第7章 サーリア

110:サーリアの目覚め

「あ…あ…あぁぁぁぁ…」


 グラシアノは膝をつき、目を見開いたまま、目の前に広がる光景に呆然としていた。


 彼の人生の中で何度も訪問した、サーリアの社。それまでずっと、窓一つない部屋の中、壁の隙間からわずかに差し込む光と御神柱の両脇に掲げられた篝火だけが頼りの暗がりの部屋が、今や眩い光が壁の至る所から幾重にも輝き、明るく照らされている。そしてその灯りの間を縫うように、赤や青の光が、まるで壁を這う蛇の様に、縦横無尽に走り回っていた。


 その部屋の中心には、二人の男女がグラシアノに背を向けたまま、佇んでいた。女は、グラシアノの一人娘。彼女は男の左腕に縋りつき、目の前の光景に呆然としていた。そして男は前を向いたまま、身じろぎもしない。その男には右腕がなく、隻腕だった。


 前を向いたまま動かない男に対し、グラシアノが初めて聞く女の声が、前方の光り輝く壁から降り注ぐ。


『これより、ユーザ登録を開始します。あなたのお名前をお教え下さい』

「…笠間木、柊也」


 男が前を向いたまま、口を開く。


『カサマキ、シュウヤ様ですね?カサマキが姓でよろしいでしょうか?』

「…ああ、そうだ」

『それでは、シュウヤ様とお呼びいたします。シュウヤ様の遺伝子情報、声紋、網膜パターンを分析。登録完了まで今しばらくお待ち下さい』

「…サーリア様ぁ!」


 壁と柊也が会話をする中で、グラシアノは溢れ出る感情を抑えきれず、叫び声を上げる。柊也が後ろを向いてグラシアノの顔を見るが、グラシアノの視線は柊也を素通りし、光り輝く壁を見つめたまま涙を流す。


「サーリア様!私めは、エルフ八氏族の一つ、ティグリ族の族長 グラシアノでございます!サーリア様のお目覚めに立ち会え、私めは今、感涙にむせぶばかりでございます!御身が御霊をお迎えし、再びこの地を照覧される日を迎えました事、エルフ一同を代表し、お慶び申し上げます!」


 そう奏上したグラシアノは、両手をついて勢いよく頭を下げると、額を床に擦り付けた。


 溢れ出る涙を気にもせず目を閉じ、額を床に擦り付けたまま微動だにしないグラシアノの耳に、サーリアの声が聞こえて来る。


『…シュウヤ様、お待たせいたしました。ユーザ登録が完了いたしました。これよりシュウヤ様には、サーリアが提供する全サービスの利用権限が付与されます』

「…サーリア様?」


 予想していなかったサーリアの言葉に、グラシアノが頭を上げる。グラシアノはサーリアに対し、恐る恐る声をかけた。


「…サーリア様?私めの声は、届いておりますでしょうか?」

『しかしながら、現在サーリアは、“エマージェンシー・モード”及び“スリープ・モード”となっております。そのため、全サービスの92.5%が、現在ご利用いただけません』

「サーリア様!?」


 自分の声がサーリアに届いていない事に、グラシアノは動揺する。サーリア様は未だ完全にはお目覚めではないのか?それとも、サーリア様のお耳に声を届けるには、何かしらの条件があるのか?


「サーリア様!」


 第三の女の叫び声が響き、グラシアノが右を向く。そこには、グラシアノと同じように両膝をつき、胸に両手を当てたまま涙を流す、ナディアの姿があった。ナディアもグラシアノと同様、魂の叫びを上げるが、サーリアの耳には届かない。呆然とするナディアにグラシアノが命じた。


「ナディア!他の族長達を連れてきてくれ!早く!」

「は、はい!ただいま!」


 グラシアノの声に弾かれる様にナディアは立ち上がり、慌てて入口へと駆け出して行く。左側で音がしてグラシアノが振り返ると、シモンも両膝をつき、前面の壁を見つめたまま呆然としていた。グラシアノの耳に、サーリアの声が聞こえてくる。


『それと、サーリアからシュウヤ様に対し、お願いがあります。現在、サーリアのユーザはシュウヤ様お一人、管理者は不在です。そのため、サーリアからシュウヤ様に対し、管理者への就任を要請します』

