226:たとえ汚名を被ろうとも

 中原暦6626年ロザリアの第1月24日。この日ユリウスは、生涯最大の驚きを迎える事になった。




「…閣…下…」


 コルネリウスを出迎えたユリウスは、目の前の光景に言葉を失い、目と口を大きく開いたまま固まっていた。いや、ユリウスだけではない。ユリウスの背後に並ぶ騎士や兵士達も、ユリウスと同じく驚愕の表情を浮かべ、呆然としている。


 ユリウス達の視線を真っ向から受けたコルネリウスと50名の騎士達は、思い詰めた、あるいは覚悟を決めた表情のまま、ユリウス達の前に立ち塞がるように並んでいる。救いを求めるように視線を向けたユリウスに対し、コルネリウスが重々しく口を開く。


「…責任は全て、この私が取る。ユリウス、決して彼らに危害を加えるなよ?これは命令だ」

「…し、しかし…」


 コルネリウスの言葉を聞いたユリウスは、しかし、喘ぐように口を開き、コルネリウス達の背後の光景を呆然と眺める。




 コルネリウス達の背後には、ハヌマーン達が列を連ねていた。その数、およそ50頭。彼らは人族の不倶戴天の敵であるにも関わらず、まるで人族の仲間であるかのようにコルネリウス達の後を追い、少し後ろで集団を形成して大人しく待機している。


 ハヌマーン達の集団の前には、一頭の小柄な純白のハヌマーンと、少女達が立ち並んでいた。純白のハヌマーンは黒髪の少女と手を繋ぎ、黒髪の少女のもう片方の手は、金髪の少女の手に握られている。その奇怪な光景にユリウスが目を瞠る中、オズワルドが黒髪の少女に声を掛けた。


「ミカ、ハヌマーン達をあの辺りに連れて行ってくれないか?」

「あ、はい。分かりました。ゴマちゃん、あっちだって」

「□△$\\ ▽$% サーリア〇$」


 黒髪の少女に声を掛けられた純白のハヌマーンは嬉しそうに頷き、少女と手を繋いだまま、オズワルドが指し示した方向に歩き出すと、その純白のハヌマーンの後を追って50頭のハヌマーンが大人しく連れ立って行く。ハヌマーン達が動き出すと、ユリウスの背後に並ぶ騎士の何人かが思わず剣の柄に手を伸ばして身構えたが、コルネリウスと50名の騎士達が同僚達を目で制する。人族同士で異様な緊張が高まる中、ハヌマーン達は我関せずとばかりに、コルネリウス達の後ろを横切って行った。


 オズワルドとゲルダが少女を護衛しながらハヌマーン達とともに移動する姿をユリウスは眺め、やがて軋みを上げながらコルネリウスへと顔を向け、うわ言のように尋ねる。


「…閣下…あれは…一体…」

「御使い様だ」

「…え?」


 呆けた顔で尋ね返すユリウスを前に、コルネリウスは肺の中の空気を全て吐き出す勢いで大きく溜息をつき、腹をくくって座った目を向ける。


「…御使い様が奇跡を齎した。あの方が、剣でも魔法でもなく、慈愛をもってハヌマーンをひれ伏させ、従えたのだ」

「…な…」


 コルネリウスの言葉を聞いたユリウスと騎士達は、それでも呆然とした表情を浮かべたまま、道端にたむろするハヌマーン達を眺める。ユリウス達の視線の先では、美香と純白のハヌマーンが、押し問答を始めていた。


「だからゴマちゃん!お願いだから、此処で待っててよ!トイレに行きたいんだからぁ!」

「〇×△#$$ &□\\ 〇△& $*◇$ サーリア〇$ □□%!?」

「ああ、もぉぉぉ!何でわかってくれないの!?」


 ユリウス達が固唾を飲んで見守る中、美香が純白のハヌマーンの手を振りほどき、突然街道に沿って駆け出した。すかさず純白のハヌマーンと3頭の茶色のハヌマーン、そしてオズワルド、ゲルダ、レティシアが後を追い、美香が街道沿いの草むらの中に消えると4頭のハヌマーン、ゲルダ、レティシアがその後を追ってユリウス達の視界から次々と消えて行く。


「ゴマちゃんの馬鹿ああああああああ!うわあああああああん!」

「…御使い様…」


 ユリウス達は、やがて草むらの中から上がる悲鳴を聞きながら、顔を赤らめ俯いたまま道端に佇むオズワルドの姿を、呆然と眺めていた。




「いい?ゴマちゃん。私が『トイレ』って言ったら、大人しくその場で待っているんだよ?分かった?」

「▽×%$$△〇 \+□〇# %$×\ サーリア〇$ @□&」

「ト、イ、レ」

「ト…イ…レ…?」

「そう。ゴマちゃん、分かった?分かったら、返事をする!」

「%%〇 #$」

「よろしい」


 美香が赤面したまま頬を膨らませ、人差し指を立てた右手を前後に振りながら聖者に説教をする。聖者は3頭の供回りと共に美香の目の前で正座し、美香の言葉に神妙に頷いていた。


