81:姉と妹

「これでどうだ?まだ足に違和感はあるか?」

「ううん、大丈夫」


 火葬場から少し離れた場所で三人は岩陰に隠れ、シモンの怪我の治癒を行っていた。「エアジャベリン」の直撃を受けた腕の裂傷は惨いものであったが、幸い致命的な状態には至っておらず、柊也は胸を撫でおろす。崖からの転落も斜面の草木がクッションの役目を果たし、打撲がいくつかある他には、大きな怪我は見られなかった。


「よし。腕の傷は止血だけに留めているが、時間がない。後でちゃんと治すから、今は我慢してくれ」

「うん。ありがとう、パパ」


 岩に腰掛けたシモンは、目の前でしゃがみ込む柊也を見て、にこやかな笑顔を浮かべる。柊也は、立ち上がりながらシモンの頭に手を伸ばし、綺麗な髪を梳く様に頭を撫でた。途中、突き出た耳に手の腹が触れると、擽ったそうに耳を左右に振る。


「セレーネ」

「はい、トウヤさん」


 柊也は、二人の脇で周囲を警戒しているセレーネに声をかける。


「シモンが立ち直るには、もう少しかかりそうだ。スマンが、もう少しの間、頑張ってくれ」

「はい!任せて下さい!」


 セレーネは柊也の方に振り返ると両腕を上げ、にこやかにガッツポーズを取る。柊也は、そんなセレーネの頭に左手を伸ばすと、二度三度、ポンポンと軽く触れた。セレーネはガッツポーズをしたまま、動かなくなる。


「…あ」

「…」


 やがてセレーネは頭を上げ、バツの悪そうな顔をする。そんなセレーネを、柊也は穏やかな顔で見つめていた。


 ハインリヒを鏖殺して以後、セレーネはずっと柊也の後に付き従い、戦場を駆け巡ってきた。それはつまり、柊也が行った虐殺を目の当たりにした事になる。そして、セレーネも柊也と同じく、人族を初めて殺めた。激烈な取捨選択の上、明確な覚悟をもって手を汚した柊也とは異なり、彼女はいわば成り行きで自らの手を汚した。極端な言い方をすれば、柊也がセレーネを、大量殺人の従犯に引き摺り込んだのである。


 そんな彼女が、心の中で葛藤を覚えるのは当然と言える。敵味方の違いはあれ、多くの人命を奪った事実に違いはない。自分がしっかりと物事を考えて行動していれば、もっと死者は少なかったかもしれない。もしかしたら、戦いそのものが回避できたかもしれない。過去の所業を振り返り、そう自分を責めるのが目に見えていた。いや、その片鱗が窺えたからこそ、彼女は無理をして明るく振る舞った。


 柊也は、そんな彼女に感謝していたが、その言葉は内心に留め口には出さなかった。感謝の言葉は、それ自体が対価である。柊也は、彼女に業を背負わせた主犯として、その対価を単なる言葉では支払いたくなかった。柊也は、彼女に業を背負わせた責任を取り、彼女を支えるつもりだった。少なくとも彼女が自分の業を受け入れ、自分自身で歩き始めるまでは、彼女を支える。それが、柊也の責任の取り方だった。


 柊也はセレーネの頭から手を離すと、カービンを肩に担ぎ、二人に宣言する。


「シモン、セレーネ。そろそろ出発しよう。このまま突破して、大草原へと向かおう」


 すでに敵陣奥深く入り込み、一戦交えている。強行突破の他に、手段はなかった。




 三人は川岸に沿って走り、川を下って行く。その走りは早いものではない。ゴールは遥か彼方にあり、先は見えない。急いでも意味がなかった。それに、セレーネはシモンと手を繋いでいた。シモンは未だ殻が割れたままであり、彼女には今しばらく、柊也かセレーネのどちらかが付き添っている必要があった。


