163:掟
「…ぅ…ん…ミカ様…」
「あ、カルラさん、目が覚めました?」
心地良い微睡みの中を漂うカルラの許に、慣れ親しんだ少女の声が天空から降り注ぎ、カルラの体が午睡の海から浮かび上がる。日頃、自分が使用しているベッドとは明らかに異なる、柔らかさに身を包まれながら、切れ長の瞼がゆっくりと開く。
「お早うございます、カルラさん。良く眠れましたか?」
「…え…?」
カルラの目に飛び込んで来たのは、至近距離に迫る、敬愛すべき少女の顔。少女は、カルラと同じ床に横たわり、カルラに身を委ねている。カルラは、その少女の右腕を引き寄せ、自分の右手は少女の控えめな起伏に覆い被さり、その起伏を大いに堪能していた。
「あああああああああ、ミミミ、ミカ様!?」
カルラは慌てて飛び起き、ベッドの上で座り込んだまま、捲れ上がった胸元とスカートを整え始める。ばくばくと暴れ回る心臓を押さえつけながら、カルラは顔を真っ赤にして、目の前に横たわる少女に頭を下げた。
「ミミミ、ミカ様、たたた、大変失礼いたしました!」
一体、何故こんな事に。
寝起きで考えの纏まらないまま、カルラは少女に向かって平身低頭を繰り返す。すると目の前の少女が口を開く前に、カルラの背後から、追及の声が上がった。
「まったく、本当に失礼よね。私を差し置いて、ミカとの同衾を貪るだなんて。私なんて目が覚めたら、ゲルダと寝てたのよ?もしかして、カルラ、あなたもミカの事を狙っているのかしら?」
「…レ、ティシア…様…」
錆びついたブリキ人形の様に、カルラが軋みを上げながら後ろを振り向くと、ベッドの縁に頬杖をついたまま、カルラにジト目を向けるレティシアと目が合った。カルラは、ベッドの上で飛び跳ねる様に180度回頭し、慌ててレティシアに弁解する。
「ちちち、違います!レティシア様!私は、ミカ様の単なる召使い!私はミカ様に対し、その様な気持ちは、これっぽっちも持ち合わせておりません!」
茹蛸のように顔を赤らめながら、必死に誤解を解こうとするカルラ。しかし、そのカルラに、意外なところから追撃の声が上がった。
「え、カルラさん、もしかして私の事、嫌いですか?」
「ミミミミ、ミカ様!?」
ベッドに横たわった少女から、捨てられた子猫の様な目を向けられたカルラは、身を捩って美香へと振り返り、涙目で否定する。
「いいえ、いいえ!そんな事はありません!私は、ミカ様の事を敬愛しております!愛しています!」
「…だってさ、オズワルド。どうするの、あなた?ライバルだらけじゃない」
「え…!?」
狼狽するカルラの後ろから再びレティシアの声が聞こえ、カルラは我に返る。見ると、美香の向こう側に設えた椅子にオズワルドが座り、表情の選択に困った様な顔をしている。そしてその向こうでは、複数の女性騎士達が笑いを堪え、ソファではゲルダがニヤついていた。
「あ…あああああ…」
レティシアに体を向けたまま自分の裸を見せまいとするかの様に毛布を抱え、へたり込むカルラに、美香が笑いながら言葉をかける。
「カルラさん、冗談ですよ。カルラさんが3日間、不眠不休で看護をしてくれたと聞きました。カルラさん、ありがとうございます。私もカルラさんの事、大好きですよ」
「そうよ、カルラ。皆、あなたの献身ぶりには、感謝しているんだから。だから、今日くらいは、ゆっくり休んでいらっしゃい。湯浴みをして身支度を整えないと、せっかくの美人が台無しよ?」
「あ…あわわわ…」
美香とレティシアから労りの声をかけられたカルラは、しかし、自分が仕出かした行動を思い出し、顔から火を噴き上げたまま、硬直している。やがて、恐竜の様に遅れて言葉の解読を終えたカルラは、羞恥で顔を赤らめ、涙目のまま口を開いた。
