73:帰還、そして(4)

 3丁目のM4カービンが咆哮し、突撃してきた5頭のヘルハウンドが次々と倒れる。柊也は倒れ伏したヘルハウンドには目もくれず、3丁目のカービンを投げ捨てて4丁目を取り出し、ストーンウォールの陰からヘルハウンドの様子を窺う。20頭ほどのヘルハウンドが右方向へと迂回しながら近寄っており、どうやら右から回り込んでくるようだ。


「ああ、もう、きりがないな」


 愚痴を吐きながら、柊也は4丁目を抱え、ヘルハウンドの火球が飛び交う中、シモンが隠れている右隣のストーンウォールへと飛び込む。ストーンウォールの左側から左方向へ射撃するシモンと背中合わせになると、魔法を詠唱する。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」


 二人が隠れるストーンウォールの右側に新たにもう1枚ストーンウォールが立ち、右に回り込もうとするヘルハウンドへ備える。柊也は新たなストーンウォールに飛び込むと、物陰で銃を構え、右のヘルハウンドの群れを鏖殺していく。


「きゃああああああああああああぁぁぁ!」


 突然背後から、左側を守っているはずのセレーネの悲鳴が上がり、柊也は慌てて振り返った。


「大丈夫か!?セレーネ!」

「あ、ちょっと待って!トウヤさん!」


 セレーネの制止の声は間に合わず、後ろを向いた柊也の視線の先には、3枚向こうのストーンウォールの陰で、一糸まとわぬ姿のセレーネが両腕で胸を隠したまま地面にへたり込んでいた。


「…あー」

「トウヤさん!何で離れるんですか!もぉぉぉぉぉ!」


 隣のストーンウォールに駆け寄った柊也を、セレーネは顔を真っ赤にして睨み付ける。怒っているのにも関わらず場違いな可愛らしさを醸し出すセレーネに柊也は苦笑しながら、新たなカービンと予備弾倉を取り出して、セレーネに放り投げた。


「あ、あの、トウヤさん。…服は?」


 そのまま射撃を再開した柊也に恐る恐るセレーネが尋ねるも、柊也は銃を構えたまま視線だけセレーネへと向け、無情な言葉を投げつけた。


「すまん、手が回らん。しばらく我慢してくれ」

「そんなぁ…」


 そう言うと再び射撃を開始した柊也を、セレーネは愕然として眺めていたが、涙目で銃を構え、セミオートで瞬く間に3頭のヘルハウンドを仕留める。


「死ねない、こんな姿で死ぬわけにはいかない、ふぇぇぇぇぇ…」


 柊也は、恥じらいもなく片膝立ちで銃を構えるセレーネを視界に捉え、慌てて顔を背ける。だが、今度は背中に柔らかく温かい感触を感じ、後ろを振り返ると、自分の真後ろで銀色の形良い耳が震えていた。


「…シモン?」

「だ、大丈夫だ。私は、正常まともだ。こ、こんな破廉恥で恥ずかしい事…んん…しっかりしろ、私…」


 シモンは、柊也の背中に豊かな胸を押し付ける様にしがみ付き、下を向いてプルプルと震えながら独り言を口にする。服はしっかりと着ているものの、何故か息が荒い。


「あ、おいこら、シモン!戻ってこい!右側ががら空きじゃないか!ちょっと、シモン!手を離せ!あああああ、もおおおおお!」




「…はぁ、行きと違って、何でこんなに襲ってくるんだよ。くそぉ…」

「ホントですよね、行きはほとんど戦ってませんものね」


 その日の夜、いつもの設営を終えたテントの中で柊也とセレーネが言葉を交わす。柊也が出した新しい服を身に着けたセレーネは、すでに昼間の悲劇を忘却の彼方に放り込み、いつもの態度で柊也に接していた。


 ラ・セリエ北部から回廊へと戻った三人は、そのまま往路を逆走する形で回廊の西進を開始したが、往路とは異なり、連日のようにヘルハウンドの襲撃を受けていた。特にこの日は50頭もの群れが進路上に立ち塞がり、3時間に渡る回避の努力も空しく戦闘へと突入してしまい、ほとんどそれで一日が終わったようなものだった。柊也が左手で頭をかき回しつつ、ぼやきを入れる。


「まあ、よくよく考えてみれば、仕方ないか。行きは25,000で、帰りはたった3人だ。相手から見れば、避ける理由もないか…。こりゃ、楽観視しすぎたな」

「ああ、そっか。25,000 vs 50と、3 vs 50と考えれば、当たり前ですよね」


 柊也の意見に、セレーネは納得する。往路の回廊ではほとんど戦いは起こらず、レッドドラゴンと戦った草原でもほとんど魔物がいなかったため、復路の回廊も似たようなものだろうと三人は思っていたが、現実は甘くなかった。


「まあ、回廊の北側を進むよりはマシだから、我慢するしかないな。ケルベロスやリザードマンが相手だと、夜襲の危険もあるしな」


 柊也は、そう言って現実を受け入れる。回廊の北側は南側に比べて、藪や森が多い。視界が隠れる事が三人にとって何よりも危険だった。また、ケルベロスの跳躍力はストーンウォールを飛び越える恐れがあり、また夜行性の個体もいる事が知られている。集団で押し寄せ、壁をよじ登る事ができるリザードマンもいると考えると、ストーンウォールを飛び越えられず活動時間が日中に限られるヘルハウンドの方が、ずっと気が楽だった。


