十五節 再突入

 ネストへ向かう悪人面が二名、騎士っぽいのが二名、子供が二名。この計六人が朝のペクトクラシュ河沿い大通りを南下中である。以前、悠里がツクシに教えた。カントレイア世界でも七日周期で一日休日の暦の形態をとっているらしい。ツクシがこの世界に迷い込んだのは月曜日だから本日は週末になる。週末の王都十三番区ゴルゴダの大通りの交通量はいつもよりさらに多い。多いのだが、悪人面二人に厳つい鎧姿二名を加えた一団が、その交通の流れを逆らうように歩くと、道行くひとは積極的に道を譲ってくれた。空は雲厚く大気は湿って重い。しかし、ペクトクラシュ河は曇り空を映してもまだ蒼かった。灰色の雲の上にある青空が水面へ落ちて溶けているように見える。

 フィィン、ガシャン、フィィン、ガシャン――!

 ツクシはこんな音を鳴らしながら、横を歩くアウフシュナイダー父娘へ目を向けた。何度見ても厳つい鎧だ。リカルドの全身を覆っている鎧は白い光沢を持つ金属の表面に豪華な意匠が施され、各部位の縁取りが金色だった。それに加えて、肩、小手、足鎧、要所要所に青い宝石が光っていた。重量は相当にありそうだが、しかし、リカルドの歩みは軽く、それを苦にしている様子がない。

 リカルドを眺めていたツクシの顔をニーナがじっと見つめている。

「お、おう。どうした、ニーナ?」

 ツクシはニーナの美貌から目を逸らした。ツクシは若い女の子をちょっとだけ苦手にしている。特別、ニーナのようにストレートな目力を持つ美人を相手にすると、どう対応していいのかよくわからなくなる。このオッサンは日本にいたときから狡っ辛い商売女をお得意にしているヨゴレなのだ。

「ツクシこそ、どうしたの?」

 ニーナが微笑んだ。

 ほう、俺と年齢はひと回り以上、違いそうだがな。

 出会って五分で呼び捨てかよ。

 この小娘は性格が一直線すぎてちょいと扱い辛そうだぜ――。

 そんな警戒をしつつツクシが、

「いや、お前の親父さんは凄い鎧だな。青い宝石がそこらじゅうについてる」

「宝石? お父様の導式鎧についているのは天然の秘石よ」

 ニーナが小首を傾げた。

「ウム。最近は導式甲冑に人工の秘石を使うようだな。あれは無粋で品格というものに欠けておる」

 リカルドは顎をしゃくった。

「無粋で品格に欠ける娘で悪うございましたね、お父様?」

 ニーナはプンとムクれた。

「秘石か。リカルドさんとニーナの鎧も、もしかしたらチチンプイプイ用品――導式具とやらになるのか?」

 ツクシはニーナの鎧を見つめた。ニーナの鎧は曲線でできた部品が多く、リカルドのものよりも近代的なデザインだ。前述通り、鎧から露出する部分は身体のラインがはっきりと浮き上がる黒い防護スーツのようなもので、女性の肉体のラインを主張している。ツクシは女のラインを鋭い眼光でとっくり眺めたあと、ニーナの顔へ目を向けた。

 良し、このオッサン、キモイとかいうんだろうな――。

 ツクシは口角を歪めていたが、ニーナは平然と視線を返しながら、肩鎧の側面に埋め込まれた円筒状の部位パーツに軽く手を触れて、

「ええ、ツクシ、そうよ。私のもほら――」

 すると、「パシュ――」そんな音と一緒に回転しながらせり上がってきた円筒状の部位が二つに割れた。シリンダー状になったその部品の内部に青い水晶のような物質――人工秘石が入っていた。人工秘石は青くきらめく光で無数の軌跡を作っている。

 それは光線で作られた回路のような――。

「――おぉう! その円筒状になっている部分に秘石とやら――動力源が収納されているんだな。なるほど、ニーナの胸鎧や脚部に付いているシリンダー形状の箇所も同じ構造か。ニーナ、その鎧はこのチチンプイプイ機関を動力にしているのか?」

 ツクシは目を見開いた。

 ニーナがくすくす笑って、

「チチンプイプイって何のことよ――ツクシ、この円筒を導式機関というのよ。私が使っている鎧の正式名称は『導式機関仕様重甲冑どうしききかんしようじゅうかっちゅう』。名前が長いからたいていのひとはこれを『導式鎧』って呼ぶわね。私の装備は王国陸軍の重装歩兵隊に配備されている正式な装備なのよ。珍しいでしょ。軍では別に珍しくもないものだけれど」

