95:戦いの結末

「どうした、シモン?一体、何があった?」


 馬を駆って戻ってきたシモンとセレーネに対し、柊也が尋ねた。シモンは馬から降りると、柊也の前に立ち、俯いたまま動かなくなる。


「…シモン?」


 柊也が気遣うように声をかけると、やがてシモンが俯いたまま、口を開いた。


「…ジルが、いたんだ」

「ジル?…ラ・セリエの、ジル・ガーランドか?」

「…」


 シモンが俯いたまま、小さく頷いた。


 柊也は、合同クエストの事を思い出す。柊也とジルは、あの合同クエストが唯一の接点だった。あのクエストで柊也はジルと何度か声を交わしたが、悪い印象は持っていなかった。ジルは、A級に相応しい技量と識見を持ったハンターだった。この様な醜悪な戦いにジルが参加しているとは、柊也は想像していなかった。


「…そうか、ジルがいたか。…で、彼はどうした?」

「…死んだよ。私が、止めを刺した」

「そうか」


 柊也はシモンから答えを得ると、左手を伸ばしてシモンの後頭部を抱え、自分の肩に引き寄せる。


「…あ…」

「シモン、よく倒してくれた。助かったよ、ありがとう」

「…トウヤ…」


 柊也はシモンに労りの声をかけ、左手でシモンの髪の毛を優しく撫でる。シモンは柊也の背中に両腕を回し、抱きしめた。


 実のところ、シモンがジルを倒した事は、戦況に何の影響も齎さない。ジルがあのまま逃げたとしても、セント=ヌーヴェルに辿り着く前に息絶えるのが明白だった。シモンがジルをこの場で倒しても倒さなくても、結果は同じだった。それでも柊也がシモンを賞賛し礼を述べたのは、ただ一つ、シモンの心を救うためだった。


 柊也はシモンの頭を撫でながら、シモンの後ろからついてきたセレーネへと目を向ける。


「セレーネ。シモンの事を助けてくれて、ありがとうな」

「当然です。私は、シモンさんのお姉ちゃんだもの。愛する妹を助けるのに、理由なんていりません!」


 そう言って慎ましい胸を張るセレーネの姿に、柊也とグラシアノは顔を見合わせ、笑みを浮かべた。




 ***


 また一つ、窓の外に湧き上がる新たな断末魔を聞きながら、ギュンターが重い口を開いた。


「…殿下、…そろそろご決断を…」

「…」


 リヒャルトはテーブルに両手をついたまま、唇を強く噛みしめ、震えている。断末魔は散発的に湧きおこり、留まるところを知らない。


 モノの森に入って3日目。すでに西誅軍の生存者は30,000を割り込み、しかも加速的に死者は増えていた。ほとんどの者が地べたに座り込んだまま動こうともせず、横に転がったまま痙攣する者もそこかしこに見られる。彼らは一部の者を除き、モノの森に入って以降水を口に入れる事ができておらず、一両日中にはことごとく死を迎えると思われるほど衰弱しきっていた。


 死の合唱会は初日に幕が下り、一時期鳴りを潜めていたが、ここに来てアンコールが始まっていた。すでに己の死を悟った者達が、最後の潤いを求めて汚染された水を飲み始めているためである。彼らは最後の晩餐のように思う存分水を飲み、例外なく至福の時間を迎えるが、やがて喉を掻きむしりながら人生最後の歌を歌い上げ、絶命する。中には、喉を潤した幸福の中で、自らの命を絶つ者も見られた。


 すでに西誅軍の水は完全に枯渇し、リヒャルトでさえ昨日から一滴も水を飲んでいない。モノの森の井戸は深く、新たな井戸を掘るという試みも、途中に立ちはだかる硬い土の層の前に、干からびた兵士達が次々と力尽きていく。


 西誅軍の全滅は確定した。…リヒャルトが決断しなければ。


「…私は、この様な辺境の地で無様な屍を晒すために、生きて来たのではない。私は、王太子として中原の未来を思い煩い、民を導くべく常に努めてきたのだ。…どこだ、どこで私は道を間違えたのだ…畜生!」

「…」


 リヒャルトは両拳をもう一度テーブルに叩き付けると、その体勢のまま震えている。そんなリヒャルトの後姿を、ギュンターとダニエルが沈痛な面持ちで見つめている。また一人、誰かの断末魔が聞こえて来た。


