第4話 ある精霊の述懐(精霊のほこらにて)
私の主人は精霊ルビス様に仕える御方。つまり、私は精霊ルビス様に仕える方に仕える身。とんでもなく下の身分のように聞こえるかもしれないけれど、我らの主である精霊ルビス様はアレフガルドを創造せし御方。この大地と全ての命の母。そんな偉大な方なのですから、私がその下の下の地位たからといって私の身分が卑しいわけではありません。
ルビス様が御創りになったこのアレフガルドという世界は光に満ち溢れたとても美しい世界でした。ただ一点、人間という醜い生き物を除いては。私には時々、ルビス様の意図をはかりかねる事があります。何故このような素晴らしい大地に人間のような害虫が棲む事を許したのか。連中ときたら、大地や水は汚すし、木々を切るし、争いはするし、少しも美しい面なんてないように見えるのです。本当に昔から、私は何故彼らのような存在をのさばらせているのか、全くもって理解できなかったのです。人間なんて滅んでしまえば良いのに。私は真剣にそう思っていました。
遥か昔、私がまだ幼かった頃、人間に興味を持って近づこうとしたことがありました。もともと私たち妖精を見られるのは心の綺麗な人間だけでしたから、私が近づける人間は限られているけれど、私はドムドーラという街に住む小さな娘と仲良くなる事ができました。とても心優しく、素直で、美しい娘でした。普通、ある程度大人になると私たちは見えなくなるものだけど、彼女は大人になっても私の事が見えるようでした。それだけ彼女が純粋で、美しい心を持ち続けていたのでしょう。彼女と過ごす日々は、私にとってはとても楽しい日々でした。
悠久の時を生きる私たち妖精とは違い、人間はほんの数年で成長してしまう。彼女はすぐに同じ人間を愛するようになり、恋に落ちました。私はそんな彼女の成長が嬉しくもあり、彼女を取られるようで、どこか寂しい気もしていました。しかし、そもそも私たち妖精の幸せと人間の幸せは、時間の流れからしてかみ合わないものです。私が自分の幸せを彼女に押し付ける事はできないと思いました。
彼女の好きになった男は、私たちの姿が見える事は無いけれど、善良な男だったようです(私たちを見る事ができるのは善良なだけではなく、ある種の素養が必要になるのかもしれません)。
私は彼女の友人として、二人の結婚を祝福し、式では花吹雪を散らしました。ドムドーラでは見た事の無い花でしょうから、きっと人間は皆驚いたに違いありません。
それからまた少し時間が流れ、彼女が家庭を持ったことで、私と過ごす時間はさらに短くなっていきました。ほんの少し寂しい気はしていたけれど、それはそれで仕方無いのだ、そう思っていました。
そんなある日、彼女の夫が原因不明の病にかかったのです。
おそらくはどこかの邪な人間が彼に呪いをかけたのでしょう。できる事ならば、助けてあげたかったけれど、それは私にはどうしようもない呪いでした。日々苦しみ続ける夫を見ながら、彼女もまた日々弱っていきました。
そんな時、彼女がどこから聞いてきたのか、妖精の笛を貸してほしいと私に懇願してきました。妖精の笛とはあらゆる呪いを打ち消す事のできる私たち妖精の宝の一つです。私にそんな貴重な物を貸し出すことなどできませんでした。私の主人に頼んでも認めてもらえる筈がない事でした。
私はとても悩みましたが、彼女が苦しむ様子に耐えきれなくなり、主人に内緒で妖精の笛を持ち出して彼女に渡してしまったのです。
彼女は夫の前でその笛を吹き、その呪いを解くことができました。
彼女は嬉しさのあまり、笛を取り落とし夫を抱きしめました。その時、群衆の中の一人が、その笛を拾い、持ち逃げしようとしていました。私はそれを止めようとしましたが、そんな悪しき心を持つ男に私の声が届く筈もなかったのです。ですから私は彼女に必死に声をあげましたが、彼女は決して答えてはくれませんでした。
理由は分からないけれど、もはや彼女に私の言葉は届かなくなってしまったのです。
男はどこかへ去っていき、私は届かない声を彼女に向かって叫び続けました。
しかし、しばらくして再び呪いにかかった彼女の夫と、彼女が亡くなるまで、私の声が届くことは無かったのです。
