三章 その銘は、ひときり包丁

一節 三ツ首鷲の騎士

 ツクシ一行がネストの出入口――赤土の階段へ足をかけたところで、周辺が「おぉお!」と、どよめいた。

「何事だ――」

 ツクシは背中越しに視線を後ろへ送った。

 金網の向こう側だ。赤い鍔広帽子に赤いロング・コート姿の派手な若者が、ネスト管理庁長官のヴェンデリン・フォン・ハルトマン大佐と立ち話をしている。

「あっ、あれは三ツ首鷲の騎士!」

 ヤマダが叫んだ。

「ヤマさん。騎士がそんなに珍しいか?」

 この世界では、そんなに珍しいものでもないんだろ――。

 ツクシは怪訝な顔だ。

「どっ、どういう風の吹き回しだ。緋色の騎士が何でネストに来てるんだァ?」

 ゴロウも目の玉が飛び出そうなほど驚いた顔だ。

「お、俺も初めて見たよ。あれが三ツ首かよ。派手な野郎だよ」

 チムールも細い眼を丸くしている。

「ナ、騎士ナイトだ、チ、チムール、あれは間違いなく騎士だ!」

 ヤーコフが顔を真っ赤にして怒鳴った。

――見りゃわかるよ。ヤーコフよ、耳元で怒鳴るなよ。二日酔いの頭に響くだろうがよ――」

 チムールが顔をしかめた。

「すげえ、すげえ、三ツ首鷲の騎士だよう!」

 モグラはその場で飛び跳ねている。

「そんなすごいひとなの?」

 ユキは顔と猫耳を傾けた。

「リカルドさん。あの赤い外套は何者なんだ?」

 ツクシは周囲に比べると冷静なリカルドへ水を向けた。

「ツクシよ。あそこにいる彼は『緋色の騎士スカーレット・ナイト』だ。驚くようなものでもない。もっとも、彼は我輩の知らない顔だな。最近、見習い騎士から正騎士に昇格した者やも知れん」

 カイゼル髭をしごきながら、リカルドが応じた。

「スカーレット?」

 眉根を寄せたツクシへ、

「ツクシは、タラリオン王国に来たばかりだものね、知らないのも無理ないわ。あそこにいる彼は王国軍の司令官の一人なの。タラリオン建国当初から存続している王族親衛隊の隊員よね。正式名称は『三ツ首鷲みつくびわしの騎士団』。緋色が騎士団のシンボル・カラーなのよ。だから別名、緋色の騎士。とにかく、王国軍では一番偉いひとよ」

 ニーナが説明をした。

「司令官――タラリオンの軍は、あんな若造が将官なのか?」

 ツクシが呟いた。緋色の騎士の後ろには二名の小さいのと緑色の肌の巨漢が控えていた。小さいのはドワーフ族、巨漢はグリーン・オーク族のようだ。

「お、おい、お前ら、さっさと進め、動けよ、オラ!」

 ボルドウ小隊長が列を前に進めようと躍起になっている。頬垂れたおちょぼ口の醜男の顔が赤く染まっている。

 このブルドッグは、緋色の兵士ってとこかな――。

 ツクシが口角を歪めたところで、「ゴッガァン、ギッシャァア!」である。地下一階層は今日も導式エレベーターが鋼鉄の爆音を鳴らしていた。音に驚いたヤマダが爪先立ちになって前方を凝視している。

「ヤマさん、酒屋の仕事は本当にいいのか?」

 ツクシが訊いた。

「あっ、はい、ボルドンさんに暇をもらいました。ツクシさん、これって何の音っすか?」

「あれはエレベーターの音だぜ。それがまたえらく乱暴な乗り物でな。ああ、ヤマさん、今のうちからその十字槍の穂先にカバーをつけとけ。なければ手ぬぐいでも巻いておくといい。やっとかないと箱のなかで誰かを突き殺すぞ」

