第5話 ある聖職者の述懐(聖なるほこらにて)

 私は精霊ルビスに仕える神官である。私の家は代々このほこらを守る家系で、そのほこらを継ぐ者には厳しい修行が強いられていた。幼い頃は何故自分がこのような苦しみにあわねばならないのかと、修行を押し付ける周囲の人間を憎んでいた。だが、私は不思議とルビス様に対して憎しみを抱く事は一度として無かった。修行を押し付けるのはもっぱら父と祖父で、それがルビス様の意思によるもののように思えなかった。むしろ、辛い思いをした時は必ずルビス様が傍に居たような気がしていた。それが私の天稟なのか、血筋なのか、教育の賜物なのか、私には分からなかったが、どうにか私はほこらの管理者として認められ、今に至っている。かつて受けた修行は全部が全部役に立ったとは思えないが、このルビス様の神官という地位は、対価として余りあるものだった。

 私にとってルビス様はいつでも傍にいてくれる女神で、その御心に沿うためならば命を投げ出すことも厭わない。人々の中には、自らの妻や子供ためならば命も惜しくない人がいる、その対象が私にとってはルビス様なのだ。

 私は生涯ルビス様の信徒としての身分をまっとうする積りだった。日々人々にルビス様の教えを伝え、自らも修行に励み、人々に与え、尽くす、それこそが我が人生と心していた。

 だが、突然十数年前、大魔王ゾーマが現れ、精霊ルビス様はお隠れになった。一部では大魔王ゾーマがルビス様を封印したなどという噂が流れていたが、私はそんなものは信じなかった。きっとルビス様には何らかのお考えがあり、お隠れになったのだ。私はそう信じていた。

 だが、ルビス様が封印されたという噂を信じた人々は次々とルビス様への祈りから離れていった。人々というのはこんなものなのかと、私は悲しみを通り越して呆れてしまった。自分に利益があるかもしれない時は讃え、崇め、頭を垂れるのに、いざ力を失うと、そっぽを向いてしまう。結局彼らは、ルビス様を自らの利益のための道具くらいにしか思っていないのだ。

 そうしているうちにゾーマはついにアレフガルドから光を奪った。私はその時古き伝承を思い出していた。「この世が闇に覆われる時、異世界よりルビスの加護を受ける勇者来たる。太陽と雨が重なる時、虹の橋が勇者を魔王の城に導き、世に光を取り戻さん」

 このほこらはかつて、太陽と雨が重なる場所と呼ばれていたので、間違いなくここが虹の橋をもたらす場所なのだろうと私は確信した。自分のような本物の信徒が今の時代に生まれたのは決して偶然ではなかったのだ。

 私は不謹慎にも光栄の喜びに打ち震えた。私はこの闇の時代を払う勇者に道を示すべき者としての役割をルビス様から与えられた、選ばれた者なのだ。

 その後十数年経っても勇者は現れなかった。その間、恐ろしい話を沢山聞いた。どこの村が滅んだだの、村人が何人死んだという話ばかりだった。そのうち、ルビス様が勇者のために御作りになった三種の神器をゾーマが破壊したという噂まで流れるほどだった。

 私の信心はその間も決して揺らぐ事は無かった。だが、それでも人々の苦しみの声を聞くたびに、ルビス様の真意をはかりかねた。我々はいつまでこの苦しみに耐えれば、お許し頂けるのだろうか。いつになれば勇者を遣わし、我らに光をお返しくださるのだろうか。

 もしかするとあと10年、20年、いや下手をすれば100年かかるかもしれない。何度も古い文献を読み直したが、どれだけ待てば良いかなど、ヒントになるようなことはどこに書かれてはいなかったし、真剣に考え込んだが結局結論は出なかった。

 いや、私たちが考えることなどおこがましい、我らはただ、ルビス様の御心に従うのみだ。そうとも、10年、20年経とうとも、私たちは待ち続けなければならない。それが私たちに与えられた宿命なのだ。


 ある日、このほこらの近くに住む村人が駆け込んできた。

 何事かと思うと後ろからまだ何人も来ていて、さらに後ろからは巨大な魔物が人々を食らおうと襲い掛かってきていた。私は身震いをしたが、一人でも多くの者をほこらの中に入れようと声をかけた。

 だが、その声に反応したのは、人々だけではなかった。魔物もまたこのほこらの中に人が大勢いるのを見て、こちらに向かってきたのだ。目の前で人々が襲われ踏みつけられ血を流すのを見ながら、私はすぐに扉を閉めるように言った。中に入った村人は自分が助かるためならば、と必死になって重い石の扉を閉めようとした。

