164:第四波

「それじゃぁ、ハヌマーン達は…ふぐぅぅぅ…、全くいなくなっちゃったんですか?」

「ああ。第4が思い切って森の中に踏み込んだんだが、奴らが駐屯していたと思しき露営地は、もぬけの殻だったんだと。ヨナの川まで探りに行かないと断言はできないけど、少なくともハーデンブルグ近郊からは撤退した様だね」

「となると、今回の戦いは…むぎゅぅぅぅ…、これで終わりなんでしょうか?」

「そう願いたいところなんだが、今回ばかりは自信を持って言えないんだよ。先月の戦いも、前回から半年後だし、あの規模だと半年かけて準備を整えたとしか思えないからねぇ」

「そうですか…」


 美香はベッドに身を横たえたまま頭を起こし、時折異音を発しながら、自分の足元に立ったまま腕を組むゲルダの意見を聞く。ゲルダの脇では、レティシアがベッドに腰掛け、ゲルダの見解に耳を傾けていた。


 美香とゲルダが会話を続けている間、美香の両腕は本人の意思とは関係なく、不規則な動きを繰り返していた。ベッドに横たわる美香の両脇には女性騎士が一人ずつ傅き、各々美香の腕を引っ張って様々な方向に動かしている。


 前回の戦いから1ヶ月が経過したが、美香の四肢は未だに回復の兆しが見えていなかった。これについては、美香はすでに達観したもので、「3日も昏睡していたくらいだから、これくらい当然」のノリだったが、お付きの女性騎士達はそうは思わない。ハーデンブルグの厄災を一身に引き受け、その身と引き替えにハーデンブルグを救った美香に対し、女性騎士達は全幅の感謝と忠誠を誓い、少しでもその負担を和らげようと、リハビリに汗を流した。特に、そのお気に入りの愛玩人形ドールの美しさに翳りが差さないよう、手足のリハビリは徹底して行われた。


 一人の女性騎士が美香の頭の上に回り、美香の両手首を掴んで頭の上に引っ張り上げる。もう一人の女性騎士が美香の右足を掴んで腹の上まで膝を折り曲げ、美香は吊し上げを受けたような格好のまま、ゲルダに質問する。


「街の復興は…うぎゅぎゅぎゅ…、どんな感じですか?」

「街壁の第一列以外は、概ね完了したよ。家が崩落した市民達も、仮設に入居している。第一列も感謝祭までには形にはなるんじゃないかな?アンスバッハやミュンヒハウゼンの兵士達も復興を手伝ってくれているからね、何とか感謝祭は例年通り行えそうだ」

「そっか、それは良かったですね。せめて一年の初めくらいは、明るく楽しく過ごしたいです…あ?あああああああああ!?ちょ、ちょっと、待って!?」


 ゲルダの答えを耳にした美香は安堵の声を上げるが、直後、それが悲鳴に変わる。美香の両腕を引っ張り上げていた女性騎士が元の場所に戻ると、美香の左足を掴んで外側に広げ始めた。美香の両足は自分の意思に反して大胆に押し開かれ、ネグリジェが捲れ上がって純白の下着が露になる。美香は顔を真っ赤にして、女性騎士達に抗議した。