 ニーナは肩鎧から飛び出していた部分を押して動力源を収納した。「シュゥン」という音と一緒に歯車の回る音も聞こえる。

 ツクシへ顔を向けたリカルドが、

「娘の鎧は人工秘石を使って大量生産されたものなのだ。しかし、我輩の鎧は天然の秘石を動力として使っておる。王国の重装鎧は本来こうあるべきものだ。人工秘石は出力が不安定で細やかな動きができん。それに無理な出力をすると導式機関は割れることがある。その点、我が家に代々伝わるこの導式重甲冑はモノが違う。我輩の鎧は何代にも渡って受け継がれている、アウフシュナイダー家の魂なのだよ」

 ぷん、と鼻を鳴らしたニーナが、

「お父様、人工秘石を使っても性能は同じなのよ? 天然秘石の蒼玉は希少で高額じゃない。コストを考えたら量産できないわ。それに、新型の導式鎧は多筒導式機関構造だから、一筒や二筒、導式機関が死んだって動作に問題ないのよ。出力だって従来の導式鎧よりも大きいし、重量だって――」

「ニーナ、ひとには伝統と品格が必要なのだ。長く積み重ねたものが、ひとの尊厳を形成してゆく。よく覚えておきなさい」

 娘のいうことになど聞く耳はもたぬ、そんな父親の態度である。

「もう、ほんとに頑固なんだから――」

 ニーナがプンと横を向いた。この導式鎧とやらはどのていどの戦闘能力を持ち合わせているのか。ツクシが質問をしようとしたところで、南から並んで歩いてくるチムールとヤーコフの姿が見えた。

「いよう、チムール、ヤーコフ。昨日は歩いて宿まで帰れたか?」

 ゴロウが歯を見せて笑った。

「あ、ああ、何とかな。善い朝だな、ゴロウさん、ツクシさん。おお、今日はリカルドさんとニーナもいるのか」

 ヤーコフも笑顔を返した。

「いよう、ゴロウよ、ツクシよ。リカルドの親父さんとニーナも一緒かよ。つうっ――」

 チムールは顔をしかめた。

 どうも二日酔いで頭が痛むようだ。

「ウム、善い朝だな、チムールにヤーコフよ」

 リカルドがカイゼル髭をしごきながら挨拶を返した。

「おっはよ、お二人さん!」

 いよっ、と右手を上げて、ニーナも挨拶をした。

「ニーナよ、それがレディの挨拶か?」

 リカルドが横目で睨む。

「――コホン。殿様方、良いお天気でございますわね」

 ニーナの視線は右斜め上だ。

「今日はあいにくの曇り空だよ。ニーナはよ、何をいっているんだよ、お前が上品ぶると俺は本当に気持ちが悪くなるよ」

 横を向いたチムールが吐き捨てるようにいった。

「うっるさいわね、チムール――」

 ニーナも横を向いている。

「善い朝だね、ヤーコフ、チムール!」

「善い朝だよう、二人とも!」

 ユキとモグラが挨拶した。

 ユキのぴこぴこ動く猫耳を凝視していたチムールとヤーコフが、

「おいおい、ツクシよ、ユキをまた連れていくのかよ――」

「こ、これは、ユキなのか? お、女の子だったのか――」

「まあ、すまん、また苦労をかけそうだ。色々と事情もあってな――」

 チムールとヤーコフに丸い目で凝視されて、ツクシは小さな声だった。

 ネスト前大通りは今日もネストへ向かうひとの流れができている。その流れに乗って、チムールとヤーコフも加わったツクシたちはネスト管理省へ向かった。途中、リカルド親子は他のネスト・ポーターから頻繁に声をかけられた。ガシャンガシャン歩きながらリカルド親子はにこやかに対応している。その横にいるモグラも笑顔で会うひとすべてに挨拶を返した。モグラが背負う荷物が今日は大きい。どうやら、ゴロウとリカルド親子の荷をひとまとめにした背嚢のようだ。それでも、モグラは平気な顔だ。モグラという少年の顔つきは幼いが体格とパワーは一人前の大人以上ある。ツクシの背嚢を背負ったユキはトコトコとツクシの横をついてきていた。ツクシはネストへ一度潜った経験から余計な荷を背嚢から抜いてある。ユキの背負うツクシの荷は以前よりずっと軽い。大通りを埋めるひとの波を眺めながら歩いていたツクシは、ネスト・ポーター希望者は定員よりもずっと多い印象を受けた。

