二節 ゴルゴダ酒場宿の長い一日(弐)

 シャオシンが「教えろ、教えろ」としつこく訊く。

 ツクシとゴロウが兵士失踪事件の顛末を取り止めもなく語った。

 シャオシンはもちろん、リュウとフィージャも興味深そうに、ツクシとゴロウの話に耳を傾けている。

 そうしていると背後から、

「会いたかったぞ、未来の旦那よ」

 当事者がツクシの背に声をかけた。

い日だな、ツクシ、ゴロウ、それに、淑女レディたちよ。チュ、チュウ!」

 続いて、ねずみの挨拶と鳴き声がした。

 ビクッと身を縮めたツクシとゴロウが同時にカウンター席から振り返って、

「おっ、おう、お前ら、ここへ何をしにきた?」

「じょ、女王様ァ?」

 後ろにいたのはフロゥラとポレットだ。ポレットは日傘を持ってフロゥラを陽射しから遮っている。特注品なのだろうか。日傘の柄がかなり長い。ポレットの格好は以前見たときと同じで、シルク・ハットを頭に乗せて、片眼鏡をつけ、燕尾服を着て、足元は大きな革靴だ。

 フロゥラは白い女性用鍔拾帽子に純白のドレス姿だった。その足元は、細い踵がこれでもかと高々とした紐編み上げパンプスだ。フロゥラが着るドレスは、うなじを回って腹部に続く布地が、きわどく乳房の先端部分を隠し腰を細く絞った形状で、そのスカート前面が左右に分かれてはだけ青白いふとももがだいたんに見えている。比率でいうと肌が七にそれを隠す布地が三になる。ツクシが二度確認したところ、ふとももの上に存在するであろうフロゥラの下着は辛うじて見えていない。見えてないので思い切って着用していないのかも知れない。フロゥラはそういう人柄なのだ。ツクシたちの視線を肌で感じ取ったフロゥラが、くるりと回って本日の衣装を自慢気に見せつけた。

 誰も見せてくれとは頼んでない。

 フロゥラの白いドレスは、案の定、裸の背をまるまると見せつけるデザインだった。仙骨(※尾てい骨の少し上)のあたりまで露出した、フロゥラの青白い地肌が柔らかい曲線を描き、そこへ、漆黒の長髪が流れている。

 ツクシは顔を引きつらせた。平日の真っ昼間から丸裸よりもふしだらなドレスを堂々と着こなすフロゥラの根性にはたいへん驚かされる。しかし、それより面倒な問題がある。ツクシとゴロウが飲んだくれているラム酒の瓶は、目の前にいる女王様の私室から黙って拝借してきたもので――。

 フロゥラが顔面の動きを止めたツクシをじっと見つめた。

 ポレットは卓にあるラム酒の瓶をピタッと凝視している。なめし皮の銘柄ラベルが貼られたこのラム酒は、タラリオン王国の南方はコテラ・ティモトゥレ首長国連邦の代表者――神聖王トゥイ・トンガへ毎年献納される逸品で、市場にほとんど出回らない高級品なのだ。