「トウヤさん、前方左手、約100メルド先に10人」

「汝に命ずる。我の耳と音の袂を分かち、我の周りを静謐で満たせ」


 柊也は先ほどと変わらず、ハンター達を見つけると「サイレンス」を唱え、容赦なく襲い掛かる。しかし、セレーネとシモンは、そこにはついて行かなかった。幼子に見せるものではない。相手の少し手前で、セレーネはシモンを伴い、身を潜める。柊也はそのまま一人で藪へと分け入り、やがて姿が見えなくなった。


 セレーネは身を屈めたまま、手を繋ぎ、目の前で同じく小さくなっているシモンに尋ねる。


「シモンさん、大丈夫ですか?疲れていないですか?」

「う、うん、大丈夫…」


 シモンはセレーネの質問に気丈に答えるが、その手はしっかりとセレーネの手を掴み、自分の胸に抱えて離そうとしない。そんなシモンの姿を初めて見たセレーネは体の位置を変え、右手をシモンの頭に回すと、自分の慎ましい胸へと引き寄せた。


「あ…」

「大丈夫だよ、シモンさん…。トウヤさん、すぐ戻って来るからね」


 セレーネは枝垂れかかるように頭を預けるシモンの髪を優しく梳きながら、労わりの声をかける。シモンは、セレーネの左手を両手で掴みながら髪を梳かされる感触を楽しみ、目を細めた。


「うん…ありがとう、お姉ちゃん」


 お、お姉ちゃん?


 突然の言葉にセレーネは動揺し、髪を梳く手が一瞬止まるが、その動きはすぐに再開される。


 そっか、お姉ちゃんか…。


 考えてみれば、その通りだった。セレーネはすでに200歳を超えており、シモンの10倍近く生きている。そう考えると、むしろ自分がこれまで、自分の十分の一しか生きていない二人に頼り切っていた事を恥ずかしく思ってしまう。無論、それは種族的特性を無視した考えであり、一概に正しいとは言えないが、少なくとも年齢差は事実として存在する。ならば、せめて今は、彼女の望みを叶えよう。そう思ったセレーネは、シモンに優しい声をかけた。


「大丈夫だよ、シモンさん。お姉ちゃんが、ずっと傍にいるからね。だから安心してね」

「うん…お姉ちゃん…大好き…」




 ***


「本当に、本当に申し訳ない」

「そんな!気にしないで下さい、シモンさん」


 その日の夜、山の奥に張ったテントの中で、新たな黒歴史に彩られたシモンが正座してセレーネに謝る。セレーネは困ったような笑みを浮かべて手を振っているが、シモンは内心、顔から火が出る思いだった。やってしまった。今までトウヤにしか見せていなかった姿を、セレーネにも見せてしまった。自分一人だったら悶絶し床を転げまわりたくなるほどの羞恥を覚え、顔が熱くなる。


 下を向いたまま顔を上げられないシモンの頭に、セレーネの声が聞こえてきた。


「それに私、実はちょっと嬉しかったんです」

「え?」


 思わず顔を上げたシモンの視線の先で、セレーネは目を逸らし、頬を掻いて照れ笑いをする。


「私、一人っ子で兄弟がいないんです。だから、姉とか妹とか、憧れてたところがあって…。シモンさんに『お姉ちゃん』って呼ばれてちょっとびっくりしたけど、『ああ、妹ってこういうものなんだな』っていうのがわかって、…暖かくって…こそばゆくって…嬉しかったんです」


 セレーネは頬を掻くのをやめ、頬を染めながらシモンを見る。


「だからシモンさん、これからも、私の『妹』になってくれませんか?」

「う…」


 シモンは、セレーネの視線から逃げる様に顔を下に向け、両手を正座した太腿の間に差し込んだまま動かなくなってしまう。そもそも、良いも悪いもシモンから言い出した事である。


