291:ロザリア降臨

「「「…」」」


 忽然と姿を現した光景に、ジャクリーヌ・レアンドルは息を呑み、目を見開いたまま、暫くの間動きを止めていた。ジャクリーヌだけではなく、ジェロームも、アインも、「六柱」の当主達も、皆視界に広がる光景に釘付けとなり、呼吸をも忘れて呆然と佇んでいる。


 彼らの目の前に横たわっている、無数の「ロザリアの槍」。その向こう側に佇む、艶やかな黒い髪をなびかせた、一人の少女。


 その少女の上空が光り輝き、20メルドにも及ぶが、顕現していた。




 女性は、ドレスにも似た煌びやかな衣装に身を包み、上半身に光り輝く鎧を纏っていた。その至るところが白く輝き、瞬きを繰り返している。腰に吊り下げた剣はまるで太陽のように自ら光を放ち、金色に煌めいていた。


 女性の目は閉ざされていたが、その顔立ちは完璧なまでに整っており、森羅万象に通じた神々しさを湛えている。そして頭部を飾る長く美しい髪は燃えるような赤一色に染まり、自身が放つ覇気に煽られるかのように宙に舞い、絶えず空中に美しい模様を描いていた。


 ジャクリーヌは全てを忘れ、上空に広がる女性の姿に魅入っていたが、やがて彼女は雷に打たれたように地面に膝をつき、頭を下げる。彼女は地面を凝視しながらその視界に入る物は一切目に入らず、頭蓋の中を占めた光り輝く女性の姿に向かって何度も胸元で印を切りながら覚束ない口を動かし、やっとの事で言葉を絞り出した。


「…ロ…ロザリア…様…」


 予想もしなかった事態にジャクリーヌや六柱の面々、アイン達は感激よりも萎縮が先行し、ただただ己の姿が神の目を煩わせる事のないよう、身を縮める。いや、ジャクリーヌ達だけではない。聖王国軍や逃げ惑うカラディナ軍の兵士達も慌ててひれ伏し、地面に額を擦り付ける勢いで頭を下げていた。


「ロ、ロザリア様!」

「嗚呼、ロザリア様!」

「…先輩、これ、もしかして…」


 ただ一人立ったまま真上を見上げ呆然と呟いているコジョウ・ミカと、その上空に現れた光り輝く女性に向かって全ての人々が平伏する中、天空より透き通るような女性の声が降り注ぐ。




『――― ジャクリーヌ・レアンドルよ、中原は最後の試練の時を迎えています。今こそ中原に生きる全ての人々が手を取り合い、自らの手で新しい世界を切り開くのです』




「ロザリア様!卑小なる私めにお教え下さい!中原を襲う最後の試練とは、一体何でありましょうか!?私達人族は、どうしたらその試練を乗り越えられるのでしょうか!?」


 ジャクリーヌは地面に跪いたまま顔を上げ、天空にそびえ立つ「ロザリア」に対して尋ねる。彼女は「ロザリア」にまみえた感動を振り払い、いつの間にか隻腕の男が車上から姿を消した事にも気づかず、ただひたすら「ロザリア」の教えを乞うべく、必死に訴えかけた。


「ロザリア様!お願いします!どうか私達人族に、進むべき道をお教え下さい!お願いします!お願いします…!」




 ***


 ボクサーから飛び降り、ジャクリーヌ達から見えないよう車の陰に隠れた柊也は、胸元にしがみ付いた赤蜥蜴に語り掛けながら、内心で溜息をついた。




 …まさか、この世界でVTuberをやるハメになるとは、思わなかった。




 百聞は一見に如かず。言って聞かない相手には、「実物」を見せてしまった方が早い。


 柊也はボクサーの陰で一人襟を正し、赤蜥蜴を通じて、ジャクリーヌの問いに答える。


「――― 私は人知れずガリエルとの最後の戦いに臨み、死闘の末、ついにガリエルを討ち取りました。ですが、その代償として私は力を失い、これから永い眠りに就くことになります。ジャクリーヌ・レアンドルよ、其方そなた其処そこにいるコジョウ・ミカと手を取り合い、素質の無い新しい世界へと人々を導くのです」




 ***


『――― 私は人知れずガリエルとの最後の戦いに臨み、死闘の末、ついにガリエルを討ち取りました。ですが、その代償として私は力を失い、これから永い眠りに就くことになります。ジャクリーヌ・レアンドルよ、其方そなた其処そこにいるコジョウ・ミカと手を取り合い、素質の無い新しい世界へと人々を導くのです』


「ロザリア」の聖言を聞いたジャクリーヌは目を瞠り、「ロザリア」に真実を伝え、翻意を促そうとした。


「ロザリア様、誠に畏れ多いことながら、申し上げます!其処に居るコジョウ・ミカはエーデルシュタイン王国を滅亡へと導き、今もなお彼の地を死と恐怖で支配しております!ロザリア様、何故その様な者と手を取り合わなければ、ならないのでしょうか!?」

