228:白ばむ空

 ロザリアの第2月27日。コルネリウス軍はハヌマーンの護送を終え、ヴェルツブルグへと帰還した。


 突然の破局から1ヶ月が経過したヴェルツブルグは、未だ困難の真っ只中にあった。あの美しい整然とした街並みは見る影もなく、至る所に焼け焦げた瓦礫の山が点在している。ヴェルツブルグの繁栄のシンボルとしてそそり立っていた王城は焼け落ち、中原の精神的支柱となっていたロザリア教の大聖堂も半壊し、黒く焼け焦げている。そして、そこかしこに巨大な黒槍がまるで墓標の様に突き刺さっていた。ヴィルヘルムの采配の下、負傷者の救護と死者の埋葬を終え、至る所に散在していたハヌマーンとロックドラゴンの死体の処分を最優先に済ませた事で、疫病の発生は抑えられていたが、北部の惨状はほとんど手つかずと言え、人々は辛うじて原型を留める事ができた南部を心の拠り所に、ようやく復興に取り掛かろうとしていた。




 ヴェルツブルグへと帰還したコルネリウスは、ユリウスに軍の再編と復興活動への投入を指示すると、美香に労りの声を掛けた。


「ミカ、1ヶ月もの間我々に同行してくれて、ありがとう。疲れただろう?君はディークマイアーの館に戻り、ゆっくり休んでくれ」

「え?いえ、私はまだ大丈夫です。ずっと馬車に揺られていただけですし。私にも復興のお手伝いをさせて下さい」


 美香の申し出にコルネリウスは相好を崩すが、開いた口から飛び出た言葉は、その表情とは異なったものだった。


「ミカ、君にとっては誠に不本意だろうが、君は今や我々にとって最後の砦なのだ。君の『ロザリアの槍』は兵の枯渇した我が軍の最終兵器でもあるし、王家が不在の今、『ロザリア様の御使い』でもある君の存在だけが、希望の光となっている。君が健やかに居てくれるだけで、我々は希望を捨てず、この惨状に立ち向かっていく事ができるのだ。おそらくこの先私達は、君にしかできない事を、お願いする事になるだろう。だから今は、我々のためにゆっくり体を休め、その時に備えて欲しいのだ」

「…」


 コルネリウスの真っ直ぐな目を受け、美香は視線を外して考えに沈む。コルネリウスの言いたい事は、良く理解できる。美香としては、その時の感情に任せて勢い良くぶっ放していただけなのだが、それを繰り返した結果、今やエーデルシュタインにとってかけがえのない象徴に祭り上げられてしまった。ハヌマーンの襲来によって王家と教会が未だ立ち直れない以上、人々が残された希望に縋って来るのは、止むを得ない。それに美香自身、魔法を除けば脳筋以外には何の取り柄もない、ただの小娘である。復興活動で実際に手を動かしても、小娘1人以上の成果が見込めるわけではなかった。美香は頷き、顔を上げてコルネリウスに答える。


「わかりました。それでは私は、大人しく家で待機しています。何か私にお手伝いできる事がありましたら、遠慮なく言って下さいね、コルネリウス様」

「…」

「…お父さん」

「ああ、ありがとう、ミカ」


 美香はコルネリウスを安心させるために笑顔で答えるが、コルネリウスが下唇を突き出し不貞腐れた表情を浮かべると、慌てて言い改める。何か、好いように既成事実化されているんだけど。瞬く間に機嫌を良くするコルネリウスを見てやらかした思いが募る美香を余所に、コルネリウスはオズワルドとゲルダに美香の護衛を託すと、レティシアに依頼した。


「レティシア殿、貴方は私に同行してくれるか。これからヴィルヘルム殿と合流し、今後の対応を協議する。貴方にはフリッツ殿の名代として、立ち会ってもらいたいのだ」

「畏まりました、コルネリウス様」




 美香達と別れたコルネリウスとレティシアは南部兵団駐屯地に留まり、ヴィルヘルムをはじめ、各方面の責任者達の集合を待つ。復興の拠点と化した南部駐屯地の周囲には仮設の木造家屋やテントが軒を連ね、周辺地域から寄せられた多くの物資が山積みとなり、その間を多数の作業従事者が行き交っていた。


 やがてヴィルヘルム達が戻って来ると、一同は駐屯地の一室に閉じ籠る。舵取りを失ったエーデルシュタインの行く末を決める重要な会議が、開始された。




 ***


「「「…」」」


 飾り気のない板張りの部屋の中で、一同は頑丈だけが取り柄の無骨な椅子に腰を下ろしたまま、声を失っていた。コルネリウスも、ヴィルヘルムも、奇跡的に死を免れて以後ヴィルヘルムとともにヴェルツブルグの復興に尽力する高官達も、ユリウスも、椅子に座ったまま目を見開き、口を開いて固まっていた。




 会議が始まると、まずヴィルヘルムより王家の消息が報告された。王城周辺の捜索の結果、王太子クリストフの死亡が確認され、国王ヘンリック2世は行方不明のままであるものの、全焼した王城内の遺体が全て炭化して判別がつかず、自力で動けなかった事もあって、そのまま王城内で死亡したと結論付けられた。また、ロザリア教皇フランチェスコ・ランベルク、宰相ゲラルト・フォン・ドッペルバウアーの死亡も報告された。


 ヴェルツブルグの人的被害は、おおよそ死者15,000。このうち王城での死者が、5,000を占める。予想よりも低く抑えられたのは、王城が結果的に囮となり、市民達の脱出の時間を稼げた事が大きい。一方で北部は焦土と化しており、物的損失は計り知れなかった。また、この他に西部へと派遣された兵10,000がハヌマーンによって全滅し、グレゴール・フォン・ケルヒェンシュタイナーも死亡した事が、ユリウスより報告された。