「ゴロウ、荷運びの希望者が定員からあぶれたらどうするんだ?」

 ツクシが訊いた。

「あァ、地上からネスト地下一階層へ物資を搬入する組もあるからな。あぶれる奴は少ないと思うぜ。あれは階段を使うから下層の仕事よりもキツイがなァ」

 ゴロウが応えた。

「ああ、その仕事もあるよな――」

 ツクシはネスト出入口前に山と積まれていた補給物資を思い出した。

「ツクシよ、命が惜しい奴はよ。わざと遅い時間に登記するんだよ」

 チムールがぺっと唾を吐いた。

「安全に金を稼ぎたいなら、そのほうが賢明だな」

 頷いたツクシは、先日、ネストで運搬した下から上がってくる荷を考えた。

 血の滲んだ死体袋の数々――。

 タラリオン王国はエンネアデス魔帝国と戦争中であると、ツクシは聞いた。王都を包囲するように形成されている天幕街――戦争難民の街。戦争難民が首都へ流れこんできている現状を見ると、タラリオン王国軍の戦局が良いものであると、ツクシに思えない。そして、毎日のように大量の死体が下層から上がってくるネストの惨状。タラリオン王国は負け続ける二方面戦争を行っているようなものだ。

 このままだと、いずれ亡国だよな――。

 余計な心配を始めたツクシへ、ヤーコフが声をかけた。

「ツ、ツクシさん、地上の作業は、下へ潜るネスト・ポーターよりも賃金がずっと安いんだ」

「ふぅん」

 視線を落としたまま、生返事をしたツクシが考えこんでいるうちに、一行は大正門へ辿りついた。先日と同様にひと混みが出来ている。ネスト・ポーター希望者、食べ物飲み物を売る屋台、武器や革製品の補修を叫ぶもの、雑貨類を売るもの、敷地内から出入りする兵員たち――ツクシが顔を上げると、白馬に引かれた豪華な赤い馬車が、大正門前を埋めるひと混みに邪魔されて立往生をしている。

「退け、そこをさっさと退かんか!」

 馬車の御者が怒鳴り散らした。

 あれ、どこぞのお偉いさんでも乗っているのかな――。

 ツクシが足を止めたところで、

「ツクシさん、みなさん、おはようございます!」

 後ろから走り寄ってきた男の挨拶だ。

 駆け寄ってきたのはヤマダである。ヤマダは丸帽子のような鉄カブトをかぶり、紺色のツナギを着て、作業用の革ジャケットを羽織った格好だった。野営の道具が入っているらしき背嚢も背負っている。その手に十字槍まで持っていた。

「ヤマさん――」

 ツクシは呟いた。

 モグラとユキもヤマダをきょとんと見つめている。

「あァ、ヤマ、酒屋の仕事はどうしたァ――?」

 ゴロウは呻いた。

「あのよ、ネストはよ、まともな仕事にありついている奴が来るところじゃねえよ。ヤマは帰りなよ、マジでよ――」

 チムールは横を向いた。

 だが、唾は吐かない。

「ヤ、ヤマさん、あんた、やっぱり本気だったのか――」

 ヤーコフは昨夜の酒宴のさなか何か察するところがあったらしい。

 苦笑いを浮かべて、それを返答の代わりにしたヤマダが、

「うおっ、そちらはお二人とも導式鎧っすか。しゅ、しゅごいですね。しかも、そちらはプロト・タイプの導式機関仕様重甲冑。自分これ初めて見ました――」

 ヤマダの鼻息が荒い。

 興奮の蒸気で眼鏡のレンズが曇っている。

 満足気に頷いたリカルドが、

「フム、わかっておるな、青年よ。しかし、我輩が若りし頃、これを導式機関鎧とはいわなんだよ。正式名称は『導式重甲冑』だ。これには導式機関を使っておらんからな。良い機会だから覚えておきたまえ。我輩はリカルド・フォン・アウフシュナイダーだ。こっちにいるのは我輩の娘で――」

 リカルドが視線を使ってニーナを促した。

「私はニーナ・フォン・アウフシュナイダーよ」そう名乗ったニーナが、「このひと、ツクシの知り合い?」

 ニーナが横目でツクシを促した。

「このひとは俺の同郷から来たヤマさんだ」

 ツクシが応えた。

 ニーナがヤマダをまじまじと見つめながら、

「へえ、倭国から。じゃ、この眼鏡の彼も、サムライ・ナイトなんだ?」

「あのな、俺は、そのサムライ・ナイトってやつじゃないからな。だいたい、何だよ、そのサムライ・ナイトって。言葉として何かおかしいし、何よりも語感が恰好悪いだろ――」

