ジャンプの猶予は二フレーム

 新宿駅は渋谷駅にも増して複雑な構造をしていた。さすが世界一利用者の多い駅なだけはある。案内板の文字も複雑すぎて歩きながらだと理解が追いつかなくなるんじゃないかという不安すら覚えた。


「地下から出ても道わからないしな」


 新宿店に最寄りの出口だけを探して歩いていると、通路の一画が工事で通行止めになっていた。


「ここを通れたらすぐなのに」


 どうやら遠回りしていかないとならない。ただでさえすぐ迷子になる俺には東京の駅は厳しい場所だ。


 新宿店に着くと、約束通り新宿店の支配人が待っていた。ここは地下の倉庫も借りているので普段は使っていない筐体がびっしりと詰め込まれていた。


「レトロゲームもたまには動かして調整しないとならないからね。好きなのを選ぶといいよ」


「ありがとうございます」


 リストを受け取って目を通していく。目的のものは決まっているんだけど、やっぱり気になるタイトルは多い。


「ダグディグ、アドベンチャラーか。アーケード版はやったことないな」


 スクロールシューティィングなんかも同人ゲームのおかげで人気がある。一台くらい置いてもいいのかもしれないな、なんて考えながらリストをめくっていくと、目的のタイトルは見つかった。


「あった。イコーナエスペルト。これどこにありますか?」


 珍しい形の筐体だから探せばすぐに見つかるはずだ。そう思ったのに、広い倉庫の中とはいえ、二人がかりで探しても一向に見つからなかった。


「おかしいな。ちょっと技術の人に聞いてくるよ」


「お願いします」


 新宿店の支配人が筐体管理の担当者に聞きにいってくれた。そして数分も経たずに戻ってくる。


「ごめんよ。ついさっき三郷の方に移送する話がついちゃったらしいんだ。まだ筐体自体は搬入口にあるんだけど、ブッキングしないように移してくれたらしい」


「えぇ、そんなぁ」


「あまり詳しくないけど、二店舗も欲しがるところがあるなんていいゲームなんだね」


 支配人は感心しているけど、俺としてはそんなことはどうでもいい。三郷なら電車で行けなくもないけど、それじゃ侑紀先輩にカッコがつかない。


「移動したってことはついさっきってことですか?」


「うん。対応も技術の人にやってもらったからね。ほんの十五分前だったみたいだよ。残念だったね」


 十五分。人生とかいうクソゲーはたったこれだけの差で大きな違いを生んでくれる。それを運だなんて言葉で片付けてしまうから最悪だ。でも俺にはまだ手段が残されている。


「リセットだ。もう一回!」


 とにかく先に着いてイコーナエスペルトを確保する。それがここの重要な攻略チャートになる。


 デバッグルームに帰って作戦を練る。四五郎は俺が頭を捻っているのを楽しそうに眺めていた。


「十五分早く出るだけでいいんじゃないの?」


「そのパターンは前もダメだっただろ。今回もギリギリに起きてるんだよ」


「さっすが自堕落な大学一年生。眠るのが趣味なんだからしゃーないね」


「うるせえ。侑紀先輩とゲームばっかりしてたからなぁ」


 空いている時間はほとんど部室に来た侑紀先輩と宿命の交差点をプレイしている。もちろんこれを断って、早く起きる選択肢はない。


「とりあえず走ってみるか」


「どうせ体力なくて息切れするんじゃなーい?」


「やってみなきゃわかんないだろ」


 実際にやってみたが無理だった。ただでさえ広い新宿駅。通行人は多いし、工事現場の遠回りもある。自分の体力のなさにも嫌気がさすが、それ以上に運のなさにも驚かされる。


「ここの通路が通れるなら遠回りしなくて済むのにな」


 新宿駅を歩き回りながら、いい方法を探してみた。前みたいに買い物カートに乗るわけにもいかないし、駅の構内で自転車なんて乗れるはずもない。この通路くらいしかショートカットになりそうな場所がないんだよな。


