232:余波(2)

「□△$$ 〇\* ×□&&〇\▽ +$〇◇$!」


 ハヌマーンが雄叫びを上げながら剣を振り上げ、大男の頭上へと振り下ろす。原始的で肉厚な剣は重く、男が構えるタワーシールドごと頭蓋を潰すかと思われたが、振り下ろされた剣は耳障りな音を立ててタワーシールドに跳ね返された。男の持つタワーシールドは、ハヌマーンの剣に劣らないほど分厚く強固で、男の全身を隠すほどの大きさを考えれば、相当の重量をもっている事が窺える。


 ハヌマーンが剣を跳ね返され体勢を崩すと、今度は男が意趣返しとばかりに得物を振り上げる。男の得物は無骨な戦斧ハンドアックスで、その大きさは普通の人族であれば両手で振りかぶるほどであろうが、男は「怪力」と呼ばれる素質を用いて軽々と片手で扱い、無造作に振り下ろす。戦斧を肩に受けたハヌマーンの体は、斬られるというより引き千切られるように変形し、股下から抜けた戦斧が地面に突き刺さると、二つに増えた体が寄り添うように崩れ落ちた。


 男は戦斧にこびりついた血を振り払うと、後ろで周囲を窺う年若い女に声を掛けた。


「よし、この辺は片付いたな…。ミリー、アインは見つかったか?」

「もう少し待って下さい、レオさん。多分、あっちの方に…ああ、居た居た。おおーい!」


 レオと呼ばれた男の視線の先で、ミリーは横を向き、額に手を翳して遠くを眺めていたが、やがて目的の人物の姿を捉えると、喜色を浮かべて大きく手を振る。


 ミリーの視線の先には、米粒の様な小さな点が映し出されていた。点は土埃を上げながら次第に大きくなり、人の姿を形作る。そしてそれは精悍な男の姿へと変化し、爆音を響かせながら見る見るうちに大きくなり、やがて高速道路を疾走する自動車を思わせる勢いで二人の前に躍り出ると足を突き出し、土埃を上げながら急停止した。


「師匠、お待たせ!悪ぃ、遅くなった!」

「いや、構わんよ、アイン。こっちも今終わったところだ」

「アインったら、もぅ!何処まで行ってたのよ!?」


「師匠」に対する言葉遣いとは思えないアインの返事に、レオは気にする事もなく応じ、ミリーが両手を腰に当て、頬を膨らませて追及する。アインは、自分の首元ほどの高さから剥れたように睨み付けるミリーに対し、降参するかのように両手を上げる。


「わ、悪かったよ、ミリー。ハヌマーンを追撃していたら、その先の村にも数頭流れていたのがわかってさ。ついでに片付けて来たんだ」

「ちょっと!一人で行かずに、一度あたしとレオさんを呼びに来てよ!あたしが居ない時に、もし怪我をしたらどうするの!?」

「わ、悪かった。今度から気を付けるよ」

「その言葉、これで何度目か覚えてる?」

「ほへんなはい」


 ミリーが目を潤ませ、アインの頬を両手で掴んで引き延ばす。目の前でいちゃつき始めた二人の姿を見て、レオは内心で笑みを浮かべながら声を掛けた。


「ミリー、その辺にしておいてくれ。アイン、ハヌマーンを埋めるのを手伝ってくれるか」

「了解だ、師匠」


 ミリーの指から解放されたアインが、頬を擦りながらレオに答える。レオは、他のハンター達と穴を掘り始めたアインを横目で見ながら、後ろを向き、地面にしゃがみ込んでいる男の腕に手を翳している女に声を掛ける。


「フルール、どうだ?治療の様子は?」


 フルールと呼ばれた女性は、男に手を翳したまま、レオに顔を向ける。


「それほど時間はかかりません。ハヌマーンを埋め終わる頃には、終わっていると思います」

「そうか」


 レオは頷き、一同を見渡して宣言する。


「よし。今日はこいつらを埋めたら、ラ・セリエに戻るぞ」

「「「はい!」」」


 レオの言葉にハンター達は一斉に頷き、少しずつ高度を下げる太陽の下で、地面に穴を掘り続けていた。




 ***


 レオ達がラ・セリエに戻り、ハンターギルドで手続きを終えた頃には日は地平線の下へと沈み、辺りは暗闇に覆われていた。ハンターギルドで解散したレオは、アインとミリーを伴って、家路へと急ぐ。大通りの両側に軒を連ねる商店は店仕舞いを始めており、次第に人が疎らになる通りを一行はミリーを真ん中に挟み、ミリーの右掌から吹き上がる炎を松明代わりにして歩いていた。


