62:レッドドラゴン

 自己紹介が終わった3人は、セレーネの呼吸が整ったところで北西への移動を開始し、お互いの情報交換は野営時まで延期する事にした。南部にいるハヌマーン達がいつ反転してくるかわからないため、今のうちになるべく距離を稼ぎたいという事情がある。また、会話により注意力が散漫となり、周囲への警戒が緩むのを防ぐためもあった。


 3人は逆三角形の並びで北西へと進む。前に柊也とシモンが横並びとなり、後ろにセレーネである。装備的にはセレーネを前後で挟み込んだ縦列の方が良いが、それだと2mの制限に引っかかりかねない。また、セレーネは弓を持っており、エルフの鋭い感覚は後方警戒に有用であった。


 北西へと歩き続けるうちに段々と木々は疎らとなり、やがて歩いて15分を経過する頃には森は途切れ、一行は草原へと躍り出た。森の北部は見た渡す限り草原が広がり、所々に木々が寄せ集まるように点在している。西を見ると草原は続き、遥か向こうにコルカ山脈の山並みが霞んで見えた。


「やれやれ。何とかコルカ山脈まで、このまま行けそうだな」


 懸念点であった視界が確保できた事で、柊也が胸を撫でおろす。M4カービンの射程は、この世界の魔物に対し大きなアドバンテージを持っている。である以上、視界を遮る茂みや障害物は、身を隠すメリットより身を隠されて奇襲を受けるデメリットの方が多く、柊也はなるべく避けたかった。


「さて、あっちはどうなっているかね…」


 草原に踏み出した3人は背後を振り返り、森の上空を見やる。先ほどの上空からの攻撃の正体を明らかにしたかった。


 3人が眺める遠くの森の上空を、全長15m程の巨大な生き物が滑空している。蝙蝠の様な翼を持ち、長い首と尾を持つ。鱗は赤く輝き、太い後ろ足と小さな前足を持った、爬虫類の様な生き物だった。


 やがてその生き物は森の上を低空で飛ぶと、進行方向斜め下に向けてブレスを掃射する。そのままブレスを引き摺りながら、森の上を低空で飛び去り、ブレスを止めると上空へと舞い上がった。その姿を見た柊也は、小さく呟く。


「あれは、まさしくレッドドラゴンだな」

「知っているのか、トウヤ!?」

「…」


 某有名な漫画の台詞がシモンの口から飛び出し、柊也は思わず本題を忘れシモンを見る。しかし、シモンは柊也を見つめたまま、動きがない。どうやら偶然の一致だったようだ。柊也は誤魔化すように咳払いをして、シモンに答える。


「いや、正直初めて見た。俺のいた世界では、ドラゴンといった魔物は存在していなくてな。空想上の生き物として知られていた。たまたまその中の1種類に似ているというだけだ」

「そうか…、ちなみにその習性は?」

「ちょうど、あのまんまだ。空を飛び、炎を吐く。魔法も使うとされ、空想上の生き物の中でも最強の存在だったよ」

「本当に、あの通りなんだな…」


 シモンは疲れた様に息を吐き、レッドドラゴンを見やる。彼女から見れば、あれは間違いなくこの世界で最強の魔物だった。


 その最強の魔物は上空へ舞い上がり、大きく旋回している。おそらく、再度低空に入りブレスを掃射するのだろう。3人はそう予想していた。しかし、レッドドラゴンの動きは予想を違える。


「あれ?」


 レッドドラゴンの動きを見たセレーネが、疑問の声を上げる。柊也とシモンは声を上げなかったが、思った事は同じだった。


「…なんか、こっちに向かって来ていません?」

「…」


 大きく旋回中のドラゴンと3人が、方向的に目が合った。3人はそのまま旋回を続けるだろうと思っていたのだが、ドラゴンは旋回を止め、こちらに進路を固定したまま飛翔している。