『ジャクリーヌよ、愚かな』

「え!?」


 必死に真実を伝えていたジャクリーヌは、「ロザリア」が発した言葉に色を失う。




『――― それこそが、ガリエルが死の間際に放った最後の罠だと、何故気づかないのですか?』




「――― っ!?…も、申し訳…あり…ま…!」


「ロザリア」の言葉が頭の中に染み込んだ途端、ジャクリーヌは地面に手をつき、勢い良く額を擦り付けた。顔が瞬く間に蒼白になり、平伏したままガタガタと震え出すジャクリーヌの許に、「ロザリア」の声が降り注ぐ。


『私はガリエルとの戦いの行く末を見据え、私が最初に生み出し素質の無い世界を知るコジョウ・ミカを、び寄せました。私が永遠の眠りに就いた後を託し、人々を素質の無い世界へと正しく導くよう命じましたが、それに気づいたガリエルが死の間際に疑心の罠を放ったのです。其方らはその罠に囚われ、コジョウ・ミカに纏わりついた数々の醜聞を信じ、不幸な同士討ちを演じることになったのです』

「…も、申し訳、ありま、せん…申し訳、ありません…」

「…お、俺は何という過ちを犯すところだったんだ…」


 天空から降り注ぐ言葉に次々と肺腑を抉られ、ジャクリーヌは呼吸困難に陥りながら懺悔の言葉を繰り返す。傍らで跪くアインも、あと一歩でコジョウ・ミカの首を刎ねるところだった自分の所業を思い出し、背筋を震わせた。六柱の当主達も自分達の仕出かした事を知って青ざめる中、断罪を待つ彼らの耳元に「ロザリア」の言葉が流れ込む。


『私はこの件に関し、其方らの罪を求めません。これは、ガリエルが仕掛けた罠の悪辣さに因るもの。其方らも罠にかかった被害者と言えましょう』

「申し訳ありません…誠に申し訳ありません…」

『ジャクリーヌ・レアンドルよ』

「はいっ!」


「ロザリア」から恩赦の言葉を受けても懺悔を繰り返していたジャクリーヌは、名を呼ばれた途端、勢い良く頭を上げた。唇を震わせ、蒼白となったジャクリーヌの顔を、「ロザリア」が目を閉じたまま見下ろしている。


『今一度申し付けます。蟠りを捨て、コジョウ・ミカと手を取り合い、やがて訪れる素質の無い世界へと、人々を正しく導きなさい』

「御下命、しかと承りました!このジャクリーヌ・レアンドル、この身の全てを犠牲にしてでも、任務を遂行いたします!」


「ロザリア」の聖言を聞いたジャクリーヌは、繰り返し胸元で印を切って戦慄くように答えると、再び地面に額を擦り付けた。




『ジェローム・バスチェ、そして六柱の各当主達よ』

「「「はっ!」」」


 傍らでジャクリーヌが身を震わせ、懺悔の言葉を繰り返す中、ジェロームをはじめとする六柱の面々も地面に跪いたまま、自我の平静を保とうと、必死に頭を働かせていた。


 六柱の面々はカラディナを支配し、自己の利益を追及すべく暗躍を繰り返していたが、あくまでその行動はロザリア教の教義の中に収めているつもりでいた。だが「ロザリア」本人からその行動が中原の未来を閉ざす愚行であったと断言され、彼らは如何にこの場を取り繕い自分達の責任を免れるか、知恵を振り絞っていたのである。しかし「ロザリア」から名を呼ばれた途端、彼らの脳内を駆け巡っていた数々の打算は四散し、ジェローム達は空っぽになった頭を跳ね上げる。


「ロザリア」が目を伏せたまま視線を転じ、ジェローム達を見下ろしていた。その秀麗な唇から紡ぎ出された数々の聖言が、鋭い刃となって彼らの身に降り注ぐ。


『…公僕とは、民衆に対する奉仕者でなければなりません。国民から搾取し、私腹を肥やすのではなく、国民に平等に分け与え、その生活を支えなければならないのです。その点、其方らのやりようには、些か私情が絡み過ぎているのではありませんか?』

「め、滅相もございませぬ…」


「ロザリア」の追及を受け、唇まで青くなったジェロームは地面に額を擦り付ける。悲鳴を必死に堪えるジェロームを、「ロザリア」が再び呼び立てた。


『ジェロームよ、頭を上げなさい』

「ははっ!」


 バネ仕掛けの玩具のように勢い良く頭を上げたジェロームを、「ロザリア」が見据えている。


『…これまでの行いは、不問といたしましょう。ですが、これ以降も私情を優先し、公僕に反する行いを繰り返すようでしたら、―――』


「ロザリア」の瞼がゆっくりと開き、太陽を思わせる深紅の瞳が、金縛りにあったジェロームの体を貫く。




『――― 今度は、自動翻訳も取り上げますよ?』




「…ご、ご忠告…堅く、堅く、肝に銘じます…!」


「ロザリア」に極太の釘を刺されたジェロームと六柱の当主達は、一斉に地面に額を打ち付ける。唇を震わせ滝のような汗を流す彼らの頭上を、「ロザリア」の言葉が通り過ぎた。


