74:父娘の別れ

 1mを越す大きな頭が、サボテンの様な多肉植物を丸ごと咥え込み、押し潰す。分厚い鱗に覆われた体はサボテンの鋭い棘を気にする事もなく、群生に頭を突っ込み、次々と飲み込んでいく。10m近い体を維持するために、どれだけの食料が必要なのか、見当もつかなかった。


「そうか。レセナの北にいたアースドラゴンは、ここから流れて来たのか」


 少し離れた所からアースドラゴンの様子を見ながら、柊也は独り言ちた。三人は岩の窪みに身を寄せながら、対応を考える。


「どうします?迂回しますか?」

「そうしたいところなんだが、アレ、意外と足が速いんだ。それに、多分すでに気づかれている。…あ、ほら」


 柊也の呟きに連動するかの様にアースドラゴンが頭を上げ、こちらを見ている。シモンが溜息をついた。


「駄目だね。これは倒さないと先に進めないな」

「アースドラゴン相手にそんな軽々しく言えるの、半年前の私だったら信じられなかったでしょうね」


 シモンの言葉を聞いたセレーネが、苦笑した。


 アースドラゴンは、A級相当の魔物である。ロックドラゴンの様な有無を言わさぬような堅牢さはないが、その分機動力と速射性に富む。しかも、元々鱗が硬い上に随所に「ストーンウォール」もどきの壁を発動させて盾替わりにする巧妙さも持ち合わせており、ブレスはロックバレットの散弾型である。ロックドラゴンが重戦車とするとアースドラゴンは中戦車と言え、生身の人間が相対するには土台無理な相手という意味では、何ら違いがなかった。


 ただ、ここに居る三人にとっては、油断すべき相手ではないものの、攻略不可能な相手でもなかった。


「シモン、また囮を頼む。ヤツの気を逸らしてくれ」

「わ、わかった」


 柊也の頼みに、シモンは彼女にしては珍しく不安そうな顔で了承する。そんなシモンの顔を見た柊也は、苦笑してシモンを宥めた。


「大丈夫だ。3分もかからないから。心配しないでくれ」

「ほ、本当に頼むよ?トウヤ」


 シモンは、まるで父親から引き離される幼児の様な顔つきをして念を押すと、柊也からブローニングM2を受け取り、アースドラゴンの側面へと跳び出していく。柊也の傍らから片時も離れなくなったシモンに囮を頼むのは忍びないが、相手のブレスが散弾型である以上、「疾風」を持つシモン以外に適任者がいなかった。


 シモンは「疾風」を連発して大きく回り込むと、ブローニングを構えて銃尾の押金を押し込み、発砲を開始する。秒速800mを超える12.7mm弾の前には分厚い鱗も役に立たず、10mを越す体のあちらこちらに赤い鮮血が舞う。突然体を襲った激痛にアースドラゴンは身を捩り、「ストーンウォール」を何枚も立てるが、銃弾はその合間から容赦なく飛び込み、アースドラゴンの体に新たな穿孔を作り出していく。たまらずアースドラゴンは「ロックブレス」を射出するが、シモンは「疾風」によってすでに射線から外れており、「ロックブレス」は地面に空しく扇の図形を描いただけだった。


 そうしてアースドラゴンはシモンを追いかけて左を向き、右半身ががら空きとなる。そこに静かに駆け寄った柊也が、パンツァーファウスト3を構え、トリガーを引いた。


 鈍い射撃音と白煙を吹き上げ、黒い塊がアースドラゴンに吸い込まれる。直後、轟音とともにアースドラゴンの胴体が破裂し、鱗や血が辺り一面に飛び散る。反動で左側に倒れ込んだアースドラゴンは、暫らく断末魔を挙げ藻掻いていたが、やがて動かなくなった。


 射撃装置を肩から下ろした柊也に、シモンとセレーネが駆け寄る。


「シモン、お疲れ」

「…」


 柊也の労わりの声にシモンは答えず、柊也の服を指で摘まむと、そのまま下を向いてプルプルと震えている。その頼りない姿に柊也は庇護欲を覚え、シモンの頭を撫でる。そんな二人を、セレーネは羨ましそうに眺めていた。




 ***


 ラモアの北に広がる草原は、北西方向に進むにつれ草木が疎らになり、ゴツゴツとした岩が剥き出しの大地へと移り変わる。それに比例するかのようにヘルハウンドがいなくなり、代わりにアースドラゴンが姿を現わす様になった。ただ、アースドラゴンの生息数はヘルハウンドより遥かに少なく、一行は以前の様な日常的な襲撃からは解放された。


 剥き出しの大地に変化するとともに、回廊は段々と狭まり、徐々に標高が上がっていく。まるで川の下流から上流へと遡るような錯覚を覚えながら、一行はなおも上流へと進む。そうして、ラモアから2週間が経過した頃、一行はついに回廊の「源流」へとたどり着いた。