「しかし、予想以上に時間はかかりそうですね。このままだと、行きの倍以上かかるかもしれませんよ」


 セレーネの気遣わしげな意見に、柊也は苦笑しつつ言葉を返した。


「もう、それは仕方ないな。感謝祭までに無事に戻れれば、御の字としよう」

「あ、感謝祭って、人族が一年の始まりに祝う催しですよね?私、見てみたいです!」


 柊也の言葉に、セレーネが目を輝かせて食いつく。


「エルフでは、感謝祭はやらないのか?」

「ええ。サーリア様を讃える儀式はあるんですが、厳かに行われるものでして…。人族みたいなお祭りではないんですよね」

「そうか。実は俺も、この世界に来てからまだ感謝祭は見た事が無くてな。せっかくだから、セレーネも大草原に戻る前に、一緒に感謝祭に行くか?」

「え、いいんですか!?是非是非、連れて行って下さい!やったぁ!楽しみだなぁ」


 柊也のお誘いに、セレーネは嬉しそうに頷く。その無垢な笑顔を見て、柊也は頬を綻ばせた。


「感謝祭は、シモンとも約束していたしな。なぁ、シモン。…シモン、どうした?」

「…んんんっ…」


 柊也は、先ほどから会話に加わらず、黙り込んでいるシモンを気遣う。それまで床に座り込んで俯いていたシモンだったが、柊也に声をかけられると肩を竦め、小さく震える。


「シモン?」

「シモンさん?」


 やがて、二人が注視する中で、シモンがゆっくりと顔を上げた。その顔はまるで悟りを得た様に穏やかで、失ってしまった何かを懐かしむように空中を見つめている。


「…セレーネ」

「は、はい。何でしょう、シモンさん」


 宙を見つめたままのシモンに呼ばれ、セレーネは姿勢を正して向き合う。そのセレーネにシモンは柔らかく微笑むと、豊かな胸に手を当てながら、口を開いた。




「…教えてくれ。何も身に着けていないというのは、どんな気持ちなんだ?」

「シモンさん、今すぐ戻って来て!自分から扉を開いちゃ駄目ぇぇぇぇぇ!」




 ***


 その後も三人は連日のように魔物の襲撃を受け続け、そのたびに西への道が阻まれた。病気や怪我等の大きな被害には見舞われなかったものの、すでに回廊の中を何日歩いたが、三人はよくわからない。それでも感覚的には往路の倍、3ヶ月近くはかかっていると思われた。そして、やっとの思いでラモアへと到着した三人であったが、彼らの旅はそこで終わりにする事ができなかった。


「…」

「…どうですか?トウヤさん」


 木々に隠れる様にして、三人は佇んでいる。その中で柊也は右手で取り出した双眼鏡を覗き込んで前方を食い入るように見つめ、セレーネが不安そうに見上げていた。


「…シモン、お前も見てくれ」

「ああ」


 やがて、一旦双眼鏡から目を離した柊也は、もう一つ双眼鏡を取り出すと、シモンへと手渡す。それを受け取ったシモンは同じように前方へと掲げ、柊也も再度双眼鏡を覗き込んだ。


「…やっぱり、あれはカラディナだよな?」

「…ああ、あれは確かに、カラディナ軍の軍旗だ」


 遠くに見えるラモアの街の周辺に蠢く大勢の人の群れと、随所にはためく旗を見て、シモンが舌打ちをする。長い間カラディナのハンターとして活動していたシモンには、見間違いようのない旗印だった。木陰に隠れた三人は暫らく押し黙っていたが、やがて柊也が口を開く。


「ラモアが、カラディナに占領された。この一帯は、すでにカラディナの勢力圏と見た方が良さそうだ」

「…」

「…ど、どうします?トウヤさん」


 セレーネの恐る恐るの問いかけに、柊也はすぐには答えず、もう一度ラモアの方を見る。ラモアの周辺は人が行き来し、馬群が駆け出している。


 そのまま右に視線を向けると、ラモアの北部に連なる山々。これまで回廊の南側を東西に貫き、ラモアで一旦途切れた山脈が、北西方向へと伸びている。そしてその山脈の更に北側には、これまで三人が歩いてきた回廊の草原が、そのまま北西方向へと伸びていた。


「…セレーネ」

「はい、トウヤさん」


 柊也は、ラモアの北側に広がる草原を眺めながら、セレーネに声をかける。


「エルフの大草原の東側は、どうなっている?」

「大草原の東、ですか?私達は、自分の氏族が暮らす森からそう遠くは離れないのですが、行動範囲だけでいえば、何処までも草原です」

「そうか…」


 そのまま口を紡んだ柊也に、シモンが尋ねた。


「…トウヤ、このまま草原を?」

「…そうだな。半ば賭けになってしまうが、この草原がエルフの大草原に繋がっている事を期待して進もうかと思う。そうではなかったとしても、セント=ヌーヴェルの勢力圏に出られるかも知れないからな」

「わかった、トウヤ。それで行こう」


 シモンの質問が後押しとなり、柊也が方針を出す。三人は再び、人族の勢力圏から外れ、放浪の旅へと向かった。

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