 うなだれたツクシはぶつくさ文句をいっている。

「僕は日本から来た山田孝太郎というものです。リカルドさん、ニーナさん」

 ヤマダが名乗った。

「ヤマさん、あんたも、やるつもりか?」

 ツクシがヤマダを睨んだ。

「はい、ツクシさん。僕も日本へ帰る道を探すつもりっす」

 ヤマダの黒ぶち眼鏡にツクシの不機嫌がまっすぐ映っている。

「ヤマさん、これは命懸けだぜ。それに酒場でもいったがな、ネストから日本へ帰れる可能性は限りなく薄いんだ。それでもやるのか?」

 ツクシの眼光が鋭くなった。

「わかってます。僕は日本へ帰りたい。帰らなきゃいけない」

 ヤマダの眼鏡の奥にある瞳はツクシの刃の眼光から逃げなかった。

「はァ、倭国だかニホンだか知らないがよォ、物好きが多いなァ――」

 ゴロウが溜息と一緒に肩を落とした。

「フム。これで七人だな。ゴロウよ、みんなでまとめて八人の班へ登記するのはどうかね?」

 リカルドが提案した。

 ニーナが興味深そうにツクシとヤマダを見比べながら、

「お父様、それいいかも。私もサムライ・ナイトに興味があるし――」

 ヤマダは高い位置から自分へ刺さる美人の視線に気後れしておどおどしていた。ニーナの身長は百七十センチ以上あって女性としてはかなり背が高い。ヤマダは小男のチムールと似たような身長だ。

「まァ、どっちにしろ、今日は親父さんとニーナ、それにツクシと四人で登記するつもりだったからなァ。ツクシ、どうせ、ヤマの面倒も俺に見ろっていうんだろ?」

 顎髭に手をやったゴロウがツクシへ目を向けた。

「ああ、頼んだぜ、ゴロウ」

 ツクシが頷いた。

「すんません、ゴロウさん、迷惑をかけるっす」

 ヤマダがゴロウへ頭を下げた。

 酒屋の営業で鍛えられたのか、いい角度のお辞儀だ。

「で、ヤーコフとチムールは今回、俺たちと一緒にやるか?」

 ゴロウが訊くと、

「ね、願ってもない話だ。頼むよ、ゴロウさん」

「俺はよ、どうでもいいよ」

 ヤーコフとチムールは快諾した。

「七人かァ、中途半端だなァ、八人なら四輪荷車班に収まりがいいんだが。まァ、とにかく登記所へ行くか。あと一人は適当にだなァ――ああ、あいつでいいや。おーい、トニー、おめェ、ちょっとこっち来いやァ!」