妖精の笛を失った私は、主人に事の次第をすべて話しました。主人は罵倒も叱責も発しませんでした。
ただ一言そうですか、と言っただけでした。
私が怒らないのですか、と問うと、静かに目を閉じて言いました。
そもそもあれは本来人間に託されるべきものです。時が来れば、笛は自らの意思であるべき者の所に向かうでしょう。
そう言ってから主人は、私をじっと見つめました。それから、再び静かに目を伏せ、主人は沈痛な面持ちで言いました。
私が今悲しむのは、貴女の流す涙のためです。
そう言われて、私は初めて自分が涙を流し続けている事に気づきました。自分が一体何のために泣いたのか、私には分かりませんでした。彼女の死が悲しいのか、彼女らを呪った人間が憎いのか、妖精の笛を失ったことが悔しいのか。主人にはそれが分かっていたようですが、私は理由も分からず涙が涸れるまで泣き続けました。
それより後、私は人間と関わるのをやめました。思えば、生きる時間が違う妖精と人間の別れは悲劇以外には終わらないのかもしれません。
彼女との思い出は遥か昔の辛い気持ちと伴に私の奥深くに仕舞われました。私にとって人間の美しい部分というのは彼女の存在が裏付けだったのだけれど、それですら私にとっては辛い思い出となってしまったのです。その後、長く人間を遠目から見ていましたが、自らの利益のために草花や動物達を苦しめるだけの人間達を見て、私がどのような想いを抱くかは想像に難くないでしょう。
私はそれから人間を嫌うようになりました。人間なんて滅んでしまえばいい、そんな風に思っていたのです。そして、私のそんな想いを知ってか知らずか(おそらく知りはしないでしょうが)、それを実行する存在が現れました。
ほんの少し前、といっても人間でいえば大分前の事になるのかしら。大魔王ゾーマという者が現れたのです。彼がどこから来て、何故そうあるのかは分かりませんが、驚くべきことにかの者はルビス様に匹敵する力を持つ者だったのです。
ただ、考えてみればそれもあり得ない話ではないのです。何故なら私たちのようなルビス様に最も近い者にすら、ルビス様が何故そこにおわすのか、それすら分かっていないのですから。
ルビス様が創造者ならばゾーマは破壊者。創造と破壊が表裏一体である限り、彼のような存在はいずれ生まれるべきものだったのかもしれません。
ただ、驚くべきは、ゾーマの力によってルビス様が封じられ、光すら奪われてしまった事です。アレフガルドは文字通りの闇の時代を迎えました。私たちルビス様に仕える者達は、結束してルビス様をお助けしようとしましたが、私たちの力ではゾーマの力に対抗できませんでした。
妖精の笛があればもしかするとルビス様をお助けできたのかもしれないのにと、私があの時の過ちを思い返し、悔やんだのは言うまでもありません。
私の主人はその時、別世界の勇者に助力を求めました。その勇者は必ずアレフガルドを訪れ、この世界から闇を払ってくれるでしょう。私の主人は断言して下さいました。
それから数年、勇者は現れてはくれませんでした。その間にゾーマはルビス様が来るべき勇者のために準備していた三種の神器を破壊ないし隠しました。
周到なものです。彼はその大きな力に溺れず、私たちが希望としていた一つ一つのルビス様の遺物を消していったのですから。ただ、その遺物を破壊することは彼ですら時間を要し、世界の破壊を遅らせました。或はこれもルビス様の計算の内だったのかもしれませんが。
彼と出会ったのは、確か三種の神器の一つである王者の剣がゾーマによって粉々に砕かれた事を主人から聞いた頃だったと思います。
私は花たちにやる水を汲むために近くの川へ向かっていました。するとそこには人間の男が居たのです。男は川のせせらぎで、顔を洗っているようでした。私はその男を不審に思いました。そもそもこの辺りに村は無く、迷ってたどり着くような場所ではないからです。
なんらかの目的で私たちのほこらを目指しているのでなければこの付近に人が近づくことなどないのです。私はそっと近づき、横から男の顔を見て驚きました。彼の顔には見るも無残な火傷の跡があり、生きているのが不思議なほどだったのですから。
