だから持ち物を軽くする必要があったんですね

 新宿駅に着いた電車から飛び出す。体力はジャンプのために温存するとしても、走れるところは走っておかないと小さな時間短縮が結果に関わってくるかもしれない。


 最短ルートで駅の通行人を避けながら構内を進む。人の視線を避けながら工事現場に入る。多分何人かには見られているんだけど、誰も止める人はいない。


「関係ないことには首を突っ込みたくないってことか」


 決意を決めた俺にはあってないような小さな柵をまたいで越える。調査のときはゆっくり慎重に渡れた鉄骨もじっくり渡っている暇はない。落ちたときのためにチャイコンミニをしっかりと握って特攻する。


 幅は両足を揃えて立てるくらいある。地面に書かれた横断歩道の白線の上を走るようなものだ。普通なら落ちるはずもない幅でも両サイドに地面がないだけで恐怖は何倍にもなる。


「ぬわっ!」


「どわぁ」


「あべし!」


 急げばすぐに足を踏み外す。リセットボタンを押すのだけは早くなった。


「アクションゲームの主人公ってあんな道を全力でダッシュしてるのかよ。バケモンだな」


「そろそろ慣れてきたんじゃなーい? あとちょっとじゃん」


「俺の精神の残機がもう残ってないんだよ」


 何度も落ちてはここに戻ってきている。アクションゲームはもともとそんなに得意じゃないんだよ。チャイコンのゲームはシビアなものが多いんだけど、それでも人生よりはマシかもしれないな。


「まだこのルートが正しいかもわかってないんだよな」


「そのためには一度クリアしないとねぇ。大変だねぇ」


「見てろよ。次はクリアしてやるからな」


 そう四五郎に言って出てきたものの、やっぱりこの細さは足がすくむ。でもいつまでも止まってるわけじゃない。下は見ない。踏み外したらリセットするだけだ。


 一度決意を決めて、前だけを向いて走り出す。しっかりと助走をつけて、大穴に向かって体を投げ飛ばした。


「よっし、クリア!」


 下手な受け身で床を転がることにはなったが、ロスは軽微だ。そのままエレベーターへと駆けこんだ。遠回りさせられているせいか利用者はほとんどいない。これで一階に降りれば改札を抜けて新宿店はすぐそこだ。


 不思議な揺れが起こる。電灯が切れて、狭いエレベーター内が真っ暗になった。


「なんだなんだ?」


「故障?」


 騒がしくなるエレベーターが急に速度を上げる。直ったんじゃない。


「これ、落ちてないか?」


 悲鳴に似た叫びが聞こえる。


「どういうことだよ。そんな話聞いてないぞ」


 言っている間にも落下速度は上がっていく。地面に着く瞬間にジャンプすれば助かるって聞いたことがあるけどタイミングなんてわからない。


 そんなことを考えているうちに、安全装置が作動して少しの衝撃で一階に着いた。当然ドアは開かない。暗闇の中サラリーマンが非常通話で助けを呼んでいた。すぐには出られそうにない。


「リセットだな」


 リセットボタンを押して、暗闇から一足早く逃げ出した。


「何があったかわかるか?」


「知っての通り。エレベーターを吊っているワイヤーが切れたってことじゃなーい?」


「そんなのはわかってる。もし前から切れてたなら俺が新宿駅で迷ってるときにもっと話題になってたはずだ」


「あー、そゆこと。成彰くんが乗ったからあのエレベーターは落ちた。オーケー?」


「やっぱりか」


 エレベーターが止まったという話があれば必ずどこか確認していたはずだ。つまりさっきのは繰り返しのテストランの中でも初めて起きた現象。俺が原因になったってことだ。


「ワイヤーが老朽化してたんだろうねぇ。成彰くん、ちょっとデブってんじゃないの?」


「んなわけあるかよ」


「でもちょーっと荷物多くない?」


 小さめのリュックサックの中には本当ならいらないものは結構多い。入れっぱなしになっている折りたたみ傘や暇潰し用のマンガ、街角でもらってそのまま放り込んだポケットティッシュなんかも入っている。


