82:サンタ・デ・ロマハ陥落

 リヒャルト率いるエーデルシュタイン軍は、アラセナの西方へと進軍して1日の距離で、セント=ヌーヴェル軍と相対した。エーデルシュタイン軍36,500の中には輜重7,500がいるため、実戦力は29,000。一方セント=ヌーヴェル軍18,000、うち輜重は3,000で実戦力が15,000。戦力比ほぼ2対1の戦いである。


 ただ、数では表せない問題がある。セント=ヌーヴェルは先の北伐における大敗で、精鋭部隊を根こそぎ失ってしまっている。そのため、セント=ヌーヴェル軍の兵士は精鋭を欠いた状態となっており、またハンター達もB級とC級で構成され、A級は一人もいなかった。一方、エーデルシュタイン軍は北伐の精鋭が健在であり、A級も数十名参加している。数だけでなく、兵の質にも差が生じていた。


 セント=ヌーヴェル軍は、国王パトリシオ3世の癇癪に追い出される形で、首都サンタ・デ・ロマハを出立した。本来であれば相手を引き摺り込み、輜重に負担を強いるために首都で迎え撃った方が良い。首都を背にする事で輜重の心配がなくなり、地の利もある。また首都の守備兵も戦力に数えられ、背水の陣とする事で士気の面でのプラスアルファも期待できた。


 それなのに、パトリシオ3世は軍に出征と迎撃を命じた。それは、パトリシオ3世に対する魔族認定の影響が大きい。魔族認定によって、パトリシオ3世は、世界から否定された。この状態で首都に西誅軍が押し寄せた場合、臣下の中にパトリシオ3世の首を刎ねて事を済ませようとする動きが出かねなかった。パトリシオ3世は決して国内で不人気な国王ではないが、国が傾きかけている今の状態では、何が起きてもおかしくない。何より、西誅軍を目にした時の恐怖に、パトリシオ3世自身が耐えられなかった。彼は押し寄せる死の恐怖から目を背け、耳を塞いで、ただ通り過ぎる事を願いながら18,000を首都から追い出すと、自分は部屋に閉じ籠ってしまう。18,000は、こうして何ら対策も与えられず、兵質で勝る36,500と相対する事になった。


 アラセナの西の平野で行われた会戦は激しいものではあったが、単調な戦いであった。セント=ヌーヴェル側の司令官は凡庸で、数の劣性を覆す策も講じず戦いに臨んだ。また索敵についても重要視せず、エーデルシュタイン軍が自軍の2倍にも及ぶ事も察知していなかった。


 平野部でエーデルシュタイン軍と対峙したセント=ヌーヴェル軍は、相手が自軍よりやや多い事に気づいたが、自分達が負けると後がない事を知っており、果敢にもエーデルシュタイン軍へと襲い掛かる。それに対し、エーデルシュタイン軍は凹型の陣形にてセント=ヌーヴェル軍の攻撃を受け止め、暫くの間両軍は激しい戦いを繰り広げる。


「狼煙を上げよ」

「はい」


 戦いの中でギュンターが指示をすると、エーデルシュタイン軍の司令部より狼煙が上がる。そして、狼煙が上がってしばらく経ち、セント=ヌーヴェル軍は、自軍の正面とは異なる方向に上がる喚声と怒涛に浮足立った。


「て、敵襲!」

「う、うわああああああああああああああ」


 平野の北に広がる森から多数の兵士が飛び出し、正面のエーデルシュタイン軍と干戈を交えるセント=ヌーヴェル軍へと襲いかかる。徒歩の者は横合いへと突っ込み、騎乗の者はセント=ヌーヴェル軍の背後へと回り込む。馬は皆二人乗りで、うち一人が馬から降りると、魔法を詠唱して背後からセント=ヌーヴェル軍に襲いかかった。退路を断たれた事を知ったセント=ヌーヴェル軍は動揺し、次々にエーデルシュタイン軍に討ち取られていく。


 やがて、三方から攻め込まれたセント=ヌーヴェル軍は、唯一敵のいない南方向へ雪崩を打って逃げ出した。エーデルシュタイン軍は、そのセント=ヌーヴェル軍の背中に次々に魔法を放ち、剣を振り下ろし、次々に打ち倒していく。


 日没まで繰り広げられた戦いは、こうしてエーデルシュタイン軍の完勝に終わる。エーデルシュタイン軍の死者は1,500。一方のセント=ヌーヴェル軍は8,000を数え、司令官も死亡する。そして生き残った10,000は散り散りとなり、首都サンタ・デ・ロマハへは、数えるほどしか戻らなかった。




 完勝したエーデルシュタイン軍は平野部に野営地を設け、休養と救護に充てた。おそらくはセント=ヌーヴェルの最後の抵抗となる戦いに完勝した事で、王太子リヒャルトは上機嫌で、ハインリヒ率いる別動隊の帰着を待つ。


