160:地母神の鉄槌







「…ミ…、………、……!」


「……!」


「………、……!」








 ――― そして、一面を覆う白銀の輝きが消え、轟音とともに全てが動き出す。




 ***


「うわあああああああああああ!」


 外壁の上で蹲ったまま、兵士達が悲鳴を上げた。


 兵士達は亀のように体を丸めたまま上下左右に激しく揺さぶられ、背中に幾つもの礫が降りかかる。街壁を縁取る、人の胴体ほどもある大きな縁石が宙に浮き、通路へと崩れ落ちる。立っていた者達は例外なくバランスを崩し、一部は街壁から地上へと転落する。街壁の上は撓み、そのあちらこちらで底が抜け、蹲った兵士が階下へと消えていく。縁石という隔たりが消えた、運の悪い兵士達の背中に熱風が吹き、次々と火膨れが現れる。


「うわあああああ!」

「お父ぉ!お母ぁ!」

「アンタぁ!」


 街中が地響きを立てて大きく揺さぶられ、子供達が泣き叫ぶ。木製の家具は倒れ、皿が次々と棚から落ち、けたたましい音を立てて四散する。老朽化した家屋は脆くも崩れ落ち、中に居た一家が生き埋めになる。人々は、街壁の向こうに突如現れたすさまじい大きさの土飛沫に誰一人気づかず逃げ惑い、崩れた厩や家畜小屋から馬や豚、鶏が飛び出し、街中を駆け回る。


「どうどう!」

「わああああ!」

「危ない!建物から離れろ!崩れるぞ!」


 街中で来襲に待ち構えていた第1、第4大隊の騎士達が転倒し、四つん這いになりながら、慌てて建物から距離を取る。迂回に備えて騎乗していた第3大隊の馬達が暴れ回り、何人もの騎士達が落馬する。


「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

「アデーレ!」

「旦那様ぁ!奥様ぁ!」


 領主の館の窓ガラスが次々と割れ、アデーレが悲鳴を上げる。女中達は逃げ惑い、日頃冷静な執事が主人の名を呼びながら、廊下を右往左往する。フリッツでさえもアデーレに覆い被さったまま、書棚から書物が飛び出し宙を舞う中で、蹲る以外の事ができない。


「きゃぁぁぁっ!きゃぁぁぁっ!」

「な、何!?一体、何なの!?」


 冷静沈着なはずのカルラがへたり込んで子供の様に泣き喚き、修羅場に慣れているはずのマグダレーナが呆然としたままうわ言を繰り返す。


 エーデルシュタインで最も堅固な防御を誇るハーデンブルグは、その勇名を嘲笑うかのように街全体が揺さぶられ、人々は籠の中の果実の様に、街の中を転がっていた。




 ***


「ぐおおおおおおっ!」


 前方から押し寄せる礫の嵐に、オズワルドは背中を向け「茨の手」を発動させた。しかし、礫の嵐は「茨の手」を易々と突き抜け、オズワルドの背中を乱打する。


 直後、四人は見えない巨人の張り手を受け、次々に後方へと吹き飛ばされた。オズワルドは身構える事も周りの様子を見る事もできずに張り飛ばされ、ただ自分の腕の中に居る、かけがえのない人を抱き締め、運を天に任せる。


「あぅ!」

「がああああ!」

「ぐぅぅ!」


 何処に居るかもわからない、レティシアとゲルダの悲鳴を耳にしたオズワルドは、街壁の反対側の縁石に強かに背中を打ち付け、通路へと叩きつけられる。痛みで全身が悲鳴を上げる中、オズワルドは反射的に「癒しの手」を全身に発動させ、腕の中の少女に覆い被さって体を丸める。そのオズワルドに無数の石が降り注ぎ、オズワルドは蹲ったまま、呻き声を上げながら石の洗礼を浴び続けた。


 やがて、石の雨が止むのを待ち切れず、オズワルドは体を起こし、時折背中を礫で打たれながら自分の下に横たわる少女を呼び掛ける。


「ミカ!ミカ!しっかりしろ!返事をしてくれ!」

「 ――― 」


 オズワルドの下に横たわる少女は、まるで捨てられた人形のように動きを止め、自らの運命をオズワルドに委ねていた。土埃で汚れ、形の整った姿態をオズワルドの前で無防備に広げ、形良い控えめな双丘は動きを止め、次第にただの人形へと姿を変えていく。


「ミカ!駄目だ!逝くな!戻って来てくれ!」


 オズワルドは、体の中からせり上がる恐怖を涙腺に溜めながら、美香の上に跨り、その形良い双丘を規則正しく圧迫する。すぐさま青みがかった唇を塞ぎ、人工呼吸を施す。


「…オ、ズワルド、そこをどけ。ア、タシも、手伝う」

「ミカ!ミカぁ!しっかりして!お願い!目を覚まして!」


 頭から流れる血で視界の半分を塞がれたまま、ゲルダがふらつきながら近寄り、オズワルドを払いのけると、美香の上に跨って心臓マッサージを始める。オズワルドが人工呼吸を繰り返す傍らで、全身が土埃に塗れたレティシアが錯乱に近い呼びかけを続ける。


「 ――― … ―― 」

「ミカ!しっかり!」


 やがて、微かな自発呼吸を認めたオズワルドが頭を上げ、レティシアが泣きながら縋りつく。だが、美香の呼吸は蝋燭の炎のように浅く、レティシアの叫び声の前に消えかねなかった。


 すでに顔の半分が真っ赤に染まったゲルダが、ガラス人形を扱うかのように、静かに美香を抱え上げる。そして三人は、ゲルダの腕の中の人形が崩れないよう、慎重に運ぼうと周囲を見渡し、呆然とする。