思わず小さく声をあげてしまった私は思わず口を押えましたが、考えてみれば抑える必要などなかったのです。これだけの年をとった人間に私が見える筈ないのですから。
ところが、男は顔をぬぐうと、私の方を見たのです。そして私と確かに目が合ったのです。
私は少し首をかしげて、男の視線から外れようとしましたが、男の視線は私の動きに合わせて動いたのです。私はこの男が確かに私を見ている事を知りました。
私が見えるのですか、と聞くと、男は肯定しました。
私は男の火傷を見たときよりも驚きました。
だってこの世に生まれてきて、このような年で妖精を見る事のできる人間など、一人も見た事が無かったのですから。私は驚きと共にこの男に興味を持ちました。
そしてすぐに、もしやこの男こそが、主人が助けを求めた勇者なのでは、この男がルビス様とこのアレフガルドを救ってくれるのかもしれない。そう思ったのです。
私は男に何故ここにいるのかを尋ねました。男は、自分は大魔王ゾーマを倒すために来た。ここにゾーマのいる島に渡るために必要な雨雲の杖があると聞いたから来たのだ、と答えました。
私は自分の直感に確信を持ち、早速男を主人の元へ連れて行きました。
しかし、主人は残念そうに首を振り、残念ながら彼は勇者ではありません、と言いました。
男はそれでも主人に、雨雲の杖を所望しました。しかし、主人は決して応じませんでした。
男はしばらく目をつぶってから、主人に頭を下げ、ほこらを出ていきました。
私は主人に向かって尋ねました。本当に彼ではないのでしょうか。私には彼はどうしても他の人間と同じとは思えません、そう主人に聞きました。
主人は悲しそうに首を振って答えました。彼が他の人間と同じではないのは間違いありません。でも、彼ではないのです。
そう言ってから主人は涙を流しました。私は本当に驚いてしまいました。主人が泣いたことなど今まで、この世に私が生を受けてからただの一度だって見た事が無かったのですから。
主人は涙を流しながら続けました。
彼はそれでも魔王の元に向かうでしょう。彼はそうせずにはいられないのですから。
私は主人に、その言葉の意味を何度も聞きました。けれど主人はそれ以上何も言ってくれませんでした。私は主人が決して口を開かないことを悟り、男を追いかけました。
男は先ほど私が見かけた小川でまた、顔を洗っていました。
私は男に近づき、顔の火傷が痛むのですか、と聞きました。
彼は顔を拭ってから肯定しました。
一体その火傷はどこでつけたのですか、と問うと、彼は自分には記憶が無いのだ、と答えました。
彼は気が付くと全身に酷い火傷を負っていて、ただ、自らの名前がオルテガという事以外、何一つ思い出せなかったというのです。
その時私は、この男がアレフガルドの外から来た者なのだと分かりました。
ごく稀ではありますが、外の世界の者で火山の中に落ちて気が付いたらアレフガルドにたどり着いたという人間が居たのです。彼らは幸運にも軽い火傷で済んだのでしょうが、このオルテガは運悪く酷い火傷をし、過去の記憶を喪失してしまったのだろうと悟りました。
分かってみると、拍子抜けしてしまいました。主人の言っていた、彼が他の人間と違うというのは、すなわち外の世界から来た人間という事なのだろう、と思ったからです。
私はつまらなくなって、川辺に置き忘れていた水差しを取り、川の水を汲みました。それから、その人間を放っておいて、花たちに水をやりに行きました。何度かその往復をしている間、男はずっと川辺に座って川を見つめていました。私は相手にせずに水やりをしていました。最後の水くみが終わった時、私は男に向かって言いました。
貴方、勇者でないのならさっさと帰ってくれないかしら。私は人間が嫌いなの。貴方にここに居られると迷惑なのよ。私はそう言って、ほこらに戻ろうとしました。
すると男は、私に声をかけてきました。すまないが、魔王の城に渡る方法を他に知らないだろうか、もし知っていたら教えて欲しい、と言ったのです。
私は水差しを置いて振り向きました。そして、勇者でもない貴方が魔王の城に行ったところで何ができるの、と私は彼に問いました。