 ゴロウがダミ声を爆発させた。周囲にいたひとがぎょっとして何人か振り返るほどの音量である。ゴロウの真横にいたツクシは耳鳴りで顔を歪めている。

「――げえっ、ゴ、ゴロウ! ま、まだ金は払えない払えないぞ。分割払いでいいって、一昨日に約束したじゃないか。もう辛抱できなくなったのか、このドケチめが!」

 ゴロウが正門前で呼び止めたのは、先日、ネストで自分の嫁を犬に食われそうになったトニーだった。

「ゴロウ、本当にケチだからね」

「ゴロウは本当にド毛チンボだからなあ!」

 ユキとモグラがゴロウを見上げた。

 髭面を曲げたゴロウが、

「あのなァ――トニー、今日は集金じゃねえよ。俺の班に一人空きがあるけどよォ、おめェも一緒にどうだ?」

「えっ? ゴロウ、俺をその班に入れてくれるのか?」

 逃げようとしていたトニーがくるっと振り返った。

「まァ、トニーが嫌ならいいぜ、他を当たる」

 ゴロウはあっさりとしたものである。

「い、いやいや、頼むよ、ゴロウ、俺をその班に入れてくれよ。マジか、生存者サバイバーだらけだ。今回もネストから生きて帰れそうだぜ、俺はツイてる!」

 トニーは身振り手振りのアピールを交えて参加を希望した。

「サバイバー?」

 ツクシが首を捻った。

「長く生きてるネスト・ポーターは自然と有名になるってだけだァな」

 面白くもなさそうにゴロウがいった。

「ふぅん、リカルドさんやニーナもそのサバイバーって奴か?」

 ツクシが他の面々を見回した。

「特別、名誉なことでもないがな」

 顎をしゃくらずにリカルドが応じた。

「そういわれているみたいねー」

 ニーナがツクシへ視線を流した。

「俺たちもよ、ネストの長生き組だよ、ツクシよ」

 チムールがぺっと唾を吐いた。

「い、一応な」

 ヤーコフが頷いた。

「みんな、行こう!」

 モグラが「ニッ」と笑って号令した。

「うん!」

 ユキが瞳を細めた。

「みなさん、改めてよろしくお願いします」

 改めてヤマダがそこにいた一同に頭を下げた。やはり、良い角度のお辞儀である。

 そのお辞儀の脇を抜けながら、

「ヤマさん、男がそんな簡単に頭を下げちゃダメ」

 ニーナがクスクス笑った。

 ツクシたちは揃ってネスト・ポーターの登記受付へ向かった。

「ツクシはやっぱり、あのサムライ・ナイトなのか?」

 列に並んでいる最中、トニーが訊いた。

「どいつもこいつもしつこいな。俺は俺だ。そんなんじゃねェ」

 ツクシは憮然と応えた。トニーは二十六歳の男性で、フル・ネームをトニー・アントニオと名乗った。トニーはモミアゲとタレた目とケツ顎が印象的な若者である。登記所の受付にいたのは以前にも見た中年の事務員だった。その彼からツクシへ渡された認識票に刻まれた文字も前と同じウルズだった。

 中年兵士は手元の書類に目を落としたまま、

「この前、ウルズ組は全員生きて帰ってきた。ゲンがいいだろう?」

 そのあと、フィオ、ウルズ、スリサズ、アンスール、ライド、ケナズ、ギューフ、と七組に分かれたネスト・ポーター二千人余が、ネスト管理省敷地内にある広場でネストの各階層へ振り分けられた。ツクシたちのウルズ組の作業階層はネスト地下二階層に当たった。

 この前より一階層上かよ。

 もっと深い階層に当たりたかったが――。

 ツクシは顔をしかめている。

「この班の面子ならよ、もっと深くてもよかったのによ?」

 同じように顔をしかめたチムールがツクシに代わって唾を吐いた。

「だ、だけど、チムール。おれたちのケツ持ちは、また、あの下痢グソ馬鹿だ。あ、浅い階層で助かった」

 ヤーコフはウルズ組についた輸送警備小隊の隊長へ、冷たい視線を送っている。ヤーコフの視線の先にいるのはボルドウ小隊長だった。ツクシの後ろで、ゴロウがヤマダへ、ネスト・ポーターの仕事内容を大まかに教えている。だが、ヤマダもカントレイア世界で一年間生き延びているので、ネストでやる荷運びの仕事内容は事前に把握している様子だ。

 今日はユキとモグラ、それに新人のヤマさんもいるからな。

 比較すると安全らしい浅い階層のほうがいいか――。

 ツクシはそう思い直して、

「ユキ、モグラもだ。約束は必ず守れよ?」

 ユキもモグラも素直に頷いた。

 それを見てツクシは口角を少しゆるめた。

「うーし、お前ら、とっとと歩けやあ!」

 ボルドウ小隊長の居丈高な号令でウルズ組の移動が始まった。

 以下、ツクシが同行する人員の総数である。

 ネスト・ポーター登記者のうちウルズ組に振り分けられたものが二百名以上。王国陸軍銃歩兵予備輸送警備小隊、通称でボルドウ小隊の兵員が三十三名。ボルドウ小隊は、小隊長一名、副隊長一名、衛生兵一名、銃装備または斧槍装備の兵員が三十名の構成。

 以下は、ツクシに加えて彼と行動を共にするもの。


【九条尽】

 サムライ・ナイト(?)、ヒト族、三十四歳。

 身長百七十五センチ前後。痩せ型の筋肉質、眼つき鋭い不機嫌な男。

 ワーク・キャップを頭にのせ、全身を覆う黒い革鎧『黒蜥蜴』を装着、その上に暗いオリーブ色の丈の長いインバネス・コート『飛竜』を羽織う。足元は黒いアーミーブーツ。腰の剣帯から日本刀を吊っている。異世界カントレイアから日本へ帰還するための扉をネストで探索中。