 フロゥラが牙のある笑顔をふっとツクシへ見せた。

 ポレットはツクシへねずみの顔を振り向けた。

 さてと、だ。

 ブッチ殺される前にどうやってここから逃げだしてやるかな――。

 ツクシの額に脂汗が浮いたところで、

「――おっ、おっ、鬼!」

 シャオシンがツクシより先に逃げだした。

 壁にビターンと背をつけてシャオシンはふるふる震えている。

「ん、どうした、シャオシン――こっ、この女!」

 顔色を変えたリュウは背へ右手を送ったが休日の背中に竜頭大殺刀はない。奇跡の担い手であるシャオシンとリュウには、フロゥラの強大な魔導の胎動がはっきりと見えている。

「おや、ご主人さま、リュウ、どうかしました?」

 首を捻ったフィージャはフロゥラが持つ危険な力を目で確認できる能力がない。

 フィージャはシャオシンへ視線を送ったがシャオシンはそこにもういない。

 ちょっと目を離した隙に宿から逃げだしていた。

「ツクシ、俺たちはシャオシンを追う!」

「すっ、すいません、失礼します!」

 リュウとフィージャが席を立った。

「ああ、帰るのか。馬車に轢かれないように気をつけろよ。ここいらを通る御者は通行人なんか見てないからな」

 ツクシもすぐ逃げてェなと考えている。ゴロウは盗品のラム酒が注がれたグラスと盗品のラム酒の瓶をツクシのほうへ押しやった。

 ゆっくりと誰にも気づかれないようにである。

「ツクシ、ゴロウ、そ、その女に、気をつけてな!」

「ご主人さま、待って!」

 リュウとフィージャが宿から飛び出すと、そこでちょうど荷物と一緒に入ってきたグェンたちが麗人と獣人の暴走に巻き込まれて「ぎゃあ!」と引っくり返った。木箱から飛び出したぶどうだの、メロンだの、異界の得体が知れない果物だのが床へ転がった。全体的に丸っこい身体のモグラもフィージャに跳ね飛ばされてりんごと一緒に転がってゆく。少し遅れて入ってきたアリバがよく転がるモグラを見てゲラゲラ笑った。

 グェンが酒場宿の表へ飛び出して、

「ばっかやろう、気をつけろよな!」

「――すまん、少年!」

 遠くからリュウの謝る声が聞こえた。

「――うん。ツクシ、邪魔は消えたようだな」

 フロゥラがふしだらな肉体と吸血鬼の牙をツクシへ接近させた。

 ツクシは返事をせずに手元の盗品入りのグラスをじっと見つめている。

「チュチュ、チュウチュウ、チュウ!」

 ポレットがはっきりラム酒の瓶を指差して鳴いているが、ツクシとゴロウは気づいていないフリをした。

「――で、女王様とポレットはここへ何をしに来たんだ?」

 ツクシは小さな声で訊いた。

「――ポレットよォ、屋内で日傘はいらないんじゃねえか?」

 ゴロウが指摘をすると、はっと気づいたポレットが慌てて日傘を閉じた。

「私はここで要人と会う約束があるのだ」

 フロゥラがツクシの腕を黒い長髪ながかみでくすぐりながら腰を下ろした。今日のツクシはシャツに黒長ズボンと普段着だ。これは、隙あらば魔導の力を発揮して、他人の心を力ずくでモノにしてやろうと試みるフロゥラに対して無防備な格好である。

「ツクシ、ゴルゴダ酒場宿で今から会談だ、首脳会談だチュ!」

 ポレットはゴロウの左隣へチュウと着席する。

「ああ、例の話し合いだな。そうなると店を予約したのは女王様なのか?」

 ツクシは長い溜息と一緒にラムのグラスを口に寄せた。

 どうやら、フロゥラは盗人のツクシをぶち殺す目的で来訪したわけではないようだ。

「うん? それは違うぞ。私はここへ呼ばれたのだ。しかし、まさか、ツクシとここで再会できるとはな。運命を感じないか? ん? ん?」

 フロゥラは怖気立つような美貌を発情させて、ツクシの頬へ熱い吐息を吹きかけている。ツクシは視線を返さない。ツクシの第六感が、今、女王様の顔を絶対に見るなと強い警告を発していた。実際、フロゥラの瞳では誘惑の魔導式陣が紫炎を散らして、ぎゅんぎゅん回転中である。

「ああよォ、ツクシ、ワーラットがぞろぞろ入ってきたぞォ――」

 何だかよくわからねえが面倒なことになりそうだ。

 この場から逃げてやれ――。

 そんな感じで視線をあちこち惑わしていたゴロウが異変に気づいた。

「ああ、凄い数のねずみだな。女王様がここでひとと会う? 一体、他に誰が来るんだ。ジークリットだけじゃないのか?」

 ツクシもゴルゴダ酒場宿へチュウチュウと入店してきたワーラットを見やった。サーベルだの槍だの銃だので武装した、ねずみ色の軍服姿のねずみの群れである。

「王様だ、我らの王様がお越しになるのだ。チュウ!」

 ポレットはチュウと胸を張って答えた。

「――王様?」

 ツクシは怪訝な顔である。

「恐れ多くも、ラット・ヒューマナ国王ムルム・ピオーネ・チーズレックス二十七世様がこの薄汚い酒場へお越しになるのだ。チュ、チュウ!」

 興奮したポレットが椅子の上に立ち上がって、チュウと手を広げた。

「ああ、へえ、ねずみの王様かよ――」

「チーズレックス二十七世だァ――」

 ツクシとゴロウがボヤいた。

 人鼠大将ジェネラル・ラットメルモ・パパイア・ビスケッツ(♀)がゴルゴダ酒場宿へ入店してくると、ポレットが席から飛び上がって挨拶をしにいった。さすがはラット・ヒューマナ王国生活圏防衛軍きっての猛将といえよう。メルモはネストの火炎地獄から生還したのだ。オレンジ色の体毛が火傷で所々禿げ上がって見た目はちょっと痛々しいが、勲章を並べた胸を反らして周辺と挨拶を交わしている。

