158:第三波(1)

「〇××$$△ ×□□$$&% +@□! 〇× \\□〇%&&!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 眼下に居並ぶ多くの男達の威勢の良い唱和を耳にして、氷の族長は満足そうに笑みを浮かべた。




 幾つもの部族に分かれているハヌマーンの中でも、彼ら氷の部族は、最も北辺に生きる部族だった。彼らは度々雪と氷に閉ざされる厳しい環境の中で逞しく生きており、その体は他の部族に比べ大きく、分厚い脂肪に覆われている。その優位な体格と過酷な環境で培われた凶暴性は他の部族を圧し、周囲から一目も二目も置かれていた。


 聖者が発した南征の檄は雪と氷に阻まれ、氷の部族の許に届いたのは、半年も過ぎた後だった。氷の族長は、南征の檄とともに後から追いついて来た東と西の敗報を聞き、南に生息する同胞達の不甲斐なさに腹を立てた。同じハヌマーンでありながら、何と軟弱な事であろうか!これが我が氷の地であれば、奴らはひと月も生き延びられまい。


 一通り悪口を並べ立てた氷の族長はすぐさま部族の男達を率い、周辺の部族を糾合しながら、聖者の許を訪れる。3ヶ月をかけて到着した氷の族長を目にした聖者は、喜びのあまり熱にうなされる身を起こし、その勇猛な体躯と、北部一帯の部族を参集し大軍を率いて馳せ参じたサーリア様への忠誠心を褒め称えた。氷の族長は、その、病身と興奮から来る聖者の熱っぽい視線を受け、これまで自分がまぐわったどの美姫からも受けた事のない喜びと感動を覚える。


 氷の族長は、興奮のあまり出陣を呼び掛ける聖者を優しく抱え上げ、ゆっくりと床に横たわらせながら、労わりの声をかける。


「〇×□□%% $&&〇□× ##〇□△△〇++× サーリア〇$ $\\〇□ ++@□…」


 聖者殿、あなたのその一声は万民に喜びを与え、希望を指し示す。あなたのサーリア様を想う気持ちは、我々氷の部族にもしっかりと伝わった。だから、今あなたはまず、その身を労わる事に全力を注がれよ。その間に、我々氷の部族があなたの露払いを行い、あなたの快気祝いとばかりに、人族を蹴散らしてくれようぞ。


 聖者は、無骨ながらも労りに溢れた氷の族長の言葉に、熱にうなされながら答えた。


「×〇〇□++ $$%〇□× △△▽%%& ×÷\□〇 サーリア〇$ ×○○ □〇#$$…」


 ありがとう、氷の族長。あなたに、私の秘策を授ける。あなたの言葉に従い、私は此処で吉報を待とう。あなたに、サーリア様のご加護があらんことを。




 聖者との邂逅の思い出を終えた氷の族長は目を開き、一堂を見渡す。彼の目の前には、周囲を埋め尽くすほどの茶色い絨毯が広がっていた。彼が北部一帯から率いてきた、部族連合。そして、その奥に広がる森から聞こえて来る、複数の地響き。


 彼は、森の奥に目を向け、木々の向こう側に居るであろう魔物を思う。これまで言い伝えでしか知らなかったあの魔物を初めて目にし、流石の彼もその巨大さに身が竦む思いがした。その魔物が背後に迫っているという恐怖と、その魔物さえも手玉にとって人族に攻め入ろうとする聖者の豪胆さに、氷の族長は身震いを覚える。


 賽は投げられた。あの魔物さえいれば、これまで一度も破った事のない人族の堰を、今度こそ破る事ができる。それを、聖者に託されたのだ。その期待に応えねばならぬ。


「〇×□□ ++〇÷□&& %%+▽\\△△□ 〇×$$! □%%〇!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 目指すは、この草原の東に横たわる人族の堰。今度こそ食い破ってみせる。


 氷の族長の呼び声とともに、夥しい数のハヌマーン達が、一斉に森から草原へと駆け出して行った。




 ***


 ハーデンブルグをぐるりと取り囲む、重厚な街壁。そのあちらこちらに据えられた鐘が次々にかき鳴らされ、けたたましい音を響かせる。鐘を鳴らす年若い兵士達は、至近で鳴り響く鐘の音に鼓膜を乱打されながらもその鐘に噛り付き、救いを求めるように槌を叩きつけた。


「早く!早く!早く来てくれ!」


 兵士達は、目の前で揺れ動く鐘と、壁の向こうに広がる光景を交互に見やりながら、うわ言のように助けの言葉を繰り返す。


「〇×□\\\〇□ ×〇÷÷&!」

「×〇 □□△++@ 〇□##$!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 ハーデンブルグの前方に広がる、ガリエルとの緩衝地帯。その地平に広がる緑の草原が、次第に茶色へと変色しながらハーデンブルグへと押し寄せていた。




「ついに来たか…」


 館の分厚い壁を突き抜けて執務室を行き交う、くぐもった鐘の音を聞きながら、フリッツが自嘲気味に呟く。1週間前に戻った偵察隊から、ヨナの川がハヌマーンに占拠されたとの報を聞き、この日が来る事を覚悟していたフリッツだったが、その一方で、半年にも及ぶ努力も空しく、ついに孤立無援の状況を覆す事ができなかった自分の力量と、この国の無能さを呪いたい思いだった。


