いはなかった。自分の部屋に入ると同時に玄関の鍵をかける。普段は面倒でかけないチェーンもかけて二重ロックする。


「助かった、か?」


 少なくとも今はドアを叩かれるようなことはない。両隣の部屋にも人は入っているから、騒げばまたあいつらが警察に捕まるだけだ。


「はぁぁ。一番キツかったな」


 安心した瞬間に疲れが急に体にのしかかる。こんなに必死に走ることなんてこのゲームを走り始めるまではなかったからな。息が上がっている。自分の顔を両手で撫でまわしてケガがないことをもう一度確認した。


「人生なんてクソゲーだ」


 思わず本音が漏れた。だけど、ここまでクリアした。クソゲーだからって投げるつもりはない。むしろ、クソゲーだからこそ走り切ることに意味があるのだ。


「明日の侑紀先輩の反応が楽しみだな」


 俺は誰にともなく勝ち誇ったようにつぶやいて、汗に濡れた服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。

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