「…おい、ちょっと待て」


 相手に聞こえないのにも関わらず、柊也はレッドドラゴンに異論を唱える。しかし、レッドドラゴンは構わず、進路を固定したままだ。


「ちょっ、おま、あっちにあんなに群がっているのに、何でわざわざこっちに来やがる。こっち来んな!」




 ***


 彼は、都合4回のブレスを掃射し、5回目の掃射をするために上空へと飛び上がっていた。殻付きはすでに遁走を続けており、庭の掃除はあらかた片付いている。もう二度と侵入してくる気が起きないよう、彼は徹底的に殻付きを始末するつもりだった。


 そうして上空で旋回を始めた彼だったが、その途中、森の北の草原に小さな点を3つ見つける。目の良い彼はそれが生き物である事に即座に気づき、そして機嫌を損ねる。


 殻付きが北に逃げた。それは、彼にとって嬉しくない状況だった。ああいう生き物は、見逃すと庭の隅に巣を張り、すぐに繁殖して数を増やしてしまう。北の毛むくじゃらで痛い目にあった彼は、二度と同じ過ちを繰り返すまいと、予定を変更し、北にいる殻付きの駆除へと向かった。




 ***


「トウヤ!」


 シモンが警告を発し、柊也とセレーネの二人を両脇に抱える。そのままシモンは「疾風」を発動し、左へと急進する。


 直後、3人がいた場所に炎の柱が突き立ち、草原を黒く塗り上げながら移動していった。


「くそ!何でわざわざ、こっちに来やがる」

「トウヤ!どうする!?森へ駆け戻るか?」


 柊也が抱えられながら悪態をつき、シモンが「疾風」を連発しながら、対応方針を聞く。セレーネは借りてきた猫のように動かず、シモンに抱えられたまま、手足が垂れ下がっている。


 柊也はシモンの問いに首を振り、自分の考えを述べる。


「いや、森に戻るのは愚策だ。ドラゴンが何処にいるかわからず、ブレスを受け続ける事になる。此処で迎え撃とう」

「何だって!?一体どうやって?」


 柊也の言葉に絶対であるはずのシモンでさえ、思わず聞き返す。北伐軍を崩壊に導いた空飛ぶ最強の魔物を、たった3人で迎え撃とうとしているのだ。


 シモンの質問に、柊也が答える。


「向こうの世界には、ああいうのにも対応策がある。ただ、少し時間がかかる。シモン、すまんが少しの間、囮を頼めるか?」

「…わかった。トウヤ、信じているからな」


 そう言うとシモンは二人を、草原の中に立つ大きく枝の張った木の下に降ろし、ドラゴンを見上げる。ドラゴンはブレス掃射を終えて上昇しており、これから旋回を行おうとしていた。シモンは柊也へと向き、得物を所望した。


「トウヤ、ブローニングを出してくれ」

「わかった。気をつけろよ」


 柊也はシモンの要望に答え、立ち上がると腰を据えて力いっぱい右手を引く。すると空中からずるりと長い鉄の塊が出てくる。シモンはその先端のグリップを掴むとそのまま空中から引き摺りだし、肩に担ぐとそのまま「疾風」で草原へと跳び出した。


 ブローニングM2。


 重さ40kgにも届く、重機関銃である。その重さと発砲時の反動ゆえに通常は銃架に取り付けて固定するものだが、シモンは獣人の膂力にものを言わせ、手持ちで使っていた。威力、射程ともにM4カービンを遥かに上回るが、本来固定するものを手持ちで使用するため、命中精度が落ちている。


 草原の真ん中に跳び出したシモンはそこで仁王立ちし、肩に担いだブローニングを降ろす。右手で銃尾のグリップを持ち、左手は銃本体の底部を掴む。そして、そのままの体勢で、旋回を終えたドラゴンが来るのを待ち続けた。ドラゴンがシモンに気づき、突入してくる。


 先手はドラゴン。ドラゴンは大きく口を開くと、ブレスをシモンへと浴びせかける。しかし、シモンは「疾風」を駆使してドラゴンから見て右手方向へと抜け、ブレスから逃れる。ドラゴンは空中で停止する事なく、そのまま上空へと逃れる。