「ちょ、ちょっと、二人とも、いきなり何やっているんですか!」

「え?いえ、股関節が固まってしまいますと不味いですから、凝りほぐそうかと…」


 美香に問い詰められた女性騎士が、不思議そうな顔で小首を傾げている。


「いや、だからって、両足同時にやっちゃ駄目でしょ!これじゃ、下着が丸見えに…あああ!ゲルダさん!レティシア!」


 美香は強制的に両足を広げたまま、自分の股越しに佇むゲルダとレティシアを睨み付けた。


「あなた達!今日、何で枕元に来ないのかと思えば、コレを狙っていたのね!?スケベ!変態!」

「酷い言いようね、ミカ。私達、あなたの事が心配でこうして付き添ってあげているのに」

「そうだよ、ミカ。アタシなんて、アンタがいつトイレに行きたくなってもいいように、ほとんどこの部屋に住み込みで働いているのに…なぁ、レティシア様?」

「そうよ、ゲルダが可哀想よ、ミカ」


 美香から非難を受けたゲルダは、腕を組んで舌なめずりをしながら、レティシアはベッドに頬杖をつきながら、美香の純白の一点を眺めつつ反論する。


「そんな事言っても、今日は誤魔化されないから!大体、あなた達…わ、わあああああああ!」


 二人の反論に対し美香は再び追及しようとするが、突然、女性騎士達が美香の体を反転させる。反転した美香の体は上半身がうつ伏せになり、両足を押し広げたまま腰を浮かせ、膝立ちになった。ネグリジェが捲り上がり、お尻をレティシア達に突き出した体勢となった美香は、布団に組み伏せられたまま女性騎士に後ろ手に組まされ、狼狽する。


「ちょ、ちょっと!何でこんな体勢に!?」

「ずっと仰向けのままでいると、床ずれを起こしますから。それに、せっかくなので、背中側への可動域もほぐしておきませんと」

「いや、だからって、それを同時にやっちゃぁ、大変いかがわしいシチュエーションに…わああああ!レティシア!あなた、何処触っているの!」

「あ…、ごめんなさい。目の前に差し出されたから、つい」

「つい、じゃない!しかも、謝っていながら止めないし!いつまで、そこ弄って…ぁ…」


 女性騎士とレティシアの同時攻撃から逃れようと身を捩って藻掻いていた美香だったが、突然腰が跳ね、呆然とする。


「…右手、動いた…」

「え?ホント?」


 レティシアが美香に右手を伸ばしたまま、右側から美香の顔を覗き込むと、うつ伏せの体勢のまま、美香の右手が震えながら動いているのが見えた。女性騎士が喜色を露わにして、拍手をしている。


「おめでとうございます、ミカ様!もう少しの辛抱です!」

「あ、うん、ありがとう…」


 情けない体勢のために素直に喜ぶ気にもならず、微妙な反応を返す美香を見たレティシアは、視線を元に戻し、右手指の動きを再開する。


「じゃ、もう少し弄った方がいいかな…」

「え!?レティシア、ちょっと待って!それ以上、弄っちゃ…ぁ…左手も動きそう…」




 ***


「オズワルドさん、私に街を見せてもらえませんか?」

「何?」


 感謝祭が明後日に迫ったその日、美香は病床に見舞いに来たオズワルドに、そう求めた。


 美香の手足は、先日のレティシアの妖しい施術のおかげで神経が通い、自由が利くようになっていたが、それでも未だ自立した生活はおろか、満足に立ち上がる事もできなかった。否定的な視線を向けるオズワルドに対し、美香は自分の思いをぶつける。


「私、あの魔法を放ってから、ずっと館に閉じ籠ったままで、外の状況を一切目にしていません。このままでは、自分の魔法がどの様な影響を及ぼしたのか、何も知らないまま、復興の影に埋没してしまう。それは、良くない事だと思うんです。私が、自分が選択した結果を認識し、ありのままの現実を受け入れる。それが、あの魔法の使い手としての責務だと思うんです」

「…わかった」


 美香の強情さを嫌というほど知っているオズワルドは、諦めた様に溜息をつくと、美香の肩にガウンをかけ、椅子から立ち上がる。


「1時間後にもう一度来る。それまでに、身支度を整えてくれ。ゲルダ、馬と護衛を何名か揃えておいてくれ」

「ありがとうございます、オズワルドさん」




 ハーデンブルグの街並は、いつもより幾分混雑し、いつもより幾分浮ついていた。


 感謝祭を目前に控え、人々は食材の買い出しに賑わいを見せ、沿道には屋台の骨組みが立ち並び始めている。その顔は皆、意識的に浮かれており、先月の厄災を感謝祭で払拭させようと躍起になっているようにも見えた。


 街を行き交う人々を掻き分ける様に、騎馬の一団がゆっくりと街壁に向けて歩を進めていた。騎馬団は、中心にいる一人を除き全て女性で占められており、中心の男性が抱える少女を守ろうと、周囲に目を光らせていた。