 ガリエルとの緩衝地帯を一直線に横切る、ハーデンブルグの重厚な石積みの街壁。その街壁が、まるで紐の様に左右に撓み、斜めに捻じれ、あちらこちらで崩落していた。街壁の上部を貫く整然とした石畳は今やあぜ道の様に大きく歪み、随所で寸断されている。


 そして、ハーデンブルグの街壁の両脇にそびえ立っていた、天空を支えるほどの巨大な石柱。その巨石が今や中央で真っ二つに折れ、無残な切り口を曝け出している。石柱の根元に群がり、鮮やかな緑のデコレーションをまぶしていた木々は根こそぎ剥ぎ取られ、大地が剥き出しになっていた。


「…一体、何が起きたんだ…?」


 オズワルドが、周囲を見渡しながら呆然と呟く。ハーデンブルグから緩衝地帯へと広がっていた、広大な草原。つい先ほどまで数万にも及ぶハヌマーンに埋め尽くされ、7頭のロックドラゴンが迫り来るっていた、ハーデンブルグの前方。




 何も、なかった。数万のハヌマーンも、7頭のロックドラゴンも。そこに存在していた緑の草原も。全てが失われ、ただ其処にあるのは、―――




 ――― 黒と橙に彩られた、土製の巨大な皿が1枚。




 皿の上には、何も載っていなかった。窯から出したばかりの土器の様に黒ずみ、所々橙色に輝くその皿の上には何一つ置かれていなかった。或いは、その皿の上に盛り付けられていた、7頭のロックドラゴンと幾万にも及ぶハヌマーンは、何者かが全て平らげたかの様に何一つ残されておらず、皿は、ただ巨大な咢を広げ、辺りを漂う魂を全て吸い込もうと身構えていた。


 ハーデンブルグの二重の街壁は皿を置くために押しやられ、大きく内側に歪曲し、破断していた。そして皿の周囲には、食べ散らかされたロックドラゴンの破片と、薙ぎ倒されたハヌマーン達が散らばっている。街壁と皿の間に挟まれたハヌマーンが折り重なり、街壁にもたれ掛かる様に新たな壁を形成していた。


「&&&&&&&&&&&&&! 〇□×%%&&&&&&&&&&&&&&&&&!」

「〇×%%#! □○○\\ %&&&&&&&&&&&!」

「〇□△△+…、×%%$%〇…×△$…」


 焼け焦げたハヌマーン達のあちらこちらから呻き声が上がり、辛うじて立ち上がったハヌマーンが同胞を踏み潰しながら、後方へと駆け出して行く。少し奥には、全ての岩盤を剥がされ左半身を噛み千切られた1頭のロックドラゴンが全身の火傷と失った左半身の痛みにのたうち回り、横たわるハヌマーンを磨り潰している。


「…イザーク!ヘルムート殿!生きているか!」

「…あ、ああ!何とか」

「だ、大丈夫だ」


 オズワルドが前方を睨み付けながら、二人の指揮官を呼んだ。


「動ける者だけでいい!守備大隊を除く全軍を南北の街門前に集結させろ!ハヌマーンを掃討する!」

「なっ!?本気…か…ああああああああ!?」

「な、何だ、これは!?何が起きたんだ!?」


 オズワルドの指示に目を剥いた二人だったが、オズワルドの視線に釣られてハーデンブルグの前方を向き、驚愕の声を上げる。オズワルドはその二人を無視し、後ろへと振り返った。


「ゲルダ!レティシア様!ミカを頼む!」

「あ、ああ、わかった。後は任せときな」

「ミカぁ、ミカぁ、目を覚ましてぇ…!」


 美香の体を抱えながら、ゲルダは血塗れの顔を拭って立ち上がり、崩れかけた街壁の上を後方へと駆け出す。その後ろを、周りの惨状に目もくれず、レティシアが追う。オズワルド達も街壁上の救護を全て守備大隊に託し、街門へと走り出す。


 そして優に30分近い時間が経過した後、日頃の秩序の欠片らも見られない、ただ力だけが全ての怒涛の人族の群れが、南北の街門から次々に飛び出して行った。




 ***


 後に、この日の事を、ニコラウス・シラーは次の様に書き遺している。




 ―――


 …ハーデンブルグは、一人の少女によって救われた。


 人々が長年信じていた神は降臨せず、代々仕えていた王家には見捨てられ、取り仕切っていた領主は無力だった。重厚な鎧に身を包んだ屈強な騎士達はなす術もなく立ち竦み、この街が全てであるはずの市民も何一つ力にならず、ただ狼狽するだけだった。


 にも拘らず、ハーデンブルグは生き残ったのである。自らの力ではなく、ただ偶々其処に居た、一人の少女の身と引き替えに。この街と何の縁のない、この世界に強制的に連れてこられた、か弱い少女の行動によって。


 人々は、この街に降り立った少女を現人神と讃え、その存在を崇めた。ある者は、その強大な力に心酔し、ある者はその自らを顧みない献身ぶりに心を打たれた。また、別のある者は自らの力の無さを嘆き、自分に代わってこの街を救った少女に贖罪し、生涯に渡って罪を償うと心に決め、また別のある者はその大恩を、一生を懸けて返済すると心に誓った。


 こうして、ハーデンブルグは生まれ変わった。少女の放った一発の魔法は、恐るべき破壊力を持った死の魔法ではなく、人々に光と希望を齎す、祝福の魔法となった。…


 ―――




 この日、歴史にただ一度出現した魔法を、人々はこう云い伝える。




 通称、「地母神の鉄槌」。またの名を、―――「隕石召喚メテオストライク」。

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