167:ロザリアの第5月12日

 文明の痕跡の欠片も見当たらない荒涼とした大地を、1両の8輪装甲車が滑走していた。装甲車は至る所に石の転がる道なき道をものともせず、砂埃を舞い上げながら、南南西に向かって真っすぐに走って行く。辺りには生物の面影はほとんどなく、時折枯れ枝としか思えない乾ききった低木が、硬い地面にへばり付く様に根を下ろしていた。


 装甲車の上部ハッチの1つが開け放たれ、1人の男が顔を出し、周囲の様子を窺っている。男は1本しかない手を額に翳し、容赦なく照り付ける太陽から目を守りながら、刻一刻と移り変わる、しかし全体としては全く変化のない景色を眺めていた。


 暫く周囲を眺めていた男だったが、やがて照り付ける日差しに根を上げたのか、ハッチを閉め、車内へと戻る。男は梯子を降りると、座席に座ったまま男を見上げる、エルフの娘に声をかけた。


「セレーネ、そろそろお昼にしよう」


 男はエルフの娘に声をかけながら、胸元に吊り下げたペーパーボードを指でなぞる。それを見たエルフの娘は頷き、返事をした。


「ใช่ฉันเข้าใจแล้ว. สามารถโทรหา น้าシモン」

「ああ、セレーネ、座ってていい。俺がシモンに言ってくる」


 セレーネが腰を浮かそうとしたのを見た柊也は、左手で制し、壁に手をつきながら操縦席へと進む。そして、操縦席に顔を覗かせた柊也は、車体に身を預ける様に寄り掛かると、左手でペーパーボードをなぞりながら、操縦するシモンに声をかけた。


「シモン、食事にしよう。車を停めてくれ」


 柊也の声を耳にしたシモンは、ペーパーボードを見ると頷き、ブレーキを踏みながら口を開く。


「Я понимаю トウヤ перейти скоро」


 やがて装甲車は動きを止め、三人は車を降りると車を日陰にしながらパラソルを掲げ、食事の準備に取り掛かった。




「さて…、今日は何にしようか…」


 座椅子の上で胡坐を組んだ柊也は、ペーパーボードを眺めながら静かに呟く。その脇ではシモンとセレーネが、興味津々の様相でペーパーボードを覗き込んでいた。




 ―――


 ハンバーグ  / Гамбургер     / แฮมเบอร์เกอร์

 ステーキ   / Стейк       / สเต็ก

 カレー    / Карри       / แกง

 サンドイッチ / Сэндвич      / แซนด์วิช

 サラダ    / Салат       / สลัด

 ラーメン   / Лапша рамэн   / บะหมี่ราเมน

 炒飯     / Жареный рис   / ข้าวผัด

 海老フライ  / Креветка жареная / กุ้งชุบแป้งทอด

 かつ丼    / Котлета рис    / หมูทอด ข้าว


 ―――




「エミリアの管轄地に入る前にメニューを作っておけば、こんな苦労もなかったんだがなぁ…」


 自分の迂闊さを呪いながら、柊也は思いつくままに料理をちゃぶ台の上に並べる。海老グラタン、スパゲティミートソース、マルゲリータピザ、サラダがちゃぶ台の上に並ぶと、シモンはがっくりと肩を落とし、セレーネはいそいそと海老グラタンを自分の前に引き寄せた。


 柊也はペーパーボードに料理の名前を書き連ねると、ペーパーボードを二人に向ける。そして料理とペーパーボードを交互に指差しながら、説明する。


「グラタン、スパゲティ、ピザ」


 シモンはペーパーボードとマジックを受け取ると、涙目になりながらボードに書き連ねていく。その姿を見た柊也は笑みを浮かべ、チョコレートパフェを人数分並べる。


「Шоколадное парфе!トウヤ я тебя люблю!」


 喜色を浮かべ、物凄い勢いで尻尾を振り始めたシモンは、スパゲティを手繰り寄せると瞬く間に平らげていく。その姿を、セレーネがペーパーボードを胸に抱えたまま、穏やかな笑みを浮かべ眺めていた。




 昼食が終わって一息着いた一行は再びボクサーに乗り、南南西へと走り始める。午前中一杯操縦していたシモンに代わってセレーネが操縦席に座り、シモンは後部座席に回った。


 最初のうちは時折上部ハッチから顔を出して周囲の様子を見ていたシモンだったが、変わり映えのない風景に飽きたのか、やがて柊也の隣に腰を落ち着ける。


「…」


 シモンは、柊也と並んで座ったまま、静かに反対側の壁を眺めている。柊也も、悪路を進むボクサーの中では本を読む気にならず、欠伸をしながら反対側の壁をぼんやりと眺めていた。