そんな時、赤子を抱えた母親がほこらに走ってくるのを見た。

 私は必死に手を伸ばし、彼女だけでも助けようとした。

 しかし、足を怪我していたらしく階段で倒れてしまった。彼女は背後から魔物が迫っているのを見て、抱えていた赤子だけでも助けようと、その子を私に投げてよこした。私は慌ててその温い赤子を受け止めた。

 私は咄嗟に、待て、まだ女が、そう言ったが、馬鹿かアンタは、後ろに化け物が来ているのが見えないのか、と後ろで見ていた村人が叫んだ。

 村人たちは必死になって岩の扉を閉めた。閉める直前、女の甲高い悲鳴が聞こえ、このほこらの中にまで響いた。

 村人たちはようやく安全な場所に逃げ込めた安心で、全員石床に座りこんだ。私だけが茫然と立ち尽くしていた。腕の中の赤子はあれだけの事があったというのに、私の腕の中ですやすやと眠りこんでいた。

 私は、しりもちをつき、そのまま動けなくなった。私は今一体何をしたというのか。私は我が身可愛さに目の前にいる女が魔物に食われるのを見捨てたのだ。あの女は、いや、あの女だけではない、間に合わないというだけで私は目の前にある命の全てを見捨てたのだ。それのどこがルビスの御心に沿うというのだ。

 いや、ルビスは何故このような状況を見過ごされるのか。これが我らの罰だというのだろうか。私にはルビスの御心が分からなかった。

 村人は決まりが悪そうに私に声をかけてきた。

 神父様よ、あんまり気にすることじゃないよ。あれはどうやったって間に合わなかった。あの母親だってきっとアンタにガキを渡せて安心しているに違いない、俺たちだってこうして無事だったわけだしな。

 そう言った男は、私の後ろから扉を閉めろと叫び続けていた男だった。この男は私を慮るふりをして、その実自らの保身をしているだけなのだ。私はその男を嫌悪し、憎んだ。だが、その想いはそっくりそのまま自分に返ってきた。

私とて、目の前の命を一瞬救おうとしただけで、やはり扉を閉めろと言ってしまった、彼と同じ立場の人間なのだ。

 懐に抱いた赤子を眺めながら、私は自分が一体何をしているのか、分からなくなってしまった。

 次の日、私たちは石の扉をおそるおそる開け、外の様子をうかがってみた。そこには魔物はいなくなっていた。ただ、魔物達に食い散らかされるか、引き千切られた人々の遺体がそこかしこにあった。

 私は腕に赤子を抱いたまま、階段の上にあった母親の亡骸に近づいた。見るも無残な姿となった赤子の母親は、既に腐敗が始まっていた。村人たちは外に出て、何も言わず黙々と彼らの墓を作り始めた。彼らの墓ができると、また村に戻ると言って、彼らはほこらを去っていった。

 私が受け取った赤子は、人の好さそうな村人が、自分が育てようと、言いだして連れて行った。

 私が渡すのを躊躇うと、村人は、神父様は特別なお人だから、世界を救う勇者が来た時、彼を導く役目があるのでしょう、ならば赤子にかかずらわっているべきではないでしょう。そう言って彼は私から赤子を受け取り、村へと帰っていったのだ。

 私はそれから数日の間、水を飲むだけで何一つ口にせず過ごした。何か食べようものなら、あの腐乱した遺体の落ちくぼんだ瞳が浮かび、あの耳をつんざく悲鳴が、聞こえてくるような気がしたのだ。

 しばらくして私は食事を取れるようになったが、それでも私の心は決して穏やかではなかった。何をしていても、何もできない無力と圧倒的な現実とが、常に私の脳裏を過ぎり、苛んだ。


 あの男がここを訪ねてきたのはそんな時だった。その男は石の扉を開け、祭壇にて日誌をつけていた私のところまでやってきた。私は心臓が跳ね上がるのを感じた。まさか、この男が、我々が待ち望んだ勇者なのか。

 確かに彼は他の人間とは違う迫力を纏っていた。

 彼は私の前に立ち、貴方がこのほこらの神官か、と問うてきた。私は生唾を飲み下し、そうだと答え、貴方はルビス様より認められし真の勇者なのか、と私は彼に問い返した。

 だが、彼は何も答えなかった。私は少し気落ちしながら、それでもすがるように続けた。

 もしルビス様に認められた真の勇者であればその証を携えているはずだ、それを見せよ。私がそう言っても、やはり男は何も答えなかった。そして答えぬままに、魔の島に渡る術を知らないか、と私に問うてきた。

 私は伝説のくだりを彼に語り、他に方法は無い、と断言した。私だって他の可能性が無いのか探さなかったわけではない。だが、そんな方法はどこにも記されていなかったのだ。

 我らは結局の所、どこまでもルビス様のお力におすがりする他ないのだ。

 男はしばらく立ち尽くしていたが、小さく溜息をついてから、では、一番魔の島に近い場所はどこか知っているか、と聞いてきた。私はリムルダールから北西に向かった岬が最も近いだろう、伝説の虹の橋もそこからかかる筈なのだから、とだけ言った。

