第6話 ある若者の述懐(地下回廊にて)

 父は僕が幼い頃に魔王討伐の旅の途中、火山に落ちて死んだ。僕は父の顔を見たことが無かった。いや、僕が生まれた後で父は旅に出たらしいから、もしかしたら幼い頃見たことがあるのかもしれない。ただ、少なくとも僕の記憶には残っていなかった。祖父や母が言うには、僕は父の若い頃に良く似ているらしい。僕はたまに鏡に映った自分の顔を見て、父の顔をイメージしてみるけれど、あまりピンとこなかった。

 父は僕の生まれた国の英雄だった。初めて会う人は皆そろって、僕に会うとまず父を褒め讃えた。幼い頃は自分が褒められているようで嬉しかったりしたけれど、成長とともに、段々とそうではない事が分かってきた。会う人は皆、僕ではなく僕の父の息子を見ていたのだ。それは母ですら例外ではなかった。何かにつけ、母は父の名を口にし、父であればこうする、父であればこう言う、そんな事ばかり言っていた。ことあるごとに僕と父は比較され、その度に僕は面白くない思いをしていた。偉大な父と比べられて褒められるわけがない。できるのが当然、できなければ不出来。ただそれだけだった。

 剣の修行も魔法の修行も、僕は他の子どもよりはるかにできたけれど、それでも誰からも褒められる事は無かった。さすがはあの男の息子、さすがはあの男の血筋、竜の子は竜なのだ。讃えられるのは父ばかりだった。

 そんな幼少時代を過ごしたものだから、表向きは素直な様子を演じていたけれど、内心では父に対する劣等感、他人に認められたいという願望が渦を巻き、僕を苦しめていた。

 十六歳になった時、勇者の名を拝命するために王様に謁見した。父からのおさがりのようなその称号には何の興味も無かったけれど、この国を出る事の許可を貰うためには仕方ない事だった。

 王様は簡単に父の話をしてから、僕に仲間を連れて行くように勧めた。僕はそれまで、同世代で自分以上の力を持つ者を知らなかったから、足手まといを増やすようで気が進まなかったけれど、後にして思えば、これは僕にとってとても良い事だったと思う。

 街の酒場に行って僕は3人の仲間を得た。彼らは僕の事をオルテガの息子ではなく、一人の勇者として見てくれた初めての人たちだった。僕に初めてできた、本当の意味での仲間だった。彼らとの旅は、父と比較され続けた僕を安心させ、僕を父の呪縛(といっても差し支えないと思う)から解き放ってくれたのだ。

 旅の途中ですら、偉大な父の噂は聞こえてきたが、それでも僕はそれを何の引け目も感じることなく、素直な事実として受け入れ、他人に話す事ができるようになったのは、彼らが一緒にいてくれたからだと思う。


 仲間のありがたさを最も感じたのは、ランシールの神殿で僕が世界のへそと呼ばれる洞窟に挑んだ時だ。

 その洞窟は一人でなくては立ち入れない決まりがあったため、僕は一人で入った。父もそうだったらしいけれど、僕は回復魔法、攻撃魔法、剣もそれなりに扱える、特異な性質を持っていた。だから、ランシール神殿の神官から挑発のように言われた言葉「お前には、一人で戦う勇気はあるか」という言葉に、自信をもって頷く事ができた。

 実際、僕は戦う技術において、その洞窟に苦労する事は無かった。しかし、その洞窟の恐ろしさは敵の強さや数ではなかった。行き止まりの多い道、途中で道を変えるように叫ぶ石像が、僕の足を何度も止めさせた。距離で言えば大した事のない道でさえ、とても遠く感じた。

 その時僕は、自分がどれだけ仲間に依存しているのか気付いたのだ。道に迷った時、勝てないかもしれない敵と遭遇した時、いつも僕の傍らには仲間がいて、彼らがいたからこそ、彼らと相談し、議論し、結論を決め、僕は迷わず進む事ができたのだ。