 すると、シモンは静かに手を伸ばし、柊也の左手を掴むと、自分の目の前に引き寄せた。


「ん?どうした、シモン?」

「…」


 柊也の質問にシモンは答えず、自分の目の前で柊也の左手指を曲げたり、伸ばしたりしている。やがて、シモンは柊也の左腕にしがみ付いたまま、柊也の左手を指差して、口を開いた。


「トウヤ Что ты скажешь это?」

「え?何だって?」

「Что ты скажешь это?」


 言葉がわからず、柊也は思わず聞き返すが、シモンは柊也の手を指差しながら、じっと柊也の顔を見つめている。その動きに柊也はやがて思い当たり、答えを返す。


「…手?」

「Тэ?」

「手」

「テ」


 柊也の言葉を聞いたシモンは頷き、柊也の手を眺めながら「テ」「テ」と繰り返し呟いている。そして、今度は柊也の左人差し指を曲げたり伸ばしたりしながら、再び柊也の方を向いた。


「Что ты скажешь это?」

「…指?人差し指」

「Убихито сащ юби」

「指」

「ユィビ?」

「そうそう。人差し指」

「ヒトゥサスィ ユィビ」

「いや、それは中指」


 そのまま暫くの間、シモンが指の名称を1本1本尋ね、その都度柊也が答えを返す。それを繰り返していたシモンだったが、やがて再び柊也の腕にしがみ付くと、頭を柊也の肩に乗せ、口ずさみ始めた。


「Поймай меня своей сильной рукой」

「どうした、シモン?…それ、歌か?」

「Я убегаю, мечтая быть пойманным тобой」

「…ヤ ヴィヴェイルユ ミチテユ? ヴィチ…難易度高いな、おい」


 柊也はシモンの唄う歌を意味が分からないまま復唱し、そのまま二人はボクサーに揺られたまま、静かに歌を唄っていた。




 ***


「ไม่ได้นะ!น้าトウヤ!น้าシモン!ตื่นได้แล้ว!ได้มาถึงแล้ว!」

「…あ?…あ、スマン、セレーネ。つい眠っちまった」


 体を揺さぶられる感覚に気づき、柊也がゆっくりと目を開けると、腰に手を当てて頬を膨らませたセレーネが目の前で仁王立ちしていた。セレーネは、柊也が目を覚ましたのを見届けると、隣で未だ寝息を立てているシモンの尖った耳を摘まみ、顔を寄せて囁く。


「น้าシモン ได้มาถึงแล้ว. ตื่นได้แล้ว…」

「Мууу…Старшая сестра немного дольше…」

「แ, แป๊บนึง น้าシモン!?」


 寝ぼけたシモンがセレーネを抱き寄せ、身動きの取れなくなったセレーネを尻目に、柊也は梯子を登り、上部ハッチから身を乗り出す。


 ボクサーは、荒れた大地の真ん中で佇んでいた。周囲は、見渡す限り乾き切った堅い地面が続いている。西の地平線上に目を向けると、橙色に染まった夕陽が、堅い大地へと沈みこもうとしていた。東から南に目を転じると一段高い丘が視界を遮っており、翌朝の強い日差しを避けるためにこの場所を選択したセレーネの心遣いが、感じられた。


 柊也は一旦ボクサーの車内に戻ると後部ハッチを開け、車外に出て行く。そして、ボクサーの脇に1張のテントを張って座椅子とちゃぶ台を並べると、ボクサーから出て来た二人に対し、ペーパーボードを指差しながら、声をかけた。


「夕食にするぞ。二人は、何が食べたい?」


 シモンとセレーネは、ペーパーボードの上で柊也が指差す言葉を目にして頷き、思い思いの希望を口にする。


「オニク」

「エビ」

「…お前ら、何でそこだけ日本語が通じるんだよ」




 ***


 食事が終わり、二人の後で一風呂浴びた柊也が浴室テントから顔を出すと、シモンとセレーネが浴室テントの前に佇み、空を見上げていた。


「何を見ているんだ?二人とも…」


 柊也は二人に声をかけながら自分も空を見上げ、得心する。三人の真上には、雲一つない満天の星空が広がっていた。周囲には星の輝きを遮る明かりも月の光もなく、三人は瞬く星空の中に取り残され、降り注ぐ流れ星に容赦なく身を打たれていた。