「…賭けに負けたか…」


 柊也は、周囲を見回しながら小さく呟く。「源流」の北と東は、数千m級の山で囲まれており、西側もそれよりは低いもののラモアから続く山並みが連なっていた。辺りは剥き出しの岩石が転がり、すでに数日前からはアースドラゴンの姿も見かけなくなっている。エルフの大草原は何処にも見当たらず、三人の目論見は、脆くも崩れ去る事になった。


「で、でも、まだ諦めるのは早いですよ。ほら、あっちにはまだ進めそうです」


 セレーネが指差す先には険しい山を縫うように溝の様な細い空間が続き、そのまま西へと目をやると、西側の山脈と北の山脈の接合付近に大きな切れ込みが入り、そこから太陽が見えていた。


「あれがセント=ヌーヴェルに出るか、大草原に出るか、だな…」

「立ち止まっても仕方ない。行こうか、トウヤ」

「…ああ、そうだな」


 シモンが逡巡する柊也の手を取り、先を促す。シモンは、山の切れ目から射し込む日の光を背に受け、まさしく太陽の様に輝いていた。柊也は、久しぶりに「太陽の女」を目にしたような錯覚に陥り、えもいわれぬ安らぎに満たされる。柊也はシモンに笑顔を返し、手を繋いだまま再び歩み始める。そんな二人の後を、セレーネが子犬の様に追いかけて行った。




 山脈の切れ込みに跨る峠を越えると、周囲の景色は一変した。それまで草木のほとんどない、岩が剥き出しの大地が続いていたが、峠を越えてからは急に草木が生い茂る様になった。眼下を見ると豊かな森が広がり、地平の彼方には靄の中に微かに平野が見えている。


「どうやら、セント=ヌーヴェル側に出たようだな」


 藪を掻き分けながら、三人は山を下って行く。回廊を進むうちに標高がそれなりに高くなっていたようで、昨日から三人は総じてなだらかな下り坂を歩いていた。周囲は膝の辺りまで草木が生い茂り、かなり歩きづらい。途中で獣道と思われる細い道を見つけた三人は、獣道を辿るようにして山を下って行く。


 峠を越えたところで平野が見えたため、三人は向こうの世界の服を捨て、この世界の服に着替えていた。おそらく一両日中には、人里へと出る可能性がある。食料を除くほぼ全ての装備をこの世界のものに戻した三人は、シモンが先頭、セレーネが後尾を守る形で慎重に進んで行った。


 獣道は北西へ蛇行し、やがて切り立った斜面にぶつかると、斜面の縁をなぞるようにして再び南西へと下っていた。斜面の先は草木に遮られて見えないが、どうやら沢があるようで、川のせせらぎが聞こえて来る。三人は川のせせらぎを耳にしながら、獣道を進む。この日は朝まで雨が降っており、幸い雨は出発前には止んでいたが、空気は湿気を帯び、道はぬかるんでいた。


 突如、シモンが左手を水平に広げ、一行は歩みを止める。即座に意味を理解した柊也とセレーネは歩みを止め、シモンに顔を寄せる。


「…剣戟だ…」

「…はい。20人ってところでしょうか」


 前方を睨み付けたまま、シモンとセレーネが言葉を交わす。柊也には全く聞こえないが、この先で確かに戦いが起きているようだ。


「トウヤさん…」

「…」


 セレーネが左脇から覗き込むようにして、柊也の顔を窺う。シモンも前方に顔を向けたまま、柊也の指示を待っているようだ。


 柊也は即座に回答を示さず、暫らく押し黙ってしまう。柊也にとっても、これは難題だった。


 まず、最悪の事態は、ここまでカラディナ軍が攻め込んでいた場合。この場合は多勢に無勢であり、柊也達は撤退する他に手段がない。いくらチート能力があるとはいえ、万を超える敵を圧倒できると思うほど、柊也は事態を楽観視していなかった。


 しかし、撤退した場合、三人は本当に袋小路に陥ってしまう。撤退したところで行きつく先は回廊の源流だけであり、三人は完全に人族世界から孤立してしまう。北に横たわる数千m級の山脈を超えて、その先にあるかどうかもわからない大草原を目指すような、無謀な真似はしたくなかった。


 最悪の決断を下すのに逡巡した柊也は、二人に声をかける。


「もう少し前方の声を拾えないか?カラディナ軍が攻めて来たのか、それとも無関係な争いなのか、それを…」

「トウヤ!」


 突然、柊也の声を遮るようにシモンが声を上げ、柊也とセレーネを突き飛ばした。二人は獣人の膂力に抗う事ができず後ろに飛ばされ、盛大に尻餅をついた。


「痛ぇ!」

「きゃぁぁぁ!」


 危うく獣道から落ちそうになったセレーネは、柊也にしがみ付いて事なきを得る。そんなセレーネに脇目も振らず、慌てて顔を上げた柊也の目の前で、




 エアジャベリンの直撃を受けたシモンが、鮮血を振り撒いて吹き飛ばされ、斜面を転げ落ちていった。




「シモォォォォォォォォォン!」

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