63:衣食住(1)

 森の北部に広がる草原はまっすぐ西へと続き、コルカ山脈まで続いている様に見える。そう判断した柊也は、このまま草原を西進してコルカ山脈の麓まで進み、そこで南下する方針である事を、シモンとセレーネに伝える。二人は、異論なくそれに了承した。


 レッドドラゴンの死体を放置し、3人はそのまま西進を続けた。草原はまるでサバンナの様に平坦で、所々に島のように木々や森が点在している。魔物との遭遇はほとんどなく、いても視界の開けた場所では、M4カービンの前に早々と地面にひれ伏す他なかった。


 やがて空が赤味を増し、陽が沈む頃、一行は今日の野営のための準備を開始した。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」


 柊也が「ストーンウォール」を詠唱し、凹の字型に囲いを作っていく。そしてその脇では、シモンが柊也の取り出したテントを広げ、設営を始めていた。セレーネは周囲を警戒しつつ、初めて見るテントに興味津々の様子である。


「トウヤ、設営が終わったぞ」

「了解。セレーネ、壁の中に入れ。蓋をするぞ」

「あ、はい。わかりました」


 柊也の声に応じ、セレーネが「ストーンウォール」の内側へと飛び込む。その動きは、控えめな体型と相まって重さを感じさせず、まるで妖精のように感じられた。


 3時間ほど前に柊也の後ろで「怖い」と言っていたセレーネだったが、今はその雰囲気を引き摺っておらず、気兼ねなく柊也と接している。空気を読んでいるというより、忘れてしまったようだ。初めて会った時と合わせ、セレーネの天然ぶりに柊也はツッコミを入れたいところだったが、反面、裏表なく普通に接してくれる彼女に、彼は内心で感謝していた。


「セレーネ、こっちはトイレだ」

「あ、はい。へぇ、これがトイレなんだ。何かカッコいいな…」


 セレーネは、初めて見る簡易トイレをまじまじと見て感心している。その姿に、半年ほど前に同じ様な行動を取ったシモンの姿を思い出し、柊也は顔を綻ばせた。


 テントは3人が十分に寝られる広さを有し、セレーネが普通に立っていられる高さを有している。シモンは流石に耳が天井を擦ってしまうが、それでも圧迫感のない空間を有していた。


 柊也はトイレに近い壁側に座り、二人も思い思いの場所に座る。セレーネは天井を見上げ、内装を見回している。柊也は右腕を使ってシモンにメニューを渡し、テーブルの上に紅茶を置きつつ、セレーネに説明を始める。


「さて、セレーネ。この先一緒に行動するにあたり、色々と説明する事がある。サーリアの誓いの範疇だから、そのつもりでいてくれ」

「はい。わかりました」


 そう前置きすると、柊也は右腕の能力について説明をする。


「とはいえ、ほとんど今までに見せた通りなんだがな。俺は右腕を通じて、元の世界の物資を取り寄せる事ができるんだ」

「えっと…元の世界とは?」

「俺は、元々この世界で生まれた人ではない。ロザリア教が行った召喚によって、別世界から連れてこられた異世界人なんだ」

「え…?」


 セレーネは柊也の言った言葉が理解できず、目を瞬かせる。外界に疎いエルフで、しかもその中でも若輩者である。異教であるロザリア教が執り行う儀式や、それが齎した結果について、全く情報を持ち合わせていなかった。


「そっか、エルフにはそう言った事情は伝わっていないか」

「え、ええ」

「まあ、そこら辺は知らなくてもいい。この際、由来は不可欠な情報ではないからな。重要なのは、右腕を使って元の世界の物資を取り寄せ、自由に使えるという点だ」

「えっと、トウヤさんの右腕、ですか?」

「ああ。ここにはないが、『向こう側』にある、と言えばいいのかな」

「はぁ…」


 理解が及ばず、ピンと来ないセレーネを見て柊也は苦笑する。


「まあ、いいか。聞くより見た方が早いだろ。だから、その能力を使えば、あんたが懸念していた食糧問題も、こういう形で対処できる。…シモン、決まったか?」


 セレーネへの説明を終えると、柊也はメニューをガン見するシモンに声をかける。シモンはメニューに釘付けのまま、自分の顔ごとメニューを柊也へと寄せた。


「えっと、これと、これと、これが食べたい」

「あいよ。…と、セレーネ。エルフってのは、食べ物に制限があるのか?肉が駄目だとか、植物しか食べないとか」

「え?いえ。そんな事ないですよ。エルフは草原の民ですから。牛とか羊とか木の実とか、何でも食べますよ?」

「へぇ…意外だな。こっちだと、エルフと言ったら菜食というイメージだからな」

「トウヤさんの世界にも、我々エルフはいたんですか?」

「あ、いや、こっちの世界にはいないんだ。空想上のイメージだよ」

「へぇ…」

「トウヤ、早くご飯」


 柊也とセレーネが話を弾ませる中、我慢できなくなったシモンが食事をねだる。お預けが限界に来ているのか、卵の殻から黄身が見え隠れしている。


 柊也はそれを見て苦笑し、テーブルの上に食事を並べていった。


「わぁぁぁ…」


 次々と目の前に並べられる料理に、セレーネは感嘆の声をあげる。柊也にとっては、在り来たりのファミレスの料理だったが、セレーネにとっては初めて見るご馳走だった。


 チーズハンバーグにポテトフライ、色鮮やかな野菜サラダ、焼き立てのバケット、グリルソーセージ、コーンポタージュ。そしてデザートに果物をまぶしたヨーグルト。香ばしい肉の匂いがテントの中を漂い、セレーネは目の前の食事から目が離せなくなった。