 ヴィルヘルムの報告が終わると、代わってコルネリウスが報告を始める。北部を席巻した約50,000のハヌマーンと17頭のロックドラゴンが美香の手によって駆逐されたと聞いた時点で、すでに一同の目と口は閉じる事ができなくなっていたが、その後美香がサーリア様の生まれ変わりと見なされ、ハヌマーンをひれ伏させたと知るや否や、ヴィルヘルムなどは美香の許に駆け出そうして、同席者に引き留められる有様だった。


 お互いが不倶戴天の敵として相手の存在を認めず、いずれかが滅亡するまで未来永劫戦い続ける事になるであろうと考えられていたハヌマーンを相手に、根回しも無しにいきなり和平をもぎ取って来たのだ。中原に住む人々にとって、天地鳴動の衝撃である。エーデルシュタインの北辺に領土を構え、ハヌマーンとの戦いの凄惨さを知り尽くしているヴィルヘルムにとっては、それだけで美香を神と崇め、跪きたくなる思いだった。


 だが、その天地鳴動の衝撃でさえも、単なる前座だった。




「…ミカ様が…我々全ての人族の…『母』…」




 立て続けに雷に撃たれ、凍り付いた部屋の中で、ヴィルヘルムが体を震わせながらうわ言のように呟く。ヴィルヘルムの恐れおののくような目を向けられたレティシアは頷き、静かに言葉を続けた。


「あの破局の最中さなかにロザリア様から齎された、神託です。ミカは神話で語り継がれている、ロザリア様の血より生み出された最初の人族。今この世界に住む私達は、皆、気の遠くなるほど遥か昔に生きていた彼女の血を引く、遠い子孫なのです」

「「「…」」」


 レティシアの言葉に、直前まで驚かせる側に居たコルネリウスでさえ衝撃を受け、思わずテーブルに手をつき腰を浮かした状態で固まっている。誰もが動きを止める中、ヴィルヘルムが椅子から崩れ落ちると、そのまま床に膝をつき、震えながらディークマイアー家の方角を向いて平伏する。そのヴィルヘルムの所業を、誰一人止めようともせず、呆然と眺めていた。


 やがてコルネリウスが力尽きて椅子に座り込み、背もたれに体を預けたまま、疲労しきったように息を乱しながら答える。


「…もはや何も言う事など、あるまい。ミカに…いや、ミカ様に、この国の頂点に君臨していただく。あの方がこの国に御座おわし、我々の営みを照覧される。それだけで構わない。すでに我々は、国を挙げてでも返せないほどの御恩を、あの方からいただいている。これからは我々が、あの方に御恩返しをしなければ、ならないのだ…」

「「「…」」」


 コルネリウスの独語にも似た発言を受け、一同は神妙に頷く。異論は一言も上がらない。




 彼女は北伐のさなか、ガリエルの地において31,000の兵の命を救い、生還させた。


 彼女は、ハーデンブルグにおいて三波に渡って押し寄せたハヌマーンを単身で退け、エーデルシュタイン北部を守り抜いた。


 彼女は、陥落寸前のヴェルツブルグに駆け付け、50,000ものハヌマーンを撃退して滅亡の危機に瀕したエーデルシュタインを救い、更にはサーリアの生まれ変わりとなってハヌマーンをひれ伏させ、我々が想像さえもしなかった和平への道を開いた。


 そして彼女は、神話で語り継がれる最初の人族であり、我々の「母」である。




 ――― これだけの偉業を並べ立てられ、王家の血を引いていない事に、何の不都合があるのだ?




「…レティシア殿。ハーデンブルグに早馬を出してくれ。フリッツ殿に至急、上京してもらいたい」

「ハーデンブルグには、すでに私がその内容で早馬を出している。そろそろ向こうに到着する頃であろう」

「そうか、助かる。ヴィルヘルム殿」


 コルネリウスの言葉に、腰を上げ再び席に着こうとしているヴィルヘルムが答え、コルネリウスが頭を下げる。コルネリウスは、そのままヴィルヘルムに依頼する。


「ヴィルヘルム殿、中南部の領主の説得と取り込みを貴殿に一任したい。内乱によって王家の求心力が低下している。顔の広い貴殿の言葉であれば、彼らも耳を傾けるであろう。必要とあらば、私が睨みを利かせ抑えよう」

「承った、コルネリウス殿。この一命に代えてでも」


 席に着いたヴィルヘルムが、その目に白馬を思わせる光を湛えて頷く。武の点で言えば弱小のアンスバッハ家であるが、弱小のまま長きに渡って繁栄しているのは、アンスバッハ一族のお家芸とも言える卓越した交渉力と政治手腕にあった。コルネリウスは頷き、一同を見渡して締めくくる。


「この件は、今しばらくミカ様にはお伝えせず、秘匿していただきたい。我々だけで地歩を固め、国内を纏め上げるのだ。あの方は政治的野心を持っておらず、ただただ穏やかで静かな生活をお望みだ。あの方のお気を煩わせることなく、事を成し得るのだ」

「「「はっ!」」」


 コルネリウスの宣言に、一同は並々ならぬ決意を胸に秘め、力強く応える。




 979年間大地を照らし続けていた太陽が沈み、ヴェルツブルグは暗闇に覆われた。だが、遺された人々は、白ばむ地平の彼方に新しい太陽を見い出し、その光に全てを賭けようと動き出していた。

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