 少女は毛布に身を包み、手足の自由が利かない体を男性に預けたまま、周囲の様子を窺っている。少女の目から見ても、人々は、多少意図的な様子は見られるものの、総じて感謝祭に浮かれ、陽気に溢れており、厄災の悲しみや陰気さは欠片も見られなかった。街は石造りの建物が続く中、時折真新しい木材で組み立てられた簡素な建物が垣間見え、そこに暮らす親子も感謝祭を待ち望むかのように笑みを浮かべていた。


「…これが、君が齎した結果だ」

「…」


 黙ったまま、人々が行き交う様子を眺める美香に対し、オズワルドが答える。


「あの戦いで、あの魔法で、我々は確かに多くを失った。多くの建物が倒壊し、多数の死者が出た。それによって生活が苦しくなった者も、いるだろう。だが今、市民達は、あの戦いを経た後も絶望に伏せる事もなく、感謝祭を、来年を、希望と喜びを持って迎えようとしている。それを齎したのは、君だ。君の魔法が、ハーデンブルグに希望と喜びを齎したのだ。それだけは、君の心に留めて欲しい」

「はい、オズワルドさん…」


 オズワルドの言葉に、美香はオズワルドの顔を見上げ、笑みを浮かべた。


「…あ!もしかして、ミカ様!?御使い様!?」


 一行が、目の前の人の横断を待つために馬を止めたところで、馬上の美香を呼び止める声が聞こえ、声がした方を向く。見ると、中年の夫婦と思しき男女が、美香の許に駆け寄って来る姿が見えた。


「…あ、店主さん…」


 その夫婦が、レティシアとのお忍びで良く行く食堂の店主だと美香が気づき、夫婦は護衛騎士に阻まれる事なく、オズワルドの馬の許へと辿り着く。店主は切れ気味の息を整える間もなく、喜びの声を上げた。


「ミカ様!先日は、私どもハーデンブルグの者達のために、身を賭していただき、誠にありがとうございました!ミカ様のおかげを持ちまして、ハーデンブルグはガリエルの魔の手から身を守る事ができました!…おい、ほら、早く出せ!」


 店主は感激の面持ちで思い切り頭を下げると、隣に佇む妻を小突く。妻が慌てて小脇に抱えた袋を取り出すと、店主はひったくるようにして奪い取り、美香の前に差し出した。


「ミカ様が、当店にお越しいただいた折に良く召し上がられる、自慢の肉巻きでございます!出来合いの物で申し訳ありませんが、出来上がったばかりですから、是非お召し上がり下さい!」

「あ、店主さん、わざわざありがとうございます」


 久しく口にしていなかった好物に、美香は感謝の声を上げるが、肉巻きに伸ばす手は震え、掴む事ができない。訝し気な面持ちの夫婦に対し、馬上のオズワルドが詫びる。


「すまない。御使い様は、未だあの魔法の影響で手足が満足に動かず、ほとんど寝たきりなのだ。店主のご厚意は我々が責任を持ってお預かりし、後ほど御使い様にお召し上がりいただこう」

「そんな…」


 そう答えたオズワルドの許に、女性騎士が一人馬を降りて駆け寄り、店主に頭を下げて肉巻きを受け取る。店主は、女性騎士に肉巻きを取られた事にも気づかず、少しの間呆然としていたが、突然その場に膝をつき、胸元で印を切った。


「ミカ様!御使い様!ご自身をそこまで傷つけてまで、ハーデンブルグを救っていただけたとは!ハーデンブルグ市民を代表し、此処に御礼申し上げます。御使い様、ハーデンブルグに降臨した新たな地母神様!どうか御身の一刻も早いご快復を、お祈り申し上げます!」

「え、店主さん?地母神様って?」


 突然店主から突き付けられた新たな称号に、美香は戸惑いの声をかけるが、その声をかき消すように、騒ぎを聞きつけた多数の市民が押し寄せて来た。


「御使い様!この度は、ハーデンブルグをお救いいただき、誠にありがとうございました!これ、うちの畑で収穫した果物です!是非お召し上がり下さい!」

「御使い様!先ほど焼き上がったばかりとパンと出来立てのチーズをお持ちしました!一日も早いご快癒をお祈り申し上げます!」

「ミカ様!地母神様!あなた様にお救いいただき、ハーデンブルグの者達は生まれ変わりました!どうかいつまでも、このハーデンブルグをご照覧下さい!」

「御使い様!地母神様!万歳!」

「え、ちょっと、みんな待って?」


 美香の混乱を余所に、市民達は美香達を取り囲み、次々に感謝と祈願の声を上げる。店主と同じように跪き、印を切る者も続出し、一行は暫くの間、その場から動く事ができなかった。