「…エルフどもに伝令を出せ。我が軍は無条件降伏を申し入れる」

「「はっ」」


 ついにリヒャルトは机に向かって、震えながら指令を発した。




 ***


 2時間後。


 リヒャルト達司令部の面々十数人は、エルフの指示に従い、モノの森を出て大草原へと踏み出していた。無条件降伏という事実と水分の欠乏により、その足取りは重い。それでもリヒャルトは王太子として、一軍の総司令としての立場を全うすべく、努めて胸を張り、前を見据えていた。


 大草原を20分程歩いた先に、エルフの軍が展開し、リヒャルトの到着を待っている。先ほどまで地平の彼方に並んでいた彼らは、降伏を受け入れ、森の至近まで進軍していた。いずれも立派な馬に乗り、瑞々しく凛々しい姿だったが、その人数は少なく、10,000には届いていないように見受けられた。


 軍の手前には、数十人のエルフの男達が立ち並び、リヒャルト達の到着を待ち受けている。やがて一行がエルフの下に到着すると、リヒャルトが口を開いた。


「西誅軍総司令、エーデルシュタイン王国王太子のリヒャルトだ。貴軍の指示に基づき、参上した。我が軍は、貴軍に対し無条件降伏を申し入れる。どうか寛大なご配慮をお願いしたい」


 リヒャルトの申し出に、中央に立つ、威厳溢れる一人のエルフが口を開く。


「ティグリ族 族長 グラシアノだ。我々は、貴軍の無条件降伏を受け入れる。貴軍が我々の指示に従う限りは、我々も無闇に危害を加えない事を、約束しよう。…おい、用意をしろ」


 グラシアノは腕組みをしながらリヒャルトに答えると、後ろを向き、氏族の者に指示を出す。グラシアノの指示を受け、何人かのエルフがグラシアノの両脇に木箱を置き、その上に木杯を並べていく。


 リヒャルトの後ろに並ぶ誰かの喉が鳴った。リヒャルト達の目の前で、木杯に次々と水が注がれ、日の光を受けて煌めている。木杯に目が釘付けとなったリヒャルトの前で、グラシアノは木杯を1つ手に取り、毒見代わりに一気に呷ると、リヒャルトに声をかけた。


「まずは、喉を潤していただこう。そのままでは、しっかりとした話もできないだろうからな」

「…かたじけない」


 リヒャルトの発言をかわぎりに、司令部の面々は次々に木杯を手に取り、一気に飲み干していく。丸一日以上口にしていなかった水は、喉元を過ぎると急速に体へと染み渡り、司令部の面々の顔色がみるみる良くなっていく。


 木杯を片手に、視線を左右に揺らす者達が多数いる中で、グラシアノは寛大な言葉を投げかけた。


「お代わりが欲しければ、遠慮なく申し出てくれ」

「…すまない、それでは、お言葉に甘えさせてもらおう」


 リヒャルトを先頭に全員が追加を申し入れ、それに対しエルフの男達が近づいて、次々と水を注いでいく。暫くの間、両者の間には、静かで融和なひと時が齎された。




 その後両者は、大草原の上にいくつか木箱を並べ、その上に主要な者が座り込んで、今後の協議を行う。ティグリ族からの要求にリヒャルトは全て応じ、両者は以下の内容で一致した。


 一、リヒャルトを筆頭とする司令部の主要メンバーは、このままエルフの下に残り、抑留される。

 二、 西誅軍は武装解除の上、抑留された者以外は全員帰国を赦す。

 三、 西誅軍への給水は、武装解除が終わった者から、順次行われる。

 四、 帰還準備が整うまでの間、西誅軍はモノの森の惨状の復旧作業に従事する。

 五、西誅軍がモノ及びティグリで略奪した物は、全て返還する。また、馬は全て残置する。


 賠償に関する点がない事が心残りではあるが、リヒャルト達が行った行為に比べるとかなり寛大な措置と言えた。四の帰還準備の期間についても、どちらかというと西誅軍の兵士達が自力でサンタ・デ・ロマハまで歩いて行けるだけの体力まで持ち直す事が目的であり、復旧作業についてもエルフの指示に基づく死者の埋葬等で、人道的と言える。


