166:言葉を交わせなくても

「さて、グラシアノ殿への挨拶も終わったし、…後は、エミリアの管轄地に入った後の対策だな」


 柊也はボクサーの上にビニールシートを広げ、ちゃぶ台の上の料理をつつきながら、シモンとセレーネに説明を始めた。


 この日の昼食は、タイ料理だった。柊也の前にはガパオライスが置かれ、半熟の黄身が滝を形作っている。シモンの前にはカオマンガイが並び、セレーネのトムヤムヌードルの赤い液面が波打つ。その他にも、ちゃぶ台の中央にヤムウンセンとラープガイが並び、デザートにはタピオカココナッツミルクが置かれているが、何故かヤムウンセンは海老だけが無くなっていた。


 カオマンガイを掬っていたシモンがスプーンを止め、柊也に質問する。


「そこなんだが、トウヤ。どんな問題が起きるのか、私達に教えてくれないか?いまいち、良く分かっていないんだ」

「そうですね。トウヤさん、何が問題なのでしょう?」

「え?そうなの?」

「ああ」

「はい」


 二人の意外な回答に柊也が驚くが、シモンもセレーネも要領を得ず、首を傾げている。


 これは、常識の違いだった。地球で生まれ育った柊也は、世界に多種多様な言語が存在し、異なる言語同士では会話が成立していない事を知っている。一方、シモンやセレーネをはじめ、この世界の人々はロザリアやサーリアの恩恵により、言語が異なっていても会話が成立する。そのため、言語が異なる事による弊害はおろか、異言語の存在さえ気づいていない場合があった。


「そうなのか。意外とハードルが高いな」


 柊也は溜息をつくと、二人に質問する。


「まず、二人は、俺達三人が話す言葉が違っている事は、知っているか?」

「ああ、以前に聞いた事がある」

「え?そうなんですか?」


 柊也の質問に、シモンは首肯したが、セレーネは驚いた顔を見せた。柊也が頷く。


「ああ。俺は元の世界の言語、シモンは狼獣人、セレーネはエルフの言語を使って会話している。これらは、全て別の言語なんだ。例えば…」


 柊也は、ジャスミン茶を飲み干し、空になったコップを目の前に掲げる。


「今から合図をしたら、の名前を言ってくれ。…せーの」

「コップ」

「コップ」

「コップ」


 柊也の合図とともにシモンとセレーネが口を開き、柊也の耳に同じ単語が3つ並ぶ。しかし、


「ほら…な。シモン、気づいたか?」

「あ…本当だ」

「え、な、何ですか?」


 シモンがセレーネの顔を見て得心し、それに気づいたセレーネが動揺する。柊也が補足する。


「セレーネ、君だけ口が動く時間が長いんだ。実は、俺の国の言語では、これは3文字で表現できる。シモン、お前は?」

「5文字」

「え?え?」


 柊也とシモンの会話に、セレーネが驚く。柊也がセレーネの方を向き、重ねて質問した。


「ではセレーネ、エルフの言葉では、これは何文字で表現するんだ?」

「…コップ…」


 柊也の質問を受け、セレーネが上を向き、口ずさみながら指折りを始める。柊也の耳に聞こえたのは、やはり3文字。しかし、


「…11文字」

「長いな、おい」

「…すみません」

「あ、いや、謝らなくていい。非難しているわけではないから、気にしないでくれ」


 柊也の感想を聞いたセレーネが肩を窄め、柊也が慌てて宥めかかった。


「まあ、そう言うわけで、この名前を呼んだ時、俺には全員の発言が3文字で聞こえたわけだが、シモンは5文字、セレーネは11文字で聞こえているわけだ。これが、ロザリアやサーリアの恩恵と呼ばれる、自動翻訳だ。…エミリアの管轄地では、これが失われる事になる」

「…具体的には、どうなるんだ?」


 自動翻訳の存在が段々と理解できて来たシモンだったが、自動翻訳が無くなった時の想像がつかず、柊也に質問する。


「端的に言えば、俺やセレーネの言葉が、シモンに全く理解できない音に変わるんだ。例えれば、俺がハヌマーンの言葉を話す様な感じだな。シモン、そうなったら、お前はどうやって、俺との意思疎通を試みる?」

「…」


 柊也に具体例を出されたシモンは、腕を組んだまま口を酸っぱそうに窄めて考え込み、やがて結論を出す。


「…殺す」

「え!?何その、物騒な解決策」


 動揺の色を見せる柊也に、シモンが柳眉を逆立てて詰め寄る。


「例えが悪いんだよ、ハヌマーンを引き合いに出すんだから。…でもまあ、何となく分かったよ。参ったな…」

「トウヤさんの世界では、良くある事だったんですか?」


 シモンが頭を掻いて渋面を作る傍らで、トムヤムヌードルを平らげたセレーネが、ジャスミン茶を口に含みながら質問する。柊也があっさりと答えた。


「まあ、良くあるというか、それが常識だった。俺の世界では、7,000以上の言語があったんだ。勿論、言語が異なると、会話が成立しない」

「へ?な、7,000!?その人達とは、どうやって会話していたんですか?」

「俺の居た国は単一民族国家でね、基本的には異言語の人々とは交流しないで生活できたんだ。異言語との会話が必要な時は、そのまんまだよ。その異言語を覚えて、異言語で会話するんだ。俺の世界では複数の言語を使いこなす人達も、多数居たんだ」