 しかし翌日、リヒャルトは予想外の報告を受け、その場に立ち竦んだ。


「何だと…、もう一度、復唱しろ」

「はい、復唱します。ハインリヒ様率いる別動隊は、甚大な損害を受けて撤退しました。ハンター500名のうち、死者・行方不明230名。ハインリヒ・バルツァー様、及びヴェイヨ・パーシコスキ殿も行方不明です」

「何、ヴェイヨもだと!?アラセナのホセに返り討ちにあったというのか!?」

「いえ、それが…」

「何だ!?」


 リヒャルトの追及を受け、報告者はしどろもどろになって答える。


「『アラセナの宝石』の死体は確認されており、その周囲に護衛と思しき兵の死体も見つかりました。アラセナのホセも死亡したとの報告も、寄せられております」

「では、ハインリヒとヴェイヨは、何処に行ったのだ?そもそも二人は無事なのか?」

「…それが、全く見当がつきません。彼らを襲った者の姿を誰も見ておりません。また、行方不明とは申しましたが、実は損壊の激しい死体がいくつか存在しており、本人の判別ができておりません。衣服がハインリヒ様と似通っているとの情報もあり、おそらく二人ともすでに死亡しているのではないかと思われます」

「何てことだ…」


 リヒャルトは呟き、力なく椅子に座り込む。傍らで話を聞いていたギュンターが、リヒャルトに疑念を呈した。


「殿下、これはもしや、悪魔の仕業ではございませぬか?」

「悪魔憑きがいただと!?…いや、あり得るか…」


 ギュンターの指摘に、リヒャルトは考え込む。悪魔憑きから孵った悪魔は周辺を闊歩し、そこにいる人族を片っ端から食べてしまうと言われている。アラセナの悪魔憑きの遺棄先が北部山中にあり、そこで悪魔が孵化した可能性は十分に考えられた。ホセがそこに逃げ込んだ理由がつかなくなるが、悪魔憑きを利用して一か八かの賭けをしたのかも知れない。また、「五傑」と呼ばれるハインリヒと、現在唯一のS級ハンターであるヴェイヨを倒せる人族が思い浮かばない以上、悪魔説の方が説得力に富む。


「そうすると、北部山中に人を向かわせるわけには、いかないな」

「はい。二次災害の恐れがあります」


 ギュンターの返事を受け、リヒャルトは溜息をついた。


「では、仕方ない。ホセの討伐という、最低限の目標は達せられたからな。悪魔は捨て置き、このままサンタ・デ・ロマハへと向かおう」

「それがよろしいかと存じます」


 こうして、エーデルシュタイン軍はその日野営地での慰労を行った後、翌日サンタ・デ・ロマハへと出立した。




 ***


 セント=ヌーヴェル中央部では、カラディナ軍が快進撃を続けていた。ダニエル・ラチエール率いる討伐軍とドミニク・ミュレー率いる南方軍は、中央付近で合流するとそのまま北上し、サンタ・デ・ロマハへと向かう。途中、いくつかの街で破壊と略奪と暴行を働くが、それに抗うのは街の守備隊だけであり、軍は存在しない。カラディナ軍は掣肘する者がいないまま、復仇と欲望の赴くままに傍若無人に振る舞い、あとにはセント=ヌーヴェルの悲しみと絶望と怒りだけが遺された。




 こうして中原暦6625年、セント=ヌーヴェルの首都サンタ・デ・ロマハの人々は、生まれて初めて感謝祭のない年明けを迎えた。


 サンタ・デ・ロマハの郊外には、東にエーデルシュタイン軍38,000、南にはカラディナ軍34,000が布陣している。両軍はサンタ・デ・ロマハに向けて布陣していたが、首都への攻撃は未だ行っていなかった。現在、エーデルシュタイン軍の司令部において、セント=ヌーヴェルの重臣との会見が行われている。


 エーデルシュタイン軍へ差し向けた18,000の軍が完敗を喫したとの報がサンタ・デ・ロマハに届いた事で、パトリシオ3世の運命は決した。彼はその日の夜、重臣達の企てによりその身を捕らえられ、首を討たれた。重臣達はパトリシオ3世の首を塩漬けにすると、パトリシオ3世の長子を王太子と定めた上で、エーデルシュタイン軍に対し、降伏の使者を送った。


 司令部の天幕の中でセント=ヌーヴェルの重臣を前に、リヒャルトはパトリシオ3世の首をギュンターに検めさせると、重臣に答えた。


「使者殿、パトリシオ3世の首、確かに確認した。ただ、首の数が一つ足らないのではないか?」

「足らない、とは?」


 予想外の問いに、重臣は戸惑う。


「知れた事。ヲーへの侵攻を企てた指揮官がいるだろう。あの者も魔族と認定されている。此度の西誅の令は、国王パトリシオ3世、北伐軍司令官ルイス・サムエル・デ・メンドーサ、それとヲーへの侵攻軍の指揮官の3名の首を討つ事だ。ヲーの指揮官は、誰だ?」