「ししし、失礼いたしました!それでは、お言葉に甘えまして、本日はお暇をいただきます!」
美香に深々と一礼したカルラは、胸元に毛布を抱えたまま、逃げる様に部屋を飛び出していく。カルラの消えた扉を眺めながら、レティシアが呟いた。
「…アレぐらい隙があった方が、可愛いのにね。勿体ないわねぇ」
「本当だよね。今日のカルラさん、可愛かったね」
レティシアの言葉を受け、美香はベッドに身を横たえながら扉の方を眺め、笑みを浮かべる。そして、視線をずらしてオズワルドへと向けた。
「話が中断しちゃいましたね。それで、街の様子はどうですか?」
「ああ」
美香の質問を受け、オズワルドが答えた。
「君の魔法のお陰で、ハーデンブルグは奇跡的に守られた。だが、街の被害も大きく、死傷者も多数出ている。今はハヌマーンの再来に備え、急ピッチで復旧作業を行っているところだ」
「その被害のほとんどは、私の魔法によるものですね?」
「…そう、だな…」
美香の追及に、オズワルドが逡巡しながらも首肯する。美香の身を案じたレティシアが、庇う様に割り込んだ。
「オズワルド、そんな言い方しないでよ。美香が魔法を撃たなければ、ハーデンブルグは陥落し、きっと私達は皆殺しに遭っていたわ」
「いいよ、レティシア。気を遣わなくて。私の魔法が街に被害を及ぼしたのは、紛れもない事実なんだから」
「ミカ…」
レティシアの不安な視線を受け、美香が儚げに笑みを浮かべる。
「私、あの魔法を撃った事について、反省はしているけど、後悔はしていないの。加減を間違えたかも知れない。撃ち所も誤ったかも知れない。でも、少なくとも私の望みは叶い、この街と私の大切な人達は守る事ができた。亡くなった人が聞けば理不尽な
「…そうね。あなたの言う通りね」
美香の言葉を聞いたレティシアは感心した様に頷くと、ベッドに腰掛け、美香の頬を愛おしそうに撫でる。美香はレティシアの手の温もりに目を細めながら、オズワルドに質問を続ける。
「それで、オズワルドさん、ハヌマーンはまた来るのでしょうか?」
「…正直な所、わからない」
オズワルドは腕を組み、渋面を作って答える。
「君の魔法によって、30,000以上のハヌマーンが倒された。年頭の戦果を加えればハヌマーンの損害は45,000にも及び、これは歴代の北伐でも記録した事のない、大戦果だ。我々としては、これ以上ハヌマーンの攻撃はないと思いたい。…だが、今年のハヌマーンの行動は、何かが違っている。今、此処で大戦果に浮かれ、気を緩めていては、きっと足元を掬われる。そう思えて、仕方がないのだ…」
「…そう、ですか…」
***
「〇××□%&&& #$$△○○ ×□〇\…」
「〇△××+ %@〇□ ×$$×\□□?」
「□△▽$ && 〇##□× $%〇!」
有力者達の会議が怒号混じりで紛糾する中、聖者は身を横たえ、いささか呆然とした態で思考を進めていた。
南征軍の中でもひと際強大な武力を誇っていた、北部部族連合。その北部部族連合を率いる氷の族長に、聖者は秘策を授け、満を持して彼らを送り出したのだが、結果は衝撃的なものだった。出征した37,000のうち、帰還したのは僅かに5,000。そして、残りの32,000と氷の族長は勿論、虎の子のロックドラゴンさえも、全て灰燼と化した。
這う這うの体で逃げ帰って来た男達は、異口同音に悲鳴を上げ、部族連合を襲った一閃の光と全てを呑み込む虚空の恐ろしさを訴える。その恐怖は瞬く間に南征軍に伝播し、狂信の塊であるはずのハヌマーン達を浮足立たせた。
ロザリアが、これほどまでに強大な存在だったとは!