「ちょ、ちょっと待ってくれ、サーリア。俺はそもそも、あなたが何者なのか、知らないんだ。教えてくれ、サーリア」


 サーリアから要請を受けた柊也が、逆に質問を投げかける。それはグラシアノ達とは異なり、戸惑いはしているものの決して狼狽はしておらず、地に足がついた受け答えをしていた。そして、柊也の問いかけに、サーリアが答える。


『恐れ入ります。ヘルプ機能は、現在スリープ・モードの影響によりロックされております。そのため、シュウヤ様のご質問にお答えする事ができません』

「ヘルプ機能がスリープ・モードでロックされてしまうのか?ずいぶんと不親切な設計だな…」

『申し訳ございません。開発者に代わりお詫び申し上げます』


 サーリアと柊也の会話を耳にしたグラシアノは、衝撃を受ける。サーリア様がトウヤ殿に対し、下手に出ている。まさか…まさか、トウヤ殿は、サーリア様より上位の存在なのか?しかし、そう考えれば、サーリア様が自分やナディアに反応せず、トウヤ殿とのみ会話をしている事にも説明がついてしまう。その結論に行きついたグラシアノは、愕然とする。


 膝立ちしたまま動きを止めたグラシアノの後ろに、多数の人が駆け込む音が聞こえて来た。ナディアから報告を受けたガトー、イレオン、カバロ、コネロの四氏族の族長とその供回りは、部屋に駆け込むや否や目の前の光景に目を見開き、涙を流しながらサーリアに奏上し、膝をついて額を床に擦り付ける。


「サーリア様!お目覚めでございますか!?」

「サーリア様!私めは、エルフ八氏族の一つ、ガトー族の族長でございます!」

「サーリア様!再び私どもエルフをご照覧いただける日を迎えた事、お慶び申し上げます!」


 族長達は次々にサーリアに奏上し、供回りの者達も族長達に構わず声を張り上げる。族長達はそんな供回りの者達の無礼にも気づかず、サーリアの聖言を賜ろうと、一心不乱に耳を傾けた。そんな族長達の耳に、柊也の声が聞こえて来る。


「スリープ・モードの解除はできるのか?」

『管理者に就任する事で、スリープ・モードの解除は可能です。しかし、現時点でのスリープ・モードの解除は、周辺環境に著しい悪影響を及ぼすため、推奨いたしません』


 待望のサーリアの聖言を耳にした族長達は、しかし、お互いに戸惑った顔を見合わせる。彼らの声は何一つサーリアに届いておらず、サーリアは柊也との会話を続けている。


「どんな?」

『スリープ・モードを解除した場合、サーリアの消費エネルギーが1,169,114%上昇し、サーリアの管轄地、約1億2,700万平方kmの平均気温が、8.2℃低下します』

「それは酷い」


 柊也の背中越しに、彼のため息が聞こえて来る。やがて、彼は再び頭を上げ、サーリアに尋ねた。


「…管理者になるには、どうすればいい?」

『管理者の就任手続きは、メインシステムでのみ行えます。メインシステムは、ここから西北西に直線距離で約4,500km先にございます。恐れ入りますが、メインシステムまでご足労願います』

「ちょ、よん…!?」


 絶句する柊也に、サーリアが再び要請する。


『重ねて、シュウヤ様にお願いします。システム・サーリアの管理者への就任を要請します』

「…少し考えさせてくれるか?」

『畏まりました。600秒待機します』

「短っ!」


 柊也の指摘を余所に、サーリアが静かになる。柊也は再び下を向き、顎に左手を添えて考え込んだ。そんな柊也の下へ、グラシアノをはじめ、全員が駆け寄ってきた。


「ト、トウヤ殿!あ、あなたは一体…。そ、それよりも、サーリア様は、一体何と!?」


 全員を代表して、グラシアノが質問する。それに対し、柊也は顎から手を離し、頭を掻きながらグラシアノへと体を向ける。


「…うーん、何と説明したらいいのかな…」

「トウヤ殿!」


 困った顔をする柊也に、痺れを切らした族長達が詰め寄る。その剣幕に、柊也は思わず体をのけ反らしながら、説明した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、皆。サーリアの話は、要約すれば2つだ。一つ、サーリアの本体の居場所がわかった」