「おい、女王様よ」

 ツクシがフロゥラの旋毛つむじへ声をかけた。

 漆黒の長髪が流れる頭のてっぺんである。

「うん? なんだ、ダーリン」

 ツクシの胸元に顔を埋めたフロゥラのくぐもった声だ。フロゥラは右の側面から肉体の大部分をツクシへ密着させ体重をしっかり預けている。カウンター席で身を寄せ合って座る二人の姿は傍から見ると恥知らずなカップルだ。

 もっとも、ツクシのほうは普通に椅子へ腰かけているだけなのであるが――。

「――ダーリンって、あのなあ――女王様は昼間に出歩いて平気なのか? 吸血鬼は陽の光で燃えるんだろ。俺はゴロウからそう聞いたぜ」

 ツクシはグラスを呷った。

「ツクシは私を心配してくれるのか?」

 フロゥラがツクシの不機嫌な顔を見上げた。

「いや、心配はしてねェ。実際、ピンピンしているじゃねェか」

 ツクシは顔を真正面に向けたままいった。

「くっ――私だって昼は少し眠いのだ、もっと労われ。これだよ」

 フロゥラが眉を寄せると、ツクシはひやりと冷気を感じた。

「おっ、それが霧の魔導式の機動陣かァ――」

 ゴロウが目を開いた。

「うん、ゴロウは知っているな。これを魔導式・魔霧ネビュラという。この霧の形を細工して特定の種類の陽光だけを除けるのだ」

 フロゥラの肉体を白い霧が覆っている。よく見ると、フロゥラの胸の谷間の辺りで魔導式陣が紫炎に揺れながら機動をしていた。かなり小さいものだ。

「見た目は普通の霧だよな――?」

 ツクシは顔の前まで漂ってきた霧を睨んだ。

「極小さな世界の話だよ、目には見えぬ」

 微笑んだフロゥラが発生させた魔の霧を消した。

 ツクシのシャツが夜露で濡れている。

「ああ、これはカレラも使ってただろ?」

 ツクシが話を促した。

「うん、この魔導の霧は汎用性が高いのだよ。色々と面白い使い方ができるぞ。カレラは、これに催眠の効果オーラを乗せるのが得意だった――今、私が使っているのは、ただの日焼け止め」

 フロゥラはツクシの胸元で瞳を伏せている。

「――あ? 日焼け止めだと?」

 ツクシが顔から表情を消した。

「ツクシ、私はすべての吸血鬼の始祖オリジンだ。陽の光でも私の魔導の胎動は壊れはせん。もう壊れないようになってしまった、が正しいかな。それでも、陽の下に出ると私の力は弱まる。私の開発した魔導の胎動を完成させるには、まだ改良が必要なのだ。二千年以上、私は魔導の胎動を自分の手で調整している。だが、未だに体温の低下だけは、吸血なしで止められん。こればかりは私を苛む不朽体アンコラプトの呪いだ。ひとが勝手に決める決まりごとでは違う。しかし、自然にある存在の重さは必ず等価で交換されるのだ。何かを得ることは何かを失うことに等しい。これが学会アカデミーの初等部にいる学生でも習う錬金の大原則だよ。もっとも私たち――魔の眷属は遥か昔に原則への反逆を選択したが――」

 語ったフロゥラは淋し気に笑った。

「二千年も自分の身体をメンテナンスしてきたのか。じゃあ、女王様は現状、怖いものなしなのか?」

 この女、こんな表情かおもできるんだな――。

 ツクシは弱さを見せたフロゥラを見つめている。

「肉体が大破すれば私でも死ぬ、と思う、たぶん。それは試したことがないから知らんよ。ツクシは今夜にでも私を壊してみるか? 何なら今からでもいいぞ? ん? ん?」

 ツクシの視線を察知すると、すかさずフロゥラが顔を上げて牙のある笑みを見せた。

 その瞳のなかでまた魔導の紫炎が揺らめいている。

「あのな、俺じゃあ女王様のお相手は分不相応だぜ。女王様は二千年だろ。俺はまだ三十四歳の小僧っ子だからな――」

 ツクシは魅惑と誘惑の牙ある女王から気合で視線を逸らした。

 正午近くになるとワーラットの兵隊がゴルゴダ酒場宿を占拠した。面倒事の匂いがぷんぷんする。ツクシもゴロウも逃げだしたい。実際、ゴロウは「俺ァ、ちょっと、あァ――用を足しに行くからよォ――」とかなんとかいって裏口から逃げようとした。そのゴロウはワーラットの兵隊に槍と銃口を突きつけられてカウンター席へ戻ってきた。