 やがて一行は大通りを外れ、路地の奥にある、こぢんまりとした家の前へと辿り着く。レオは木製の扉をノックし、声を上げた。


「イレーヌ、俺だ、レオだ。扉を開けてくれ」

「はーい、ちょっと待ってね、レオ」


 家の中からいらえがあり、やがてパタパタという足音が聞こえた後、扉が開かれる。現れたのは、胸に赤ん坊を抱いた、母性と幸せに満ち溢れた若い女性だった。


 女性はレオの顔を見て安堵の息をつくと、満面の笑みを浮かべて夫を労わる。


「お帰りなさい、レオ。怪我はない?」

「ああ、大丈夫だ。ソレーヌは?」

「今日はいい子にしてたわよ。ねー、ソレーヌ?パパ、お帰りなさいって」

「ぱぁぱ」

「ああ、ただいま、ソレーヌ」


 自分の胸元ほどの身長しかないイレーヌに抱かれた赤ん坊の前で、レオは身を屈めながら声を掛ける。そのレオの脇から顔を出したミリーが、赤ん坊に向かって笑みを浮かべ、指を伸ばす。


「ただいま、ソレーヌちゃん。お姉ちゃんだよー」

「…ねぇね」

「…っ!イレーヌさん、今聞きました!?ソレーヌちゃんが、あたしの事、お姉ちゃんって呼んでくれた!やぁーん、ソレーヌちゃん、嬉しい!」

「あら、凄いじゃない、ミリー」

「ソレーヌ、ソレーヌ。お兄ちゃんだよー」

「じぃじ」

「何でだよ!?」


 赤ん坊に初めてお姉ちゃん呼ばわりされたミリーが飛び跳ねるように喜び、爺呼ばわりされたアインが不貞腐れる。対照的な二人の反応に、イレーヌが笑いながら後ろへと振り返った。


「さ、みんな、中に入って。今ご飯作っているから、もう少し待ってて」

「あ、イレーヌさん、あたしも手伝います」

「悪いわね、ミリー。それじゃ、野菜を切ってくれる?」

「はーい、分かりました。アイン、あたしの武器と防具の整備、お願いしてもいい?」

「ああ、やっておくよ」


 赤ん坊を抱いたイレーヌとミリーが家の中へと入り、レオとアインは武器防具の洗いに裏手の水場へと向かう。


 やがて、水場で武器についた血糊を流す二人の下に、食欲をそそる匂いが漂ってきた。




「では、いただこうか」

「「いただきまーす!」」

「はい、召し上がれ」


 食卓に並んだ料理に目を輝かせ、若い二人が次々に手を伸ばす。塩をまぶした鶏のソテーに、塩気の利いた野菜スープ。保存を目的とした堅い黒パンとチーズ。そして、塩茹でしたジャガイモ。素朴ながらも力仕事を終えた三人のために塩を利かせジャガイモで嵩増しした料理が、瞬く間に目減りしていく。


 二人の食べっぷりに感心していたイレーヌの視線が向かいに座るレオへと動き、気遣わし気に尋ねる。


「ねぇ、レオ。ハヌマーンの討伐は、どう?」

「…」


 ジャガイモの塊を頬張っていたレオは、暫くの間イレーヌの顔を見ながら咀嚼を繰り返していたが、やがて水を口に含んだ後、口を開いた。


「まだまだ、だ。どうやら、エーデルシュタインから万を超えるハヌマーンが侵入しているらしい。統制が取れておらず、100から1,000程度の集団に分かれ、カラディナの東半分全域に広がっている。首都サン=ブレイユの手前に軍が展開したため、サン=ブレイユは被害を免れているが、その他の地域は抑え込みに失敗し、ハヌマーンとのいたちごっこだ。全てを駆逐するのに、数ヶ月はかかるかも知れない」