 フリッツはソファに身を沈めながら、テーブルを取り囲む幾人かに、声をかける。


「エミール殿。この様な危急存亡の秋に、次期当主自ら駆け付けてくれた事を、心より御礼申し上げる。今日この日まで、御家と変わらぬ絆を保てた事を、何よりも誇りに思う」


 フリッツに頭を下げられたエミール・フォン・アンスバッハは、繊細で端正な顔に労りの笑みを浮かべ、言葉を返す。


「お気になさらないで下さい、フリッツ様。御家と当家は一心同体、片翼だけでは生きていく事ができません。当家は御家に比べればあまりにも寡兵ではありますが、それでも見張りくらいには役に立ちましょう。私に気兼ねする事なく、いつ何時でも兵達に直接ご指示下さい」

「かたじけない」


 頭を上げたフリッツは、エミールの隣に座る青年へと顔を向ける。


「ヘルムート殿。動機は何であれ、当家に援軍を寄越してくれたのは、アンスバッハ家を除けば、ミュンヒハウゼン家だけだ。この御恩は、一生忘れない」

「フリッツ様、くれぐれもウチの『甕』にその様なお言葉をかけないで下さい。付け上がりますから」


 フリッツに神妙に頭を下げられた、ミュンヒハウゼン伯爵家の騎士団長であるヘルムートは、場を和ませるかのように軽口を叩く。


「ウチは、御家が盾になってくれているからこそ、のうのうと肥え太えられているのです。それに、我々は此処で1ヶ月もの間、無駄飯を食わせていただきました。我々はウチの『甕』ほど面の皮が厚くないので、皿洗いくらいしないと立つ瀬がありません。手伝わせていただきましょう」

「ありがとう、ヘルムート殿」


 ヘルムートの口調に同調せず、律儀に礼を述べたフリッツは、続けて自分の左に座る少女へと声をかける。


「ミカ殿。私と、この国の不甲斐なさによって、またこの様な事態を迎えてしまった。そして、この後の戦況によっては、またあなたの力を借りる事になるやも知れない。あなたには、申し開きのしようもない。そして、恥を忍んで申し上げる。今一度、当家に力を貸していただきたい。この通りだ」

「ミカさん、私からもお願い申し上げます」


 フリッツとアデーレが、美香に対し深々と頭を下げ、場に重苦しい雰囲気が漂う。二人に合わせて、エミールも深く頭を下げ、ヘルムートも黙礼していた。




 部屋の中にくぐもった鐘の音が鳴り響き、自分の膝の上に添えられた、隣に座るレティシアの手の温もりを感じながら、美香は静かに口を開く。


「…フリッツ様、アデーレ様、皆さん、頭をお上げ下さい」


 場を囲む者達がゆっくりと頭を上げ、美香は一同の視線を一身に浴びたまま、静かに言葉を続ける。


「フリッツ様、アデーレ様。この街は、私の故郷ふるさとです。この街は、何ら身寄りのない私を温かく出迎え、私に安らぎを与えてくれました。そして、フリッツ様、アデーレ様。お二人は、私にとって、この世界の父と母です。私はフリッツ様とアデーレ様から、以前と変わらぬ家族の愛を受けたからこそ、健やかな毎日を送る事ができたのです」

「フリッツ様、アデーレ様。この世界では、家族に助けを求める時も、礼儀正しく頭を下げなければならないのですか?この世界では、大好きな人達を助ける時にも、対価が必要なのですか?私の居た世界は、違いました。私の生まれた世界では、家族を、大切な人を助ける時はおろか、時として自分と関わりのない人を助けた時も、対価を求めません。その人が無事であれば、その人の感謝の気持ちが、私にとっての、かけがえのない対価なのです」

「ミカさん…」


 美香の言葉を受け、アデーレが胸を詰まらせる。


「フリッツ様、アデーレ様、お願いします。私にも手伝わせて下さい。家族を、故郷を守るために、私にも手伝わせて下さい。お願いします!」

「…」


 頭を下げる美香を見て、アデーレは目を潤ませ、フリッツが唇を真一文字に引き締め、何かに堪える。やがて、胸の中の激情をやっとの事で抑え込んだフリッツが、ともすれば吠え出しかねない衝動を堪えながら、口を開いた。


「…ミカ殿。これほど心をかき乱されたのは、アデーレに言い寄られた時以来だ。『父』と呼ばれる事が、これほど嬉しい事だとは、思わなかった」

「ありがとう、ミカさん。私を『母』と呼んでくれて…」

「ミカ…」


 フリッツとアデーレに触発され、レティシアまでが声を震わせる中、フリッツが語り掛ける。


「あなたは当家の一員、紛れもなく私とアデーレの娘だ。この街を守るために、手伝ってくれ、…ミカ」

「はい!お父さん、お母さん!」


 くぐもった鐘の音が何処までも続く中、厳つい顔の中年男と、男の年齢の半分にも満たない少女は、ともに顔を赤らめながら、互いを見つめる。




 中原暦6625年ガリエルの第2月21日。両軍は対峙する。


 ハーデンブルグに立て籠もるのは、ディークマイアー軍4,500、アンスバッハ軍300、ミュンヒハウゼン軍3,200と輜重4,000。そして市民62,000。


 対するハヌマーン軍、北部部族連合 ――― 37,000。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る