「流星雨か…綺麗だな」


 柊也は、日本では決して見る事ができなかったであろう絶景に、感嘆の声を上げる。そして、ある事に気づくと、空を見上げたままの二人の肩を叩き、右手で缶ビールを取り出して、二人の目の前に掲げた。


「せっかくだ。一杯やるか」

「О хорошо. Давайте пить вместе, Нечувствительный человек」

「มันไม่สามารถช่วยได้ น้าトウヤ…. กรุณากลั่นกรอง」


 柊也の誘いに、シモンは何故か不満そうに頷き、セレーネは溜息をつく。そして、三人はボクサーの中に入ると梯子を登り、ボクサーの上に上がっていった。




 ボクサーの上に座布団とちゃぶ台を置いた柊也は、缶ビールとツマミを並べていく。焼き鳥、だし巻き卵、さつま芋フライ、枝豆、塩キャベツ、川海老の唐揚げ、等々。三人にお酒が行き渡ると、柊也は蝋燭の淡い光が揺らめく中で缶ビールを掲げ、音頭を取る。


「シモン、セレーネ、今日もお疲れ様」

「В честь работы любви солнце и луна сегодня вечером」

「คืนนี้ พระเจ้าサーリア ฉลองการนอนหลับอย่างสงบสุข」


 シモンとセレーネも己の言葉で唱和し、三人は流星雨を肴にして酒を飲み始めた。




 酒盛りは、静かに進められた。三人は言葉が通じない事もあって、あまり会話もせず酒とツマミに手を伸ばしていく。しかし、柊也は静寂に気負う事もなく、ごく自然に会話のない時間を楽しんでいた。誰とも会話がなくとも、傍らに二人が居るのを感じながら降り注ぐ星空を見上げていれば、柊也はそれだけで気が安らいだ。


 酔い覚ましがてら仰向けになって星空を眺めていた柊也の視界の隅に、セレーネが立ち上がるのが見え、柊也は身を起こして声をかける。


「どうした?セレーネ」

「หากคุณเป็นห่วงฉัน โปรดดูแลคนอื่น!」


 すると、セレーネは桜色に染まった頬を膨らませながら柊也に近づき、口を窄めながらペーパーボードをなぞる。それを見た柊也は納得し、セレーネに謝った。


「ああ、スマン。トイレか。行ってらっしゃい」

「ไม่มีอีกแล้ว…」


 ブツブツ小言を呟きながら、セレーネがハッチを開け、ボクサーの中へと消えていく。その姿を見届けた柊也は再び仰向けになろうとして、自分の方を見るシモンと目が合った。


「…」

「シモン?」


 シモンは缶ビールを持った手で膝を抱えながら、口をへの字に曲げ、横目で柊也を見つめている。その毛並みの良い尻尾が何度もボクサーの天井を叩いているのを見た柊也は苦笑し、シモンの脇に歩み寄って腰を下ろすと、シモンの肩を抱き寄せた。シモンは膝を抱えたまま身を傾け、柊也の肩に頭を乗せる。


「Папа идиот」

「ゴメンな、シモン、気づかなくて。悪かったよ」


 傾いた起き上がりこぼしの様に身を丸くしたまま、柊也の背中を何度も尻尾で引っぱたくシモンの姿に、柊也は笑いを噛み殺しながら頭を下げる。すると、シモンは顔を上げ、柊也の顔を見つめながら、口を開いた。


「Папа…я тебя люблю…」

「え?何て言ったんだ?」




「Папа…ァイ スィ テルゥ…」




「俺もだ。愛しているよ、シモン」

「…а…му…」


 柊也はシモンの告白に応えると、シモンに覆い被さり、その唇を荒々しく奪う。シモンも柊也の求めに応じて舌を伸ばし、そのまま二人は降り注ぐ星空の下で重なり合っていた。




 ***


「…何で、こんなところで寝ているんだ?」


 互いの想いを十分に確かめ合った二人は、上部ハッチを開けてボクサーの中へと戻る。そこには、後部座席に腰を下ろしたまま、だらしなく上を向いて眠るセレーネの姿があった。セレーネの姿を認めたシモンは、喜びに溢れた笑みを浮かべ、セレーネを横抱きに抱え上げ、その柔らかな頬に口づけをする。


「Спасибо за беспокойство обо мне, старшая сестра…」


 そして顔を上げたシモンは、柊也の方を向いて挑発的な笑みを浮かべると、セレーネを連れてテントへと向かう。柊也も意地の悪い笑みを浮かべると、その後を追い、テントの中へと入っていく。前を歩くシモンから、鼻唄混じりの呟きが聞こえて来た。


「Я должен подтвердить свою любовь с моей старшая сестра」

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