買い物カートはゲームのお供

 また調査は振り出しに戻ってしまった。ただわかったことはある。自転車なら間に合うってことだ。つまりタイヤがあるもので使っても犯罪にならないもの。


「って、そんな都合のいいものがあるかよ」


 バイクや車は免許を持っていない。盗ってもいいバレないものが他にあるのかもしれない。


 坂道の上を少しずつ範囲を広げながら探していると、やや甲高い声で叫んでいる女の人を見つけた。主婦らしいラフな格好でなぜか道路でスーパーの買い物カートを押しているおばあちゃんに何か怒鳴っている。


「どうしてこれを持って帰ってきたんですか!?」


「おかしいねぇ。返したと思ったんだけど」


「何度同じことをするんですか! 返しに行って謝るのは私なんですよ!」


 どうやら坂道の下にあるスーパーから持ってきてしまったらしい。その持ってきた買い物カートをじっと見る。


 小さいがしっかりとついたタイヤが四つ。人が乗ることのできるサイズ。そしてこれに乗るのに免許は必要ない。今探しているものの要件は一応満たしている。


「やってみるしかないよな」


 不安しかないけど、試してみないわけにはいかない。バグまみれのクソゲーをやるときは全部のボタンを試してみなきゃわからないのだ。


「あの、そのカート。俺が返してきましょうか?」


「え、でも」


「いいんです。これから駅の方に行くんで」


 半ば奪うようにカートを受け取り、長く続く下り坂に体を向けた。


「ああ、もう。どうにでもなれ!」


 カートを押して駆け出す。十分にスピードを乗せてからカートに飛び乗った。


 子どもの頃に大泣きしながら乗ったジェットコースターの数倍は怖かった。坂道からエネルギーを吸収するようにカートが加速していく。


 ブレーキはない。ハンドルもない。ちょっとした体重移動で少し左右にコントロールできるくらいだ。そしてバランスもすこぶる悪い。


「お、落ちる! リセットォォ!」


 体が傾く。アスファルトに体を打ちつける寸前に、なんとかチャイコンミニのリセットボタンを押した。肩を少し打ちつけたが、デバッグルームに帰ってくると、すっと痛みは消えていった。


「なんか面白そうなことしてんじゃん」


「他人事だと思ってやがるな。これをコントロールするのは難しいぞ」


 ただ攻略法は見えた。アクションゲームの攻略と同じで地道な練習が必要になる。


 カートをきっちり制御して駅前のスーパーにカートを返してそのまま駅へダッシュ。これで完璧なはずだ。


「区間練習したいんだけどセーブできないのか?」


「無理無理。俺っちセーブ機能ついてないからさ」


「お前、チャイコンだもんな。ならしかたないか。ふっかつのじゅもんは?」


「そんなシステム入ってませーん。最初から、頑張って、ちょーだい」


「マジかよ、やっぱりクソゲーだな」


 いちいち最初から通しで練習しなきゃいけないのか。成功したらとっとと次にいって、先のルートを確認しておかないと。


 カートに乗る練習はまず恐怖との戦いだった。そもそも坂道を買い物カートで駆け下りるなんてやったことあるわけない。


 ちょっとバランスを崩せばアスファルトに叩きつけられてゲームオーバー。コントロールを失ったら壁に激突。そして最後は平地で速度を落としながら、うまく飛び降りて着地しなきゃならない。


 リセットボタンに手をかけて、失敗したらすぐに押す。それを何度も繰り返しながら少しずつコントロールを学んでいく。


 そして何度目かの挑戦。三〇から先は数えなかったが、そろそろ百回目に到達しててもおかしくない頃だった。


 同じようにおばあちゃんからカートを受け取り、同じように飛び乗る。フレームの歪みも考慮してやや右寄りに。歩いてくる人の流れも覚えた。最小の動きでかわす。


 最後はカートの減速を確認して飛び降りて、体をのけ反らせてブレーキ。買い物カートをスーパーの店頭に置けば完了だ。


「やっとクリアか」


 ここまで何時間かかったんだろう。クソゲーも短けりゃそれなりにできると思っていたけど、一ステージでこの難易度だと、先が思いやられる。


「本当に人生ってクソゲーだな。これで本来はリセットもなしか」


 次にどんなことがあるかは知らないけど、とにかくこれから侑紀先輩とデートだ。まずはクリアしたことに喜びつつ、俺は電車の中で侑紀先輩とのデートコースを思い浮かべていた。