 神官の言った言葉「お前には一人で戦う勇気はあるか」

 その言葉の重みに、一人になって初めて気が付いたのだった。

 その洞窟で僕は、求めていた至宝の一つであるブルーオーブを手に入れた。ただ、僕が心に得たものはそのオーブより遥かに大事なものだったのではないかと思う。

 その洞窟から戻った後、僕たちは祝杯をあげた。僕は仲間たちと共に居られるその幸福に、彼らに知られぬよう、涙を流した。


 仲間たちが寝静まった後、僕は一人月を見上げていた。仲間たちの大切さを知ったその日、ただ一人で戦い続けた父の事を考えたのだ。

 父は旅の途中、人々からあれほど慕われていたにも関わらず、誰かと共に旅をする事が無かったらしい。断片的ではあるが、父を知る人間の話からは、誰かが常に父に同行していた様子はまるで無かったのだ。父が拒んだのか、或は父についていける人間がいなかったのか。アリアハンを出る時の自分のように、自分以上の能力を持った人間がおらず、皆足手まといになると思ったのかもしれない。ただ、人々の話を聞いていると父は誰かを見下したりするような人間ではなかったようだ。

 いや、そんな事は考えても意味はない。それよりもむしろ、一人で旅する孤独を知った今、僕は父がどうして、一人で旅をつづける事ができたのか、その事の方が分からなかった。

 自分が誤った道を歩んでいるかもしれない。

 自分が無駄な事をしているのかもしれない。

 未知なる強敵と対峙して、時に瀕死の傷を負いながら、何故父はそれでもたった一人で戦い続ける事ができたのだろう。何がそれほどまでに父を戦いに駆り立てていたのだろう。

 僕は宿の傍にある池に蛙が飛び込み、池に広がる輪を静かに見つめていた。それは空気の澄んだ静かな寒い夜だった。

 僕はその輪が広がり、いつしか消えていく音を聞こうとするようにジッと耳を澄ませていた。だが、僕の耳に、その音が聞こえる事は無かった。

 波立つ池の静けさを聞き取れなかったのではない。

 「お前には、一人で戦う勇気があるか」

 ランシールの神官のその言葉が、いつまでも僕の耳を離れなかったからだ。


 それ以降、僕は、父を知る人たちから話を聞くようになった。僕の顔は父に似ていたので、父を知る人を探すまでも無かった。父と繋がりの深い人たちは、自然と僕に父の事を語ってくれたからだ。ノアニールで長い眠りについていた剣士、世界樹の森に棲むホビット、ルビスに仕える精霊、彼、彼女らは皆、それぞれに父に対して別々の見方を持っていた。人として、ホビットとして、精霊として父を見ていたが、それらに共通していたのは、父を心から慕っていて、そして誰もが、父が戦い続ける理由、戦い続けられる理由を知らなかった事だ。

 アレフガルドに来てから父が生きている事を知り、僕の心臓の鼓動は高まった。幼き日、いつも比べられていた偉大な父、記憶を失ってなおも魔王に挑み戦い続ける父、そんな父に一目でも会いたい、心からそう思った。

 父を知る妖精が教えてくれたほこらに、仲間たちと一緒に急いだ。仲間たちも僕の気持ちを察してくれ、何も言わず急いでくれた。しかし、辿りついたほこらは既に、父が去った後だった。三日ほど前にほこらを出て行ったと神官に言われた。

僕は神官にルビスの守りを示し、雨雲の杖と太陽の石を捧げた。

 さぞかし僕たちが来る事を待ちかねていたのだろう。神官は涙を流して言った。

今こそ太陽と雨が交わる時。

 神官が祈りを捧げると、虹の雫があらわれた。これをリムルダールの北の岬で掲げれば、虹の橋がかかるだろう、と神官は言った。

僕らは父を追って、すぐに魔王の城へ向かおうとした時、神官は僕に追いすがって言った。

 後生だから、あの男を助けてください。貴方がルビスに遣わされた使者ならば、何卒、あの男を。僕は思わず神官に聞いた。一体貴方は父の何を知っているのかと。

 神官はまず、僕が「あの男」の息子であることに驚いたが、その時起きた事を全て話してくれた。僕はその時初めて、父を突き動かすその根源を知った。

孤独であっても、瀕死の傷を負っても、自らの記憶を失ってさえも、それでも父が歩み続けたその理由を、僕は知ったのだ。

 父が魔王の居る島へと渡る方法を求め、ほこらを訪ねた際、神官が父の行く手を遮った。そして、戦い続ける理由を問い、絶対に通さぬ覚悟でいた時、父は静かにこう言ったのだ。