「…ま、まぁ、こんな私でよければ」


 やがて、下を向いたまま上目遣いで様子を見つつシモンが了承すると、セレーネは満面の笑みを浮かべた。


「本当ですか!?やったぁ、嬉しい!私がお姉ちゃんだ!」


 ようやく顔を上げたシモンの前でセレーネはガッツポーズを取ると、四つん這いでいそいそとシモンの元へと近づいて行く。


「シモンさん、じゃ、じゃあ、もう一回、『お姉ちゃん』って呼んで下さい」

「えええええええ!?」


 セレーネの期待を込めた瞳を間近にしてシモンはしどろもどろになり、思わず助けを求めて柊也を見る。だが、その柊也の苦笑した顔から「まあ、いいんじゃないか?」という答えを得たシモンは逃げ場を失い、やがておずおずと口を開いた。


「え、えっと、お、お姉ちゃん…」

「ありがとう、シモンさん!お姉ちゃんもシモンさんの事、大好きだからね!」

「え、あ、ちょっと!」


 喜びのあまりセレーネはシモンに抱きつき、再びシモンは顔を真っ赤にするのであった。




「しかし、あそこにいた人達、何をしていたんでしょうね?」


 シモンの頭を抱え込みながらセレーネが疑問を呈すると、柊也が答えた。


「おそらく、山狩りだろうな」

「山狩り?」


 シモンに引き剥がされ、逃げられたセレーネが、柊也に向き直る。


「ああ。ほら、川沿いにいた」

「…ああ、なるほど」


 柊也の指摘にセレーネは思い当たり、そして表情を暗くする。


 シモンを救出した後、川沿いで見つけた、唯一柊也達の手によらない複数の死体。その中にいた、明らかに戦いとは無縁の若い女性の姿を思い浮かべる。


「…綺麗な人でしたね」

「…ああ」


 二人は俯き、沈黙が広がる。自分達も逃避のさなかであり、埋葬も供養もしてあげられなかった事が、心残りであった。


「…何で、あんな事をするんでしょうね」

「…とどのつまり、度し難い馬鹿だからだろうな」


 力の優劣を全ての免罪符とし、相手の感情を考えず、自分の欲望だけを満たす。馬鹿だ、馬鹿ばかりだ。…自分を含めて。


 柊也も同じだった。相手より圧倒した力をもって、相手の感情を考えず、自分の思うままに相手を殺して回った。ベクトルは違えど、同じ馬鹿だった。しかし、だからと言って「馬鹿ではない」方法を探すつもりはなかった。柊也は、禅問答をするつもりはない。シモンとセレーネに危害を加えるような輩と、仲良くするつもりもなかった。つまりは、そう言った輩よりも力を持った馬鹿になる他になかった。


「トウヤさん?」


 表情が険しくなった柊也を見てセレーネが気遣わしげに声をかけるが、柊也は気づかない。奴らと同類になる。それは、覚悟をつけた柊也にとっても不快な事実だった。脳裏にシモンを慰み者にしようとしたあの男のにやけた顔が浮かび、柊也は胸のむかつきを抑える事ができず、思わず悪態をついてしまう。


「…ぁんの、糞野郎が」

「んんんっ」




「…え、ちょっと、シモン?」

「シモンさん?」


 二人に怪訝な表情を向けられたシモンは、慌てて体の前で両手を振り否定する。


「ち、違う!二人とも誤解だ!今のは、ちょっと喉が絡んだだけなんだ。私がそんな変態みたいな事、するわけがないじゃないか。…だから二人とも、お願いだから、そんな目で私を見ないでくれ…」

「…」

「…」


 勢いよく振られていた手が力を失い、シモンは俯いてしまう。そんなシモンの姿を見た二人は、思わず互いの顔を見て黙り込んだ。


「…シモンさん」


 やがてセレーネが膝立ちでシモンへ擦り寄ると、両手を伸ばし、シモンの頬を挟んで顔を上げさせた。


「お姉ちゃんの目を見て、正直に話して」

「あ…」


 顔を上げたシモンは、目の前のセレーネのエメラルドの瞳に魅せられ、目を逸らせなくなる。瞳を見たまま動けなくなったシモンに、妖精の様な形の整った美しい唇が問いかけた。


「あなた、もしかして、トウヤさんなら、もう何でも良くなっちゃったの?」




「くぅん」

「え!?ちょっと、やだ!?私でも良くなっちゃったのぉ!?」

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