聖者は唇を噛みながら、必死に考えを巡らせる。
実に200年ぶりに実現した、南征の役。それは全て、この私が生きているからこそ出来た事である。だが我が命の炎は日に日に衰え、この1年の間、私は何度も病に倒れ、高熱に蝕まれてきた。
私の命は、長くはもたない。1年か2年か、あるいはもっと短いかも知れない。そして私の命が潰えた時、南征の役は終わり、サーリア様はまた、永い眠りにつかざるを得なくなるのだ。
それだけは、避けねばならない。私が生きているうちに、何としてでも、サーリア様をお救いしなければならない。
「〇×□□%& $$$〇□× サーリア〇$ ▽△\\□ 〇%%$…」
紛糾する会議は、聖者が力ない呟きを発すると水を打ったように静まり返る。有力者達が皆一様に耳を傾ける中、聖者の呟きが続く。
「×□○○ ▽□$$# ×〇%%\ ++〇××$」
輿を持て。私自ら、視察をしよう。
翌日。
聖者と有力者達に率いられた集団は、駐屯地から南に進み、小高い山の上に佇んでいた。聖者は従者が担いだ輿の上に身を横たえ、南東の方角を眺めている。この日、比較的体調の良かった聖者は、ひと際強く湧き上がった命の炎を全て瞳に注ぎ込み、一心不乱に森の向こうを凝視していた。
森の南東に広がる世界。つい先日まで、そこには青々とした広大な草原が広がり、東の地平にある人族の堰へと続いていた。
それが今や、草原は根こそぎ剥ぎ取られ、剥き出しの大地が顔を覗かせている。そして自分達のいる森の木々は薙ぎ倒され、ロザリアから逃げ出すかの様に、整然と幹を横たえていた。荒れた大地の向こうには、大きな湖が霞がかって見える。
「〇×□%% &%$$▽ 〇××□…」
聖者様、あの東の彼方に、憎っくき人族の堰が横たわっております。
有力者の一人が、怒りを露わにして聖者に語り掛けるが、聖者は意に介さず、遠くの景色を眺めている。やがて、聖者は遠くを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「××〇□%%& \$〇□× ▽△△#$$〇 □×+#〇 $〇〇?」
何故我々は、東に向かわなければならないのだ?
聖者の突然の言葉に、有力者達は顔を見合わせる。そのうちの一人が遠慮がちに口を開いた。
「×□○○ △×〇□#$$ 〇\××% &&〇□ □%」
聖者様、それは古の掟で定められていますから。
有力者達は皆一様に、不思議そうな表情で聖者を見つめる。
サーリア様をお救いする道。それは、此処を東に進み、次いで南へと向かう。ハヌマーンであれば子供でも知っている、古の掟。何故、聖者様は、それをわざわざ確認するのだ?訝し気な表情を並べる有力者に、聖者は顔を向け、諭すように言葉を並べた。
「〇× □□\\\□ △××%%& 〇△##$ 〇□÷$ □□% ロザリア ×□〇$$\…」
確かに古の掟では、此処を東に進むよう定められている。だが、今や東の先にはロザリアが居座り、我々の前に立ち塞がっている。残念な事に、今の我々にはロザリアを倒す事ができない。このまま古の掟に従っていては、サーリア様を決してお救いする事はできないのだ。
聖者は、そこで南に広がる鬱蒼とした森を眺め、言葉を続ける。
「×□○○ %%〇# △△&\\〇 #×□…?」
「〇×□$□! △$$$×△ %%&〇 □+@%○○△…!」
だがこの先には、東だけではなく、南にも大地が広がっている。何故、東に進んでから南に向かわねばならないのだ?最初に南に進んでから東に折れるのでは、いけないのか?
し、しかし聖者様!それでは、古の掟が…!
聖者の言葉に有力者達は動揺し、翻意を促した。しかし聖者は、不退転の決意をもって、有力者達を説得する。
「○○$$%& ×△%% +\\□〇 △〇 ロザリア %%□▽ \□△%&…」
私も、でき得る事なら掟を守りたい。しかし今や東の道は、ロザリアによって完全に閉ざされた。であれば、頑なに掟を守って無駄な損害を増やす事は、むしろ不忠。今こそ、掟に背いてでも大きな決断をすべき時ではなかろうか?
東の道には、ロザリアが立ち塞がっている。つまり、南の地にはロザリアがいないのだ。これは好機だ。今こそ掟を破り、祖法に背を向け、真の忠義を貫こうではないか!
聖者の熱を帯びた声は、有力者達の心を揺さぶった。有力者達は次々に拳を掲げ、聖者に対し歓呼の雄叫びを上げる。
「〇×□△%%! ×□@@÷ □×&&# \△○○ ×$□…!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
もう一度、
不気味な歓声と夥しい数の雄叫びがうねりとなって、鬱蒼とした森の中を駆け巡っていった。
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