 その後ろ姿に向け、今度はシモンが仕掛けた。「疾風」の反動を利用して体を反転させたシモンは、ブローニングを腹の高さまで持ち上げ、右腕でつっかえ棒をするように支える。「疾風」の慣性で流されながら腰を落とし、銃身をドラゴンの尻へと向け、銃尾にある押金トリガーを右親指で押し込み、発砲した。


 M4カービンより透明感のある重い連射音が鳴り響いてブローニングが咆哮し、薬莢が飛び散る。発砲によるシモンへの反動はすさまじく、シモンの両腕は反動を力づくで抑え込もうと筋肉が盛り上がり、血管が浮き上がっている。それでも反動は抑えきれず、銃身は上下にぶれ、シモンの体は発砲するたびに後ろへと下がってしまう。


 元々対空戦闘の経験などない上にブローニングの手持ちという影響も重なり、命中精度は悪くなるばかりだが、それでも反動と手ブレの偶然が重なり、ドラゴンの背中と左後ろ足に1発ずつ命中する。ドラゴンは初めて受けた痛みに身を捩らせ、飛行姿勢が斜めに傾いた。


 しかし、ドラゴンの戦意は衰えていない。地を這う小さな生き物に自分が傷つけられた怒りに身を任せ、反転して再びシモンへと襲い掛かる。シモンはそのブレスを「疾風」で避け、反撃する。


 お互い今まで経験した事のない戦闘は決定打を欠き、激しくも単調な動きを繰り返していた。




 シモンの上空でドラゴンが行き来している間、木陰にいるセレーネの視線は、ドラゴンと柊也の間を行き来していた。


「ト、トウヤさん、早くシモンさんを助けないと…」

「…」


 セレーネがおずおずと柊也を促すが、柊也は気にせず右手で目的の物を取り出す。空中から現れたのは、1.5m程の長さの、鉄の筒であった。先端に鉄製の箱が複数取り付けられ、無骨な頭部を形成している。

 柊也は先端の頭部をカチャカチャと弄ると、その筒を右肩に担ぎ、木の陰から顔を出す。


「セレーネ、後ろに立つな。左脇に来い」

「は、はい」


 セレーネに注意喚起した柊也は、筒に左手を添え、箱に顔を当ててドラゴンの方を向くと、そのまま動かなくなる。セレーネは、それをじれったそうに眺めていた。


 ドラゴンとシモンの都合四度目の戦いが終わり、ドラゴンは五度目に向けて上昇している。その姿を柊也は筒越しに追尾していたが、やがてセレーネが聞いた事のない鐘の音が、筒から聞こえて来る。


 直後。


「きゃあぁぁぁぁ!」


 筒から重く鈍い轟音が鳴り、筒の中から金属の棒が飛び出す。セレーネは慌てて耳を塞ぎながら、その金属の棒を目で追って行った。それは白い煙をあげながら、瞬く間に速度を上げ、ドラゴンへと飛翔する。


 ドラゴンはその飛翔体に気づき、上昇速度を上げて躱そうとする。すでに飛翔体の進行方向からは外れており、飛翔体はこのままドラゴンの下を通り過ぎる。セレーネはそう思っていた。


 しかし、飛翔体は急に頭を上に向けると、上昇するドラゴンに狙いを定め、追いかけていく。それに気づいたドラゴンは右側に旋回し、躱そうとする。だが、飛翔体は離れない。進路を右に向け、ドラゴンへと迫りくる。


「あ…」


 飛翔体がドラゴンに突き刺さった直後、上空で大きな爆発があがり、赤い炎と黒い煙を撒き上げる。そして、黒煙から零れ落ちるかの様に、ドラゴンの本体と右の翼が、ばらばらになって墜落していった。