「ちょっと入ってみるか」


 申し訳程度の柵が置いてあるだけで乗り越えようと思えば難しくない。わざわざ危ない場所に入ってくるバカもいないのか、柵は立っているけど警備員はいなかった。


 周りの視線がこっちに集中していないうちにそっと立入禁止の区域に入る。悪いことをしているというだけで妙に心が高ぶった。ちょうどお昼休みらしく作業員の姿もない。これは好都合だ。


 工事は思ったよりも大がかりなもので、床板がなくなって鉄筋が見えている場所もある。落ちたら下はどうなっているかわからない。でも即死じゃなければリセットはできるな。


「問題は足場の悪さか」


 鉄骨渡りに大穴を跳び越えなきゃならないところもある。かといって慎重に進んでいたんじゃ本末転倒だ。


「とりあえずこの先に何があるか確認してみないとな」


 短縮できるルートなら攻略は繰り返しの練習で埋める。今回は調査だ。安全第一で先に進んでいく。鉄骨をバランスをとりながら渡り、床がなくなった穴を避けながら進んでいく。その先にエレベーターのドアが小さく見えた。


「なるほど、あそこのエレベーターを使えばすぐに出口だな」


 うまくいけば大幅な短縮になる。一五分詰めることも無理じゃなくなるだろう。


「問題は、最後のここだな」


 エレベーターが見えているのには違いないけど、そこに辿り着くのは簡単じゃない。今まさに目の前。俺のつま先の数センチ先からここまでで一番の大きさで床のタイルがなくなっていた。


 横をすり抜けるような隙間もないし、上にぶら下がれそうな出っ張りもない。幅は目測でだいたい二メートルと少し。


「走り幅跳びって三メートルくらい余裕だよな?」


 運動苦手な俺でもそのくらいは跳べるはずだ。十分な余裕はある。ただ場所が違い過ぎる。運動場の砂場とはわけが違う。底の見えない真っ暗な奈落。それをジャンプで跳び越えるなんて怖すぎる。


「やるぞ、跳ぶぞ」


 口ではそう言いながら、足は震えて少しも動かない。


「こらっ! そこで何やってる!」


「ヤッベ!」


 悩んでいるうちに昼食から作業員が戻ってきた。もう止まっている時間はない。


「おらぁ!」


 気合を入れてジャンプ。でも中途半端な助走でなんとかなるほど俺の身体能力は高くなかった。脛を穴の角にぶつけて、そのまま穴の中に落ちていく。なんとか地面に叩きつけられる前にリセットボタンでデバッグルームに帰った。


「ずっと落ちてばっかだな」


「アクションゲームに奈落はつきもんだし、しょーがないって」


「アクション要素満載の恋愛ゲームってどんなクソゲーだよ」


 あぁ、それが人生か。本当にどの場面を切り取っても人生はクソゲーになる。俺の疲れた顔に四五郎は満足そうに画面の向こうで何度も頷いている。


「いや、楽しんでくれて俺っち嬉しいなぁ。ゲームの神様としてもっと崇めて、ホラ」


「神様だったら攻略ルートくらい教えてくれよな」


 俺がそう言うと、四五郎は黙ったままで笑顔を返してくるだけだ。その態度はムカつくけど、そのおかげでここだけは気楽にいられるのも事実だった。


 ここで俺と同じように悩んで協力してくれる相手だったら、頼りにはなるけど気は休まらなかっただろう。バカにしか見えない四五郎も意外と俺に気を遣っているのかもしれない。


「ほらほら、成彰くん。ビビってないでそろそろ再チャレンジいこうぜー!」


「うるせー。もうちょっとしてからいくんだよ」


 やっぱりこいつは何も考えてないのかもしれない。四五郎の真意を聞かないまま、俺は再スタートのためのリセットボタンに手をかけた。

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