「さて、それではいただこうか」


 柊也がナイフ、フォーク、スプーンを差し出し、食事を取ろうとする。しかし、ここでシモンから待ったがかかった。


「待ってくれ、トウヤ。今のうちにセレーネに話すべき事がある」

「何だ?」

「セレーネ、こっちへ来てくれ」

「は、はい。シモンさん、何でしょう?」


 訝し気な顔をした柊也を余所に、シモンは居住まいを正し、正座をしてセレーネと相対する。セレーネもシモンの並々ならぬ顔つきに、表情を引き締め、シモンと向き合う。


「セレーネ。先達として、一つだけ忠告する」

「…はい」


 緊張のあまり、セレーネの喉が鳴る。そんなセレーネの両肩にシモンは両手を載せると、顔を寄せて呟いた。


「…引き返すなら、今だぞ」

「…は?」

「今なら、まだ引き返せる。だが、これを口に入れたら…」


 そう言うと、シモンはテーブルに並べられた料理を一瞥する。そしてセレーネに再び顔を向けると、呟いた。


「…もう、この男から離れられなくなる」

「え…?」

「…おい」


 セレーネは愕然とした表情で柊也の顔を見つめ、そんなセレーネの視線を感じた柊也は、憮然とした面持ちでシモンへと目を向ける。


「だって、予め言っておかないと、不公平だろ?」


 シモンは柊也の方を向くと、悪戯が成功したように笑みを浮かべる。そして柊也の脇に戻ると、何もなかったかのように、ナイフとフォークを手にした。


「では、いただきます」

「え、食べちゃうんですか?シモンさん」

「ああ。私はもう手遅れだからな」


 そう答えると、澄ましたようにハンバーグを切り分け、口へと運ぶ。そんなシモンをセレーネは呆然と見やり、そして柊也へと視線を移した。


「…どうする?止めとくか?」

「…食べますよ。ここでお預けされるのは、拷問ですよぉ…」


 そう言うと、セレーネは観念したようにスプーンを取り、コーンポタージュを口に運んだ。


「美味しい…」


 思わず口から声が漏れる。セレーネにとって初めて味わう、濃厚な味だった。


 次第にセレーネの動きが早くなるのを見た柊也は、頬を緩め、そして自分も食事に取り掛かった。




「あー、食べた食べた。今日一日色々あったが、久しぶりにこれが食えたのだけは良かったな」

「全く。この食事に慣れると、今までの食事が味気なくて仕方ないよ」


 食事が終わり、3人は思い思いの姿勢で、満腹感に浸っている。柊也は両足を投げ出し、座椅子に背中を預けている。シモンも柊也の横で横座りして、食後の紅茶を楽しんでいた。


「トウヤさん!食事、凄く美味しかったです!あぁ、もぉ、こんなにお腹一杯食べたの、初めて!」

「そうか。それは良かった」


 セレーネは前のめりに顔を寄せ、満面の笑みを浮かべて柊也に礼を言う。その裏表のない純粋な感謝の気持ちを見て、柊也は顔を綻ばせた。


 そんな柊也の隣に居るシモンが、セレーネに声をかけた。


「…さて。セレーネに一つ、頼みたい事がある」

「何でしょう?シモンさん」


 セレーネの問いに、シモンは入口を指差す。


「10分ほどでいいから、ちょっとあちらの壁にもたれかけて、待ってくれるか?」

「え、何故ですか?」

「言わなくても、10分も経たずにわかるよ。とにかく行ってみてくれ」

「は、はぁ…」


 そう言うと、セレーネは訝しげな顔をしつつもシモンの言葉に従い、テントを出る。それを見届けたシモンは、柊也と腕を組み、テントの反対側へと二人で身を寄せた。


「お前なぁ…」

「いいからいいから。こういう事は、身をもって知っておくべきなんだ」


 説明しながらくっくと笑うシモンを、柊也は呆れたように見やる。そして、テントの入口に顔を向け、その時を待った。


 そして、5分後。


「トウヤさん!お腹が、お腹が!」


 四つん這いで慌てて駆け込んで来るセレーネを見て、柊也は溜息をつき、シモンは横を向いたまま笑いを堪えていた。


「シモンさん!これは一体、どういう事なんですか!」


 嵌められたと知ったセレーネが、眦を上げてシモンを追及する。そんなセレーネに対し、シモンは涙を浮かべながら説明する。


「…ああ、お腹痛い…。だから、言っただろ?この男から離れられなくなるって」

「えぇ…?」


 一転して呆然としたセレーネに、シモンが半眼で笑みを浮かべ、種明かしをした。


「トウヤが出した食事を取ると、胃袋を掴まれるのさ。…物理的に」

「…」


 セレーネは呆然としたまま、ゆっくりと柊也に顔を向ける。


「トウヤさん」

「何だ?」

「…えげつないです」

「…もう一度料理を出そうと思ったんだが、止めとくか?」

「いただきます。大変美味しゅうございました」


 セレーネは一瞬の躊躇いもなく即答し、何事もなかったかのように席に着く。その変わり身の早さに柊也は笑みを浮かべ、サーロインステーキとライス、サラダを取り出して、セレーネの前に並べた。


「まあ、今体験した通りだ。5分以内ならいいが、俺から2メルド以上離れないよう、注意してくれ」

「わかりました。いただきます」


 そう言うと、セレーネは2回目の食事に取り掛かる。そんな彼女を眺めながら、柊也は食後のコーヒーを啜っていた。




「トウヤ、すまない。私もうっかり消してしまった。セレーネと同じ料理を出してくれないか?」

「お前、絶対わざとだろ…」

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