「あっ、そうですね、抜き身じゃ危ない――」

 ヤマダが背嚢から手ぬぐいを取り出して、それを十字槍の穂先へ巻きはじめた。

 それを手伝いながらツクシが訊いた。

「ヤマさんは酒屋の店員とネストの荷運び、二足のわらじをやるのか?」

「二足のわらじ――ええ、当面はそうなるっすね。最近は店の方も忙しくて、人手が足りんですから――そろそろ持ち馬を買って、従業員も増やそうかって話もしてますし――」

「そうか、社長によく許してもらえたな――ヤマさん、それじゃあまだ甘い、もう一枚、手ぬぐいはないか?」

「そ、そんなに揺れるんすか、導式エレベーターって――ネストは一回潜った後、一日休みらしいっすからね。今後もボルドン酒店の仕事をできるだけ手伝うつもりですよ。それに、僕がカントレイア世界に迷い込んだ経緯は、ボルドンさんには前々から話をしてありましたから。ボルドンさんは『ヤマが覚悟を決めたならできる限りで頑張れって』といってくれたっす。この鉄カブトも槍もボルドンさんからの借り物っすよ。もっともボルドンさんだって、まだ半信半疑だと思いますよ。僕たちが日本から来たって話っすね。僕だってどうしてに異世界こっちに迷い込んだのか、未だによくわからないし――」

 ヤマダが十字槍の穂先を手ぬぐいでぐるぐる巻きにした。ついでにヤマダはツクシにその手ぬぐいを何枚か渡した。手ぬぐいには異界の文字が入っている。ツクシには読めない。

「ああ、それは『ボルドン酒店』って入れてあるっす。昔ながらのよくある宣伝っすよね。でも異世界こっちではまだ一般的ではないみたいで、すごいアイディアだって、うちの社長、目を丸くしてたっすよ」

 そんなやり取りを眺めていたチムールが口を挟んだ。

「ヤマよ、お前よ、やっぱり考え直せよ」

 エレベーターの順番待ちは長い。雑談くらいしかやることがない。周囲を見ると、新聞やら書籍やらを持ち込んでそれを眺めているネスト・ポーターもいる。

「ああよォ、ヤマ。ネスト・ポーターは堅気の仕事を捨ててまでやる仕事じゃないと、俺も思うぜェ」

 ゴロウもチムールに同意した。

「だよなあ、ゴロウ。俺だってまともな食い扶持があればネスト・ポーターなんて――」

 顔をしかめたトニーも同じ意見のようだ。

 周囲の意見に苦笑いで応じたヤマダは、

「ああ、そうそう。ボルドン酒店では従業員を募集してますよ。むしろ、みなさん、酒屋に就職するのはどうっすかね。ウチの会社はまだ小さいけど将来性は大いにあるっすよ!」

 逆に従業員の勧誘を始めた。

「まあよ、あの酒は悪くなかったけどよ。ヤマよ、俺たちの足をひっぱるなよ?」

 チムールは横を向いた。

「ああなァ。ツクシもヤマもよォ、倭国出身者ってのは他人のいうことを全然聞かねえんだなァ。倭国人ってよりサムライ・ナイトがみんなこうなのかァ?」

 ボヤいたゴロウは頬髯に手をやった。

「ヤマさん、お、俺にはわかるよ、こ、故郷はいいものだ、チムールも俺も――」

 ヤーコフの発言を、

「ヤーコフよ、やめろよ、虚しいからよ」

 チムールが遮った。

「あっ、ああ、すまん、すまん、チムール――」

 ヤーコフが視線を落とした。

「いや、希望は持つべきだ、チムール。いつになるかはわからぬ。だが、いつか戦争は終わる。そうなれば我々の帰る場所も見つかる筈なのだ。これが希望だ。希望は決して裏切らぬ人生の友だ。もっとも、それを信じている限りではあるが――」

 顎を引いたリカルドの顔に影がよぎった。

 その影を避けるように、チムールは横を向いた。

 赤土の地面へ視線を落としたニーナが、

「――そうね、戦争って、ずっとは続かないわ。それって歴史が証明しているから」

 大人たちのやり取りをぽかんと口を開けて眺めていたモグラが、

「オイラの村はぜんぶ燃えた。だから、オイラにはもう故郷がないなあ!」

「モグラも内陸出身なのか?」

 ツクシが訊いた。

「うん、ツクシ、オイラは父ちゃんと王都へ逃げてきたんだ。ばあちゃんや母ちゃんやオイラの妹やともだちは、みんな、村と一緒に燃えた。そんとき、オイラと父ちゃんは山羊を連れてお山の向こうへ行ってた。オイラと父ちゃんが村へ戻ったとき、オイラの村が、魔帝軍のヒッポグリフ騎兵とグレムリンに燃やされてた。オイラの家が、オイラのばあちゃんが、オイラの母ちゃんが、オイラの――」