 合意事項を西誅軍に伝え武装解除を指示するために、一旦森へと戻ったギュンターを待ちながら、リヒャルトがグラシアノに問いかけた。


「我々は、いつまで抑留されるのだ?」


 リヒャルトの問いに、グラシアノが答える。


「期間については、我々ティグリの一存で決めるべきものではない。エルフ八氏族の結論を待ってもらおう。ただ私は、此度の不幸は、お互いの種族を知らない事に一因があると考えている。そのため、殿下達にはしばらくの間、我々と生活をともにし、我々が何者か少しでも知ってもらいたいのだ。少なくとも我々は、殿下達を無下に扱うつもりはない、とだけ伝えておこう」

「…そうか。そのご配慮、感謝する」




 降伏後の西誅軍の武装解除は、抵抗なく進められた。


 ギュンターによって全軍に無条件降伏と武装解除の指示が伝わっても、兵士達に大きな変化は見られなかった。すでに彼らは気力と体力のほとんどを失っており、虚ろな目で空を見つめるだけだった。武装解除と引き替えに給水が行われる事を知った彼らは、残りの力を振り絞ってよろよろと立ち上がり、自らの武器や防具を脱ぎ始めた。


 ティグリのエルフは、7,500の軍を3つに分け、行動を開始した。500は森の郊外に留まり、リヒャルト達司令部の面々の監視を続ける。司令部の面々は、草原に敷かれた敷物に座り、ただ遠目で森の様子を窺う事しかできなかった。彼らには十分な水が与えられ、拘束もされず、エルフが野営で用いる簡素な毛布まで渡され、王太子用に割り当てられた荷馬車といくつかの木箱を利用して、久方ぶりの休息を取っていた。


 残り7,000のうちヘルマンが率いる3,000は、森の東側のすぐ外に陣を張り、西誅軍の兵士達を待ち受けていた。兵士達は自らの武器防具を抱えて森の東側に長い行列を作り、自分の出番を待っている。たびたび行列の途中で力尽き、倒れ込む兵士が現れるが、仲間達は見向きもせず、死を迎えるままに任せていた。エルフ達は周りにほとんどおらず、いても何もしない。冷酷だからではなく、やる事が多すぎて手が回らなかった。


 行列の先頭では、兵士からエルフへの武器防具の受け渡しが行われている。兵士達は、武器防具と引き替えにコップ2杯分の水を受け取り、森へと戻って行く。その全員が、1杯は必ずその場ですぐに飲み干し、感無量の顔を浮かべる。そして、2杯目を飲むか後のために残すか、悩みながらその場を離れるのであった。エルフ達は兵士達に対し、水の解毒は十分に行っているが、万一激しい胃のむかつきを覚えた時には自分達に声をかけるようにと、注意していた。


 エルフ達は、受け取った武器防具をそのまま少し離れた所に運び、油によって盛大に燃えさかる炎の中に放り込む。武器防具の価値や性能の関係なく、例外なく放り込まれ、次第に炎の中で赤や黒に変色していった。


 残りの4,000はグラシアノが率い、森に残っている兵士達を監視しつつ森の北側を封鎖して兵士達の進入を拒むと、いくつかの井戸にジョカの実の粉を放り込み、毒を中和する。そして、次々に井戸から水を汲み上げ、徴発した荷馬車の甕に注ぎ込むと、ヘルマン達へと運搬して行った。武装解除は半日に渡って続き、森の東側では何本もの黒い煙が立ち昇って、辺りは焦げ臭さが漂い続けた。


 夜になるとエルフ達は森の外へと撤退し、草原にて野営する。森の中では、リヒャルトの許に戻るギュンターから指揮権を引き継いだ指揮官が西誅軍を取り纏め、兵士達は久しぶりに死と隣り合わせではない夜を迎える。コップ2杯の水では到底渇きは癒されていないが、指揮官の管理下に並々と水の入った多数の甕が渡され、指揮官は新たに給水隊を編制して、死に瀕した兵士を重点に、給水を継続していた。また枯渇した北側の井戸が西誅軍に開放され、井戸の水が戻り次第、西誅軍への給水に活用される予定だった。


 翌日以降は、死者の埋葬にひたすら費やされる。武器防具の焼却を終えたヘルマンは、西誅軍の指揮官と連携し、兵士達の埋葬作業を指示、監督する。一方グラシアノは今度は森の南側を封鎖し、井戸から水の汲み上げを繰り返し、西誅軍へと供給した。


 柊也とシモンは、その間グラシアノと行動を共にしていたが、4,000の軍中に身を隠し、一切表には出てこなかった。柊也がこの場にいる事を、リヒャルトに知られないためである。