「そんなもんで変わるのか?」


「どうだろうねぇ」


「お前がそんな口振りってことは何かあるってことだな」


 こういうことを言うときは決まって何か確信があるときだ。俺に対するヒントとして言っているのかそれとも何も考えていないのかはわからない。


「ちょっといらないものを減らしてみるか」


「作戦決まったならいってらっしゃーい。はーい、よーいスタート」


「またあの鉄骨渡るのかよ」


 そろそろ攻略ルートを確立しないと、俺の恐怖が限界値に達しそうだ。溜息をつきながら俺はまた告白への長いクソゲーを走り始める。


 一度乗り越えると今までどうしてこんなことで立ち止まっていたのか不思議になるほど簡単に鉄骨を渡れるようになった。大穴のジャンプも余裕をもって着地も決めてしまえる。無様に床を転がる必要もない。


「タイムも縮んで上々だな。結局エレベーターを待つんだけど」


 乗るのは前と同じエレベーター。さっきはワイヤーが切れて落ちたけど、今回はいらない荷物を部屋に置いてきた。軽くなったリュックサックはそれほど違いは感じないけど、これでなんとかなるのか? 


 ゆっくりと乗っても変わらないと思いつつも足取りは慎重になる。ドアが閉まるのを祈るような気持ちで見送った。


 ワイヤーが擦れる音が聞こえるほど集中して聞き耳を立てていたが、ゆっくりと一階に着地すると問題なくドアが開いた。本当にあれだけの重さの違いで変わったらしい。こんなの一回しかチャンスがない人生で気付けるわけがない。


 改札を抜けて新宿店へ。到着は最初と比べて二〇分早い。これなら何とか間に合いそうだ。


「やぁ、ちょっと早かったね」


「楽しみで早く来ちゃいましたよ」


「いいね。じゃあ倉庫に案内するよ」


 リストを受け取ってすぐに目を通す。もうだいたい書いてある場所も覚えている。


「イコーナエスペルト、これをもらいたいんですけど」


「イコーナエスペルトは」


 俺が珍しい形の筐体を見つけ出す。それと同時に俺と同じような黒シャツの男が筐体を指差した。


「「あった」」


 目が合う。その瞬間に同族だと理解した。こいつも俺と同じゲームオタクだ。間違いない。雰囲気とファッションセンスで分かる。


「二人とも同じのが欲しいなんて、相当な名作なんだね」


 お互いに譲るつもりはない。侑紀先輩もそうだけど、育成ゲーム好きならやりたくて仕方ないタイトルだからな。


「じゃあ公平にじゃんけんってことで」


「一回勝負。恨みっこなしだ」


 相手はやる気十分だが、俺はこの時点で勝ちを確信した。こっちはいくらでもやり直せるんだ。後でこいつが出す手を攻略チャートにちゃんと書いておこう。


 翌日、部室に向かうと約束通り侑紀先輩が待っていた。約束を一日延ばしたから三〇分早く来たんだけど、それでも先輩には負けてしまった。いったい何分前から待ってるんだろう?


「お、早いねー」


「先輩、いつから待ってたんですか」


「女の子には秘密が多いの」


 言いながら侑紀先輩はさっそくゲームの電源を入れている。当然だけど、今日も一日中やるつもりなんだろう。


「そういえば昨日のバイト急だったね。シフトに穴が開いたの?」


「いや、それが急な仕事で。それでちょっと先輩の欲しいものが手に入りそうだったので」


「アタシが喜びそうなものわかるの?」


「たぶん、聞いたら驚きますよ」


 ちょっとだけジラしてみる。先輩は子どもみたいな期待の眼差しで俺を見つめている。もうちょっと黙ってこの状況を楽しみたくなってくる。


「イコーナエスペルト」


「ふぇ!? あの伝説のアイドル育成ゲームの?」


「はい、なんとかバイト先に入れてもらえることになりました」


「でかした! でかしたよ、シゲくん! 最高の仕事だよぉ、ふぇふぇふぇへぇ」


 先輩の笑い方がヤバイ酔い方をしたおじいちゃんみたいになっている。もう起動したゲーム画面は見えていない。先輩の頭の中では新人アイドルのマネージャーとして就任しているんだろう。


「それは一大事だから、今日はゲーセンに行こう!」


「いや、入荷を決めただけでまだフロアには入ってないですよ」


「えー、じゃあ今日でこのゲームクリアして入荷したらゲーセンに行くからね」


「さすがに無理ですよ」


 スタートボタンを押して、画面に向かった侑紀先輩に並んで、俺はこっそり攻略サイトを解禁するか考えていた。

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