 語り続けるモグラの声が震えている。

 真っ赤になったモグラの丸い顔を見て、ツクシは顔を引きつらせた。

 ゴロウとユキが口を滑らせたツクシを睨みつけながら、

「俺ァ、王都出身の都会っ子だぜ、ツクシよォ!」

「わたしも、王都しゅっしんだよ、ツクシ!」

 双方、歯を剥いて明らかにツクシを非難していた。

「そっ、そうか、二人とも王都出身なんだな!」

 大声でいったツクシの額にじわりと脂汗が浮いている。

「赤毛の大猿と猫がよ。都会っ子もへったくれもねえだろうよ。野生へ帰れよ」

 チムールが毒づいた。それを聞いたモグラがゴロウとユキを見比べて「ニッ」と笑った。リカルドもニーナもヤーコフもトニーもヤマダも笑った。

 ゴロウとユキは苦笑いである。

「ネスト・ポーターはよ、お互いの過去を詮索しねェよ」

 うつむいたツクシはチムールの言葉を思い出して反省した。

 そうこうしているうちに、ツクシ一行とウルズ組それにボルドウ小隊が加わった総勢二百名以上は、ネスト地下二階層の上がりエレベーター・キャンプ前に到着した。ツクシが懐中時計で時間を確認すると午前十時三五分。

 ボルドウ小隊長の居丈高な指示で各班へ人員が振り分けが行われた。

 補佐役のユキとモグラを含め十名のツクシたちは八人編成の四輪荷車一班へ配属される。この四輪荷車一班は輸送隊列の先頭へ位置する。警護の小隊を呼ぶ警笛は、班のリーダーとして登録しているゴロウへ手渡された。

 荷の積み込み作業が開始。

 ツクシの班が四輪荷車に積み込むのは銃弾が詰まった重い木箱の数々だ。箱の外へ焼印された図案を見ると、これらはどうも野砲の弾丸らしい。

「ネストの最下層ってのはどんな戦場になっているんだ――」

 ツクシが眉根を寄せながら、取り扱いに注意が必要な重い木箱を相手に四苦八苦していると、横から来たニーナが木箱をひょいと持って荷台へ放った。

 見るとリカルドも重い木箱を二個三個、平然と持ち運んでいる。

「それが導式鎧の機能か。まるで重機だな――」

 便利そうで、ツクシは導式鎧が羨ましくなった。

「ね、結構、便利でしょ?」

 ニーナがツクシへ視線を流した。とび色の瞳を持つ切れ長のニーナの目である。それがツクシの不機嫌な顔を映して笑っていた。

「まあ、便利は便利なんだが――」

 ツクシは呻いた。ニーナは自分に顔を向けたまま、火薬入りの木箱を荷台へ次々放り投げている。危険物をこんな乱暴に取り扱って平気なものなのか、ツクシは心配になってきた。

 リカルドが自分の娘の乱暴狼藉を横目で眺めながら、

「これが人工秘石を使った量産型導式鎧の難点なのだ。持続して細やかな動作ができん」

 いや、これはどうも性格の問題だろうぜ――。

 ゆっくり後ろへ下がってニーナから距離を取ったツクシはそう考えた。ニーナの乱暴で効率が良い積み込み作業を遠巻きにして眺めている他の連中も同じ意見のようである。四輪荷車は前方で二名が引手を担当する。リヤカーよりも四輪荷車は荷が重いので後方から何人かこれを押して補助する形をとる。ヤーコフが荷の引き手に名乗りを上げて、次いでヤマダが立候補をした。