「テロル警戒のため、これより関係者以外の出入りを禁止する、チュチュウ!」

 ポレットがホールの中央で宣言した。多数の国家間で密輸業に関わっているラット・ヒューマナ王国は結構、敵が多いようだ。

「それ、先にいってくれやい――」

 ゴロウが太い眉尻をがっくり下げたがあとの祭りだ。ゴルゴダ酒場宿にいる客は、ツクシとゴロウ、それにフロゥラの他はみんなねずみだった。あっちでチュウチュウ、こっちでチュウチュウである。ツクシはワーラットの兵隊に身体検査された上、魔刀ひときり包丁を没収されそうになった。それはフロゥラの口利きで免れた。

「ツクシ、私に感謝しろ、私にすぐチューをしろ、大人しく私のモノになれ、結婚しよう」

 ここぞとばかり恩に着せてフロゥラは迫った。ツクシは視線をひょいひょい逃がして危険な求愛を無視している。

 グラスにあと一杯分。

 ツクシは底に少ない量が残ったラム酒の瓶をゴロウの手からひったくった。すると、青白い手が横からすっと伸びてラム酒の瓶をとった。瓶に残ったラム酒はフロゥラの手でツクシのグラスへ注がれた。空になったラム酒の瓶を睨むゴロウは不満そうだったが、女王様に噛みつく度胸はなさそうだ。

 ツクシがその最後の一杯をゴロウへ見せつけるようにして味わっていたところ、

「善き日ですね、女王陛下、ツクシさん、ゴロウさん」

 と、後ろから挨拶の声だ。

 今日は来客が多い日だな――。

 ツクシが振り返るとジークリットが突っ立っていた。緋色の鍔広帽子に緋色の王国陸軍外套といつものスタイルだ。そのジークリットの後ろに深緑色の王国陸軍服をピシッと着た中年男と中年女が控えている。

「善い日だな、ツクシ、ゴロウ」

「善い日ですね、皆さん」

 中年男はタラリオン王国軍幕僚運用支援班の工作員ギュンター・モールスだった。

 その横にいる中年女はいつぞや見たギュンターの細君である。

「ああ、ギュンターとその嫁さんだな。ギュンター、それ本当にお前の嫁さんなのか?」

 ツクシが訊いた。

「同僚だが俺の嫁でもある。ツクシ、こっちは俺の嫁さんのサマンサだ」

 ギュンターは糸眼を細くして自分の細君――サマンサを見やった。

「私はギュンターのさいのサマンサ・モールスです。ツクシさん、その節はうちの主人がお世話になりました」

 サマンサが紅い口紅を塗った唇の両端を吊り上げた。ツクシたちが以前にネストで見たときのギュンターの細君は頭を三角巾で巻いた丸い顔の、目尻に小ジワが寄った、どこにでもいる市井のオバチャンだった。しかし、軍服を着たサマンサは目に強い意思を持つ、仕事ができそうな中年女性に変貌を遂げている。サマンサの体形は以前と少しも変わらない。中年女性らしい横に太い体形である。

「ああ、クソ。ギュンターの嫁さんも、ジークリットに使われていたのか。これは読めなかったぜ――」

 ツクシが顔を歪めた。

「ギュ、ギュンターと嫁さんは軍関係者。しかも、あの厄病神カラミティだったのかよォ――」

 ゴロウのダミ声が掠れている。

 ジークリットは初老の男もつれていた。

 外見は貴族風でツクシたちには覚えのない顔だ。

「うぅん、何だ、騎士ジークリット。もう来たのか――」

 ツクシの胸元に顔を沈めていたフロゥラがジークリットを見上げた。

 声が眠そうである。

「はい、フロゥラ女王陛下。あっ、こちらはですね――」

 ジークリットが緋色の鍔広帽子を手にとって貴族風の老人へ視線を送った。

「こっ、このお方が吸血鬼の女王陛下――ううむ、何と、これは本当にお美しい。私はタラリオン王国外務事務次官のピエール・ド・バルテルミと申すもの。爵位は子爵です。これ以後はお見知りおきを――」