【ゴロウ・ギラマン】

 布教師、ヒト族、二十九歳。

 身長百九十センチ超。筋骨隆々、赤髭の偉丈夫。白い布で頭を宝冠に結び、白いツナギの上に、草摺付きの革鎧。白い武装ロング・コートを羽織っている。脛に黒い脚絆、足元は黒いブーツ。手には、導式を補助するため月影石の手甲を装着。全長二メートルを超す鉄製の錫杖を持つ。導式陣と薬術を扱う。


【ユキ】

 猫っぽい、半獣人ルー・ガルー、たぶん十歳前後。

 身長百三十センチ弱。銀髪ショートカットに猫耳と猫のしっぽが付いた美幼女。丈が短いベージュのワンピースの上に、赤茶色のフード付きマントを羽織っている。足元は膝下まである赤茶色のブーツ。柄のついた紐で腰を絞っている。腰紐から革の水筒を吊って、ツクシの背嚢を背負う。唇の形がちょっと猫っぽい。


【モグラ】

 ネスト・ポーター補佐、ヒト族、十三歳。

 身長百七十センチ弱。全体的に丸っこい、立派な体形を持った少年。ベージュの上衣にズボン、それに茶色いブーツ。茶色いマントを羽織っている。腰紐からは革の水筒が吊られている。背にはゴロウとリカルド、それにニーナの荷が入った背嚢を背負うことが多い。トップだけツンツンと残した髪形の所為で顔の形がパイナップルのように見える。


【チムール・ヴィノクラトフ】

 凄腕の弓使いアーチャー、ヒト族、三十三歳。

 身長百六十センチ弱。剣呑な顔つきをした小柄な男。頭に深緑色の鹿撃ち帽子ディア・ハンター。深緑色のシャツとズボンを着用、その上に丈の長い革のベスト。足元は色褪せた黒いブーツ。矢筒と狩人弓ハンター・ボウを背負い、腰には短剣。北の戦乱から逃れてきた戦争難民。ネストの荷運びで収入を得ている。


【ヤーコフ・ヴィノクラトフ】

 気は優しく力持ち、ヒト族、三十二歳。

 身長百九十センチ強。厳つい黒髭の大男。頭に緑のチューリップ・ハット、緑の上着にズボン、毛皮のベストを羽織っている。足元は茶色いブーツ。チムールの手荷物と一緒に背嚢を持つ。腰には短剣と木こり斧。北の戦乱から逃れてきた戦争難民。ネストの荷運びで収入を得ている。


【山田孝太郎】

 元ニートで現在はボルドン酒店の従業員、ヒト族、三十六歳。

 身長百六十センチ弱。黒ぶち眼鏡をかけた小柄な男。頭に丸帽子型の鉄カブト。紺色のツナギの上に、作業用のベストを着ている。足元は濃い茶色のブーツ。野営道具の入った背嚢を背負い、手に十字槍を携える。異世界から日本への帰還を果たすべく、ネストへ通うことを決意。


【リカルド・フォン・アウフシュナイダー】

 重装歩兵、ヒト族、五九歳。

 身長百八十センチ弱。髪を後ろになでつけ、カイゼル髭を生やした初老の男。導式重甲冑で全身固め、甲冑の上は赤いサーコートを羽織る。赤いマントを背になびかせている。武器は巨大な刃を持つ斧槍。現状、経歴不明。


【ニーナ・フォン・アウフシュナイダー】

 重装歩兵、ヒト族、十九歳。

 身長百七十センチ弱。とび色の長髪を後ろで束ねてポニーテールにした美人。胸部、腕部、脚部に導式機関仕様重甲冑を装備。甲冑の下に黒い防護スーツを着用。背に巨大なタテを背負い、腰の剣帯からは刃渡り一メートルの幅広剣を吊る。過去、タラリオン王国陸軍の重装歩兵隊に所属していた模様。


【トニー・アントニオ】

 ネスト・ポーター、ヒト族、二十六歳。

 身長百七十センチ弱。茶髪にミモアゲ、ケツ顎の若い男。白っぽい上衣に白っぽいズボンに革のベストを羽織っている。脛にゲートルを巻いて、足元は黒いブーツ。背嚢を背負い、腰に短刀を吊っている。以前、自分の嫁をファングに食われそうになった。


 

 移動が始まって、ネスト・ポーターと兵士の列が、ネストの出入口へ吸い込まれてゆく。

「またしばらく陽の光ともお別れだな――」

 ツクシは列について歩きながら空を見上げた。

 空はいよいよ暗く重く降雨の気配を知らせている。

 曇天が異形の闇へ呑まれるひとの列へ生臭い風を吹きつけ嘲笑った。


(二章 異形の巣 了)

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