「そ、それは…」


 重臣は口を開くが、言葉が続かない。それも当然だ。重臣にとってヲーの侵攻は預かり知らぬ事であり、指揮官の名など知る由もない。そもそも、ヲーの侵攻自体が存在しないものである以上、指揮官など存在しなかった。しかし、今やセント=ヌーヴェルによるヲーの侵攻は真実に勝る事実となり、セント=ヌーヴェルは存在しない指揮官を探し出さなければならない。


 狼狽える重臣を前にリヒャルトは溜息をつき、重臣に対し死刑宣告する。


「貴国が指揮官の身柄を明かさないのであれば、致し方ない。我々が直々に探し出そう。使者殿、ご苦労だった」

「お、お待ち下さい!殿下!」


 何とかすがろうとする重臣を騎士達が叩き出した後、リヒャルトは伝令を呼ぶ。


「カラディナ軍司令のダニエル殿に伝令。3時間後にサンタ・デ・ロマハに攻撃を行う」




 3時間後、西誅軍に襲われたサンタ・デ・ロマハは、陥落する。降伏の意思を表明した手前、城門を閉じる事もできず、一縷の望みを抱いていたサンタ・デ・ロマハであったが、リヒャルトの魔族捜索の名の下に西誅軍の突入部隊52,000が土足で上がり込み、蛮行の限りを尽くした。住民を殺し、女を犯し、金目の物を奪い取り、家屋に火をつける。断末魔と悲鳴の声がそこかしこで上がり、サンタ・デ・ロマハは3日間、業火に包まれた。


 燃え上がるサンタ・デ・ロマハを街壁の外から見守る者達がいた。西誅軍の司令部を守る護衛部隊と輜重部隊20,000は、仲間が欲望の赴くまま暴虐の限りを尽くす様を、羨ましそうに眺めていた。彼らのほとんどは、自分達がせっかくの「祭り」に参加できず、留守番となってしまった事を心底悔しがり、「祭り」に興味を抱かなかった者は、リヒャルトを筆頭とする司令部の高官の他には、ごく一部に限られた。


 そのごく一部の一人が、輜重からくすねた果物をナイフで削って口に運びながら、燃え上がるサンタ・デ・ロマハを眺めている。


「ああ、やだやだ。ああいう見境のない、さかりのついた男どもときたら、醜いったらありゃしない。早いとこ終わりにして、ラ・セリエに帰りたいよ、まったく」


 コレットは渋面を作りながら、果物を口に運ぶ。その顔は、果物の酸っぱさと、男どもへの侮蔑と、いつまでも留め置かれる我が身への嘆きが、ないまぜになっていた。戦争において、最も悲惨な運命を辿るのは、必ず女と子供だ。コレットは、同じ女としてサンタ・デ・ロマハで起きている惨劇に胸を痛めていた。もっとも、だからと言ってサンタ・デ・ロマハの女達の手助けをするわけではない。相手は52,000の荒くれどもであり、コレット一人でどうこうできるものでもなかった。したがって、せめて自分はその不幸の直接の加害者にならないよう、輜重の護衛を買って出て、街壁の外に留まっていた。それが、彼女にできる精一杯の抵抗だった。




 ***


 捜索という名目の蛮行は王宮でも行われ、多くの重臣達と王太子も混乱のさなか侵入者の凶刃に倒れた。


 3日後、捜索の完了を宣言したリヒャルトは亡くなった王太子に代わり、パトリシオ3世の即位後3年以上軟禁生活を送っていた弟を新王に立て、改めて新王より北伐におけるセント=ヌーヴェルの蛮行の謝罪を受ける。リヒャルトは西誅軍総司令として謝罪を受け入れ、魔族が招いた不幸な出来事を乗り越え、再びセント=ヌーヴェルが中原三国の一角を担う事を歓迎し、共にガリエルとの戦いに当たっていく事を要請した。3日間の捜索では結局ヲーの指揮官は見つからなかったが、捜索の中で命を落としたとされ、有耶無耶のまま決着がついた。


 捜索を終えた西誅軍は、3日間の慰労と補給活動の後、北へと出立する。魔族の奸計に嵌ったセント=ヌーヴェルとは異なり、エルフは自らの意思でカラディナに厄災を齎した。セント=ヌーヴェルの様な、生温い制裁で済ませるわけにはいかない。ロザリア様の名の下神罰を下すべく、西誅軍は10,000をサンタ・デ・ロマハに残し、62,000の兵を連れ、中原史上初めて軍を大草原へと向けた。

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