 老貴族――ピエール・ド・バルテルミ子爵が慇懃で大仰なお辞儀をした。

「うん、私はフロゥラ・ラックス・ヴァージニアだ。ピエール、女王陛下でいいぞ。私が国王を名乗った覚えは一度もないのだが皆がそう呼ぶ――ちょっと野暮用をこなしてくる。またあとでな、マイ・ダーリン」

 瞳を細めたフロゥラが挨拶を返しながら席を立って、ツクシの耳元に囁いたあと、ホール中央の丸テーブル席へ足を向けた。

「ツクシさん、任務完遂、ご苦労様でした。本当に助かりましたよ。これでネストに複数ある出入口がすべて判明しそうです」

 ジークリットが首に手をやって凝りをほぐしているツクシを労った。

「うるせェよ、このクソ野郎。で、そっちのオッサンは何者だ?」

 ツクシはフロゥラへチラチラと視線を送っているピエール子爵を見やった。このピエール子爵はチリチリとした黒髪を真ん中で二つに分けて、目、鼻、口と部位が小さいものを顔中心に寄せた初老の男だ。後の特徴といえば細く整えられた口髭くらいか。ピエール子爵は燕尾服姿で、その服は良い素材を使った高級そうなものだった。ただ、身長は百六十センチ足らずと小柄で手足が細く、しかも腹が出張っているから、着るものが良くても不格好だ。しかし、眉尻を吊り上げて油断なくまなこを光らせているところを見ると、頭がキレそうな印象ではあった。

「ああ、このひとは王国の外務事務次官ですよ。ピエールおじさん、こちらはツクシさんです。ウチの工作員です。今回の件の立役者ですね」

 ジークリットが、ピエール子爵にツクシを紹介した。

「ほう、ジークリット君、これも厄病神カラミティの――ははあ、如何にも鋭い目つきだ。これが破壊工作員スパイというやつか――」

 ピエール子爵がツクシの悪い顔を見て感心している。

「おい、貴族のオッサンよ、俺はその厄病神に憑かれているほうだぜ――」

 悪い顔を歪めて見せたツクシが、

「へえ、外務事務次官だと? ジークリットはお役所で一番二番のお偉いさんをつれて来たのか? 女王様がお前に頼んだのは、ただのひと探しの筈だがな?」

「ネスト管理省はタラリオン元老院の管轄ですからね。あれは面倒なので内側からはどうにもできません。そこで、外圧をかけてやることにしました。これから、僕たちはラット・ヒューマナ王国とフロゥラ女王陛下を相手に取引ですよ。僕のほうは僕のほうで都合がありますからね」

 ジークリットは丸テーブル席でねずみたちと談笑している吸血鬼の女王へ目を向けた。

 ツクシは空にした手元のグラスを見つめて、

「ああ、国外の勢力を使って敵の外堀から埋めるつもりか。国益無視の悪手もいいところだな。たいていな、外から招き入れた悪党どもってのは、用が済んでもその場にいついて、延々と悪さを続けるものだぜ。悪党ってのはそうやってシノぐものだからな――」

「はい、ツクシさん。その悪党が外部からネストへ自由に出入りできることを、ネスト管理省は見逃していましたよね。これは手抜かりでしょう。この際、責任問題にして、ネスト管理省の何人かに死んでもらおうと思っています。邪魔者はですよ。ネスト管理省の全員が王国軍ぼくたちの敵なわけじゃないですからね」

 ジークリットの口元に冷えた笑みが浮かんだ。

「――まあ、好きなだけ殺し合えよ。俺には関係のない話だ。でも、このオッサンは、えらく渋い顔をしてるぜ」

 ツクシがジークリットの横で顔色を悪くしているピエール子爵を見やった。ピエール子爵はエリート文官といった雰囲気で暴力沙汰に縁がない様子である。

「そうでしょうね、ネスト管理省は面倒ですから。無理をいってつれてきました。このひとは僕の親父の知り合いでね。懇意にしているというのかな、ふふっ!」

 ジークリットが声を出して笑った。

 好青年風の風貌が益々冷え込んで不気味ですらある。

「ジークリット君、私は女王陛下のお相手をしにいく。そのために外務省からつれ出されたわけだしな」

 渋い顔のままピエール子爵は女王陛下の座る席へ足を向けた。

「はい、ピエールおじさん、お願いします」

 ジークリットがいった。

 エリート文官の老貴族は背中越しに右の手をひらひらと振って見せた。

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