 かつての記憶すらない私だが、アレフガルドで多くの人々が魔物に襲われ傷つくのを見てきた。ただの一つでも私は見捨てなかったが、それでも助けられなかった者も多くいる。取りこぼすことがあった。抱えきれぬこともあった。挙句私は船ですら大破される海を己の身一つで泳ぎ渡ろうとしている。私には他に彼らを救う手段が見つからぬからだ。貴方の言う通り、私のやろうとしている事は無理な事かもしれん、無駄な事なのかもしれん。だが・・・彼はそこでいったん目を伏せ、そして言った。

 自分では勝てぬから、加護が無いから、選ばれた者でないから。だからとて、罪なき人々が苦しむ様に目を伏せ、諦めることが何故できる。

 そう言って父はこのほこらを出て行ったという。

 僕はただ、目を閉じ、大きく溜息をついた。幼い頃から比べられてきた父、多くの人から慕われてきた父、ただ一人で戦い続けていた父、僕は心のどこかで信じていなかった。

 いや、そんな人間がいるなどと、誰が信じられるだろう。どこまでも純粋に、愚直に、人々を救うために一人孤独に戦い続けた勇者の、英雄の存在。

 だが僕は今、誰よりもその存在をはっきりと感じる事ができた。父を避け、父を疎み、そして気が付けば父の幻を追い続けた僕だからこそわかる。純粋なる英雄の姿を、僕ははっきりと思い浮かべる事ができるのだ。

 僕は父を救わなければならない、僕が父を救わなければならない。僕が父を救うことで、父の抱える孤独を今、終わらせてみせる。

 心に熱い決意を秘め、僕は立ち上がった。そして、仲間とともに父の元へ向かった。

 リムルダールの街にも父を知るものたちが居た。街にいた老人の言によれば、父はやはりあの荒れ狂う波に飛び込んだらしい。老人は父が海の藻屑と消えたと証言したが、僕はそんな筈はないと確信した。火山に飛び込んで死ななかったあの英雄が、どうして海を泳ぐ程度の事で死ぬことがあるだろう。

 魔王の島に上陸し、既に城に乗り込んでいるに違いない。

 僕と仲間たちは、準備を整え、すぐにルビスの加護たる虹の橋で島へと上陸した。新たに立ちはだかる敵にも、もはや一片の恐怖すら感じなかった。あの英雄がそこにいる、そしてただ一人で先に進んだ彼が居るのに、仲間を連れた自分が負ける筈がない。負けていられる筈がない。

 英雄としての素養は、僕は父に遠く及ばない。ただの一度、ランシールの洞窟で一人になっただけで音をあげてしまった僕だ。ただ一人で戦い続ける事はできない。だが、仲間と共にあれば、決して父に劣ることなどありはしないのだ。

 永遠に感じるほど長い地下への階段を下りると、遠目に巨大な竜の怪物がいた。ジパングで退治したヤマタノオロチに似ているが、おそらく力はその比ではないだろう。圧倒的な威圧感や吐く燃え盛る炎の威力、どれをとっても数段上をいっている、そんな竜の怪物とたった一人で戦っている者がいた。僕は間違いないと確信した。あれこそが父に違いない。アリアハンの英雄、誰もが敬意を抱く勇者、オルテガに違いない。

 すぐに僕は加勢をしようとした。

 僕が駆け寄ろうとしたその時、英雄は膝をつき、怪物の尾が彼を強打し、さらに強力な炎を浴びせかけた。それはもはや輝かしい英雄の姿ではなかった。圧倒的な強者に弄ばれる、疲れ切った男の痛々しい姿だった。

 竜の化け物は彼をひとしきりいたぶると、満足したかのように消えて行った。

 僕はそんな光景を見て茫然としてしまっていた。

 偉大な英雄、偉大な勇者である父は人々の話の中でいつでも無敵の存在だった。何者にも負けない、火山に落ちてさえ死なない、魔王の島に泳いで渡る、そんな男だったのだ。そんな男が今、化け物に良いようにされ、打たれ、倒れている。僕にはそれが信じられなかった。