「はぁぁぁ…。何か、凄まじい世界ですね…」

「それじゃ、私達は、君の言語を覚えた方がいいのかい?」


 唖然とした顔をするセレーネを余所に、シモンが自信なさそうに尋ねる。それに対し、柊也は首を横に振る。


「いや、それは無理だ。此処では恩恵が働いてしまって、俺の言葉が片っ端から翻訳されてしまうからな。言葉を覚える方法がない。それに、この世界の人達は、異言語を覚えると言う事自体が馴染みのない考えだろうから、言葉を覚えるのも至難だしな。だから…」

「「だから?」」


 二人のハーモニーに、柊也はペーパーボードを取り出しながら、答えた。


「気合で乗り切る」




「ちょっと、トウヤ?何その、気合って」


 ペーパーボードを胡坐の上に立てかけ、マジックで何かを書き始めた柊也に対し、ラープガイの最後の一口を含んだシモンが問い質す。そのシモンに、柊也は視線だけを向けて答える。


「そのまんまだよ、気合だよ、気合。或いは、度胸。自分の理解できない言語を話す相手と意思疎通するためには、とにかく相手と接し、恥ずかしがらずに身振り手振りでコミュニケーションを取る事が大事なんだ。…だが、まあ、全部をそれだけで済ませようとするのは、流石にマズいからな。アンチョコは作るけどな」


 そう答えた柊也は、ペーパーボードをちゃぶ台に立てかけ、表裏をひっくり返した。




 ―――


 トウヤ  /     /


 はい   /     /

 いいえ  /     /

 水    /     /

 ご飯   /     /

 痛い   /     /

 病気   /     /

 トイレ  /     /

 異常なし /     /

 敵襲   /     /


 ―――




「…何、これ?」


 ペーパーボードを覗き込むシモンとセレーネに対し、柊也は指でなぞりながら、説明する。


「この列はシモン、この列はセレーネ。此処に名前を、此処には俺が書いた言葉と同じ言葉を、書いてくれ」




「…書きました。こんな感じで良いですか?」

「ありがとう、セレーネ。どれどれ…」


 書き終えたセレーネからペーパーボードを受け取り、柊也はちゃぶ台の上に立てかけて、確認を始める。




 ―――


 トウヤ  / シモン  / セレーね


 はい   / はい   / はい

 いいえ  / いいえ  / 嫌、止めてそこは

 水    / 水    / 水

 ご飯   / お肉   / ご飯

 痛い   / 痛い   / 駄目、壊れちゃう

 病気   / 病気   / 病気

 トイレ  / 砂場   / トイレ

 異常なし / 異常なし / 異常なし

 敵襲   / 敵襲   / 敵襲


 ―――




「…幾つか変な訳語があるけど、まあ、いいか…」


 頭を掻きながら柊也は呟き、ペーパーボードに穴を開けて紐を通す。そして、紐を自分の首にかけてペーパーボードをぶら下げると、ちゃぶ台の前で胡坐をかいたまま、二人に宣言した。


「生活に必要であろう最低限の単語は、ここに並べた。言葉が通じなくなった時には、このボードをなぞって、教えてくれ」




 ***


「…ねぇ、パパ…」

「…どうした?」


 夜、テントの中に敷き詰めた布団の中で、シモンは裸のまま、隣に寝る柊也に枝垂れかかる。柊也の反対には、その日も二人に散々責められたセレーネが裸で横たわり、すでに深い眠りについていた。


 シモンは柊也の左腕にしがみ付き、柊也の胸元に頭を乗せて心音を確かめながら、呟く。


「ううん…、何でもない。名前を呼びたかっただけだから…」

「…」


 柊也が黙っていると、シモンが身を起こし、柊也を見下ろして尋ねる。


「ねぇ、パパ。どのくらい、喋れなくなるの?」

「ん?…そうだな…」


 シモンの質問に柊也は左手を上げ、指折り数えて答えた。


「多分、2ヶ月から3ヶ月ってところだな」

「そう…」


 柊也の答えにシモンが俯き、暫くの間沈黙が流れる。やがて、シモンは再び顔を上げ、ゆっくりと柊也に顔を寄せる。


「パパ、忘れないでね。喋れなくなっても、私、パパの事、愛してるからね」

「ああ、勿論だよ。俺も愛しているよ、シモン」


 二人は唇を重ね、少しの間、二人の頭だけが揺らいでいた。

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