 美香達の向こう側では、何頭かのハヌマーンが横に並び、湖に向かって雄叫びを繰り返している。


「□×%$$# 〇\△%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」

「□×%$$# 〇\△%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」

「□×%$$# 〇\△%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」


 ハヌマーン達が雄叫びを上げると、湖のあちらこちらで三々五々に返事があり、やがて新たなハヌマーンが少しずつ街道へと姿を現わした。彼らは街道の向こうに群がる人族に驚き、警戒感を露わにして身構えるが、同胞達が彼らに近づいて言葉を交わすと驚愕の表情を浮かべる。


 そして彼らは同胞達に連れられ、聖者の許へと赴くと、そこで美香と初めて対面するのだった。


 彼らは、目の前の光景が目に飛び込んで来るや否や硬直し、目を見開いたまま彫像の様に動きを止める。左手には、ハヌマーンにとって最高位に当たるはずの聖者が、3頭の供回りを従えて下座に腰を下ろし、彫像と化した彼らを見つめている。


 そして、彼らの正面にはレティシアを伴い、背後にオズワルドとゲルダを従えた美香が座り、困惑の眼差しを彼らに向けていた。


 呆然とした表情を浮かべ硬直する彼らに、聖者が語り掛ける。


「□〇%%÷ △×〇#*@@\ △$ ×□&%%〇$%* □〇\& サーリア〇$ □$〇**&…」


 彼らは聖者の言葉を聞くうちに、より一層目を見開き、やがて大粒の涙を流しながら口を戦慄かせる。そして、力尽きたかのように両膝をつくと、溢れ出る涙を拭こうともせず、両手を美香に差し出して歓喜の声を上げる。


「□〇&%% \$〇 △+**$ #□〇\\ サーリア〇$!」


 そして、美香がバツの悪そうな表情を浮かべながら手を差し伸べると、彼らは恭しく手を取り、涙を流しながら手の甲に静かに歯を立てるのであった。




 美香の前にひっきりなしにハヌマーンが並び、感涙の声が繰り返し上がるさまを、ユリウスが食い入るように見つめている。傍らに佇むコルネリウスが、同じく美香の姿を眺めながら口を開いた。


「…つまり、中原に伝わる神話とは異なり、彼らハヌマーンにとって、サーリア様は特別な存在だったというわけだ」

「…」


 コルネリウスの言葉を聞き、ユリウスが美香を見つめたまま息を呑む。コルネリウスがユリウスへと目を向け、言葉を続ける。


「ミカは、あの純白のハヌマーンを殺そうとした我々の前に立ちはだかり、命を救った。それによって彼らはミカがサーリア様であると信じ、彼女の前にひれ伏し、彼女に従うようになったのだ」

「…自由奔放で笑顔がまぶしい、艶やかな黒い髪の三女、サーリア…」

「ああ、まさしくその通りだ」


 コルネリウスは美香の頭部を飾る艶やかな黒い髪を眺め、再びユリウスに目を向ける。


「ミカは、自分がサーリア様と呼ばれる事に躊躇ちゅうちょしていたが、私が頼み込んだ。ハヌマーンの前だけで良いから、サーリア様でいてくれ、とな」

「…」

「彼女がサーリア様を演じる必要は、ない。彼女の在り様が、まさにサーリア様なんだ」

「…」




「ユリウス、常識を捨てろ。わだかまりを忘れろ」




「…閣下?」


 美香とハヌマーンのやり取りを見つめていたユリウスは、コルネリウスの言葉に思わず視線を外し、コルネリウスの顔を見る。コルネリウスは頷き、覚悟を決めた眼でユリウスの顔を見つめる。


「…これは、最初で最後のチャンスだ。中原とハヌマーンが未来永劫血みどろの戦いを続けるのか、それとも一時でも鉾を納め、戦いのない平和を迎えられるのか、その瀬戸際だ。あの純白のハヌマーンは、彼らの王とも言える存在だ。奴はハヌマーンの心を完全に掌握しており、知恵も回る。敵に回せば恐るべき存在であり、今此処で殺した方が中原のためかも知れん」

「…」

「…だが、奴を生きてガリエルの地に帰さなければ、決して平和は訪れない。ハヌマーンを掌握している奴がサーリア様となったミカに従い、それを国元で広めなければ、決して戦いが終わる事はないのだ」

「閣下…」


 ユリウスの前で、コルネリウスはもう一度、肚の底から深い深い息を吐く。


「…私は、腹を括った。たとえ将来、中原に徒為あだなす愚行と罵られ、汚名を被る事になろうとも、構わん。奴が率いるハヌマーンを、全員生きてガリエルの地へと戻す。あの奇跡を目の当たりにした者として、唯一無二の機会を逃すわけには、いかん。それが、私のみならず、あの場に居た全ての者達の、願いなのだ」

「…」


 コルネリウスの覚悟を耳にしたユリウスは視線を外し、再びハヌマーン達を眺める。そのハヌマーン達の許に、コルネリウスと共に奇跡の場に立ち会った50名の騎士達が、黙々と食料を送り届けていた。




 こうして2日が経過した、ロザリアの第1月26日。離散したハヌマーンの集合を見届けたコルネリウスは、ヴェルツブルグをヴィルヘルムに託すと、ユリウスと共にハヌマーン軍の護送を開始する。


 コルネリウス達が覚悟を決めた、中原の未来を賭けた静かな戦いが、始まろうとしていた。

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