 仲間に叱咤され、我に返った僕は、すぐさま父に駆け寄り、声をかけ、回復呪文をかけ続けた。だが、もはや手遅れなのは、明白だった。

 火山で焼けたのであろう顔が竜の化け物の炎でさらに焼けただれている。打ち付けられた衝撃で全身の骨が砕けてしまっている。まだ息があるのが不思議なほどだ。

 それでも僕は父の身体を起こし、何度も父を呼んだ。すると父の爛れた瞼が震え、少し開いた。

 だが、その瞳にはもはや光が灯っていない。灼熱の炎を受けて目まで焼けてしまっているようだ。父は、掠れ切った声で呟くように何か言っているように見えた。僕は強く抱きしめるように父の口元に耳をあて、どうにか父の言葉を聞き取った。

誰かそこにいるのか・・・私にはもうなにも見えぬ・・・。何も聞こえぬ・・・。も、もし誰かそこにいるのならばどうか伝えてほしい。私はアリアハンのオルテガ。今すべてを思い出した。も、もしそなたがアリアハンに行くことがあったなら・・・。その国に住む息子を訪ね、オルテガがこう言っていたと伝えてくれ。平和な世にできなかった父を許してくれ、と。

 父はその言葉を最後に、二度と言葉を発さなかった。僕はしばらく父を抱いたまま、何もできずにいた。涙が僕の頬を伝っていた。

 その時、僕の頭の中に幼い頃の記憶、遥か昔の事で忘れていた記憶が蘇っていた。

 物心ついて初めて聞いた父の声が、僕の中で忘れ去られた記憶を呼び覚ましたのだ。

 心配そうで、悲しそうな母の声が聞こえた。

 ねえ、せめてこの子が大きくなるまで待てないの?

 それに申し訳なさそうに答える父の声。

 すまない。わかってくれ。

 俺は一日でも早く平和を取り戻したいんだ。お前やこの子のためにも。

 英雄、勇者として生き続けた父。

 一人で戦い続けた父。

 僕は父を孤独なのだと思い続けていた。

 僕は気づいてはいなかったのだ。

 父は孤独などではなかった。

 父が人々のために戦い続けたのは間違いない。父が他に類を見ないほど純粋に英雄としての性質を持ち続けたことも間違いはない。

 誰もが彼の事を尊敬しながらも、ただの一人も彼についていけなかったのはおそらくそういった理由なのだと思う。彼はどこまでも、気高く、どこまでも愚直で純粋だった。

 そして僕はその性質に憧れ、心から尊敬する一方で、どこか遠い人のように感じていた。

 僕は父がずっと孤独だったのだと思っていた。

 だが違ったのだ。彼は決して会ったこともない誰か、不特定多数の誰かではなく、人々の中に本当に守るべき存在、この僕を、ずっと見続けてくれていたのだ。旅の始まりから、おそらく幼き日の僕の顔、守るべき者の顔を目に焼き付けて、彼は旅に出たのだ。

 僕はそっと父の身体を横たえ、静かに大きなため息をついた。

 そして、拳を握りしめると、床に打ち付けた。

 僕の拳は地下回廊に高く響く音をたてて、石床に大きな穴を穿った。

 背後で静かに黙祷を捧げていた仲間たちの視線が僕に集まるのを感じた。

 勇者としての使命を持つ僕がこんなことを考えるのは間違っているのは分かっている。だけど、僕の心はもはやこらえようのないほどの怒りに震えていた。

 竜の化け物にだろうか。

 大魔王にだろうか。

 いや、そんな矮小なものにではない。

 父を死に追いやったすべてに対してだ。

 聖なるほこらの神官が同じことを言っていた。

 何故にこの父に加護を与えなかった、与えなかったのは精霊ルビスか、それとも神か。

 あんなたかだか竜の化け物では僕の怒りは収まらない。

 大魔王を殺したとて、僕の気が晴れる事は無いだろう。

 良いだろう、神の意思よ。これがお前の書いた筋書きならば、目論見通り僕が魔王を討ってやる。

 ただし、覚悟するが良い。

 魔王を討った後、もしお前が僕の前に立つことがあったなら、その時はお前の番だ。

 たとえ英雄の誉れを捨てることになっても、たとえそれがあの人の望みでないとしても、僕からあの人を、この世界からあの英雄を奪った過ちを必ず贖わせてやる。

 人の怒りが神に届かぬなど不遜な驕りと知るがいい。

 僕は立ち上がり、父の亡骸をそのままに、仲間たちと共に、父より引き継いだ勇者の責務を全うするために先へ進んだ。

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