「小柄なヤマさんが前で大丈夫か?」

 ツクシがいった。

「酒屋の営業ではずっとリヤカーを引いていたっす。全然、平気っすよ。それに王都の道と違ってネストは坂がないっすから」

 ヤマダは苦笑いで応えた。

 ネスト地下二階層の大坑道を進行し始めると、ウルズ組は屍鬼三体と遭遇した。しかし、悲鳴ではなく歓声が上がった。

 額を矢で貫かれた屍鬼が地面へ倒れるのと同時に、

「やけに多いじゃねえかよ、今日はよ――」

 チムールが唾を吐く。ゴロウが警笛を鳴らすまでもなかった。輸送隊列が前方で遭遇した屍鬼の三匹は、すべてチムールの弓矢が文字通り矢継ぎ早に処理を終えた。

「相変わらず凄い腕前よね。チムールって矢を外したことがあるの?」

 ニーナが呆れたような口調で褒め称えた。

「ニーナよ、こんなので褒められても嬉しくねえよ。屍鬼は鈍いからよ。木の的と変わらねえよ」

 チムールはニーナへ視線すら返さない。

「うん、凄いなあ、チムールの弓。オイラも弓の練習をしようかなあ!」

 四輪荷車を押していたモグラが声を上げた。

「フム、我輩の出る幕もない――」

 リカルドはカイゼル髭をしごきながら面白くなさそうだ。

「チムールはおれたちの村で一番の狩人だったんだ、領主様の御前狩でも一番の――」

 四輪荷車を引くヤーコフが嬉しそうに語り出した。

「ヤーコフ、その話、何度、聞かせるつもりなの?」

 ニーナが横目で視線を突き刺した。

「あ、ああ、すまん、すまん、ニーナ」

 ヤーコフが大きな肩を竦めた。

「ツクシ。臭いね」

「ああ、ユキ。でもこの前のよりマシだぜ。それでも臭いがな――」

「うん、やっぱり臭い」

「ああ、臭いな――」

 ツクシとユキは鼻先をヒクヒクさせながら、他人様ひとさまの死体の臭いの強さを真剣な表情で判定している。

「腐ってない屍鬼は動きが素早いっすよ、ツクシさん」

 ヤーコフの隣で四輪荷車を引くヤマダである。

 腐った死体から視線を外したツクシが、

「へえ、よく知ってるな、ヤマさん」

 もう一時間以上重い荷車を引いているがヤマダは平然としていた。

「屍鬼動乱のとき、散々追い回されたから、屍鬼の生態には詳しいっすよ自分。ああでも、屍鬼は生きてないから生態とはいわないのか――」

 ヤマダは変なところでつっかかって神妙な顔になった。

「へえ、ヤマは屍鬼動乱の生き残りだったのか、俺もだぜ!」

 声を上げたのは荷車を押しているトニーである。

「おお、トニーさんもですか!」

 荷車越しにヤマダが返事をした。

「見かけよりも、タフだなあ、ヤマは――」

 元気な返答を聞いて額に汗を浮かせたトニーは苦笑いだ。

 ゴロウが赤土に横たわる死体に戻ったものを見やって、

「しかし、今日は屍鬼が多いなァ、どうなってんだかよォ?」

 死体は亜麻色の長い髪を持った若い女性だった。

「さ、最近は浅い階層に屍鬼が多い――」

 ヤーコフが呟くようにいった。

「ネストは深い階層のほうが安全なのか?」

 ツクシが通り過ぎようとしていたその死体へ視線を送った。亜麻色の長い髪に、派手なフリルがついた紫色のワンピース姿だ。靴はどこかで脱げてしまったらしい。うつ伏せになった死体の女の足の裏が見えていた。その皮膚が破けて泥と血で黒くなっている――。

「――んなことは全然ないね。妙な噂だってあるしな――そ、そろそろ誰か、俺と荷押しを代わってくれないか?」

 トニーがケツ顎を突きだして音を上げた。その横で荷車をぐいぐい押しているモグラは平気そうである。

 ツクシがトニーと交代して、

「それで、トニー。その噂ってのはどんなのだ?」

「ふう、ツクシ、助かるぜ。ああ、噂か? エレベーター・キャンプの衛兵が夜になると消えるらしいよ」

「消える?」

「そうそう。ドロンと煙のように衛兵が消えちまうんだとさ」

 頷いたトニーは革水筒の中身を飲んでいる。

「フムム、脱走兵だな。けしからん話だ。軍規が乱れておる!」

 リカルドはご立腹の様子だ。

「リカルドの親父さん、脱走つってもよォ、ここはネストだぜ。出入口は一つだけだし、単独行動をしたら死ぬ。兵隊さんが逃げたくても逃げる先がねえと思うがなァ――」

 ゴロウが顎髭に手をやった。

「フム、そういわれるとそうよな、ゴロウよ」

 頷いたリカルドの機嫌はもう直った様だ。

 トニーが革水筒を腰のベルトへ結わえ付けながら、

「だから、妙な話なんだよ。夜更けにさ。夜警についた兵士が、悲鳴も上げず、襲われた気配もなく、一人、また一人、消えるんだ――」

「うぅう!」

「オ、オイラは幽霊なんか怖くないぞ、トニー!」

 ユキとモグラが抗議の声を上げた。

 両方ともトニーを凝視している。

 それを見たトニーが意地悪く笑って話を続けようとすると、

「ト、トニー、子供を脅かして遊ばないでよ!」

 ニーナが大声を出した。

 声が硬い。

 いつもは切れ長の目が丸くなっている。

「馬鹿なことをやってんじゃねえよ、トニーよ――」

 チムールが唾を吐いた。

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