 1週間が経過した。


 死者の埋葬は終わり、西誅軍の兵士達の体力も回復した。


 モノの森の井戸は全て中和が完了し、西誅軍の生活用水として開放されている。奇襲を警戒してエルフ達が森の郊外で四方を包囲する中、西誅軍の兵士達は静かに毎日を送っていた。


「しかしグラシアノ殿、お主らの手際の良さには、感心を通り過ぎて呆れるほどだぞ」

「まったくだ。このままじゃ俺の面子が丸潰れだ」


 グラシアノの両脇で、セルピェンの族長であるリコと、ラトンのミゲルが呆れ顔で森の外れを見ている。そこでは、ティグリの部隊の包囲の下で、西誅軍の指揮官がリヒャルトに最後の挨拶をしているところだった。西誅軍は約束に基づき、サンタ・デ・ロマハへと帰還する日を迎えていた。


 ティグリの避難民から戦況を聞いたリコと、モノの生存者をラトンに送り届けたミゲルは、各々の氏族を率いて応援に駆け付けたが、モノに到着した時には全てが終わっていた。グラシアノから話を聞いたリコは暫くの間呆然とし、復仇の機会を失ったミゲルは地団駄を踏んだが、二人ともグラシアノの方針には一切異を唱えなかった。二人はグラシアノに助力を申し出、セルピェンとラトンは、このまま西誅軍の帰還の監視及び護衛を兼ね、大草原の外れまで西誅軍に同行する予定になっていた。


 二人の皮肉交じりの賞賛に、グラシアノは相好を崩さず、後ろを振り返りながら口を開く。


「私の手柄ではないよ。ティグリの功績でもない。…全ては、彼のお陰だ」


 グラシアノに続いて、リコとミゲルも後ろを見る。三人の視線の先には、シモンとセレーネを伴い、木箱の上で書き物をするヘルマンに話しかける、柊也の姿があった。柊也を見ながら、ミゲルが口を窄める。


「俺は、あいつに会ったら思いっ切り文句を言ってやろうと思っていたんだが、これじゃ何も言えないじゃないか…くそ」

「我慢してくれ、ラトンの。いくら我々の意趣にそぐわない方法とはいえ、エルフの多くの命を救った事に変わりはない。私もグラシアノ殿と同じく、彼には感謝の気持ちしかないよ」

「俺だって、その気持ちは同じだ。俺の気分が最悪なだけだ」


 不満を口にするミゲルをリコが宥める中、ヘルマンから紙を受け取った柊也が、シモン、セレーネ、ヘルマンを引き連れ、三人に歩み寄る。


「グラシアノ殿、リコ殿、ミゲル殿。先ほど言った通り、この手紙を指揮官に渡す。一読しておいてくれ。それとグラシアノ殿には署名をお願いしたい。頼めるか?」

「了解した、トウヤ殿。署名もさせてもらおう」


 柊也から手紙を受け取ったグラシアノは、リコとミゲルに1通ずつ渡し、交代で全ての手紙を読み始める。手紙は全部で4通あり、それぞれ教会、カラディナ、エーデルシュタイン、そしてエーデルシュタインのクリストフ王子に宛てたものだった。手紙に視線を走らせる三人に、柊也が話しかける。


「今回は無事に勝ちを拾えたが、また復讐に来られても困るからな。ガリエルの事もあるし、訣別するわけにもいかん。本国を宥めておかないとな」

「…こういう手紙を送るという事自体、我々では思いつく事ができない。本当に感謝するよ、トウヤ殿」

「…俺の気分はともかく、あんたがモノとティグリを救ってくれた事には、感謝以外の何物もない。俺からも礼を言わせてくれ」


 手紙を読み終えたリコとミゲルが、次々に左手を差し出し、柊也に礼を述べる。二人と握手を交わしながら、柊也は答えた。


「あなた方エルフは、真っすぐな心を持った、気持ちの良い種族だ。あなた方と接して、私は久方ぶりに心に安らぎを覚える事ができたんだ。この不幸に負ける事なく、まっすぐなままでいてくれれば、それに勝る喜びはないよ。あなた方と知己を得た事に、礼を述べたい。ありがとう」




 こうして中原暦6625年ガリエルの第5月、西誅軍は大草原から撤退する。生存者は、わずかに19,000名あまり。35,000もの命が、大草原の露と消えた。

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