 秋葉原の駅に着くと、侑紀先輩は俺の姿を見るなりスキップしているように飛び跳ねながらこっちに走ってきた。


「さぁ、シゲくん。軍資金の準備はいい? デッキの確認はオーケー? レアカードを引いて感動して涙を流す覚悟はしてる? アタシはできてる」


「テンション高いっすね」


 遊園地にやってきた小学生くらいのテンション。これからやるゲームの対象年齢が六歳以上だからちょうどいいのかもしれない。休日とはいえ朝一番からゲームをやりに来ているプレイヤーはそれほど多くない。


 秋葉原はすっかり観光地になり果ててしまったと嘆く声も聞こえる通り、キャッチャー目当てのお客さんも多いし、最近は家庭用ゲームが進化したことでわざわざアーケード筐体のゲームをやろうという人も少なくなってきた。


 そういうわけで侑紀先輩は堂々と筐体の前にカードを広げて、俺に丁寧に説明してくれている。


「こんな感じで、パーツがそれぞれ頭、体、足、小物に分かれてて、数値が高いと有利なんだけど、コンボもあるから一概に言えないんだよね」


「まずはカードを集めるところから始まるわけですね」


「そういうこと。最近はデジタルカードゲームも増えたけど、やっぱり手元にカードがあるっていいよね」


「コレクター魂をくすぐりますからね」


 侑紀先輩のデッキから広げられたカードは五〇枚を超えていそうだ。そうとうやり込んでいるのが一目でわかる。


「この間のレアカードがあるから最初は大丈夫だと思うけど、ま、チュートリアルからだね」


 アイドル育成のレッスンと歌番組に出るオーディションを繰り返して能力と知名度を上げていくゲームらしい。これはクレジットが溶けそうだ。


 侑紀先輩の話を聞きながら数時間もするとあっという間に千円分が筐体に吸い込まれていった。それでもキャッチャーよりはコスパはいいんだけど。さっきから侑紀先輩の好感度アップ音は止まらない。


 浅尾先輩にもちょろいと思われてそうだな、と不安になる。


「いやー、遊んだ遊んだ。今まで一人だったから、実はちょっと恥ずかしかったんだよね」


「女の子が不思議そうな目で見てましたよ」


「やめてよ。わかってるけど気にしないようにしてるんだから」


 一時間ほど筐体を占領していたけど、ついに小さな女の子が後ろに並んだので場所を譲ってゲーセンを出た。侑紀先輩が恥ずかしそうな顔で逃げ出すもんだから俺が無理に付き合わせたように思われていそうだ。


「これからどうしよっか? ご飯でも食べる?」


「そうですねえ。とはいえアキバってそんなに食べるとこないイメージが」


 チェーンのファストフードとかファミレスは一通りあるけど、そういうのはデートで行くと喜ばれないって言うしなぁ。いや、今日はまだデートじゃないはずなんだけど。こういうときもいい店を知っていた方が好感度上がるよなぁ。


「なんかやってないかちょっと見て回ろうよ」


「そうですね。展示会とかやってるかもしれないですし」


 できれば何かやっていてほしい。できればプレゼントだったり俺のカッコいいところを魅せられたりするところがいいんだけどな。


「ほら、シゲくん。ぼうっとしない。置いてくよー」


「あ、はーい」


 先にいる侑紀先輩を早足で追いかけて、俺はこれからの幸運を願った。

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