「…ないわぁ。自分が神とか、ないわぁ…」


 オズワルドの腕の中で揺られながら、美香はげんなりとした表情で呟く。やっとの事で市民の包囲網から脱出した一行は、街壁の麓で馬を降り、石段を登っていた。途中、美香の姿を認めた兵士達は、次々にその場で片膝をつき、臣下の礼を取る。時には自らの剣を捧げる者まで現れ、その都度美香は、オズワルドに横抱きにされたまま、オズワルドに教わった台詞を繰り返すばかりとなった。


 やがて、一行は石段を登り切り、第一列の先頭へと歩を進める。第一列は、以前美香が見た時とは全く様相が異なり、かつて一直線に横切っていた街壁は歪み、凹凸を繰り返し、その補強によって不格好に塗り固められていた。


 美香は、オズワルドに横抱きにされたまま、年初、感謝祭の時にたむろした一角へと進み、前方を見下ろす。


「…」


 其処には、年初、青々と茂っていた草原が一掃され、ただ1枚の、巨大な土製の皿だけが据え置かれていた。黒と茶色で斑に彩られた皿の上には何も盛られておらず、皿は、いずれ供えられるであろう生贄を待ちわびるかの様に、不気味な口を広げている。


「これが、あの魔法の、結果…」

「ああ、そうだ」


 小さな呟き声を発した美香に対し、オズワルドが答える。


「これが、ハヌマーンにとっての厄災、そしてハーデンブルグにとって、新たな守護の誕生と、祝福の魔法だ」

「…」


 オズワルドの答えに暫くの間沈黙していた美香だったが、やがて、ぽつりと呟いた。


「…やっぱ、嬉しいかな」

「え?」


 思わず下を向いたオズワルドに対し、美香は横抱きにされたまま、上を見上げてはにかむ。


「だって、皆に喜ばれたんだもの。そりゃ、やっている事はお世辞にも良い事じゃないかも知れないけど、好きな人や大切な人に支持されて、感謝されて、…自分の居場所があって。やっぱ、嬉しいじゃないですか。私、此処に居てもいいんだなって」

「勿論だよ、ミカ」


 オズワルドは、美香の顔を見ながら即答し、その後やや逡巡しながら、言葉を続ける。


「…あえて言わせてもらおう。ミカ、この世界に来てくれて、ありがとう」

「ぅ…」


 顔を赤らめながらも真っすぐに目を見て断言したオズワルドに対し、美香は言いようのない熱を感じ、そっぽを向いてしまう。そのまま動かなくなった二人の背中に、レティシアの声が投げかけられた。


「ミカ、オズワルド。二人の世界に行かないで、戻っておいでよ。街の人からの御供え物が冷めちゃうよ?」

「ち、違うから、レティシア!それから、御供え物言うな!」


 オズワルドの腕の中で美香が顔を真っ赤にして抗議し、二人はレティシア、ゲルダ、女性騎士達の輪に戻って行く。


 こうしてハーデンブルグは、新たな信仰の対象を加えた感謝祭を盛大に祝って新年を迎え、翌ガリエルの第5月。




 ――― 新たな厄災に、後背から襲いかかられる事になる。




 ***


「…何だ、これは?」


 フリッツは、両手で広げた書簡を睨み付けながら、唇を戦慄かせる。唇の震えはやがて両腕に伝播し、フリッツは上下左右に震える書簡を無視して顔を上げ、書簡を持ち帰った実の息子を睨み付ける。


 しかし、フリッツの殺意を込めた視線にもマティアスは動じず、同じく唇を震わせながら、実父を睨み付けた。父子は、相手の背中に佇む闇を射殺さんとするかの様に目を剥き、互いを凝視する。




「――― ミカ殿に、ヴェルツブルグへの召還命令が出ました。ロザリアの第2月、クリストフ王太子との婚儀が執り行われます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る