「…」


 シモンはブローニングを持って仁王立ちしたまま、呆然と上空を見上げている。その視線は、墜落するドラゴンを追って、段々と高度を下げていった。


 やがて地響きを立ててドラゴンが地面に伏せたところでシモンは我に返り、柊也の方を向いた。柊也は肩に担いだ金属の筒を降ろし、シモンに戻ってくるようにと、左手で合図をしている。その合図にシモンは「疾風」を発動して、慌てて柊也の許へと駆け戻った。


「今のは、一体…」


 地面に投げ捨てられた金属の棒を眺め、呆然とした表情で尋ねるシモンに、柊也が答えた。


「対空ミサイルと言って、空を飛ぶ相手専門の武器だ。追尾式で、相手が避けても追いかけるんだ」


 91式携帯地対空誘導弾。


 日本製の携帯式防空ミサイルシステムである。カメラアイを搭載し、赤外線追尾よりも、より人間に近い視認追尾性能を持つ。総合的な性能ではアメリカが生産するスティンガーミサイルの方が上だが、対ドラゴンには可視光追尾という点で有効だった。


 この世界で最強と思われる魔物を一撃で叩き落した魔の兵器を、シモンとセレーネは信じられないという面持ちで見つめている。その二人に柊也が声をかけた。


「あのまま放置しても大丈夫だろうが、何が起きるかわからんからな。トドメを刺しに行こうか」




 ***


 彼は、突然自分の身に起きた悲劇が、未だ理解できないでいた。


 胴体の右側に激痛が走り、右の翼の感覚がない。高度から墜落して強かに地面に打ち付けられたため、体のあちこちが骨折し、痛みをあげていた。しかし彼にとって、胴体の傷口から激痛とともに広がる、ジワリとした冷たい感覚が、何よりも恐ろしかった。彼がその感覚を味わうのは生まれて初めてだったが、彼はその正体を正確に理解していた。それは、死が忍び寄る感覚だった。


 彼は死から逃れ得ようと、必死で抵抗する。首と身を捩らせ尾を振り回し、縋りついた死を振りほどこうとする。しかし、死は離れない。彼は続けて、何とか立ち上がり、死から逃げたそうとする。しかし、彼の四肢は空中に跳び上がるために発達しており、陸上を歩き回る事には適していない。後ろ足より小さくアンバランスな前足は胴体を支える事ができず、彼は胸元を地面に擦り付けたまま、ただ空しく後ろ足で空を蹴るばかりであった。


 そうして最後の抵抗を試みていた彼に、突然最期が訪れる。傷口を中心に鱗の表面を徐々に広がっていく冷たい死に彼は怯えていたが、突如傷口の真ん中に鋭い針の様な痛みが走る。その痛みは急激に体の中に広がり、そして体そのものも同時に広がっていく。


 そして彼は自分の体が膨れ上がり、内側から上がる破裂音を聞きながら意識を失い、やがて絶命した。




 ***


 破裂したスイカの様に内臓をぶちまけたドラゴンを前に、柊也は肩から金属の棒を降ろし、地面へと投げ捨てる。その後ろ姿を、シモンとセレーネは少し離れたところから、呆然と眺めていた。


「シモンさん、…私、怖いです」

「…」


 後ろから聞こえて来る小声を耳にしても、柊也は後悔していなかった。彼の取捨選択は明確に定まっており、守るべきもののためなら、それ以外を捨てる事に何ら躊躇しなかった。


 彼は地面に投げ捨てた対戦車兵器、パンツァーファウスト3をしばらく眺め、そして後ろを振り向く事なく二人に声をかける。


「シモン、セレーネ」

「は、はい!」

「…トウヤ」


 セレーネは背筋を伸ばし、シモンは気遣わし気な表情を浮かべて、柊也の背中を見つめる。二人の返事に応じる様に柊也は半分だけ後ろを向き、横目で二人を眺める。その顔に表情はなく、二人は彼が何を思っているのか、窺い知ることはできなかった。


「…行こうか。セント=ヌーヴェルへと戻ろう」

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