「何!?サーリア様がここにはいないだと!?」


 今までサーリアの躰はここにあると信じていたグラシアノ達は、真実を知って愕然とする。


「ああ、ここにあるのは子機…まあ、分身みたいなものだ。サーリアの本体は、ここから西北西に4,500km…4,500キルド先にあるそうだ」

「4,500キルド…」


 グラシアノ達は、呆然としたまま、西北西の方向へと顔を向ける。一斉に同じ方向を向いたグラシアノ達の横っ面に、柊也の声が降りかかった。


「二つ、サーリアは俺に頼み事があるらしい。そのために、4,500キルド先の本体にまで来て欲しいのだと」

「トウヤ殿!」


 柊也の言葉を聞いたグラシアノ達は、一斉に柊也へと振り向き、懇願する。


「頼む!トウヤ殿!サーリア様が仰られるその依頼、是非受けてくれ!この通りだ!」


 グラシアノは両膝をつき、額を床へと擦り付ける。グラシアノだけではない。シモンとセレーネを除く全てのエルフ達が、同じように両膝をつき、柊也に対し平伏していた。


「ちょ、ちょっと!頭を上げて下さい!グラシアノ殿!ナディアさん!皆さんも!」

「…トウヤさん」


 慌てふためく柊也の半身が揺さぶられ、柊也が横を向くと、セレーネが縋りつく様に見上げていた。セレーネの口が開き、細い一本の絹糸を張り詰めたような、緊張を孕んだ鈴の音が聞こえてくる。


「トウヤさん、私からもお願いします。サーリア様の復活は、私達エルフにとっての悲願なのです。そのサーリア様がお目覚めになり、トウヤさんにお願いした事を、私達は何としてでも叶えて差し上げたいのです。お願いします、トウヤさん。トウヤさんが依頼を受けていただけるのであれば、私、何でもします!だから、お願いします、サーリア様の依頼をお受け下さい!」


 そう答えたセレーネは柊也から手を離すと、両膝をつき、グラシアノ達と同じく頭を下げた。


 シモンを除く全員に平伏された柊也は、半ば自棄気味に声を荒げる。


「ああ、もう!受けます!依頼を受けますから!皆さん、頭を上げて下さい!」

「ありがとう!本当にありがとう、トウヤ殿!」

「ありがとうございます、トウヤ様!」

「トウヤさん…」


 地団駄を踏む勢いの柊也の言葉を聞き、グラシアノ達が頭を上げる。その誰もが柊也に対し、畏敬と崇拝と感謝の気持ちを表していた。つい1時間前の表情と一変した彼らを見て、柊也は頭をかき回し、苦虫を噛み潰す。ちょっと回答を逡巡しただけで、このザマだ。


 実のところ、柊也はサーリアの要請を断るつもりがあったわけではない。西誅軍を撃退し、大草原に平穏が戻った現在、柊也とシモンは、次の行先を決めかねていた。そのため、サーリアの要請は柊也に今後向かうべき方向を指し示す事になり、柊也としても前向きに考えるつもりだった。ただ、中世と同じ交通手段しかないこの世界で、4,500kmという距離を前にし、即断を避けただけに過ぎなかった。


 柊也は前面の壁に体を向け、頭を上げる。その柊也の左腕に、立ち上がったセレーネが縋りつく。


「サーリア、了解した。管理者への就任要請を、受けよう」

『畏まりました、シュウヤ様。要請をお受けいただき、感謝します』


 サーリアは、赤や青の光を縦横に走らせながら答える。そして、前の壁から、一つの黄色い光が飛び出し、柊也の許に舞い下りた。黄色の光は半透明で昆虫の羽を持つ小さな女性の姿へと変化し、柊也の左肩に腰掛ける。


『メインシステムへの誘導のため、“ガイドコンソール・シルフ”を付けます。道中、サーリアへのご質問、ご用命がございましたら、シルフへお声がけ下さい』

「了解した、サーリア」

『それでは、メインシステムにてお待ちしております。お会いできるのを、楽しみにしております』


 サーリアはそう答えると、再び沈黙する。やがて、部屋中を照らしていた光は次第に暗くなり、いつもの、わずかに差し込む光と御神柱の両脇に掲げられた篝火だけが頼りの、暗い部屋に戻った。




「…トウヤさん」


 暗くなった前の壁を見上げる柊也の傍らで、セレーネが柊也に縋りついたまま、声を上げる。柊也はセレーネの顔を見て頷き、グラシアノへと振り返った。


「グラシアノ殿、合議場に行こう。色々と話をする必要がありそうだ」

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