 言ってから、何故この男がそんな事を聞くのかと疑問に思った。

 男は礼を言ってから、ほこらを出て行こうとした。

 私は急いでその男に声をかけた。待て、一体何をするつもりなのか、と。

 男は一度立止まったが、そのまま何も答えようとせず、歩き出そうとした。

 私は祭壇から走り下り、彼の行く手を遮った。男は変わらぬ無表情で私を見た。その時初めて気づいたが、彼は顔に大きな火傷を負っていて、それが彼の穏やかそうな瞳に強い迫力を与えていた。だが、私は怯まずに続けた。

 あの岬に行って何をするつもりなのだ、まさか渡るつもりなのではあるまいな、だとすれば、私はお前を止めねばならない。魔王は勇者でなければ倒せない。ルビス様の加護がなければ倒せないのだ。ただ一人の人間が挑んだとて、無駄に死ぬだけだ。そんな人間を精霊ルビスの信徒として決して捨て置けぬ。

 ゆらめくろうそくの炎の中、私と男はにらみ合っていた。

 しばらくして男は、どいてくれ、と冷たく言った。

 その気迫に私は押されかけたが、私は負けるわけにはいかなかった。既に私は沢山の命を目の前で失っている。これ以上、みすみす失う命を増やしてなるものか。

 どかぬ!私は大声を張り上げて言った。

 勝てぬと分かって何故挑む!

 加護が無いのに何故戦う!

 ルビスは貴方を選ばなかった、ならば貴方はその使命に従うべきだ!

 私は断じて引かぬぞ。

 目の前のただ一人の命も救えずして、何が選ばれし者か、何が特別な者か!

 私は息を荒げながらそう叫んだ。

 ほこらの中に私の声が木霊して私は自分の頭がグラグラと揺れているような気がした。私がこれほど大声を張り上げたことが今までの人生であっただろうか。

 それは男への叫びではなく、自らへの罵倒だった。選ばれた者と己惚れた無力な自分に対する叱責だった。あの助けられなかった女に対する慙愧の念が私を動かし、その正しいはけ口を知らない私は、その全てを男に向かって発したのだった。

 しかし、男はそんな私の剣幕にも、決してひるむ様子を見せなかった。そして、ぼそりと呟くように言った。

 ここに至る道中、何故戦うのかというその問いを受けた事が何度もあった。私はそれにうまく回答できなかった気がする。だが、神官殿、貴方は、答えねばここを通してはくれぬのだろうか。

 その男の落ち着いた声に私はますます自分の頭に血が上るのを感じた。私は男をキッと睨んだまま、何も答えなかった。

 問いに答えたとしても通さぬとも。一つでも多くの命を守るのがルビスの意思。そして私の信徒としての使命だ。

 男は私の沈黙を肯定と受け取ったのか、しばらく黙って考えていた。

 そして、私を真正面から見据え、静かに淡々と、だが決意をもってその理由を語った。

 男の言葉を聞いているうちに、私は自らの身体が震えているのを感じた。

 それから私は、膝から崩れ落ち、石段に手をついた。

 男はそんな私をしばらく見つめてから、すまない、ありがとう、とだけ呟き、私の横を通ってほこらを出て行った。

 私はその状態のままで、初めて、私自身の信仰が揺らぐのを感じた。生まれて一度として精霊ルビスを疑ったことのない私が、あの男の言葉に、瞳に、焼け爛れた顔に、真実を見た。彼の与えたそれらの真実が、ルビスへの想いに対する疑念となって私の中で渦を巻いていた。もはや、私の想いは決して止められるものではなかった。

 私はとめどなく流れる涙をぬぐう事もなくうつむき、それから涙に濡れた台座を打った。

 精霊ルビスよ、我が女神よ、何故、一体何故、貴女はあの男を選ばれなんだ!

何が勇者か、何が英雄か!

 あの者をおいて他にどんな者がふさわしいというのだ!

 貴女は選択を誤りなさった!

 私は命を賭してもこの言葉を叫ぼう、貴女は選択を誤ったのだ!ルビス!

 私は血の滲んだ拳を再び台座に打ち付け、嗚咽を漏らし、そして言った。

 どうか・・・あの男に、ほんの僅かでもよい、貴女に慈悲の心があるならば、貴女の加護を与え給え・・・

 静まりかえったほこらには、私のすすり泣く声と、ろうそくの火が燃える音だけが響いていた。


 そして、ルビスの加護を持つ真の勇者がやってきたのは、その僅か三日後の事だった。

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