『コジョウ・ミカよ、後は其方に任せましょう。この者らと共に、人々を正しい未来へといざないなさい』

「畏まりました、ロザリア様」

『中原を頼みましたよ…』

「ロザリア様っ!?」


「ロザリア」の言葉を聞いて慌てて顔を上げたジャクリーヌの視線の先で、まるで霧が晴れるように「ロザリア」の姿が薄くなり、やがて雲一つない青空だけが頭上に残された。




 ***


「汝を解放する。あるべき自然を為せ」


 ジャクリーヌが呆然とした表情を浮かべ雲一つない青空を見上げていると、男の声が聞こえてくる。すると、目の前で宙に浮いていた巨大な黒槍が地面に落ち、地響きを立てて大地にめり込んだ。その衝撃にジャクリーヌが目を白黒させていると、傍らで膝をついているアインが自分の掌を見つめ、呆然と呟いた。


「…『雷』が感じられる…素質が戻って来た…」

「ジョーカー殿!?」


 膝立ちのまま勢い良く振り返ったジャクリーヌの視線の先で、奇怪な馬車の陰から姿を現した隻腕の男が答える。


「俺の役目は此処までだ。後は古城と話を詰めてくれ」




 男の言葉を聞いた途端、ジャクリーヌは弾かれるように駆け出した。彼女は地面に半ば埋まり濛々と湯気を立てる黒槍の合間を駆け抜け、艶やかな黒い髪をなびかせた少女の許へと辿り着くと、その足元に身を投げ出し、平伏する。


「陛下!誠に申し訳ございません!このジャクリーヌ・レアンドル、愚かにもガリエルの奸計に乗せられ、危うく御身を傷つけるところでございました!しかも、ガリエルの言葉を信じるあまり、口の端に乗せるのも憚れるような悪口を並べ、御身を繰り返し貶めました!この罪は、決して赦されるものではございません!この身を差し出し、如何なる罰であろうともお受けします!…ですから、どうか、どうか、この不肖なる私に免じ、西方諸国をお救い下さい!」

「陛下、俺からもお詫びさせて下さい」


 後を追ってジャクリーヌの傍らに片膝をついたアインが自らの剣を引き抜き、切っ先を自分の喉元へと向け、柄の向こうに見える少女の目を見て宣誓する。


「一度はあなたの命を狙った、汚れた剣です。気に入らなければ、このまま柄を押して、俺の喉に突き刺して下さい。ですが、もし機会をいただけるのであれば、この剣はあなたの忠実な僕となり、今度はあなたの命を守る盾となる事を、此処に誓いましょう」




「アイン様…」


 アインの視線の先で、少女の漆黒の瞳が剣とアインの顔の間を行き交っていたが、やがて少女は柄を掴んで持ち上げると剣の腹に口づけをし、反転させてアインへと戻す。アインが剣を受け取り、鞘に納めながら立ち上がる傍ら、少女が平伏したままのジャクリーヌへと目を向けた。


「ジャクリーヌ様、お顔をお上げ下さい」

「は、はい」


 恐る恐る顔を上げたジャクリーヌの目の前で、少女が眩い笑顔を浮かべている。


「不幸な行き違いがございましたが、最悪の事態だけは免れる事ができました。ですからジャクリーヌ様、それ以上、ご自身を苛まないで下さい。どうか私と共に、素質無き新しい時代へ人々を正しくいざなうべく、その御力をお貸し下さい」

「はい、はい!喜んで、陛下!」


 唇を震わせるジャクリーヌの目の前に、少女の手が差し伸べられる。ジャクリーヌは頬を染め、俯き気味に少女の手の上に自らの手を乗せると、手の動きに合わせてゆっくりと立ち上がった。ジャクリーヌ達の許にジェロームと六柱の当主達が歩み寄り、胸に右拳を当て、少女に向かって深く一礼する。


「陛下、この様な形でお会いする事となり、恐縮でございます。カラディナ共和議会の議長を務めております、ジェローム・バスチェと申します。以後、お見知りおき下さい」

「改めまして、古城美香と申します。些か遠回りをいたしましたが、知己を得られました事、大変嬉しく存じます」


 ジェローム達は母親に叱られたやんちゃ坊主のように自分の非を認めず、煙に巻こうとしている。しかし、流石に「ロザリア」に刺された釘には懲りた様で、何ら駆け引きを弄する事なく、少女を最賓客として扱い、応対した。ジェローム達の前で少女は笑顔を振り撒き、過去の遺恨を気にする事なく明るく振る舞う。


「立ち話も何ですから、今椅子をお持ちいたします。この様な場所では大したおもてなしもできませんが、長旅でさぞお疲れでございましょう。少しでも気の安らぐ物を、ご用意させていただきますね」


 少女の言葉に合わせるように、後方に控える聖王国軍の中から複数の騎士に守られた数台の馬車が現れ、ジェローム達の許へと向かって来る。


 ジャクリーヌ達の命を懸けた出頭は、上空に広がる青空のように、晴れやかな形で幕を閉じようとしていた。

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