「そう…」


 レオから芳しくない状況を聞き、イレーヌの声が沈む。イレーヌのはす向かいに座るアインが、ジャガイモを突き刺したフォークを掲げ、明るい声を上げた。


「大丈夫ですよ、イレーヌさん。ラ・セリエ近郊は、じきに収束します。俺もようやく『疾風』を使いこなせるようになってきたんで、もっと遠くまで足を伸ばして、叩いてきますから」


 気軽に答えるアインに、向かいに座るミリーが眦を逆立てる。


「アイン、あんたねぇ、あたしが昼間何て言ったか覚えているの!?あんた一人で動き回って、いざという時に、どうするの!?」

「大丈夫だよ、いざとなったら『雷』もあるし」

「慢心しないでよ!あんたと同じ『疾風』を持つあのシモンさんだって、クエストの途中で命を落としたんだよ!?」

「う…悪かったよ、ミリー。だから、泣かないでくれよ」

「泣いてなんかない!」


 ミリーの目に浮かんだ涙を見てアインが頭を下げるも、ミリーの怒りは収まらず、噛み付いてくる。急に険しくなった空気にレオが嘆息し、二人を窘めた。


「二人とも、それくらいにしてくれ。ソレーヌが泣いちまう」

「あ、ごめんなさい、レオさん」

「すいません、師匠」


 レオの苦言に二人は、慌てて頭を下げる。頭を上げたアインに対し、レオはしかめ面をして答えた。


「アイン。お前の『雷』は稀に見る強力な素質だし、『疾風』との相性も良い。このまま研鑽を続ければ、すぐに俺を抜いて、いずれはカラディナ最強のハンターになれるだろう。だが、自分の能力に驕り、慢心して、単独行動に走るな。ミリーの言う通り、信頼する仲間と共に行動し、背中を預けるんだ」

「分かりました、師匠。肝に銘じます」


 レオの言葉に、アインは神妙な面持ちで頭を下げた。




 ***


「ああ、食った食った。もうお腹一杯。イレーヌさんの料理は、相変わらず美味いなぁ」

「すみませんねぇ、アインさん。どうせあたしは、料理が下手ですよぉ」

「そ、そんな事言ってないだろ!?今日の野菜スープだって美味かったぞ?」

「あたしは野菜刻んだだけなんだけど」

「…」


 レオの家を出て、自分達の家へと戻ったミリーは、頬を膨らませながら右掌から炎を出し、ランタンに火をつける。ランタンの灯りが部屋の中を淡く照らし出すと、ミリーはベッドに腰を下ろし、防具を仕舞っているアインの広い背中を眺める。


 ロザリアの祝福を経て、「雷を司る者」と「疾風」という二つの強大な素質を手に入れたアインと違い、ミリーが得た素質は「癒しの手」と「良妻の手」。どちらも戦闘には、役立たない。だがそれでも、ミリーは自分の素質を知って喜んだ。「癒しの手」があれば、もしアインが怪我を負っても治せる。地水火風、生活に必要な下級魔法と同等の効果を齎す「良妻の手」があれば、アインに快適な生活を提供できる。物思いに耽るミリーの視線の先で、片付けを終えたアインが立ち上がり、ミリーの下へと歩み寄る。


「ミリー、今日もありがとう。お前には、世話を焼いてもらってばかりだ」

「そう思っているなら、あたしを心配させないでよ」


 隣に腰を下ろしたアインに肩を抱かれ、ミリーは頬を膨らませながらも相手に引き寄せられるままにアインの肩に頭を乗せ、二人は暫くの間、その体勢で動きを止める。


「…ねぇ、アイン」

「ん?何だい?」


 やがてミリーが顔を上げ、アインの顔を見つめる。ミリーは目を潤ませ、かつて行動を共にし、その後永遠に会う事のできなくなった隻腕の仲間を思い出し、口を開く。


「…必ず無事に戻って来てね。トウヤさんみたいに死んだら、承知しないからね」

「ああ。俺は必ず、お前の下に戻って来る」

「アイン…」


 愛する男の力強い決心を聞いたミリーは目を閉じ、男の欲望に身を委ねていった。




 中原暦6626年ロザリアの第5月。ラ・セリエは、レオ、アインをはじめとするハンター達の活躍により、政府の救援を待たずしてハヌマーンを駆逐、平穏を回復した。

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