しかし、彼からは何の答えも帰ってきませんでした。私の方が痺れを切らして続けました。魔王の城を囲む海は魔王の魔力で荒れていて丈夫な船も簡単に大破してしまいます。ルビス様の加護を受けた虹の橋でしか渡る事はできません、そうはっきりと言いました。
男はそうか、ありがとう、と残念そうに言って再び川の方を向いてしまいました。
私にはこの男が理解できませんでした。彼は一体なぜそれほどに城に向かおうとしているのか。彼は自らが勇者としての使命を帯びていない事を主人から明言されているのです。それでもなお、彼を突き動かし魔王の城へ導くのは一体何なのだろう。私はそんな疑問を持って、彼に聞きました。
ねえ、貴方は何故それほどに魔王の城に行きたがるの、死にに行くようなものじゃないの。そんなのって人間らしくないわ。人間なんてものは自分の利益のために動く自分勝手な生き物じゃない。自分の欲望のために他人のモノを奪い、土地を奪い、命を奪う。それが人間でしょう。
男は何も言わずに黙っていましたが、しばらくしてから口を開きました。
君は人間が嫌いと言ったが、それは何故だ。
ゆっくりとした穏やかな目で私を見据えて彼はそう言いました。
そんな事は貴方には関係ない事です、と私は撥ね付けようとしたのですが、彼は変わらない表情で、私も人間だ、とだけ付け加えるように言いました。
私はしばらく男とにらみ合っていましたが、根負けして、男の隣に座って昔話をしました。簡単に終わらせる筈だったのに、男の落ち着いた眼差しを受け続けると、どんどん想いが止まらなくなってきて、最後は泣き出してしまいました。
男は話が終わるまでは私を見ていたけれど、私が俯いて泣いている間はずっと川を眺めているようでした。
そして私が泣き止んでぐずっている所で、私の頭に手を載せました。それは広くて暖かい、心地良いぬくもりのある手でした。
私はしばらくされるがままになっていましたが、しばらくすると恥ずかしくなって、男の手を払いました。私は泣いてしまった事への照れ隠しで、感想は、と強い口調で聞きました。
男はまた随分間をおいてから、辛かったな、と言いました。
多分君が悲しかったのは、彼女が死んでしまったことでも、呪いの男を憎んだからでも、勿論、妖精の笛がなくなったからでもない。君はただ、彼女が好きで、人間が好きだったから、それほど悲しかったんだろう。人と妖精は生きている長さが違うのだからいずれ別れが来るのは分かっていて、それでも君は別れが辛くて、だから君は人間を憎んだんじゃないだろうか。
私は男の顔を見つめました。火傷で焦げた横顔から見える目は何も映していないように見えました。
君は人間を嫌ったままで良いのかもしれない。君が痛みを抱え、傷つく位ならば、人間と関わらない方が良いのだから。
男はそう言って立ち上がりました。
そして、去ろうとする男に、私はまた声をかけました。
待って、私はまだ貴方の答えを聞いていない、何故城に行こうとするの、どうしてそうまでして戦おうとするの。私は食い下がるように再び彼に問いました。
彼は、以前も同じことをどこかで問われた気がする、とだけ言って、結局答えようとはしてくれませんでした。もしかすると彼自身にもそれが一体何故なのか、その結論を出せていないのかもしれない、そう思った私は、続けました。
リムルダールの南に、太陽と雨雲の交わる聖なるほこらがあります。虹の橋はそこで作られます。もし魔王の島に渡る可能性があるならば、そこにあるかもしれません。
私がそう言うと、男はこちらを向いて静かに礼をして、去ろうとしました。
オルテガ!
私は彼女以来、初めて人間の名前を呼びました。
私は・・・私は貴方と出会わない方が良かったなんて、絶対思わないから!痛んでも、辛くても、それでも貴方と会ったことが間違いだったなんて、絶対に思わないから!だから、帰ってきて、オルテガ。必ずよ。
オルテガは目を細め、火傷でひきつった顔を少し歪めました。それが彼の初めて見た笑顔だったのかもしれません。彼はそのまま、森の中に消えて行きました。
人間なんて嫌いよ。だけど、オルテガは好きよ。きっと彼は、大魔王を倒してくれるに違いないもの。私は彼が再び戻ってくると、今でもそう信じているもの。
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